ダブルを極めることが、目的ではない。
ヒソカに勝つことが目的だ。
そのことを忘れないようにしながら、俺は鍛錬場に立っていた。
目の前には、俺と同じ姿をしたもう一人の俺がいる。
まずは、これまで試してきた連携を実戦に近づける。
分身が正面から踏み込む。
その動きに合わせ、俺は側面へ回り込んだ。
分身を警戒すれば、俺への対応が遅れる。
俺に意識を向ければ、分身が攻める。
二つの脅威を同時に意識させ、相手の対応を難しくする。それがダブルの強みだった。
だが、頭の中で考えたほど簡単ではない。
分身の攻撃に合わせて自分の動きを組み立て、相手が回避した場合の次の手まで考える。
一つひとつの動作は難しくない。それでも、複数の動きを組み合わせ、状況の変化まで考慮すると、わずかな遅れが生まれた。
分身に意識を向ければ、自分の身体への注意が薄れる。
自分の攻撃に集中すれば、分身の動きが遅れる。
そのわずかなずれが、連携を崩してしまう。
俺は何度も同じ動きを繰り返した。
分身を先に動かす。自分を先に動かす。二つの動きを同時に始める。あるいは、あえて時間差をつける。
試行錯誤を重ねるうちに、少しずつ動きが滑らかになっていった。
習熟によって改善できる部分は、確かにある。
今の俺がダブルを使いこなせていないのは事実だ。練習を続ければ、もっと自然に動かせるようになるだろう。
だが、どこまで鍛えればいいのか。
実戦で十分に使える水準に達するまで、どれほどの時間が必要なのか。
そして、そこまで習熟したとき、どれだけ強くなれるのか。
今の俺には分からない。
分からないまま、時間を注ぎ込むわけにもいかなかった。
俺はダブルを解除した。
原作のカストロは、ダブルを完成させ、それを使いこなすために努力した。
二つの身体を操り、ヒソカと戦えるところまで鍛え上げた。
それでも、敗北した。
もちろん、ダブルそのものが弱かったわけではない。使い方次第では、強力な能力だ。
問題は、その能力を極めることが、ヒソカに勝つための最善の選択だったのかということだ。
ダブルを鍛えれば、強くなれる。
だが、その時間を別の修練に充てることもできる。
身体能力を高める。虎咬拳を磨く。反応を速くし、判断を正確にする。念の運用を洗練させる。
どれも戦闘に必要な要素だ。
ダブルを使いこなすことと、戦士として強くなること。
その二つは、必ずしも同じではない。
では、何を優先すべきなのか。
考えようとして、俺は一つの戦闘を思い出した。
ゴトーとヒソカの戦いだ。
ゴトーはコインを利用し、ヒソカに連続攻撃を仕掛けた。
速度と威力を備えた攻撃を重ね、相手の動きを制限する。
それに対して、ヒソカは対応してみせた。
攻撃を避けるだけではない。相手の攻撃手段を利用し、反撃へとつなげていく。
あの戦いで印象に残ったのは、ヒソカが速いということだけではなかった。
相手の動きに対応しながら、次の手を打つ。
こちらが攻撃を仕掛けている間に、攻撃への対処だけでなく、その先の反撃まで成立させる。
もちろん、漫画の描写だけで、実際にどれほどの速さで判断しているのかまでは分からない。
それでも、結果は明らかだった。
ゴトーは攻撃を重ねたが、ヒソカを仕留められなかった。
そして、最後には倒された。
俺が同じように攻めたら、どうなるだろう。
虎咬拳で攻撃する。ダブルを使い、別方向からも攻める。相手の注意を分散させ、連携で隙を作る。
どれも理屈の上では有効だ。
だが、攻撃の手数を増やすことと、攻撃を当てることは違う。
ヒソカがこちらの攻撃に対応できるなら、手数を増やしたところで決定打にならない可能性がある。
むしろ、二つの身体を操るために意識を割いている間に、反撃を受けるかもしれない。
ダブルは攻撃の選択肢を増やしてくれる。
しかし、それだけで相手との速度差が埋まるわけではない。
俺は拳を握った。
ならば、基礎修行に時間を使えばいいのか。
身体を鍛え、動きを速くし、虎咬拳の精度を上げる。ダブルの習熟に費やす時間を減らし、その分を自分自身の強化に充てる。
それは有効な選択だろう。
だが、それでヒソカと戦えるようになるのか。
俺はヒソカの能力を思い浮かべた。
バンジーガム。
伸縮自在で、接着性を持つオーラ。
攻撃に使うだけではない。対象に付着させ、引き寄せ、反動を利用することで、通常の身体能力だけでは生み出しにくい動きを可能にする。
距離を取ったつもりでも、引き戻される。
攻撃を避けても、付着したガムによって動きの軌道を変えられる。
こちらが想定した間合いや動きが、そのまま通用するとは限らない。
ゴトー戦で見た対応力を考えれば、なおさらだった。
単純に速くなればいい、という話ではない。
相手の動きを認識し、状況を判断し、次の行動を選び、身体を動かす。
その一連の過程を、戦闘の中で途切れなく続けなければならない。
しかも、ヒソカはバンジーガムによって、こちらの予想を外す動きを作り出せる。
俺が通常の鍛錬を続け、身体能力を伸ばしたとして。
その成長だけで、ヒソカの攻撃に対応できるようになるだろうか。
確証はない。
むしろ、間に合わない可能性を考えるべきだった。
ダブルの操作技術を磨く。
身体能力を鍛える。
虎咬拳を磨く。
念の扱いを洗練させる。
どれも必要だ。だが、限られた時間の中ですべてを十分に伸ばせるとは限らない。
原作のカストロは、ダブルを使いこなす方向へ進み、その先で敗北した。
俺が同じ道を歩けば、同じ結末に近づく危険がある。
ならば、どうする。
ダブルを捨てるのか。
そこまでの結論は、まだ出せない。
ダブルには確かな強みがあり、習熟によって改善できる部分もある。
問題は、どこまで鍛えるべきなのか。
何に時間を使い、何を後回しにするのか。
そして、通常の修練だけでは埋められない差があるのなら、どう補うのか。
俺は再び、ダブルを具現化した。
目の前に立つ、もう一人の俺。
こいつを使いこなせば、確かに強くなれるだろう。
けれど、それだけでは足りないかもしれない。
ヒソカと戦うためには、まず同じ土俵に立たなければならない。
そのために必要なのは、ただ鍛錬を重ねることなのか。
それとも、鍛え方そのものを変える必要があるのか。
まだ、答えは出ない。
俺はダブルを解除した。
今はまだ、捨てるものも、残すものも決められない。
ただ一つ、はっきりしたことがある。
時間をかければ強くなれる。
だが、俺には無限の時間があるわけではなかった。