Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
空間を覆い尽くす音響機器群。IS学園の放送室はサイエンス・フィクションの宇宙要塞さながらである。視線を動かすと現代的な折りたたみテーブルがあり、ここは日本の学校なのだと理解させられる。テーブルの上は整理が行き届いている。防音対策を施された室内は、女子校の昼休みのから切り離されていた。
向かい合って座る二人が静かすぎるのだ。
ダークブルーのスーツを着こなすのが織斑千冬。
人類最強の称号を欲しいままにし、最高位のIS操縦者『ブリュンヒルデ』の栄光に浴した、世界で一人目の存在。身体のあらゆるパーツが黄金比で構成された完全無欠の美女である。
強烈な眼力すらも彼女の美に調和している。
白を基調とした制服姿の生徒はペトラ・ノヴァク。
制服のアレンジが校則で認可されていながら、彼女はベーシックのデザインのまま袖を通している。シルバーフレームの丸眼鏡ぐらいしか特徴がない。髪型もダークブラウンのゆるやかなボブである。
校則を柱とした規律を維持する風紀委員会の長らしい。
几帳面で、逸脱がなく、枠に嵌った無個性さが個性なのだ。
外見上はパッとしない優等生だ。
その正体を知るのは千冬を含め、ごく僅か。
素性を把握している千冬の眼差しは冷たい。
スパイ屋に好印象を抱く人間は、極めて少数だ。
服装に指導すべき点は見当たらない。ネクタイ、カッターシャツの襟、頭髪の状態。どこをとっても模範的である。隙がなさすぎる。これでは却って不自然に映る。IS学園という閉鎖的環境の性格を鑑みれば嘘臭さすら漂っている。
ペトラの意図は見え透いている。
これは恫喝だ。無論、千冬への抵抗ではない。学園へ送り込まれた生徒への……自分と同じ情報機関に紐付けられた
千冬は人差し指の爪先で折りたたみテーブルを叩いた。
カツ、カツ、とリズミカルに音が鳴った。
「面倒事だ」
「ですね。面倒です」
ペトラはため息をつく。
睨まれるのは承知している。
「余計な仕事が増える」
職務に精励するのは当然だ。
追加業務を疎むのは自然だ。
「世界中が大騒ぎです。あらゆるメディアが、例外なくです。隠し通すのは不可能にしても公表の方法とタイミングが最低です」
「他人事のように言う」
「自認は被害者です」
余計な仕事を増やしやがって。ボスニア訛りのクロアチア語による悪態を、千冬は聞き逃さなかった。
言いたくもなるだろう。風紀委員会の業務量は把握している。
改善の助言をするつもりは微塵もない。
「学園が受け取った
教員用の携帯端末へ届いたデータを千冬は無視した。
想像力すら不要だ。全世界のあらゆる国家と機関と企業から、公式非公式入り乱れて織斑一夏に関する情報開示を迫る内容だ。
舌打ちを禁じ得ない。愚かさは罪だ。これだけの罪人へ効率的に刑を執行するなら、機関砲すら不足だろう。
別個に送付された簡潔なテキストデータは開封済みだった。
「各国大使館、総領事館どちらもカネ遣いが荒くなっています。しばらくは報道各社とも、取材費の心配からは解放されるでしょうね」
ペトラは「これだから資本主義は」と言いたげである。
「本国は『ブリュンヒルデ』に全面協力の用意があります。ラブレターのようなものとお考えください」
「利用されると承知の好意か。健気なことだ」
「童貞なんですかね」
出席簿――白抜きに毛筆の楷書でしたためられたファイルが、ペトラの脳天に炸裂する。
「品性に欠ける」
「ぐ……ぐぎ……」
眼鏡を吹き飛ばすことなく最大級の痛みだけを与える。
教育的指導からも芸術的な愛の鞭である。人類最強はあらゆる分野で規格外なのである。
涙目ながらもペトラはすぐに回復した。
「貴国の協力に感謝する」
「ホワイトハウス嫌いはどこにでもいます」
冗談と本音の曖昧な言いようだった。
政治的な軽口は千冬の趣味ではなかった。
ペトラは「監視カメラにも限度があります」と言った。
学園の防犯対策を強化するにも予算が要る。カネである。ただ設置するだけではない。電源はどうするのか。バッテリー式では効率が悪い。電気回線を引くならば追加工事が発生しかねない。そちらは業者に発注せざるを得ないし、機材を調達するにもカネを払う。いざ稼働させたら今度はメンテナンスが必要だ。これも業者を呼ぶ。
IS学園の財布を何重にも圧迫する。カネのなる木など存在しない。
「閉鎖性への批判もある」
「いっそ入れますか。平壌式に」
「論外だ。貴様は責任を負えん。他の案を出せ」
「楽出来ると思ったのに」
ようやくペトラが笑った。
小刻みに肩を揺らす、独特な仕草だった。
拍子にズレた眼鏡を慌てて掛け直す。コンタクトレンズが視力補正の主役の座を勝ち取って久しい。ペトラは古臭い趣味なのだ。
髪型まで整えて終わるのを千冬は待った。
年頃の小娘たちの生態系は把握している。
ペトラは自分の携帯端末を起動し、千冬が閲覧したものと同じ機密情報を再読した。
「
「小骨と言うには、か」
「はい。どのみち操縦者を拡充したとてです。ISコアの総数は『第三次協約』の対価が最後ですから、マシンがないのでは意味がない」
三度世界と契った篠ノ之束は、それきり姿を消した。
契約と対価を天秤にかけさせる様は悪魔のようである。
天衣無縫の極みにある人格を、果たして
煩うばかりの俗世の雑事が議題なのだ。
