Infinite Stratos:Archetype border   作:ぱらさいと

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 湯呑みを持った手が止まった。

 画面の下を赤い帯が横切っていた。篠ノ乃箒は顔を上げ、消えていく文字に追い縋った。次の表示にも同じ名前があった。

『日本政府、織斑一夏氏のIS操縦適性を正式発表』

 箒は杜王町の自宅で過ごしていた。

 居間で夕方の報道番組を流し、一服したのち夕食の支度へ取りかかる。いつもの段取りである。用事が飛び込んでくる気配はなかった。画面には見慣れた男性アナウンサーがいて、聞き慣れた調子で原稿を読んでいる。

 織斑一夏。その名前だけは、番組に馴染まなかった。

 湯呑みの縁へ目を落とす。まだ口をつけていなかった。

 淹れた茶を飲むという発想が出てこない。机へ置くことも忘れ、時間が凍りついていた。

『政府の発表によりますと、織斑一夏氏はISの操縦適性を有することが確認されました。男性がISを起動させた事例は世界で初めてであり、今回の発表はこれまでのIS研究における常識を大きく覆すものとなります』

 男性。IS。世界初。聞き慣れた言葉が、知っている少年の名へ続いた。

「……は?」

 自分の声が出たのだと気づくまで少し掛かった。

 同じ名前の別人かもしれない。珍しい名でも世界に一人とは限らないだろう。そう考えたところで顔写真が出た。

 箒は湯呑みを置いた。底が天板へ当たり、小さく鳴った。

 本人だった。

 昔のままの顔ではない。それでも見間違えるほど変わってもいなかった。画面へ寄ればもっとよく分かる気がしたが、箒はソファに座ったまま写真を見ていた。

 稽古のあとの一夏はよくあんな顔で笑っていた。箒が何か言えば言い返す。怒ると、ますます面白そうにする。竹刀を持っているときだけ静かにしていればよいというものではないのに、ちっとも分かっていなかった。

 屋根のことを思い出した。

 一夏が勝手に登ったのである。直すと言ったものを壊せとは言っていない。本人に尋ねれば、下から登れと言ったのは箒だと答えるに決まっていた。

『そんなつもりではなかった』

 あのときの声はすぐに思い出せた。世界で初めて何かを成し遂げた人間の声としてより、こちらの言うことを素直に聞かない少年の声として覚えていた。

 箒は写真へ目を戻した。

 最後に会ってから随分経った。転校続きの生活。友人を作る間も与えられず、いつしか友人がいない状態に慣れてしまった。人間関係の希薄さを忘れようとしたのだろう、剣道への熱意がますます強まった。

 中学校でも転校は何度かあった。感慨もなくなっていた。剣道は着実に成果を出し、試合に勝つ頻度は着実に増えた。その間の一夏の暮らしは何も知らない。幼馴染ではあるが……幼馴染という、昔の関係性しか、一夏とはつながりが残されていなかった。

 リモコンを取って別の局へ変えた。

 同じ写真が出た。名前も変わらない。放送局を何度か切り替える。リモコンの操作もあやふやで、リモコンが小刻みに震えていた。どのチャンネルでも速報を伝えていた。素性の知れない専門家が、ISというマシンの『神話』について論じていた。

 箒は最初の番組へ戻した。誤報を見つけようとしていたのか、違う説明を探していたのか、自分自身でも判然としなかった

 少なくとも、あの名前を見間違えたのではない。

「どうして……」

 続く言葉が出て来ない。

 どうして一夏が。いつ、どこで起動させたのか。箒の知らない間に何かあったのか。聞きたい順に並べることもできない。

 生中継の画面はスタジオから官邸へ変わった。無数に焚かれるフラッシュの中を閣僚の一人が壇上へ向かう。形式的な挨拶もそこそこに一問一答での取材へ移行する。整然と並べられた椅子に座る記者が次々に挙手をして、国旗を背にした報道官が順に指名して、マイクが巡っていく。

 

「――関係者への聴取と機体解析により、起動は事実と確認され――」

 

「――今後も政府は関係各所と密に連携し原因調査を継続し――」

 

「――現時点で政府から公表できる情報は限られており――」

 

 ここで記者席から不服の声が続出した。

 報道官は無感情に声を張り、原稿を読み進める。

 

「本事案について政府も非常重大の案件と捉え、あらゆる法的要請を関係各所へ行なっている最中である」

 

「ついては報道各社はより一層の順法精神に基づく節度ある取材を行なっていただきたい」

 

