翌日。
俺は鍛錬場で、虎咬拳の構えを取っていた。
両手を前に出し、十本の指を開く。
虎咬拳は、拳だけで戦う武術ではない。
指先までを攻撃に使い、相手を捉え、食らいつき、抉り取る。
虎が獲物に噛みつき、肉を引き裂くように。
それが、この武術の特徴だった。
俺は一歩踏み込み、右手を振るった。
続けて左手。
両手の指先で対象を捉え、腕を引くと同時に身体を捻る。
掴むだけでは終わらない。
相手の動きを封じ、逃げようとする力を利用しながら、さらに深く抉る。
左右の手を別々に使い、片方で動きを制限し、もう片方で攻撃することもできる。
両手で同時に捉え、異なる方向へ力を加えることもできる。
十本の指をどう使い、腕をどのように連動させるか。
その組み合わせによって、攻撃の形は変わる。
俺は動きを止め、自分の両手を見下ろした。
虎咬拳は、単に指先の力を鍛えれば身につくものではない。
どの指を、どの角度から使うのか。
相手の動きに合わせ、どの程度の力を加えるのか。
攻撃を仕掛けた後、どう次の動作につなげるのか。
一つひとつの判断が、技の成否を左右する。
十本の指を使えるということは、それだけ多くの選択肢を持つということでもあった。
そして、その選択肢を実戦で生かすには、鍛錬が必要になる。
俺は再び構えた。
踏み込みと同時に右手を伸ばし、左手を重ねる。
十本の指先が対象を捉えたところで、両腕を引き、身体を捻った。
動作がつながる。
捉える。
抉る。
次の攻撃へ移る。
それぞれの動作を独立させるのではなく、一連の技として組み立てる。
これが虎咬拳だ。
俺が時間をかけて身につけてきた、戦い方の一つだった。
そして、ダブルを完成させた今も、その技術は失われていない。
「……腕、か」
俺は構えを解き、両手を開いた。
ダブルは、俺と同じ姿をしたもう一人の身体を生み出す能力だ。
本体とは異なる位置から攻撃できる。
別方向から相手の動きを制限できる。
本体が攻撃する間に、分身に別の役割を担わせることもできる。
必要に応じて具現化し、役目を終えれば消す。
その自由度は、ダブルの大きな強みだった。
全身を再現するからこそ、腕だけではできない動きも可能になる。
移動し、踏み込み、身体の向きを変え、相手の死角へ回り込む。
そうした動作も含めて、もう一人の俺として戦わせられる。
腕だけを残せば、当然、失われるものもある。
それでも、俺が攻撃を組み立てるうえで、腕が重要な役割を担っていることは間違いなかった。
虎咬拳を使うにしても、両手の連携が要になる。
ならば、全身を再現することにこだわらず、腕の働きを別の形で補う方法もあるのではないか。
俺はダブルを具現化した。
目の前に、もう一人の俺が現れる。
そいつに虎咬拳の構えを取らせ、俺自身も同じ構えを取った。
二人で同時に踏み込む。
右手で捉え、左手を重ねる。
本体と分身、それぞれの十指が別々の位置から対象へ向かう。
一方が相手の動きを制限し、もう一方が攻撃する。
攻撃の手数も、角度も増える。
本体だけでは作れない状況を、ダブルなら生み出せる。
虎咬拳との相性も悪くない。
むしろ、使いこなせれば大きな武器になるだろう。
だからこそ、簡単には手放せなかった。
ダブルは、決して弱い能力ではない。
鍛錬を重ねれば、操作の精度も上がるだろうし、本体との連携も改善できるはずだ。
それでも、俺には考えなければならないことがある。
残された時間で、どこまで使いこなせるのか。
そして、ダブルを磨き続けることが、ヒソカに勝つための最善の選択なのか。
俺はダブルを消した。
再び、一人で構えを取る。
腕を振るい、指先を使い、身体を捻る。
その動きを確かめながら、別の可能性を考えた。
もし、もう一組の腕を具現化できたら。
それが俺の身体から伸び、俺の動きに合わせて攻撃できたら。
全身を再現する必要はない。
腕が増えることで、攻撃と防御の選択肢を増やせるかもしれない。
虎咬拳の動きを補助することも、今の両腕では届かない位置から攻撃することも考えられる。
だが、ダブルと同じように自由に動かせるとは限らない。
具現化するものを腕だけにすれば、それだけで能力が強くなるわけでもない。
どこから出現させるのか。
どのように動かせるのか。
どんな制約が生じるのか。
そして、制約を設けることで何を得ようとするのか。
考えるべきことは多かった。
俺は自分の両手を見つめた。
十本の指。
この指先で相手を捉え、抉るために、俺は虎咬拳を鍛えてきた。
この技術を、今すぐ捨てるつもりはない。
ただし、これまで身につけたものを、そのまま新しい能力に持ち込めるとも限らなかった。
能力に合わせて武術を変えるのか。
それとも、武術を生かすために能力の形を変えるのか。
どちらか一方に決める必要があるのかさえ、まだ分からない。
俺はゆっくりと拳を握った。
虎咬拳を身につけるまでに費やした時間も。
ダブルを完成させるまでに費やした時間も。
どちらも、俺がここまで来るために必要だった。
だからといって、積み上げてきたものをすべて守ることが、これからの強さにつながるとは限らない。
必要なものを見極める。
そのうえで、何を残すかを決める。
俺はもう一度、虎咬拳の構えを取った。
十本の指を開き、踏み込み、腕を振るう。
まだ、答えは出ていない。
それでも、自分が何を武器に戦ってきたのか。
そこから考え直す必要があることだけは、はっきりしていた。