何度、倒れただろうか?
口の中には出血したせいで鉄の臭いが充満し、全身を刺すような痛みから地面に倒れ伏せる。
地面に倒れたゴルネオの視線の先には、呆れたように溜め息をつくセヴァドスの姿が見えた。
「兄さん、この五年間、いったい何をしていたんですか?」
明らかに落胆しているセヴァドスに、ゴルネオは悔しさの余りに歯を食いしばらせる。
この五年間、ゴルネオなりに必死になって鍛えてきたつもりである。
だが、その血の滲むような努力を目の前の鬼才は容易に砕いていく。
圧倒的な力の差。
同門ゆえにわかってしまうのだ。
技の一つの質、早さ、錬度。
全てが上に行かれて、そして手加減をされる。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
外力系衝剄の変化、剛昇弾。
全身の痛みを振り払うように吠えたゴルネオは、目の前の構えすら取っていないセヴァドスに向けて叩きつけるように放つ。
「ふむ、この程度ですか」
外力系衝剄の変化、剛昇弾。
だが、セヴァドスが瞬時に放った剛昇弾によりゴルネオの放った衝弾は相殺され、あまりの呆気なさにゴルネオの足が止まる。
その一瞬の隙をついて、ゴルネオの視界からセヴァドスが消え去る。
「戦闘中に集中を途切れさせては駄目ですよ」
声が聞こえた方に瞬時に振り返ると、そこには全身を剄で纏うセヴァドスの姿があった。
外力系衝剄の変化、裂空牙。
しなる右足が振り抜かれた衝剄の刃は、空間を切り裂いてゴルネオを吹き飛ばした。
受け身を取ることすら許されず、地面に叩きつけられて、そのままの勢いで壁に叩きつけられたゴルネオの肺からは溜まった空気とともに吐瀉物すら残っていない胃液とともに吐き出る。
勝てるはずがない。
満身創痍で弱気になるゴルネオの頭にその言葉が響く。
身体能力も劣り、剄量も比べるまでもない。
リーチはゴルネオが若干勝っているが、破壊力にスピードと全てがセヴァドスに劣っている。
五年早く生まれた経験ですら、グレンダンで戦い続けた男には無意味であり、全てにおいて勝負になるはずがなかった。
勝利のない戦い。
だが、それでもゴルネオは膝を折るわけにはいかなかった。
ここで折れれば、ガハルドの無念を晴らせなくなる気がしたからだ。
「早く立ってください。 まさかこの程度で終わるはずがないですよね?」
「当……然、だ」
余裕に満ちた冷笑を浮かべるセヴァドスを睨みつけながら立ち上がると、両足の立ち位置の幅を開いて構える。
攻撃の型でもなく、防御の型でもない。
ただ、倒れにくくなる--それだけの構え。
「なるほど、ではいきますよ」
意図を悟ったセヴァドスは、一瞬で距離を詰めるとそのまま剄を纏った右手を振り抜く。
剄の光により、ただの右の突きが稲妻のような恐怖を感じさせる。
その攻撃を視覚すら出来ないゴルネオは、腹へと叩きこまれて両足を浮かせる。
同時に襲うのは側頭部への鈍い痛みである。
地面に叩きつけられた際に、セヴァドスが右足を下ろしていたことにより、ようやく右の回し蹴りだということに気がついた。
そんなゴルネオに構うことなく、セヴァドスは左足を振り抜いて、自分よりも巨体であるゴルネオを蹴り飛ばした。
再び地面を転がり、壁に当たってようやくその動きを止めたゴルネオは、遠のく意識の中、考えることはガハルドの無念である。
だが、それすら考える暇すらセヴァドスは許さなかった。
セヴァドスの右手が、ゴルネオの頭部を掴むとそのまま宙へと釣り上げた。
「まだ、お話は終わっていませんよ」
セヴァドスの右腕に稲光が奔る。
外力系衝剄の化錬変化、雷公腕。
「がぁぁぁぁっぁぁっぁぁっぁぁあぁっぁぁっぁぁっぁっぁ!!!!!!!!」
脳髄へと響く雷撃の迅痛は、意識を無くすことすら許されなかった。
