『カストロに転生した俺は、死の結末を知っている』   作:火烏

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第7話 もう一人の俺

ダブルを発動させたまま、俺は分身を眺めていた。

 

自分と同じ顔。

自分と同じ身体。

 

戦闘能力として考えれば、悪くない。

 

攻撃の手数を増やし、相手の意識を分散させ、本体とは別の方向から攻める。一人では作れない隙を生み出せることは、これまでの検証でも分かっている。

 

それなのに、こいつを見ていると、時々、別のことを考えてしまう。

 

――あのとき、もし。

 

思い浮かぶのは、天空闘技場でヒソカと初めて対面したときのことだった。

 

二百階に到達したばかりの頃。

 

俺はまだ、念の存在すら知らなかった。

 

ヒソカが近づいてきたとき、最初に感じたのは違和感だった。

 

何かがおかしい。

 

そう思った瞬間、身体が強張った。

 

呼吸が浅くなる。

 

心臓が嫌な音を立てている。

 

目の前にいる男は、ただ立っているだけだった。

 

それなのに、目を離せない。

 

いや、正確には、目を離すことすら怖かった。

 

視線を逸らした瞬間に何かをされる。

 

根拠などない。ただ、そう感じた。

 

ヒソカの周囲には、何かがあった。

 

目には見えない。

 

触れられたわけでもない。

 

それなのに、そいつがこちらへ向けられていることだけは、嫌というほど分かった。

 

逃げろ。

 

頭のどこかで、そんな声がしていた。

 

近づくな。関わるな。今すぐ、この場から離れろ。

 

だが、身体は思うように動かなかった。

 

足に力が入らない。

 

拳を握ろうとしても、指先がうまく動かない。

 

目の前の相手に対して、何かをしなければならないという考えすら、まともに浮かばなかった。

 

勝てるかどうか以前の問題だった。

 

戦うという選択肢そのものが、頭の中から消えていく。

 

目の前にいるのは、自分とは違う生き物なのではないか。

 

そんな考えが浮かぶほど、圧倒的な何かを感じていた。

 

それでも、ヒソカは何もしていない。

 

こちらを見ているだけだ。

 

なのに、怖い。

 

どうしようもなく、怖かった。

 

俺は強くなるために天空闘技場へ来たはずだった。

 

自分の実力を試し、上を目指すために。

 

けれど、そのときの俺は、そんな目的さえ忘れかけていた。

 

ただ、この男に近づきたくない。

 

関わりたくない。

 

できることなら、今すぐ消えてほしい。

 

そう願うばかりだった。

 

やがて試合が始まった。

 

何かしなければならない。

 

そう思ったことは覚えている。

 

だが、何をすればいいのか分からなかった。

 

相手の動きを見る。

 

攻撃を考える。

 

身体を動かす。

 

普段なら当たり前にできるはずのことが、ひどく遠いものに感じられた。

 

頭では戦わなければならないと分かっている。

 

それなのに、身体は恐怖に縛られたままだった。

 

拳を出そうとしても、踏み込もうとしても、考えがまとまる前に躊躇が生まれる。

 

何をすればいいのか。

 

どうすれば、この男に対抗できるのか。

 

考えようとするほど、恐怖が思考を押し流していく。

 

まともに攻撃を組み立てることさえできなかった。

 

試合をしていたというより、ただ、目の前の恐怖に呑み込まれまいと必死だった。

 

それでも、何かをしなければならない。

 

何もできないまま終わるわけにはいかない。

 

そんな焦りだけがあった。

 

だが、結果は変わらなかった。

 

俺は、ヒソカに圧倒された。

 

試合が終わったあとも、何が起きたのか、すぐには理解できなかった。

 

ただ、あの男を前にしたときの恐怖と、自分が何もできなかったという事実だけが残った。

 

その後、俺は念という力の存在を知った。

 

あのときヒソカの周囲に感じたものが何だったのか、ようやく理解できた。

 

だが、正体が分かったところで、恐怖が消えたわけではない。

 

むしろ、知れば知るほど、あのときの自分がどれほど無力だったのかを思い知らされた。

 

俺が感じたものは、気のせいでも、単なる気迫でもなかった。

 

念による威圧。

 

自分が知らない力を、ヒソカは当たり前のように扱っていた。

 

そして、俺はそれに抗うことすらできなかった。

 

ヒソカが本気で俺を殺そうとしていたら、どうなっていただろう。

 

考えるまでもない。

 

俺は死んでいたかもしれない。

 

いや、今の知識を踏まえれば、もっと正確に理解できる。

 

俺が生きているのは、あいつに殺されずに済むだけの実力があったからではない。

 

ヒソカが、俺を殺さなかったからだ。

 

原作の知識が戻った今、その理由も分かっている。

 

あいつは俺に、成長の可能性を見いだしていた。

 

今すぐ倒すべき相手ではなく、将来強くなるかもしれない存在。

 

青い果実。

 

だから、あのとき俺は生かされた。

 

そう考えれば、ヒソカの行動には筋が通る。

 

だが、納得できることと、受け入れられることは違った。

 

俺は自分の力で生き残ったのではない。

 

相手が、将来の俺に期待したから生きている。

 

あのとき、俺がどれほど恐怖していたかなど、ヒソカにとっては大した意味もなかったのだろう。

 

あいつが見ていたのは、今の俺ではなく、これから強くなるかもしれない俺だった。

 

それが、妙に腹立たしかった。

 

そして、恐ろしかった。

 

期待されている。

 

そう聞けば、悪い気分ではないのかもしれない。

 

だが、相手はヒソカだ。

 

あいつが期待する成長の先に何があるのか、俺は知っている。

 

