翌日。
俺は鍛錬場に立ち、ダブルを具現化した。
目の前に、もう一人の俺が現れる。
同じ顔、同じ体格、同じ服装。
自分の身体を再現した、もう一つの身体だ。
昨日、俺は考えていた。
ダブルの何を残し、何を手放すべきなのか。
その答えを探すためにも、まずは今の能力が持つ強みを、改めて確かめる必要がある。
「実戦を想定してみるか」
分身に正面から攻撃させ、俺自身は側面へ回り込む。
分身が拳を引く瞬間に、本体が踏み込む。
左右から攻撃を重ね、相手の逃げ道を塞ぐ。
続いて、分身に攻撃を続けさせながら、本体は途中で動きを変えた。
分身の攻撃を囮にして、本体が別の角度から仕掛ける。
あるいは、本体が攻め込む間に、分身を使って相手の退路を制限する。
ダブルがあれば、一人ではできない連携を組み立てられる。
具現化と解除を使い分ければ、必要な場面だけ分身を戦闘に参加させることもできる。
全身を具現化できるからこそ、攻撃だけでなく移動や防御にも活用できる。
これらは、ダブルが持つ明確な強みだった。
単純に考えれば、二つの身体を使えることは、それだけで戦術の幅を広げてくれる。
だが、実際に動かしてみると、思い描いた連携がすべて成立するわけではなかった。
分身の攻撃に意識を向けると、本体の踏み込みがわずかに遅れる。
本体の位置を修正しようとすれば、分身への注意が薄れる。
特に、相手の反応に合わせて両者の動きを変えようとすると、途端に難しくなる。
二つの身体を動かせることと、二つの身体を最大限に活用できることは違う。
もちろん、練習によって改善できる部分はあるはずだ。
分身の基本動作は、すでに一通り扱える。
操作の精度を高め、判断と動作をより自然につなげていけば、今よりも少ない意識で連携できるようになるかもしれない。
ただし、それには時間が必要になる。
どれほど練習すれば実戦で十分に使いこなせるのか。
その水準に到達するまで、ほかの鍛錬をどれだけ犠牲にすることになるのか。
俺は、その先にある結末を知っていた。
だからこそ、ダブルの習熟だけに時間を費やすことには慎重にならざるを得ない。
とはいえ、今すぐ捨てる理由にもならなかった。
ダブルは弱い能力ではない。
使い方次第で、相手に複数の対応を強いることができる。
本体だけでは作れない攻撃の角度も、分身がいるからこそ生まれる。
その強みを手放せば、別の形で補う必要がある。
何かを捨てることは、単純に負担が減ることと同じではない。
俺は分身を解除し、しばらく考えた。
仮に、ダブルの機能を減らすとしたら。
まず思いつくのは、具現化する範囲を限定することだった。
今のダブルは全身を再現できる。
だが、戦闘で必要な機能をすべて分身に持たせる必要があるのだろうか。
次に、操作の自由度を限定すること。
今は、自分に可能な動作なら、分身にもさせられる。
その自由があるからこそ、状況に応じて柔軟に動きを変えられる。
一方で、操作の選択肢が多いことは、戦闘中に考えることが増える一因にもなっている。
ならば、あらかじめ動作を限定することで、何かを変えられるかもしれない。
ただ、自由を失えば、対応できる状況も減る。
相手が予想外の動きをしたとき、決められた動作しかできなければ、それが致命的な隙になる可能性もある。
結局、何を制限するかだけでなく、何のために制限するのかが重要になる。
俺は再びダブルを具現化した。
目の前に現れた分身の腕を動かす。
拳を握り、開く。
肘を曲げ、伸ばす。
肩を回し、腕を振る。
その動きに問題はない。
もし、具現化する範囲を両腕だけに限定したら。
もし、その両腕に自由な操作をさせず、あらかじめ定めた動作だけを実行させたら。
それは単に、できることが減るだけなのだろうか。
それとも、できることを限定するからこそ、残した機能を別の形で強化できるのだろうか。
俺は念能力についての知識を思い返した。
制約と誓約。
自分に条件や制限を課すことで、能力を強化する仕組み。
だが、制限を設ければ、必ず望んだ力が得られるという単純なものではない。
何を制限し、何を代償とするのか。
そして、その制限を自分自身がどう受け止めるのか。
少なくとも、俺にとっては、そこも無視できない要素だった。
たとえば、何の未練もない機能を捨てることと、長い時間をかけて完成させた能力の一部を永久に失うこと。
その二つを、俺自身が同じ犠牲だと思えるだろうか。
思えない。
ダブルは、俺が努力して完成させた能力だ。
それだけではない。
ヒソカに対抗するための希望でもあり、自分の代わりに危険を引き受けさせられる、もう一つの身体でもあった。
初めてヒソカと向き合ったとき、俺は何もできなかった。
逃げたいと思っても身体が動かず、考えることすらままならなかった。
あの感覚は、今でも忘れていない。
ダブルを完成させたとき、俺は可能性が広がったと感じた。
同時に、もう一つの身体があれば、あのときのように自分一人で無力さを味わわずに済むかもしれない。そんな期待も、どこかにあったのだと思う。
だからこそ、ダブルの自由を失うことは、俺にとって単なる機能の削減ではない。
自分の努力の成果を手放すこと。
そして、自分を守ってくれると期待していたものを、自ら失うことでもある。
その犠牲を、俺自身がどれほど重いと感じるのか。
それによって何を得たいと願うのか。
考えるべきことは、まだ多い。
俺は分身の全身を見つめた。
頭、胴体、脚、そして両腕。
今のダブルは、そのすべてを再現できる。
だが、本当にすべてが必要なのだろうか。
全身を具現化する自由を捨てれば、能力の方向性を絞ることができるかもしれない。
自由な操作を捨てれば、限られた動作に特化できる可能性もある。
そして、外部に具現化することを諦めた部位を、別の形で活用できるとしたら。
そこには、まだ試していない可能性がある。
もちろん、今は仮説にすぎない。
制約を課すこと自体が目的になってしまえば、何の意味もない。
必要なのは、ヒソカと戦うために何が必要なのかを考え、そのために何を残し、何を捨てるのかを決めることだ。
俺はダブルを解除した。
鍛錬場には、俺一人だけが残った。
まだ、何かを捨てると決めたわけではない。
ただ、ダブルのすべてを守ることだけが、正しい選択とは限らない。
そのことを、ようやく具体的に考えられるようになった。
俺は拳を握った。
恐怖は消えていない。
ヒソカと向き合うことを考えれば、今でも身体が強張る。
それでも、恐怖を遠ざけるためだけに能力を選ぶつもりはなかった。
恐怖を抱えたままでも戦えるようになるために。
そのために何を残し、何を手放すのか。
俺は、その答えを探し始めていた。