Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
予定時刻まであと1分30秒。腕時計と置き時計の表示は一致している。
ペトラの背後は厚手のカーテンが垂れている。
学生寮の寝室は通常、二人一部屋の割り当てである。
風紀委員長の座にある国家代表候補生といえど例外ではない。
三年間の学校生活において重要視される項目の一つが、学生寮でのプライベートの確保であった。
当人のパーソナルエリアが狭いならば幸いと言えるだろう。その逆は辛い。ペトラも本音を言えば一人部屋が望ましい。
趣味の音楽鑑賞も同室者がいると遠慮が発生する。
彼女は不必要な身体接触に嫌悪感を覚える。親しい間柄であろうと物理的な距離を置きたい性分であった。そのために謎めいた優等生の印象を持たれているのだが、当人はあまり自覚出来ていない。
ともあれ赤の他人との共同生活は妥協と忍耐の連続だった。
その一つが天井に追加されたカーテンレールである。防音効果のある材質を選んだ。これで数少ない趣味を堪能できる。同時にあちら側で同室者が何をしていようと気にならない。気配までは遮断できないのは嘆かわしいものの、幸いそちらはある程度苦しまずに済んでいる。
ペトラは完全に間仕切りを閉じたまま端末の前に座る。
机の上に設置したパソコンの、ビデオ通信の画面へ向き直る。
画面には更識楯無の顔が映った。先に相手が口を開いた。
「やほー、ルー。例の件はどうなった?」
「順調です会長」
ペトラは機械的に声を発した。
ルーと呼ぶのは楯無だけだった。ペトラの方は一貫して会長と呼ぶ。ビデオ通信の画面越しでも、そこは変わらなかった。
丸眼鏡の奥で陰険な目が瞬きをした。
コケティッシュな楯無とは対称的だ。
ペトラの風貌は地味で、眼差しには厭世の色が滲む。
「詳細は生徒会へ提供した資料をご確認ください。織斑先生の承認済みです」
「見た見た。よくあの三人を説得できたね」
画面の中で楯無が悪戯な笑みを浮かべた。
「学園の置かれた状況を正確に伝えたまでです」
風紀委員長の愛想笑いはそこになかった。
心底不得意な相手との通話に望むべく、無表情を装っている。
「じゃじゃ馬の扱いにも慣れたのだねえ。関心関心」
笑顔で広げられた扇子には、堂々たる筆運びで『関心』の二文字が躍っていた。
生徒会長の奇妙なリアクションを風紀委員長は無視した。
流石に飽きる。初対面のときから無視はしていたのだが。
「優秀な同志です。問題点はありません」
「素直じゃないのは昔のまま? そこも進歩しないと」
「職務中の雑談はしない主義です」
「そーゆーことにしておきましょう。お姉ちゃんは妹に優しいのです」
「誰が妹だ。生年月日を言ってみろ。同い年だろうが」
「これだから二〇世紀生まれはイヤだわ。そんな風に意地悪ばっかり言ってるとお姉ちゃん、泣いちゃうぞ?」
ご丁寧に「ぐすん」とオノマトペまで言い添える。
やはりペトラは無視した。舌打ちを堪えるのに精一杯だった。
新しく楯無は『姉様』と書かれた扇子を広げた。
このユーモアだけは生涯理解出来なくていいと思っている。
すぐに扇子は閉じられた。
「級友との談笑はここまで」
声のトーンが一段落ちる。ようやく生徒会長の職務が始まった。
「計画の目的と手段は把握しました。意義についてもです。生徒会長として、風紀委員会の懸念と職務へ理解もします」
「過剰ですか」
「穏やかでない、という忠告は散々聞かされたでしょう。あの子たちの言いそうなことは予想がつきます。その上で私からも『やり過ぎ』と言わせてちょうだい」
指摘はまったく正当である。
これを指弾せねば生徒会長の資格はない。
いくら理論を並べても現実は非合法の情報収集だ。法が正当性を否認する。まして道徳的観点からも否定しか出来ない代物を、風紀委員長は正式な組織活動と定めた。
