Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
定期報告が終了する。衛星通信の接続を切る。
携帯端末はスタンドへ設置したままだった。
更識楯無に時差など関係ない。休めるときに休む。校医からすれば健康寿命の前借りでしかないだろうが、責任というのは全てに優先される。
可処分時間をどのように使うかは彼女の自由だ。
疲れる相手だが、職責を思えば、労う気持ちが勝る。
どのみち明日は日曜日である。多少の夜更かしは些末な問題だった。
置き時計の秒針を見る。元パルチザン兵士の祖父が組み立てた、由緒ある品だ。
呼び出し音が鳴る。通信終了から34秒が経過している。委員会で、これが最近の流行りだと薦められたコミュニケーションアプリが起動していた。画面には緑色と赤色、二種類の受話器のアイコンが表示されている。
緑色のアイコンをタップする。
すぐに表示が切り替わる。今度も楯無の笑顔が映っている。
「ハァイ。まだ起きてた?」
「オマエの行動は単純だ」
ペトラは愛想笑いの仮面と眼鏡を外した。オフモードの合図である。楯無はこちらの方がずっと美人に思っているが、それを指摘するのは野暮だと胸に秘めている。威圧的な低音の声と話し口調も含めてアレコレと
無愛想な方が楯無は何故か嬉しそうにする。
ルームメイトの奇矯さを、ペトラは無視した。
「ホント。大変なコトになっちゃったわね」
「書類仕事で腱鞘炎になる。眼精疲労も気懸かりだ」
「最近はブルーライトカットのレンズもあるんでしょ?」
「検討中だ。目薬より効果的かも知れない」
やれやれ、と言わんばかりの溜息だった。
織斑一夏を爆心地とする衝撃波の影響だ。
「グラウンド・ゼロの気分だ」
「お疲れ様です。お土産はダマスクローズのオイルでいい?」
「任せる……私個人よりも、委員会の方に頼みたい」
「それならアロマの方にするわ。アレ、イイ香りだったから」
「感謝する」
ペトラは真っ直ぐに頭を下げた。
楯無は「どうってことないわ」と応じた。
「好きでやってるもの。ルーもそうでしょ?」
「ああ。物好きなことだ」
呆れた口調に楯無が笑う。ペトラも釣られて肩が小刻みに揺れた。
細かなところでソリが合わないのは互いに認め合うところだ。
それでも入学から二年と少し。IS学園での付き合いなら誰よりも長い。音楽も含めた趣味全般で意見がぶつかるものの、もっと大切なところで手を取り合える間柄なのだ。
しばらく囁くような笑いが続く。
先に落ち着いたペトラが「飽きないな」と、再度の通話を指摘した。
「サラ。そちらは良いのか」
ペトラは徹底して公私を分ける。
サラという呼び方もその表れである。風紀委員会の業務中は頑なに「会長」呼びを貫くが、私的な場であれば「サラ」とあだ名を用いる。楯無としては一対一のときならどう呼ぼうと気に留めないつもりだが、風紀委員長の生真面目さを尊重した。
自分がアバウト過ぎるのも考慮したのだ。
「平気。もう終わったみたい」
「……そうか」
楯無がいるのは中東の某国である。独裁体制を敷く政府への抵抗から始まった内戦は、大国の思惑や流入したテロ組織、民族と宗教の歴史が絡み合って長期化の一途を辿っている。問題はこの血みどろの内戦で政府側に立つ民間軍事会社も反政府武装組織も、ISを運用していることだ。
ISの軍事利用を禁止したアラスカ条約が破られている。
彼女は査察のために現地入りし、PMCと接触したのだった。
満十七歳の高校生にやらせる仕事ではない。
ペトラとしては呆れ果てるしかない。それを言えば放った礫が自分に返ってくるので差し控えた。
「それに話し足りないでしょ」
「何が」
「もちろん一夏君の話!」
ペトラは目を閉じた。予想できなかった話題ではない。
「またか」
「またです!」