悪魔も女神もお呼びではない。織斑千冬の世界にはどちらも存在しない。
ペトラは新聞の号外をテーブルへ広げた。
──世界初の男性IS操縦者、織斑一夏
日本政府の対応に不満を抱く国は多い。ユーゴ連邦もそうだ。
一度ならずISによって世界を否応なしに変革した。悲鳴に構わず再び激震を走らせる。無頓着の誹りは甘んじて受けるべきである。
女性にしか操縦できないとされてきたIS。
男性操縦者の誕生。
神話が覆されたのだ。
各国の報道機関が競って飛びついた。
「入学式当日から思いやられます」
右手の親指と人差し指で眉間を揉む。
学園のメーンサーバーにハッキングを試みた件数だけでも急上昇中だ。いまこの瞬間も爆発的に増加している。風紀委員会だけでは処理が追いつかずコンピューター研究会の友人たちに声を掛け、彼女らの伝手まで借りた総力戦の様相である。関係者が増えれば増えるほど情報漏洩のリスクも跳ね上がる。
頭が痛くなる。
「ドル、ポンド、ユーロ、ルーブル、リラ、ルピー、ペソ、ウォン、ドン、ゲン、イェン。いったいどれに釣られたのか……」
「全部だろう」
千冬は即座に答えた。
「カネなぞどうとでもなる」
苛立ちが滲んでいる。意外に直情的なところがある。
「
「
「メイデンは貴様も変わらん」
「女の園ですよ?」
価値観も古い。固定観念に嵌っている。
「イギリスの動向は外事課が追う」
「情報提供用のレポートは織斑先生へ?」
「私から山田先生にお願いする。貴様は関わるな」
「承知しました。風紀委員は校内の懸念事項に専念、ですね」
千冬は腕を組んだ。
「学外での活動も許可する」
「まさか理事会を漁れと仰る」
「無論だ。外交圧力に折れられては元も子もない」
「大したネタはありませんよ。不倫に買春……あと違法薬物も。継続しますか?」
「中止する理由が見当たらん」
ペトラは再び携帯端末を操作した。
デコレーション皆無の質素な旧型だった。
これならば折りたたみ式の方が便利だ。
仮にも国家代表候補生なのだ。買い換える余裕くらいあるはずなのだが、思春期の思考回路は千冬には難しく思えた。
ひとまず方針は定まった。ペトラは昼食を摂らない変わり者であるからです昼休みの可処分時間は有り余っている。同時に人並みの感性が、風紀委員会顧問との談笑という凡庸な選択肢へ走った。
問題は人並みの感性が稀にしか発揮されないことだった。
大きく伸びをしたあと、ペトラは何気なく言った。
「気になるんですが」
「何だ」
「本当に男なんですか」
室内の空気が瞬時に緊張する。
千冬の目が鋭く細められる。
戦士の目である。同時に本能が危機を察知する、獣の目でもある。
ペトラは怯まない。薄笑いを浮かべたままだった。
「ノヴァク」
「なんです織斑先生」
「発言の意図を話せ」
「世界初の男性操縦者――看板としてはこの上ない魅力があります。ですが先生、看板と中身の不一致なんてよくある話でしょう」
詐欺。ペテン。ボッタクリ。騙される方が悪い。
月並みな台詞を楽しげに吐いて、ペトラは落ち着いた。
「冗談ではありません。いずれ問題になったでしょう」
「いずれ?」
「先生。あなたの弟であるから世界中が
ペトラは指を一本立てた。
「人類最強の弟が、
千冬は沈黙した。相手は学生だが、同時に訓練された諜報員だ。
ヨーロッパで最も政情不安の国で秘密警察をしている。経験値がある。素人に毛が生えた程度でもこれだけ材料があれば判断出来る。
日常生活が途絶えて数ヶ月。何かあると勘繰るのも当然だった。
そこへ来て調整不足が丸分かりな政府の発表だ。
いや。対応部署すら定まっていないだろう。陸上幕僚監部、警備企画課、それに内閣官房。縄張り争いで泥沼化している可能性すらある。
無数の隙間から漏れ出す情報を、誰が食い止めるのか。
誰も彼もが結局のところ自分の足元ばかり見ている。
だが必要でもある。千冬も己の足元を固めることにした。
「ノヴァク。どこまで知っている?」
「知りたくもない、というのが本音です」
「ふざけているのか」
「本心ですよ。秘密のない人間なんていませんから。どこにでもあるモノを探して、何が楽しいやら」
仕事に理想を持たない、典型的な若者だった。
情熱がない秀才に比べれば意欲的な凡人の方がよほど可愛げがある。そんな教育者じみた思考を始めた自分に気づき、千冬は自身も老いたのだなと過ぎ去った日々の遠さに思いを馳せた。
顧問の哀愁など生徒には関わりのないことだ。
素知らぬ顔でペトラは「問題があるとすれば」と前置きした。
「会長はどうします。興味津々ですよ」
「ミーハーめ。厄介の種ばかりか」
「イマドキですから。ルームメイトとしては迷惑です」
微塵も親しみを感じないルームメイトである。
ペトラの目が本当に凍りついた瞬間だった。
衝突しないのは、彼女の省エネ主義のためだ。イマドキと言っても実に多様性がある。
「報告だけはしておけ。アレの横槍は始末に終えん」
「……私から、ですか」
「業務の範疇だ。不服があれば聞いてやる」
「業務に私情は挟まない主義です。お気遣いなく」
「殊勝な心掛けだ」
せめてもの慰めだったが、苦痛が勝った。
ペトラの表情の曇りようは悲壮の域にある。
生真面目な省エネ主義者と気分屋の楽天家だ。相性が悪い。
その意味では自分も似たようなものだ。
千冬は昔馴染みの顔を思い出した。教え子の前で舌打ちを自制出来るようになっただけ、成長を遂げていた。