「さて、第二ラウンドです」
笑顔で拳を振るうセヴァドスの姿に、ゴルネオは初めて弟の異常性を理解した。
・ ・ ・ ・ ・
「ふう、言葉を口にする元気もないのですか?」
セヴァドスの言葉に、ゴルネオは立つことすら出来ずに地面に這いつくばっていた。
ゴルネオの体は全身殴打されたために体中に青あざが無数にできていた。
満身創痍で痛々しい姿となっているが、致命傷には至っていない。
無論、この惨状はセヴァドスの仕業であり、本人にとってできるだけ手加減をした結果である。
ゴルネオにとって、この戦いは譲れない何かだったかもしれないが、セヴァドスにとって所詮は話し合いの一間、意識を失ってくれては困るのだ。
「ふむ、では手助けをしましょうか?」
セヴァドスが不意に右手を上に向かって振ると、ゴルネオの体が引っ張られたように浮き上がる。
化錬剄・粘糸。
通常のルッケンスの技で使う剄の糸とは違い、粘糸は頑丈で柔軟性があり、なにより千切れないゴムのような糸というのが分かりやすいだろう。
天剣授受者・カルヴァーンの『刃鎧』を元に考えたセヴァドスの独自の技であり、その特性や使いやすさからセヴァドスも気に入ってる剄技の一つである。
粘糸に捉えられたものは逃げられない。
「兄さん、ルッケンスの基本をよく勉強していると思いますよ。 ――ですが、私に対しては無意味です」
粘糸により引っ張られたゴルネオは、引きづられるように宙を舞う。
そして、セヴァドスの衝剄に叩きつけられる。
「私からすれば疑問なんですよ。 何故ルッケンスだけ極めようとするのか? 兄さんもガハルドも」
ルッケンスは決して弱い武門ではない。
それは初代ルッケンスの天剣授受者と今代の天剣授受者のサヴァリスが証明している。
だが、同時にルッケンスを極めれば最強になれるわけでもない。
剄量や才能、それらは確かに必要かもしれないが努力も必要なのである。
まさに血がにじむような努力を。
「そもそも、兄上に遥かに技量の劣るルッケンスの担い手であるガハルドが、兄上と同じ天剣授受者のレイフォンに勝てるわけないでしょう」
あの程度の実力に満足したガハルドが天剣に届くはずがない。
そしてそのことを、ゴルネオには理解できないのだろう。
今もこうしてガハルドを馬鹿にされたことにより、必死に体に鞭を打ってでも立ち上がろうとしているのだから。
「はぁはぁはぁ……黙れ、ガハルドさんが口だけなはずがない。 あの人は、天剣争奪戦に選ばれる程の実力者で、そしてあんなことにならなければ」
ゴルネオの目に再び力がこもる。
その意思は、セヴァドスから見ても心地の良いもので、恐らくこんな状況でなければセヴァドスは目を輝かしていただろう。
だからこそ健気で愚かしい姿にゴルネオの姿にセヴァドスは遂に堪え切れなくなった。
「ふ、ははははっははっははっはは!!! 天剣になれた、ですか? ははは、それはどんな夢物語ですか?」
ゴルネオが信じるものがあんな愚物だということが。
「それはどう頑張っても無理な話ですよ、兄さん。 ガハルド・バーレンはあの場に相応しい男ではありませんでしたから」
「っ! どういうことだっ!?」
ゴルネオの必死な姿に、笑いが止まらなくなりそうになる。
セヴァドスは湧き上がる笑いを抑えながら、あの日のことを思い出す。
天剣を取る、と道場で意気込んでいたガハルド。
余裕に満ちた表情で、レイフォンの前に立ち、そして一瞬で敗れ去った愚者。
その呆気なさは、喜劇のようだったとセヴァドスは思う。
ゆえにセヴァドスは、ゴルネオに教えることにした。
自身が慕う兄弟子の愚かな行為を。
「ふむ、やはり聞かされていなかったようですね。 まあ、父上なりの気遣いというわけですか。まあ、簡単な話ですよ。 レイフォンが闇試合に出ていたことは知っていますよね?」
