『カストロに転生した俺は、死の結末を知っている』   作:火烏

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第6話 百式観音、あるいは削るということ

ダブルを、もっと効率よく扱う方法はないだろうか。

 

鍛錬場で分身を前にしながら、俺は考えていた。

 

これまで試してきたのは、主に動かし方や維持するための負担だった。

 

分身だけを動かす場合。

 

本体と分身を同時に動かす場合。

 

それぞれに意識を向けたとき、どこに問題が生じるのか。

 

少しずつ分かってきたことはある。

 

だが、そもそも今のダブルは、本当に最適な形なのだろうか。

 

俺は分身の顔を眺めた。

 

自分と同じ顔。髪形も、体格も、衣服も同じ。

 

完成させたときには、それが当然だと思っていた。

 

自分の分身なのだから、自分と同じ姿をしているべきだ。

 

だが、それは本当に必要なことなのだろうか。

 

ふと、別の念能力が頭に浮かんだ。

 

百式観音。

 

ネテロが使う、巨大な観音像を具現化する能力だ。

 

ネテロも俺と同じ強化系。

 

それにもかかわらず、人型の念能力を戦闘に利用している。

 

もちろん、百式観音とダブルでは、能力の構造も目的も違う。俺が知っているのは、あくまで作中で描かれた姿と動作だ。その仕組みのすべてを知っているわけではない。

 

それでも、比較する価値はある。

 

百式観音は、人間の身体を精密に再現したものではない。

 

仏像として様式化された姿をしている。それでいて、あの能力は圧倒的な速度で攻撃を繰り出す。

 

重要なのは、観音像の細部をどこまで再現できているかではない。戦闘で必要な動作を、どれほど正確に、どれほど速く実行できるかだ。

 

では、なぜあの形なのか。

 

観音像は、基本的にネテロの背後に現れる。

 

通常の攻撃では見えない部分で本体とつながっていて、オーラを完全に切り離さずに運用している可能性もあるのではないか。

 

もしそうなら、オーラを身体から切り離し、離れた位置で維持する負担を抑えられるかもしれない。

 

操作方法についても同じことが言える。

 

百式観音は、ネテロの祈りと連動して攻撃を繰り出す。

 

少なくとも、描かれている戦闘では、定められた型に沿って攻撃しているように見える。

 

複雑な人型を、自由自在に動かす。

 

それだけが、人型の念能力を戦闘で使う方法ではないのだろう。

 

必要な動作を限定することで、能力の運用を成立させている可能性もある。

 

もちろん、これらは俺の推測にすぎない。百式観音の仕組みも、ネテロがあの形を選んだ理由も、正確には分からない。

 

それでも、あの能力を考えることは、ダブルを見直す手がかりになった。

 

能力は、ただ精巧なものを作ればいいわけではない。

 

目的を達成するために、何を備え、何を省くのか。

 

その選択もまた、能力の一部なのかもしれない。

 

俺は分身へと視線を戻した。

 

ダブルはどうだ。

 

俺は、自分と同じ身体を再現している。

 

顔も、髪も、衣服も。全身を細部まで作り上げ、その身体を自分とは別に動かしている。

 

そのうえで、本体自身も戦わなければならない。

 

分身の動作を考えながら、本体の動きも考える。

 

本体が攻撃を繰り出す間に、分身にも別の攻撃をさせる。

 

相手の反応に合わせて、二つの身体を動かす。

 

そのすべてを、一つの意識で処理する。

 

改めて考えると、ずいぶん欲張った能力だ。

 

だが、何を削ればいい。

 

俺はまず、能力を使う目的から考えることにした。

 

ヒソカに勝つ。

 

今の俺にとって、それが最優先の目標だ。

 

そのために、ダブルには何が必要なのか。

 

本体とは別の方向から攻撃すること。

 

相手の意識を分散させること。

 

本体と分身で連携し、単独では作れない攻撃の機会を生み出すこと。

 

少なくとも、これらはダブルの強みとして残したい。

 

では、俺と寸分違わない姿を再現することはどうだろう。

 

相手に本体と分身を見分けさせない。そのためには、外見が同じであることに意味がある。

 

だが、見た目が同じであることと、戦闘で有効な動きをさせられることは別の問題だ。

 

顔の細部まで再現する必要があるのか。

 

衣服の皺や、髪の一本一本まで、どこまで意味があるのか。

 

戦闘中に見分けがつかない程度の外見を保てれば、それで十分なのではないか。

 

あるいは、相手に分身だと見抜かれたとしても、攻撃の手数が増えるという利点は残る。

 

ならば、外見を簡略化しても、ダブルの強みをある程度維持できるかもしれない。

 

そう考えると、試してみる価値はありそうだった。

 

ただし、簡略化すれば必ず負担が減るとは限らない。

 

どの部分が具現化の負担に影響しているのか。そもそも外見の精密さが、どれほど負担になっているのか。

 

今の俺には分からない。

 

動作を限定することにも、同じ問題がある。

 

自由な動きを制限すれば、扱いやすくなる可能性はある。

 

しかし、ヒソカのような相手に対して、決められた動作しかできない分身がどこまで役に立つのか。

 

予想外の動きに対応できなければ、せっかくの手数も意味を失うかもしれない。

 

必要なのは、ただ簡単な能力にすることではない。

 

勝つために必要なものを残し、それ以外を削ることだ。

 

そこで、もう一つの可能性が頭に浮かんだ。

 

全身を具現化する必要はあるのだろうか。

 

例えば、腕だけを具現化できれば、全身を再現する場合とは違った使い方ができるかもしれない。

 

だが、すぐに結論を出すことはできなかった。

 

今のダブルは、全身を一つの身体として再現することを前提に作った能力だ。

 

その一部だけを具現化すること自体、できるのかどうか分からない。

 

仮に腕だけを具現化できたとして、それは思いどおりに動くのだろうか。

 

腕は肩を支点に動く。全身を再現する能力から腕だけを切り出したところで、同じように関節運動が成立するとは限らない。

 

全身があるからこそ成立している動作もあるはずだ。

 

部分的に具現化することができたとしても、実用的に動かせなければ意味がない。

 

そもそも、部分的に具現化すれば負担が減るという保証もなかった。

 

削ることを考えるのはいい。

 

だが、何が残り、何が失われるのかを知らずに手をつければ、能力そのものを壊してしまうかもしれない。

 

まずは、確かめる必要がある。

 

俺は分身を解除した。

 

今まで、ダブルの完成度を高めることばかり考えていた。

 

自分と同じ姿を再現し、思いどおりに動かす。

 

その精度を上げることが、能力を鍛えることだと思っていた。

 

だが、完成度を高めることと、戦闘で強くなることは、必ずしも同じではない。

 

ネテロがどんな試行錯誤を経て百式観音を完成させたのかは分からない。

 

それでも、あの能力は、目的に応じて形や動作を選ぶという考え方を俺に示してくれた。

 

ならば、俺も考えなければならない。

 

ダブルを使って、何を成し遂げたいのか。

 

そのために必要なものは何か。

 

そして、何を削ることができるのか。

 

まずは、具現化する形や動作を変えたとき、どこに違いが生じるのかを確かめる。

 

その結果を見ながら、ヒソカとの戦いに必要な機能を見極めていけばいい。

 

俺はもう一度、ダブルを発動させた。

 

目の前に現れた、もう一人の俺。

 

その姿を見ながら、今度は少し違うことを考えていた。

 

こいつを、どこまで変えられるだろうか。

 

そして、変えることで何を得られるのだろうか。

 

答えはまだ出ていない。

 

だからこそ、確かめる必要があった。

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