敷かれた秩序の中でのみ暴力は肯定される。
その認識を共有する。言わずもがなであろうとも、言葉にする行為が重要だった。
楯無の凛とした冷ややかな声を、ペトラは黙して受け止めた。
「IS学園の閉鎖性について問題視する声が高まっている情勢です。織斑一夏くんのプライバシーと分離すべきという正論を返したところで、表面上は同一の問題となってしまう」
学園の門扉は固く閉ざされている。正規ルートでの取材依頼に許可が下りる確率は皆無と言ってよかった。学校運営に無関係の部外者を招き入れるリスクが大きすぎた。運営費は日本政府のほか民間企業や有志国によって賄われている。出資者リストに米国はなく、どころか先進国と呼ばれる国々はどこもIS学園の財務状況に冷ややかだ。
学園が、学園内で研究されている新技術を秘匿している。
表向きはそうした不満による抗議として出資を渋っている。
実情は微妙にニュアンスが異なる。
風紀委員会による諜報活動の摘発が不満なのだ。
他国の開発した新技術を入手したい。他国の優秀なIS操縦者を我が国へ。学園の技術スタッフを自国の研究機関に。大国の思惑に抵抗している以上は
理事会役員たちは風紀委員の解体、最低でも弱体化を望んでいる。
防諜組織として学内の安全確保に責任を負う立場にある。そのために風紀委員は理事たちを脅迫するためあらゆる非合法の情報収集作戦を展開し、先鋭化していった。
楯無としては
どうにか制御可能な形になってきたところへ、この無制限作戦である。
不満がないではない。風紀委員長もそれは承知している。
だから、批判の形はあくまで民主主義国家と全体主義国家の価値観の不一致。そこが落としどころとなる。
「報道機関は萎縮するわ。報復されたという事実だけでも恐怖心を植えつける結果になる。一度芽生えた恐怖を克服するのは難しいって、あなたは知っているはず。よほど強くなければ歯止めが利かなくなる」
「それが狙いです。身の程ではありませんが、
「虎の尾を踏む前に、虎の巣穴から遠ざける。それは確かに優しさだけれど」
楯無が忠告し、ペトラが反対意見を論じ、それで終わった。
語られずに消えた言葉の先は告げるまでもなかった。
この通信自体が儀式である。形式的に己の職位から意見を述べる。形として残されることに意義を見出し、認め合ったからこそ二人は通話を決めた。
距離感があろうと協調は出来る。その点で楯無とペトラは互いに理解者たり得る。
悲しいかなプライベートの面ではまったく噛み合わなかった。
長い睫毛に覆われた瞳が憂いを帯びる。虹彩を奥へ意識を誘う、魔性の瞳だ。
ペトラの琥珀色の瞳を覗き込むと底知れぬブラックホールが潜む。
瞬間。重なった感情を、更識楯無は見逃さなかった。
「エッチめ」
「はあ?」
声が裏返った。自分でも分かった。
画面の中で楯無が吹き出す。
「あはははっ! ちょっと、ルー! そんな声も出せるんだ!」
「……会長。いま何と?」
「だってぇ。エッチでしょうよ、ルーだって織斑くんの顔写真くらい知ってるんだから、知らないなんて言わせないわよ? あんなカワイイ系の、歳下の男の子を二十四時間体制で監視しようだなんてよく真顔で話せたわね」
今すぐこの通話を終わらせたい衝動に駆られる。
実行すればいくらか気分は晴れるだろう。だが安寧は一瞬だ。
この笑顔は獲物を前にした捕食者のそれだ。
逃げられない。三年間の経験が確信させる。
延焼を避けるため考え得る限りの最善を尽くす。つまりは駄弁りにつきあう。
「議事録に私の表情は記載されていません」
「二年もクラスメートとルームメイトをしていれば分かるわよ」
「会長。これは学内と生徒の安全保障を前提とした……」
「ハイそこ論点をズラさなーい。織斑先生の公認だからってズルいんだ。あまりにもエッチすぎるシチュエーションなの分かってる?」
「会長の論旨を理解しかねます。私にとっては業務でしかありません」