「当たり前だっ!! だからこそガハルドさんは、武芸者としてレイフォン・アルセイフを――」
「許せなかったですか? ふふふ、兄さんは本当に素直でいい人ですね。 ですから知っていましたか?」
――その弱みに付け込んで、レイフォンから天剣を奪おうとしたことを。
「ば、馬鹿な……何を言っているんだ?」
セヴァドスの発した真実に、ゴルネオの動きが止まる。
自身が信頼する恩人の悪事を突然聞かされるのは衝撃の大きいことだろう。
だが、セヴァドスは容赦することもなく、追いうちの言葉をゴルネオに向ける。
「ええ、ですから、ガハルド・バレーンは、レイフォンの弱みを握り、それを用いて天剣に至ろうとし、無様に返り討ちにあった愚か者です」
故に、武芸者の恥だ。
セヴァドスが吐き捨てる鋭い言葉に、ゴルネオは幼子が怒られたような弱弱しい姿で首を横に振る。
「ば、馬鹿な…… ガハルドさんが、そんなことを――」
「したんですよ。 だからこそガハルド・バレーンは愚か者であり、自身の力すら理解できない弱者ですよ」
別にガハルドに怒りを覚えているわけではない。
確かにセヴァドスが憧れる天剣すら冒涜したが、その過程に飽きれ返ってしまったため怒りすらない。
だが、ガハルドの行いにより自身の楽しみが一つ消えたことはセヴァドスにとって、そのことだけは面白いものではなかった。
そして、同時に感情的になり頭の回転が鈍っている兄のゴルネオにもあきれ果てていた。
「それに兄さん、気がつきませんでしたか? おかしいと思いませんか? 何故、女王陛下がこのことに気付いていなかったのか?」
このことはゴルネオだけではなく、グレンダンに住む人々にも言えることだった。
いくら、業務を影武者であるカナリスに託しているとはいえ、都市を統べるアルシェイラ陛下がそれなりの規模で行われる闇試合に気付かないはずがない。
都市部を全てを見ることができる最高の念威操者であるデルボネがいる時点で、陛下達が闇試合に気づかないということはありえないということになる。
そして何より、闇試合が行われる闘技場が今まで存在するということに。
「さっき少しだけ話しましたよね? ここは――ツェルニはいいところだ、と」
ツェルニ。
この地にセヴァドスが来て、一番に目がついたのが、この豊かさである。
無論、ヨルテムのような有名な移動都市と比べるとやはり学園都市ということもあり劣る部分もあるだろう。
だが、それでもツェルニの豊かさは、グレンダンよりも遥かに上ということには違いなかった。
「学園都市は、その特色から学園都市連盟という組織などからある程度の支援を受けています。 まあ、これに関しては当たり前ですね。 学生というまだまだ未熟な若者だけで都市を経営することができるはずがありませんから」
確かにツェルニの生徒会長カリアン・ロスは優秀な人間だろう。
頭の回転もいいが、何よりこの学園の危うさを一番始めに気がつき、色々な手を打っていたほどである。
だが、何百万人の大勢の人間が住む都市をカリアン達だけで支えることはできないだろう。
ゆえに、学園都市はスポンサーとなる都市から支援を受けて運営しているのだ。
「ですが他の都市は違います。 工業系都市は、都市で作られた工作物を売って財を為す。 農業系都市は、都市で出来た農作物を売って財を為す」
無論、都市経営がこんな簡単な方法でできるはずがない。
工業系都市と言っても、他の産業に手をつけているだろうし、農業系も同様である。
「なら、武芸の本場と謂われるグレンダンでは何を売ればいいのでしょうか?」
「……武芸か?」
少しだけ冷静になったのか、落ち着いた口調で答えたゴルネオの回答に、セヴァドスは満足げに頷いた。