否定的に聞こえる。楯無のそばで待機している兵士たちさえ、相手側の表情からため息だと察した。
もちろんその通りだ。ペトラの愚痴とため息は通常運転なので楯無は構わず続けた。
「実は女の子だったりしないかな?」
「はあ?」
「世界初の男性IS操縦者というのは日本政府の発表でしょう? 第一報のあとはだんまり。科学的な根拠がないのに信じられると思う?」
「個人の、しかも未成年だ。医療情報を公表出来るのか」
「それはそうなんだけどさあ」
画面の中の盾無が身を乗り出した。顔が一回り近くなる。
「実は女の子なのに、何らかの事情で男の子として育てられたとか。あるいは本人も周囲も知らなかった秘密があるとか!」
「同人誌じゃあるまいし」
大袈裟に肩を落とす。切り捨てられるところまで予想していたような仕草だった。
「
「顧問の情報把握までは確認した。どのみち通信傍受を許可された時点で風紀委員会の四役は知らざるを得ん」
「ズッルい! 自分だけ美味しいとこを!」
「私個人としては興味がない。仮に女だとしても、注目を浴びた」
「出回ってる写真でお顔は確認させてもらいました。うん。正直メ……じゃなくて、かーなーり女顔だとは思う」
流石に自制心を作動させられたのでペトラもホッとした。
こんな時間から海外で仕事中の友人を説教したくはない。
ともあれ、近しい感想を抱いたことは認めた。
「童顔ではある」
「でしょ? ルーもそう思うでしょ?」
「あ、ああ、まあ……」
楯無の顔で画面が埋め尽くされる。
そこまで乗り出されると怖い。
どうどう、と
興奮をトーンダウンさせつつ、楯無が咳払いをする。
「けどねルー。私としては『ホントはオンナノコでした!』が一番あり得る気がしてる」
「他にあるのか」
「勉強不足よベンキョーフソク」
「何の勉強だ」
糸のように細くなったペトラの眼差しに、楯無は「そりゃあエッチなシチュエーションでしょうが」と胸を張った。
どんな補正をすればこれほど形が整うのか。ペトラの意識はそちらへ沈みそうになり、少し反応が遅れた。
「……何の参考にもならん」
「なるわよ」
「いつ」
「女子同士でイチャつくとき」
「ワケが分からん」
そう言えば興味がなかったのだと楯無は思い出す。
もったいないと思う気持ちは本当だった。物悲しさすら覚える。
ペトラは眼鏡の手入れをしつつ思案した。思考の内容をそのまま楯無に共有する。
「イチモツが取れた。いや
フィクションでなくとも、整形手術で外見を変える、それだけならば可能である。そうした技術は既に確立されて久しい。
もちろん、楯無の言うような男が女の生殖を獲得するわけではない。そうした処置を受けた人間も過去、IS適性検査を受けてきた。具体的な件数をペトラも楯無もこの場で諳んじられるはしないが、世界的な通説として医学的な性転換でISは稼働させれない――それが常識として定着している。
「今回が世界初の成功事例なのかもな」
「そこは諸説ありけりとゆーことで。入院先でどんな検査結果が出たやら分からないもの。でも……スッッッッッゴイシチュよね、女の園に美少年。やっぱり王道って飽きないからこその王道よ」
「争奪戦になる」
返事が途切れた。盾無は画面へ顔を寄せた。いつもの即答がなかったことを、見逃すつもりはないらしい。
「ん? ん? ルー?」
「どうした」
「あなたもしかして」
「違う」
「うっそだあ」
ペトラは右手の指で眉間を揉んだ。邪推にも程がある。姉に似て綺麗な顔立ちをしているから、さぞモテるのだろうなあ……という他愛もない感想から大きく飛躍した。自分の想像を退けただけで、知らない事情まで断定したつもりはなかった。
「恋の季節、ね」
「もう冬だぞ」
「恋にルールは無用です!」
「略奪愛か。フランス皇帝にでもなるのか」
「島流しはイヤかも」
「ネットもない」
ペトラは珍しくリップサービスを披露したつもりだ。
