鍛錬を終えた俺は、床に座り込んで考えていた。
頭。
胴体。
脚。
それぞれに必要な機能を考えてきたが、どれか一つを強化すれば解決するわけではない。
相手の動きを細かく捉える。
捉えた情報から、取るべき行動を判断する。
その判断を、身体の動きへ正確に反映させる。
そして、必要な位置へ踏み込み、攻撃を届かせる。
どれか一つが欠けても、ほかの機能を十分に活かせない。
ならば、すべてを強化すればいいのか。
俺は、その考えを打ち消した。
そんな都合のいい話ではない。
俺が完成させたダブルは、全身を具現化し、自在に動かす能力だった。
自分とは別の位置から攻撃できる。
本体と分身で相手を挟み込める。
必要に応じて具現化し、役目を終えれば消すこともできる。
その自由度は、ダブルの大きな強みだ。
だからこそ、捨てるには惜しい。
だが、自由であることと、今の俺にとって最適であることは同じではない。
もう一人の身体を自在に操るには、技術も経験も必要になる。
鍛錬を重ねれば、今より上手く使えるようになるだろう。
それでも、ヒソカとの戦いまでに、必要な水準へ到達できる保証はない。
ダブルを磨き続けること自体が間違いなのではない。
限られた時間を、どこに使うべきかという問題だった。
俺は立ち上がり、能力を発動させた。
目の前に、もう一人の俺が現れる。
何度も見てきた姿だった。
完成させるまで、どれほど鍛錬を重ねてきたか。
思いどおりに動かせず、試行錯誤を繰り返し、少しずつ形にしてきた。
その積み重ねは、決して無駄ではない。
分身がいれば攻撃の手数を増やせる。
相手の意識を分散させ、本体とは別の方向から攻めることもできる。
自分が危険を冒す代わりに、分身を前へ出すことも可能だ。
ヒソカとの戦いでも、十分に役立つ可能性がある。
それでも、俺は考えてしまう。
本当に必要なのは、もう一人の自分なのだろうか。
俺が求めているのは、分身を操ること自体ではない。
ヒソカの攻撃に対応し、隙を作り、虎咬拳を届かせることだ。
その目的を達成するために必要な機能を得られるなら、全身を再現することにこだわる必要はない。
俺は分身を消した。
今度は、背中から腕を一本だけ具現化する。
拳を突き出す。
腕を横へ振る。
何かを掴むように、指を閉じる。
腕には、もともと多くの動きが備わっている。
打つことも、振ることも、受け流すことも、掴むこともできる。
虎咬拳のように、指先を使って相手を引き裂くこともできる。
だが、そのすべてを自由に行えることが、必ずしも能力の強さにつながるとは限らない。
もし、使える動作をあらかじめ限定したら。
もし、腕を具現化できる場所を、自分の身体から離れられないようにしたら。
もし、一度具現化した腕を、好きなタイミングで消せなくしたら。
それらは、ダブルが持っている自由を失うことになる。
その代わりに、限られた動作へ能力を集中させられるかもしれない。
もちろん、制約を加えれば、必ず望んだ強化が得られるわけではない。
ただ不便になるだけなら、意味がない。
何を捨てるのか。
何を得たいのか。
その二つを結びつける必要がある。
さらに、制約は一度決めれば簡単には取り消せない。
後から条件を追加することはできても、失った自由をそのまま取り戻せるとは限らない。
だからこそ、決める前に考え抜かなければならない。
俺は具現化した腕を消し、自分の両手を見つめた。
頭の働き。
身体へ指令を伝える仕組み。
脚の踏み込み。
そして、腕による攻撃と防御。
どれも、今の俺には必要だった。
しかし、必要な機能を列挙するだけでは、能力は完成しない。
どの機能を強化の中心に据えるのか。
どの自由を手放すのか。
そして、何を失うことなら、自分自身が納得できるのか。
俺は、ダブルを完成させたときの感覚を思い返した。
あの能力は、俺の努力の結晶だった。
それを手放すことに、迷いがないわけではない。
ヒソカと戦うための希望でもあり、自分の代わりに危険を引き受けてくれる存在でもあった。
だからこそ、失うことが怖い。
だが、その恐怖だけを理由に、今の能力に固執するわけにはいかなかった。
俺は、ゆっくりと拳を握った。
必要なのは、何もかもを残すことではない。
限られた時間で生き残るために、何を選び、何を捨てるのか。
その答えを出すのは、ほかでもない俺自身だった。