「そうです。 武芸、つまりは本場の武芸者達の戦いを見せるということですね。 そういう意味では武芸大会や試合というのはうってつけのイベントということです。 つまり、グレンダンで行われる試合は別にグレンダンに住む者達だけが見るわけではありません。 より高度な戦闘を見るために他都市から訪れる方もいるのです。 ここまで言えば理解できますよね?」
「まさか、ありえない……」
「闇試合とは、本当に命がけの戦いを見ることができる一種のショーです。 ソレを好む観客やギャンブルとして売り出そうとするものもいるということですね」
そもそもギャンブルにおいてはこのツェルニでも行われているものである。
小隊対抗戦に、お金をかけて楽しむ観客の学生達。
程度の違いがあれど、ツェルニでも黙認されていることだ。
「……武芸とそんなものでは、そんなことに使うために……」
「まあ、正論では腹が膨れないというわけですね。 名家に生まれた私達には無縁の話ですが、それにすがる者もいるというわけです」
だがらアルシェイラは、摘発しなかったのだ。
その悪もグレンダンを運営する上で必要なことであるから。
正しく育てられたゴルネオは、そのことに気付かなかったのだろう。
故郷の歪みを直視し、震える唇で未だに仇敵の恨み言を吐く。
「だが、それでも奴がやったことが正当化されるわけではないっ」
「ええ。 別に私はレイフォンの行ったことを庇うつもりも同情する気もありません。 勿論その行為が正しいことだと思っていませんよ」
だが、貶すつもりもなかった。
レイフォンの戦う理由もある程度は知っていたが、そのことがセヴァドスの心に響くこともない。
それでも興味があった。
レイフォンの強さの秘密。
そして、そのルーツを。
だが、それはグレンダンを追い出されたことにより確認できなくなった。
「私が言えるとしたら一つ。 ガハルドを殺さなかったレイフォンの甘さが全ての原因ですね」
「セヴァ、ドスっ!!」
再び怒りが込み上げてきたのか、体中に剄を流したゴルネオがこちらに向かって走り出す。
変化すらつけない面白みのない直線的な動きに、セヴァドスは内心落胆を隠せなかった。
遅すぎる攻撃に悠々と構えをとったセヴァドスは、余裕に満ちた動きで迎撃する。
外力系衝剄の化錬変化、蛇流。
細い化錬剄の糸を相手に張り付けて、その糸を通じて拳打の衝撃を与える技である。
ゴルネオの全身に向かって張り巡らされた剄の糸を三十もの衝撃が奔る。
「怒りだけで戦闘に勝てるわけがありませんよ」
「がはっ……」
三十の拳打を受けたことに相当する衝撃に、ゴルネオの巨体は容易に吹き飛び、壁へと叩きつけられる。
痛みにより体の感覚が麻痺し、全身が痙攣するゴルネオだったが、その目は未だにセヴァドスを睨んでいた。
その執念ともいえる目の光に、セヴァドスは思わず感心してしまう。
そして、同時に疑問に思うことがある。
「しかし、わかりませんね。 なぜガハルドのようなものを兄のように慕うのかを?」
ガハルドを兄のように慕う――そのことがセヴァドスにとってこの場で一番理解のできないことである。
セヴァドスにとって兄とは、好敵手であり目標でもあるサヴァリスと、優しく真面目なゴルネオだけである。
ガハルドのような半端者を、兄と慕うゴルネオの神経を疑ってしまうほどに。
「決まって……いる。 ガハルド、さんは、……迷う俺の肩を叩き、笑い、怒り、共感し、導いてくれた、恩人だ……。 それは、セヴァ……お前も同じだろう?」
よろよろと立ちあがるゴルネオ。
感情が極まったのか、眼元には微かな涙が浮かんでいた。
その涙と言葉に、セヴァドスは、ようやく自身の間違いに気がついた。
「ふむ、なるほど。 ようやく違和感の正体がわかりました。 要は私と兄さんの認識の差だったようですね」