エルバ島は無線LANスポットが置かれている。海底ケーブルのおかげで通信速度も比較的に安定しているのだが、セントヘレナ島は不通である。衛星電波に頼らざるを得ないため快適からは程遠い。そんな豆知識は楯無の「まっさかあ!」の一言で流されてしまった。
どころかルームメイトは目をうるつかせた。
「ワタシというものがありながら!」
泣き真似とともにパイプ椅子の上で
交際を申し込まれた記憶も、申し込む予定もない。
好意的に「疲れているのだなあ」と勝手に解釈しておく。深く考えるだけ寝つきが悪くなる気がした。
「ダメよ。ダメ。ゼッタイダメ。一夏くんは生徒会役員にします!」
「クラス代表になる可能性を考慮しろ」
「私、IS学園の
またも意味なく胸を張る。片手からこぼれるサイズ感が、ぐいと前に押し出された。「エッヘン」の一言により視界が逸れるほんの一瞬だけ視線が釘づけになる。
理論上は可能なのでペトラも反乱は控えた。
生徒会長が「明日の学食は三食カツカレーにせよ」と宣言すれば本当にその通りになる。「風紀委員会の人員を一人、生徒会へ寄越せ」くらい造作もないのだ。
クラス代表者は自動的に風紀委員会の業務にも従事する。
この措置は生徒会長を志す者への試練も兼ねる。
その程度で根をあげる輩は全校生徒の頂点に立つ資格がない。
無反応が続いたことに楯無は頬を膨らませる。
「リアクションぷりぃづ!」
「それはそうと」
「あっ都合悪いからって」
「本当に女なんてことあるのか。同人誌じゃあるまいし」
「二回も言わなくてもいいじゃない!」
膨らませた頬はすぐに元へ戻った。別のことを思いついたときの顔だった。
「でもさ。もし本当に女の子だったら、どうする?」
「どうもしない」
「えー、つまんない」
「寮務課の会議は減る」
女子のみでの寮生活に、男子が混ざるのだ。
学生寮の管理を担う部署の苦労が偲ばれる。
まあ、山田真耶ならば上手く処理するだろう。一見優柔不断のようで織斑千冬の右腕を務める才媛なのである。
「健全な恋愛は風紀委員会の関知するところではない」
機械的にペトラは私見を述べた。
無味乾燥とした相方に、更識は目を輝かせる。
「じゃあじゃ私は?」
「どういう意味だ」
「私はオンナノコでもオッケーだから」
突然の
「……」
「つまり一夏君が女の子だったとしても、私の恋愛対象から外れないってこと!」
は実に楽しそうだった。恋愛の話になると、断定をためらうところがない。
「男の子でもよし、女の子ならもっとよし! どっちでもウェルカム! おねーさんが優しく受け止めてあげましょう!」
「籠絡宣言か」
「そうとも言う!」
「本人の意思は?」
問いを返されると楯無は少し笑いを収めた。考えずに済ませてよい返事ではなかった。
「もちろん尊重するわよ。そうでなくとも不安に晒されているのだもの」
「その言葉、覚えておく」
「怖い記録のされ方ね」
「私の記憶力は知っているだろう」
画面へ指を向ける。ペトラは視線を外さずに聞いていた。
「恋人同士の話も監視の対象?」
「惚気話を二重に聞かされる身にはなりたくない」
「……そうはならないわよ」
画面の中の顔が少し遠ざかった。
ヒートアップはそこで止まった。
「織斑一夏、モテ期か」
「バカ真面目に言わないでよ」
「腹筋が割れる心配か」
もう割れてるだろう。無遠慮なツッコミに更識は、拗ねた。
「ルームメイトの恋路を応援してくれないの? 冷たいんだぁ」
「私が応援して勝率に影響するのか」
「しません! でもお姉ちゃん寂しい!」
「知らん。頑張れ長女」
また『姉様』の扇子が開かれた。
本人なりに満足したらしい。
更識の表情に充足感が見えた。明日かける眼鏡を品定めしつつ、ペトラは「そうだ」と前置きをした。
「サラ」
「なあに、ルー?」
「今思ったのだが」
「どうぞ!」