強くなれば、いずれ再び戦うことになる。

 

そのとき、期待に応えられるだけの実力がなければ。

 

あいつが俺に興味を失ったとき、次はどうなるのだろう。

 

そんな考えが、頭から離れなかった。

 

俺は分身に視線を戻した。

 

これまで、ヒソカに勝つ方法を考えてきた。

 

どれだけ鍛えれば届くのか。

 

ダブルをどう使えば、攻撃の手数を増やせるのか。

 

本体と分身で連携し、相手の意識を分散させるにはどうすればいいのか。

 

どれも、間違った考えではない。

 

ヒソカに勝つためには、今より強くならなければならない。

 

そのために能力を鍛え、戦い方を工夫することには意味がある。

 

だが、それだけだったのだろうか。

 

俺は、分身を見つめた。

 

こいつがいれば、一人で戦わずに済む。

 

二つの身体で攻撃できる。

 

別々の方向から相手を追い詰められる。

 

そして、危険な場所に、俺ではない誰かを立たせることもできる。

 

分身を囮にして、相手の攻撃を誘う。

 

その隙に、本体が攻める。

 

戦術として考えれば、何もおかしなことはない。

 

だが、俺はそこで考えるのを止められなかった。

 

もし、ヒソカと戦うことになったら。

 

俺は、こいつを前に出すのではないか。

 

自分が攻撃される前に、分身を差し出すのではないか。

 

それが合理的だから、と説明することはできる。

 

実際、分身を危険にさらすことで本体を守れるなら、それはダブルの利点だ。

 

けれど、本当にそれだけなのか。

 

あのとき、俺は何もできなかった。

 

相手の力も、攻撃の仕組みも、自分がどこまで抵抗できるのかさえ分からなかった。

 

ただ、目の前に立たれただけで、戦う意思さえ押し潰されそうになった。

 

あの恐怖を、俺は忘れていない。

 

いや、忘れられるはずがない。

 

だからこそ、強くなろうと思った。

 

二度と、あんな思いをしたくない。

 

自分の命を、相手の気まぐれに委ねたくない。

 

いつかヒソカに勝つ。

 

そう考えて、鍛えてきた。

 

だが、ダブルを完成させたときのことを思い返すと、別の可能性が浮かんでくる。

 

自分と同じ姿をした分身が現れたとき、俺は確かに喜んだ。

 

攻撃の手数が増える。

 

戦い方の幅が広がる。

 

自分が考え、積み重ねてきたものが形になった。

 

あの達成感まで、偽物だったことにはしたくない。

 

ダブルは、俺が努力して完成させた能力だ。

 

今も、戦闘で役に立つ可能性を持っている。

 

だから、こいつを作った理由が恐怖だけだったとは思わない。

 

ただ、恐怖が理由の一つではなかったとも言い切れなかった。

 

俺は分身の前に立った。

 

同じ顔が、こちらを見ている。

 

当たり前だ。

 

俺が作ったのだから。

 

それでも、こいつを見ていると、どこか安心する自分がいる。

 

自分一人ではない。

 

自分の代わりに動ける身体がある。

 

自分の代わりに攻撃を受けられる存在がいる。

 

そのことに、俺は救われていたのかもしれない。

 

ダブルは、俺が強くなるための手段だ。

 

それは間違いない。

 

だが同時に、俺が再び無力になることを避けるための、心の拠り所にもなっていたのではないか。

 

自分の身体を危険にさらさずに済むかもしれない。

 

あのときのように、恐怖で身動きが取れなくなることを避けられるかもしれない。

 

そんな期待が、どこかにあったのではないか。

 

俺はダブルを解除した。

 

目の前から、もう一人の俺が消える。

 

そこには、いつもどおりの鍛錬場があるだけだった。

 

ダブルがなければ、俺は一人で戦うことになる。

 

自分の身体で攻撃し、自分の身体で防ぎ、自分の身体で相手の攻撃を受ける。

 

当たり前のことだ。

 

だが、その当たり前を、俺は本当に受け入れているのだろうか。

 

ヒソカに勝ちたい。

 

殺されずに済むだけではなく、勝ちたいと思っている。

 

それも本当だ。

 

けれど、戦うことを考えるたび、俺はあのときの恐怖を思い出す。

 

目の前に立たれただけで、身体が動かなくなった自分。

 

念の存在すら知らず、何に脅かされているのかも分からなかった自分。

 

そして、自分の成長を待っている、あの男。

 

ヒソカの期待に応えたいのか。

 

それとも、あいつの期待など関係なく、自分自身の力で勝ちたいのか。

 

今の俺には、まだ答えを出せない。

 

ただ、ダブルがあれば大丈夫だと考えるだけでは、何も解決しない。

 

こいつが俺の代わりに危険を引き受けてくれるとしても、最後に決断するのは俺自身だ。

 

どれだけ能力を工夫しても、どれだけ戦術を練っても、危険そのものを消すことはできない。

 

それを認めるのは、少し怖かった。

 

俺はゆっくりと息を吐いた。

 

恐怖は、まだそこにある。

 

消えてはいない。

 

ダブルを完成させたことも、ヒソカを恐れていることも、どちらも俺自身の一部だ。

 

ならば、無理にどちらかを否定する必要はない。

 

今すぐ答えを出す必要もない。

 

ただ、自分が何を恐れ、何を求めているのか。

 

それを知らないまま、能力だけを鍛え続けるわけにはいかなかった。

 

俺は、もう一度拳を握った。

 

まだ、ヒソカと戦う覚悟ができたわけではない。

 

恐怖を乗り越えたわけでもない。

 

それでも、目をそらさずに考えることならできる。

 

俺は一人で立っていた。

 

今は、それだけでよかった。

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