――ガハルド・バレーンは私のことを疎ましく思っていたようです。
「馬鹿な……ガハル……ドさんが、お前の……ことを嫌うはずが……」
「原因は何だったのでしょうね? 五年前の天剣授受戦で、レイフォンに負けたことでしょうか? それとも、門下生の前でねじ伏せたのがいけなかったのでしょうか? まあ、既にどうでもいい話ですが」
「セヴァ……」
手加減したとはいえ、幾度もセヴァドスの拳打を受けたゴルネオは既に限界が近かったのだろう。
声が途絶え途絶えになりつつも、それでもゴルネオは、セヴァドスの言葉を否定しようとしていた。
その姿にはセヴァドスも感心することはなく、ただ憐れみを持って倒れ伏せた兄の姿を眺めていた。
「ふむ。 話が随分回り道しましたが、要は兄さんがガハルドのことをどう思うかは兄さんの勝手で、私がレイフォンにどういう感情を抱くのも勝手、そういうことですよ」
討論の末の答えに、セヴァドスは微かな落胆を覚えていたが、所詮は二の次のことである。
戦いはまだ終わっていないのだから。
「それより、さっさと続きをはじめませんか? 話は終わりですが、まだ戦いは始まったばかりですよ」
余計なことを考えず、戦うことができることに、思わずセヴァドスは好戦的な笑みを浮かべてしまった。
・ ・ ・ ・ ・
自分の中で何かが折れた気がした。
目の前のセヴァドスはまだ戦う気があるようだが、ゴルネオにはそんな気力はとうに尽きてしまっていた。
戦うための腕が折れたわけでもなく、立ち上がるための足が折れたわけでもない。
ただ自分自身が信じていた理想が崩れただけである。
恩人であるガハルドが行った行為。
恐らく、他人から聞かされていたのなら、信じることもせず鼻で笑うことができただろう。
だが、そう言ったのはあのセヴァドスである。
このような詰まらない嘘をつく弟ではない。
何より、ガハルドがセヴァドスを嫌っているという節は、ゴルネオにも覚えがある。
鍛練中にセヴァドスの方を見て睨みつけるガハルドの姿を―
同じ時間帯で鍛錬をする二人の姿を見なかったことを―
兄・サヴァリスを見るガハルドの眼は、執念や妄執に囚われた歪んだものだったことを―
本当は気付きたくなかったのかもしれない。
だから見ないふりをしたのだ。
そして、それがこの結果である。
自身の不甲斐なさにゴルネオは、笑うしかない。
ガハルドを慕う理由。
それは自分自身を良くしてくれたことや色々なことを教えてくれた師のような存在だったからだ。 だがそれだけではないのだ。
本当の兄弟であるサヴァリスとセヴァドスの二人が怖かったのである。
ルッケンスの次男坊として生まれたゴルネオ。
兄であるサヴァリスは、最高の武芸者の称号でもある天剣へと昇りつめた天才。
五つ下の弟であるセヴァドスは、その兄を越えるのではないかと言われる程の鬼才。
そんな二人に対し、ゴルネオ自身は良くて秀才、もしくは凡才と言ったところだろう。
二人と肩を並べる道場での訓練は、ゴルネオにとって重荷にしかならなかった。
何故、自分に剄脈を与えたのだろうと、いるはずもない神に怒りを覚えた。
もしも、ゴルネオ自身に剄脈がなければ、こんな思いは抱かなかったかもしれない。
武芸者ではなく、普通の人間として生まれていれば、兄やセヴァドスと蟠りもなく接することができたかもしれない。
当主である父親から、ツェルニへの留学を勧められた時、思わず転機だと思った。
それと同時に、自分はルッケンスには要らない存在だと気づくことになった。
逃げ出したその場所で、ゴルネオは、死に物狂いに鍛錬を行い、居場所を掴もうとした。
一年、二年と遠くなるような日々を過ごし、そして遂に第五小隊の隊長という地位を勝ち取ったのである。
その事実は、ゴルネオにとって代え難きものだった。
