ダブルを維持するために、どれだけのオーラが必要なのか。
翌日、俺はその確認から始めることにした。
昨日は、ダブルを動かしながら自分自身も戦おうとした。その結果、二つの身体を同時に扱う難しさは分かった。
だが、あれでは原因を切り分けられない。
ダブルの操作が難しいのか。
二つの身体を同時に動かすことが難しいのか。
それとも、ダブルを維持すること自体に問題があるのか。
まずは、余計な要素を排除して確かめる必要があった。
「ダブル」
念を練ると、俺と寸分違わない姿をしたもう一人の俺が現れた。
顔も、身体つきも、身につけている衣服も同じだ。
ただ人の形をしたものを作るのとは訳が違う。人間の身体を細部まで再現し、実際に動かせるものとして成立させている。
俺はそれを、当たり前のようにやっていた。
だが、本当に当たり前なのだろうか。
ダブルをその場に立たせ、俺自身も動かずに向かい合った。
まずは、この状態を維持する。
厳密なオーラ消費量を測定する手段はない。それでも、普段の修練で感じる消耗と比較することはできるはずだ。
数分間、そのままの状態を保った。
ダブルに目立った変化はない。俺自身も、息が上がるようなことはなかった。
ただ、妙な感覚がある。
何もしていないはずなのに、意識の一部がダブルに向いている。
姿が崩れていないか。きちんと維持できているか。何か異常が起きていないか。
そうしたことを、無意識に気にしていた。
俺は一度、目を閉じた。
呼吸、足裏に伝わる床の感触、身体の内側を巡るオーラ。自分自身の感覚に意識を向ける。
しばらくして目を開けた。
ダブルは変わらず、目の前に立っている。
維持そのものが、特別難しいわけではない。
少なくとも、今の段階では。
しかし、先ほど感じた負担は何だったのだろう。
具現化したものを維持しているからか。それとも、その状態を確認し続けようとしているからか。
あるいは、もっと別の理由があるのか。
今はまだ分からない。
俺はダブルを解除し、少し休んでから再び具現化した。
何度か繰り返してみても、明確な違いは見つからなかった。
具現化している間の消耗は確かにある。だが、それが戦闘に支障をきたすほどなのか、今の段階では判断できない。
そもそも、オーラの消費量だけを調べても、十分とは言えない。
俺のダブルは、衣服まで含めて人間の姿を精密に再現している。
もし、その精密さを成立させるために意識の一部を割いているのだとしたら。
維持に必要なオーラとは別に、何らかの処理上の負担があってもおかしくない。
もちろん、今のところは仮説にすぎない。
だが、確かめる価値はある。
次は、具現化したダブルを動かしてみることにした。
昨日の実験では、本体とダブルを同時に動かしていた。これでは、操作そのものの負担を切り分けられない。
まずはダブルだけを動かす。
腕を上げる。歩く。止まる。振り返る。
基本的な動作なら、問題なくできる。
ただし、細かな動きには改善の余地があった。
意図した動作をさせ、その結果を確認し、必要があれば修正する。そうした過程で、わずかなずれが生じることもある。
ダブルを動かすこと自体にも、意識を割いているのだ。
具現化の維持と操作。
この二つには、それぞれ異なる負担があるのかもしれない。
ただし、今の実験だけでは、まだ断定できない。
維持している間に感じた負担が、具現化そのものによるものなのか。それとも、ダブルの状態を気にかけていることによるものなのか。
操作中の負担についても、動かすこと自体の難しさと、思いどおりの動きをさせるための調整を区別する必要がある。
問題は、それがどの程度のものなのか。そして、戦闘中にどれほど影響するのかだ。
相手が攻撃してくる。俺はそれを見て、判断し、身体を動かす。
その一連の動作だけでも、考えるべきことは多い。
そこにダブルの操作まで加われば、どうなるのか。
まして、相手はヒソカだ。
こちらが考えをまとめるまで、律儀に待ってくれるような相手ではない。
俺はダブルを解除し、もう一度呼び出した。
次は、本体も動かす。
いきなり複雑な攻防を試すつもりはない。まずは単純な動作から始め、何が変わるのかを確かめる。
二つの身体を動かせることと、二つの身体で戦えることは同じではない。
そして、二つの身体を戦わせる以前に、俺は一つの疑問を抱えていた。
この能力は、動かしていないときでさえ、俺に何を要求しているのだろう。
その答えを知らなければ、ダブルを本当の意味で使いこなすことはできない。