「この会話を傍受しているSVRやCIAの分析官がいたとしたら……」
そこまで言って一度止まる。相手を見て、言葉を選び直した。
「……気の毒だと思っただけだ」
通知音が短く鳴った。
ペトラの端末へ委員から通知が届いた。通話を一度消音し、送られた資料を開く。カメラには顔の周りしか映していないので、楯無には目の動きだけが見えた。一カ所を確かめて返信すると音声を戻す。
「すまない」
「急に、委員長の顔になった」
「委員からの確認だ」
「切り替えが早いわね」
「お互い様だ。でないと疲れる」
楯無はしばらく相手を見た。切り替わったところを見ていたのは自分だけではなかったらしい。
「やっぱり分かる?」
「ああ」
「ふふ」
短い笑いに感情が詰め込まれていた。
「仮に誰かが傍受してるなら、今の切り替えまで、分析するのでしょうね」
盾無が画面の向こうで首を傾げた。
「挨拶運動の連絡だ」
今度はペトラの口元が緩んだ。
「あッ笑ったッ」
「世界情勢を探るための任務で得たのが、女学生の行事予定では報われんよ」
「どうする? サービスに下着の色とか教え合いっこしちゃう?」
「それこそ迷惑だろ……」
「そんなことない! 私は知りたい!」
「ええ……」
声は草臥れきっていたが表情は笑っていた。
いつもの薄い笑みとは違う。私室でしか見せない、本来の笑顔だった。
「そしてだサラ。先程からロシア軍の通信衛星を拝借してまでカメラ通話で、織斑一夏の性別についての妄想と、将来的な籠絡計画を堂々と語っているわけだが」
「籠絡計画って言い方、ひどくない?」
「自白しただろうが」
「それはそうだけど!」
「それこそ報告書の作成に困るぞ」
恋多き乙女は考え込んだ。悪戯を考えている顔だった。猫そのものだ。
「じゃあ、報告書にはこう書いてもらおうかな」
「何と?」
「『IS学園生徒会長、更識楯無。世界初の男性IS操縦者に対し、性別を問わず恋愛的関心を示す』!」
「……」
「どう? 簡潔で分かりやすいでしょう?」
「その報告を受ける大統領閣下まで不憫だよ」
哀れんでやる筋合いもないが、と忘れず付け加えた。
ペトラはロシア人が大嫌いだった。
ひとしきりストレスを発散して更識の肌はつやめいて見える。
「サラ。そろそろ休もう」
「寝て追い払うの?」
「夜更かしは女の敵だ」
「なんとも正論。耳が痛いわ」
「女の敵は夜更かしだけでないが」
女も男も、女にとっては敵である。ペトラの冗談に楯無はまた笑った。
「そうだ、ルー。ひとつだけお願いがあるんだけど」
「今度は何だ」
「一夏君の調査を進めるとき、本人の気持ちだけはちゃんと考えてあげてね」
指を止めて顔を上げる。更識楯無はもう笑っていなかった。
「彼は世界初の男性IS操縦者になることを望んでいたわけじゃないかもしれない。大人たちが勝手に騒いで、勝手に価値を見いだして、勝手に彼の人生を決めてしまう。そういうのはあまり好きじゃないの」
「当然だ」
「なら、いいわ」
画面の中で楯無が一度瞬きをした。それからペトラへ目を戻した。
「もう、こんな時間ね」
「ああ。いつもこの締めだ」
「そうだっけ? でも良いじゃない」
ペトラの口元がまた緩む。
「おやすみ、ルー!」
「おやすみなさい、サラ」
切断の表示が出る間際。画面が暗転するまでのコンマ数秒に届けられた投げキッスを、ペトラはどう受け取ればよいやら思案した。
「アイツは……」
首を振る。会計局長からの一報を改めて開こうとして、手を止めた。
「……お気の毒に」
相手の名前までは知らない。
仮に傍受していて、翻訳と分析をしているなら、滑稽だった。
いや。間違いなくやっている。そうと分かっていて、同性の友人の下着事情を暴露させるのは心苦しい。
スリープモードになった液晶画面が鏡のように作用する。
反射して映る自分の表情は、まるで可愛らしくなかった。