ようやく、自分自身の武芸を誰かが認めてくれた気がしたから。
だからこそ、ゴルネオはツェルニと守護者として、より一層の鍛錬に励んでいたが、その価値も簡単に失われた。
幼性体の襲来とレイフォン・アルセイフの存在によって。
汚染獣との戦闘経験がなかったゴルネオは、幼性体という存在に危うく命を失いそうになるほどに苦戦を強いられた。
だがそんな危機もレイフォン・アルセイフは容易に救って見せた。
―圧倒的な力量と格の違いを見せて。
その理不尽さに恐怖を抱き、そして兄弟子の敵に救われたという事実により怒りがこみ上げた。
しかし、その感情は都市の平和にとって無意味なもので、同時にゴルネオが今日まで積み上げてきた五年間が無意味だったことを証明した。
元天剣授受者のレイフォンと一流の武芸者であるセヴァドスがいれば、ツェルニは安全でセルニウム鉱山を賭けた武芸大会も安泰といってよかった。
もう、ゴルネオの戦いは終わったのだ。
「ふむ、余裕ですね。 ならこっちから仕掛けるとしましょうか」
物思いに更けていたゴルネオを待たずして、セヴァドスは嬉々とした表情で手を天へと翳す。
寒気がするような圧倒的な剄量で形成された衝剄の弾。
その剄技をゴルネオは見たことはなかったが、容易にこの身を砕くことができるのは想像できた。
「いきますよ」
軽い口調でセヴァドスは衝剄の大球を放とうとした瞬間、突然、訓練場の扉が開く音がした。
「ゴルッを、虐めるなっ!!!」
「おっと」
叫びと共に赤い槍が飛来するのを、セヴァドスは容易に弾き返すとそのまま後方へと下がる。
そして来訪者は膝をつくゴルネオの前に現れた。
小さい体躯を纏うように荒々しい剄が流れる赤の少女。
ゴルネオの相棒であるシャンテ・ライアの姿を見間違えるはずがなかった。
「確か、貴方はシャンテさんでしたね?」
セヴァドスもシャンテのことを知っていたのだろう。
シャンテの姿を見て、笑みが一層深まるセヴァドスに、ゴルネオは嫌な予感がした。
「何で、ゴルの弟がゴルを虐めるんだっ!!」
そのことにシャンテは気付くはずもなく、怒りに満ちたその姿で、周囲に衝剄を放つ。
だが、セヴァドスは放たれる衝剄の波に怯むことなく、悠然とした姿で一歩一歩近づいてくる。
その姿はまさに不吉な死神である。
「シャンテ、やめろ……」
ゴルネオは震える足で立ち上がると、懸命にシャンテに向かって手を伸ばす。
――がその手は空を掴み事となる。
シャンテは既に目の前の怪物に向かって、足を踏み出していた。
俊敏なシャンテの最速の一歩から踏み出された最高の刺突。
だが、それはセヴァドスに触れることもなく、空を切る。
「ふむ……今の中々良かったですよ」
「うるさいっ!! ゴルを虐める奴は、弟だろうがぶっ飛ばしてやるっ!!」
セヴァドスの発言に、シャンテの怒りが増す。
その怒りは、化錬剄により発生した炎となり、セヴァドスを襲う。
そして同時に刺突の連打をシャンテは、炎に包まれつつあるセヴァドスに向かって放つ。
必勝の攻撃方法。
シャンテの良さがかみ合ったコンビネーションだが、目の前の相手には通用しなかった。
セヴァドスは迫る炎の目の前で両手を叩く。
部屋中に響く音と共に、衝剄の風が現れて、シャンテの炎を掻き消す。
それだけでセヴァドスの行動は終わることなく、迫るシャンテの刺突を回避すると、そのまま槍を掴む。
目のも止まらぬ槍捌きを一瞬で止まられたシャンテの身体に、一瞬の硬直が発生した。
それを逃すセヴァドスではない。
「ふふふ、いいですね。 今の感じ、少し興が乗ってきましたよっ!」
活剄の籠もった左拳。
ただそれだけの行為で、必殺の一撃と化す。
足を滑らせ、体重移動を行ったセヴァドスは抉るように左拳をシャンテの横腹に埋める。