「もしかして
「知らんわ」
チョベリバの意味も不明なら発言も理解不能である。
何となく、女装させた場合の性的魅力なのだろうとは察した。
自己判断で異性装に及ぶ場合は興味がない。本人の自発的同意なく上級生の立場で強要するなら校則違反で罰則を与える。
男子を女装させる意図も不明瞭だった。
女子が好きならば女子を見ればよい。
「会長は女装した男が好みなのですか」
どうせ理解出来ないからと投げやりに尋ねた。
「ちょ、ちょっと待って。それは飛躍よ。性癖と恋愛対象は別でしょ?」
「はあ。どちらもあまり持ち合わせていないもので、後学になればと」
「そうじゃないの。ルー、よッッッッッく聞いて。あのね」
違ったらしい。正直どうでもいい。
「まずあなたは
「恥でしょう。男が女の格好をするのは。屈辱では?」
「違うの。違うのよ。違う違う。いい? 男子にとって女子の服というのは『魅力的なモノ』であると同時に『性欲の対象』なの」
「ああ。まあ、はい。そこは。理解の範疇です」
理解していても意識しない情報だ。
それを情熱的に力説されると気持ち悪い。
ペトラの両眼はみるみる焦点がズレていく。
「劣情と極論しても構いません。そうした情動を向けている対象を、自分が着るの。それだけでも恥ずかしいの。スカートだとなお芸術的ね、アレこそ女物特有のデザインだもの。普段着では味わえない未経験の着心地にもさぞ戸惑うことでしょうとも!」
「はー」
「この時点でももう、ね。非常に素晴らしいの。メイクやウィッグを駆使すればあるより女子よ。男子はとにかく男らしさに拘る生き物だから、女の子のやるお化粧なんてされた日にはそりゃあ大変なことになるわ」
「ひー」
「メイクって足し算でもあり引き算でしょう? 上手くやれば男の子らしさをカバーしつつ女子の肌質や顔立ちを演出出来るわ。いい? 女装っていうのは男子が無意識に理想としてる男らしさを消し去って、普段
「ふー……ああ、失敬。理論の輪郭程度は把握出来ました。究極のサディズムですね」
「ええ!?」
目頭をもみほぐしつつペトラは要約を述べた。
奪って与えるのは加虐性欲者の好む典型だ。
理想や尊厳を奪い屈辱や恥辱を与える。更識楯無の性癖が「男に性癖を強いる」というのも大いに頷ける。
生徒会長は本気で驚愕している。いつもの扇子芸を忘れて仰け反っていた。
「いやいやいや! 『ふーんカワイイね』ぐらいのノリだって!」
「それをサディズムと申し上げています。悪趣味でしょう」
「うンぬぉッ 心臓を直に殴られたァッ」
「心因性の急性心不全ですか。自力で医者を呼べますか」
「オニ! アクマ! ペトラ! どっちがサディストだぃ!」
「ここまでのやり取りに性的興奮は皆無です。訂正を」
画面越しで器用にぽこぽこと殴る仕草をする。
小悪魔的、という認識を与えたいのだ。
このサディストの前では魔王すら三日で自律神経に異常を来す。とんだサディスト大魔王である。そう言ったらまたおかしな反応をするのだろう。リアクション博覧会を楽しむつもりはないので、ペトラは楯無が落ち着くまで沈黙した。
異常性癖者の顔面が画面へ近づく。悪趣味な笑みを隠そうともしていない。ペトラは端末から少し身を引いた。
「流石ねルー。私が隠れエムだと見抜いてる」
定期報告から気づけば変態の性癖暴露ショーに変わっていた。
堪らず本音が地声で漏れた。低い、所謂
「疲れる……」
楯無はまだ笑っていた。
「やっぱり親友との会話が一番ね」
心なし相手の肌つやがよくなって見える。
背景素材の、白を基調としたヴィラのせいだろう。
さもなければ衛星通信で精気を吸われたことになる。
ペトラは特定の宗教やこの妖怪へどう対応すべきか、知識不足だった。とりあえず塩でも撒けばいいのかも知れないが距離が遠すぎた。
ICBMが効くという神学の論文があれば是非とも読んでみたい。