俺はダブルを自分の正面に立たせた。
昨日の続きだ。
ダブルに右腕を上げさせながら、俺自身も同じように腕を上げる。
問題はない。
次に、ダブルには腕を上げたまま維持させ、俺はその場を歩いた。数歩進み、止まり、向きを変える。
これも、できないわけではなかった。
だが、ダブルに意識を向ければ自分の足運びが雑になる。自分の身体に集中すれば、ダブルの動作がわずかに遅れる。
どちらか一方に注意を向けると、もう一方が疎かになる。
動作を複雑にするほど、その傾向は顕著になった。
ダブルに歩かせながら、俺は後退する。途中で向きを変え、腕を振る。
足が止まりかけた。
ダブルの動作も、一瞬遅れる。
失敗というほどではない。だが、これが実戦なら、わずかな遅れが隙になる。
俺は動きを止め、ダブルを解除した。
二つの身体があるからといって、判断する頭まで二つになるわけではない。
もっと練習すれば、今の不器用さは改善するだろう。繰り返すことで、意識しなくてもできる動作は増えていくはずだ。
今の段階で、限界を決めるのは早い。
そもそも、俺はダブルを完成させたばかりなのだ。
そう考えて、ふと気づいた。
完成させたばかりの俺と、原作でヒソカと戦ったカストロ。同じ能力を持っていても、その習熟度は違う。
俺は記憶の中にある戦闘を思い返した。
原作のカストロは、ダブルを使ってヒソカと戦っていた。
ただ分身を出して攻撃させるだけではない。本体とダブルを組み合わせ、相手の意識を誘導し、攻撃を成立させていた。
少なくとも、今の俺よりもずっと洗練された扱い方だった。
あの水準に到達するまで、どれだけの修練が必要だったのだろう。
本体の動きとダブルの動きをそれぞれ扱い、連携させ、戦闘の中で自在に使えるようになる。単純な動作を繰り返すだけでは足りない。
相手がどう反応するのか。ダブルをどこに動かせば有効なのか。その間、本体は何をするべきなのか。
状況に応じて判断し、二つの身体を動かす。
それを実戦で通用する水準まで磨き上げるには、相当な時間が必要になるはずだ。
正確な修練期間は分からない。原作のカストロがどれほどの時間を費やしたのかも、俺は知らない。
ただ、あの技量が簡単に身につくものではないことは想像できた。
そして、問題は習熟するまでの時間だけではない。
仮に俺が、原作のカストロと同じ水準までダブルを使いこなせるようになったとする。
二つの身体を自在に操り、攻撃と防御を連携させ、相手を翻弄できるようになったとして。
実戦でも、それを維持できるのだろうか。
修練場で決められた動作を繰り返すのとは違う。相手は予想どおりに動いてくれるわけではない。
攻撃を見極め、回避し、防御し、反撃の機会を探す。その一方で、本体とダブルの動きを調整しなければならない。
熟練すれば、操作に必要な意識は減るかもしれない。
だが、精密なダブルを具現化し、維持する負担までなくなるのだろうか。
二つの身体を同時に動かすための処理負担も、完全になくなるのだろうか。
まだ分からない。
ただ、操作が上達することと、能力そのものが要求する負担が消えることは、同じではないように思えた。
俺は拳を握った。
原作のカストロは、ダブルを使いこなせるところまで鍛え上げていた。
それでも、ヒソカに敗れた。
もちろん、敗因がダブルだけにあったとは限らない。ヒソカとの実力差もあれば、戦闘経験や判断の問題もあったはずだ。
だからといって、ダブルの習熟をさらに進めれば勝てた、と考えることもできない。
あの戦いで何が決定的だったのか。今の俺には、答えを出せなかった。
ただ、一つ気になることがある。
原作のカストロがダブルを習得し、使いこなすために費やした時間。
もし、その時間を別の修練に使っていたら、どうなっていたのだろう。
虎咬拳を磨く。身体能力を高める。強化系としての能力を伸ばす。あるいは、相手の動きを見極め、判断し、反応する力を鍛える。
どれも、戦闘で役に立つものだ。
ダブルには、二つの身体を使えるという明確な利点がある。その利点を捨ててまで別の方向に進むべきなのか、今は分からない。
ダブルを使いこなすための修練が、すべて無駄になるわけでもない。能力を扱う技術を磨くこと自体が、念の応用力を高める経験になる可能性もある。
簡単に比較できるものではなかった。
俺は再びダブルを具現化した。
目の前に立つ、もう一人の俺。
こいつがいれば、攻撃の手数を増やせる。本体とは別の方向から圧力をかけ、相手に複数の脅威を意識させることもできる。
それは、間違いなく強みだった。
だからこそ、今すぐ手放す理由はない。
まずは、どこまで扱えるようになるのかを確かめる。そのうえで、何が改善できて、何が残るのかを見極める必要がある。
俺はダブルを解除した。
まだ、結論を出す段階ではない。
ただ、能力を鍛え続けることと、能力そのものを見直すこと。
その二つは、分けて考える必要があるのかもしれなかった。