「ぐぇっ」
両足が浮き、そのまま真横に吹き飛ばされたシャンテは、地面に体中を叩きつけながら壁をぶち抜いた。
血反吐を撒き散らし、倒れ伏せるシャンテ。
今の一撃は間違いなくあばら骨を砕き、内臓を破壊した。
華麗に舞う蝶が羽をもがれた様に、動きに精彩が欠けたシャンテの姿に、ゴルネオは思わず立ち上がり駆け寄ろうとする。
だが、その足もシャンテから十メルほど離れたところで停止を余儀なくされる。
そこにはセヴァドスという名の越えることのできない壁が存在した。
動きの止まり、見るからに戦意を失ったシャンテにセヴァドスはゆっくりと距離を縮める。
その右手には、段々と剄が流れていく。
「やめろっ! セヴァっ、 もうやめてくれっ!!」
「そう言っても彼女は、まだやる気ですよ」
進むこともできず、ゴルネオはただ懇願する。
だが、その願いはセヴァドスと、今にも倒れそうなシャンテによって叶わない。
活剄を纏うことすらできなかったのだろう。
それでもシャンテは、自身の槍を杖代わりとし、その場に立っていた。
まるで最後の抵抗だと言わんばかりの表情で。
「ふむ、見事です。 その執念に応えるべく、私も敬意を払いましょう」
外力系衝剄の変化、風花穿。
右手の人差指と中指に、剄を溜めて、その一点に衝剄を固める。
その剄の濃密さは間違いなく命を刈り取るほどのものである。
そして矛先は、相棒のシャンテに向けられていた。
「シャンテッ!!」
「では、いきますよ」
槍の如く鋭利な突きは、立っているだけのシャンテに向かって放たれた。
その光景がゴルネオにはコマ送りに見えた。
凄まじい狂気を纏い、笑みを浮かべるセヴァドス。
その姿は、ゴルネオにとって恐怖そのもので、越えることのできない壁である。
それに対するのは、命尽きようとするシャンテ。
だが、その表情は恐怖に歪んでいることもなく、ただ笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その姿に、ゴルネオは息を呑んだ。
シャンテ・ライアは今ここで殺される。
弟であるセヴァドスの手によって。
ゴルネオは無力である。
ルッケンスから必要とされず、ツェルニの守護者としての役割も果たすことができなかった。
だが、それでも仲間一人守れないほど無力でいるわけではない!
その瞬間、ゴルネオの中で何かが切れたような気がした。
それが何だったのかゴルネオ自身よくわからなかったが、恐らく二度と戻ってこない大切なものだろう。
だがそれでも、よかった。
目の前のシャンテを助けることができるなら。
「……ッ!!!!!! セヴァドスッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
自分でも空を飛んでいるような軽さを感じた。
溢れだす剄に比例し、踏み込んだその一歩は爆発的な力を生む。
閃光の如き速度で、ゴルネオは一気にセヴァドスとの距離を詰めると必殺の拳を振るう。
目の前の敵を撲殺するために。
――そして、その一撃は見事、セヴァドスの頭部を捉えた――周囲に真っ赤な血を撒き散らして。
「ふふふ、兄さん。 今のはよかったですよ」
額から血を流すセヴァドスは、いつものような笑顔でゴルネオを褒め称えた。
その右手の指先は、ゴルネオの腹に突き刺さり、真っ赤な血を滲ませていた。
「がは……」
「ゴルッ!!」
シャンテの叫びを聞きながら、ゴルネオはその場に膝をつく。
遠のく意識の中で見たセヴァドスの表情に狂気は見当たらず、弟として可愛がっていた頃のままである。
「ああ、そうかお前は昔から変わっていなかったということか」
その表情に思わず、安堵の笑みを浮かべてゴルネオは意識を手放した。
良い夢が見れそうだ。
そんなことを呟きながら。