「違法行為に対する摘発を全力で実施するよう警察庁始め関係省庁へ通知が完了している」

 

 音量を元へ戻す。そこにある一夏の写真は見覚えがあるのに、いつ撮ったものか分からない。今どこにいるかも映してはくれなかった。

 

 箒はようやく立ち上がった。

 夕食を作らなくては。段取りが変わったわけではない。台所へ行って冷蔵庫を開けると、昨日買った野菜と肉があった。いつもなら手を伸ばす順番まで決まっている。

 何を作ろうとしていたのだったか。

 扉を開けたまま考えた。冷蔵室の空気が足元へ落ちてくる。しばらくして気づき、何も取らずに閉めた。

 時計を見た。米を炊くなら今である。

 容器を出し、いつもの量を量る。水を入れれば白く濁った。手を動かしている間は意識を集中出来た。止めると、さっきの名前が戻ってきた。

 一夏は夕食を食べているのだろうか。

 箒は手を止めた。世界の常識が変わろうとしている。歴史の分岐点を目の当たりにして。思いついたのはそんなことだった。あの自宅で食べているのか。明日も学校へ行くのか。本人に会えたなら、まずその辺りから聞く気がした。

 炊飯の支度を終えて鍋を出した。今朝使った野菜の残りがあった。先に使うと決めていたのをようやく思い出す。

 切ったものを器へ移し、包丁を置いた。何もかも忘れてしまったわけではない。今日も夕食は作れる。自分の食事を用意しても一夏へ何かしてやることにはならないが、少なくとも手は動いた。

「……落ち着け」

 口に出してみても、それだけで静まるものではなかった。

 分かったのは政府が一夏の適性を発表したことだけである。どうして動いたかはまだ知らされていない。本人がどんな気持ちでいるかなど、なおさら分からなかった。

 聞けばよい。

 そう思ってから、聞くための連絡先がないことを思い出した。

 箒は鍋の火を弱めた。昔なら呼びに行けばよかった。織斑の表札が掲げられた家までの道は鮮明に覚えている。だが、記憶は幼い頃のものだった。電話番号を覚えていない。メールアドレスを聞くタイミングもないまま、別れてしまった。会わないあいだに増えた距離はこういうときにはっきりする。

 居間へ戻ると専門家の話が続いていた。

 各国がどう動くかを予想している。

 本人の声を待っていたのだと気づいたが、何度見ても同じ映像だった。

 箒はリモコンを取り、電源ボタンを押した。

 *

 食事が済む頃には夜になっていた。

 皿を流しへ運んだところで、何を食べたかをきちんと思い出せないことに気づいた。作ったものは分かっている。それなのに味よりニュースの言葉の方が残っていた。

 世界初の男性IS操縦者。

 皿を洗いながら考えても、その肩書きと昔の少年がうまく重ならない。水を止め、布巾で手を拭いた。居間には携帯電話が置いてある。

 画面をつける。連絡先の一覧を出した。

 一夏の名前がないことは分かっていた。それでも誰かに話せば、少しは整理できる気がする。事情を説明できる人間ではなく、こちらの話を聞いてくれる相手が欲しかった。

 何人かの顔を思い浮かべた。どこから話せばよいのだろう。幼馴染がニュースに出た。男なのにISを動かした。その二つだけを話しても、相手にはニュースの説明と同じに聞こえるかもしれない。

 箒は電話を置き、机の引き出しを開けた。

 十一月の適性検査の通知があった。Cという判定を見る。関わりたくないと思っていたはずなのに、高い評価ではなかったことに腹を立てた。自分でも面倒な気持ちだと分かっていた。

 あのときはミーシャに話した。

 箒は紙を出さずに見つめた。世界でただ一人という評価はこの一文字よりずっと大きい。一夏が誰にもできなかったことをしたと聞いて、羨ましいと思ったのだろうか。

 ただ心配なだけだと言い切れば簡単だった。だが同じ言葉が何度も気になる理由はそれだけでもない気がする。自分が高い評価を欲しがったことまで、なくなったわけではない。

 ではあの写真のところへ自分を置いたら嬉しいか。本人の声も出ないまま、周りが勝手に説明し続ける。その想像には頷けなかった。

 引き出しを閉めた。Cの判定と世界初の肩書きを比べても、一夏が何を望んだかは分からない。自分と同じだったと決めるには知らないことが多すぎた。

 居間へ戻り、携帯電話を取り直した。

 *

 ミーシャの名前を選んだ。

 長い文を書きかけて消す。何から説明するかをここで全部決める必要はない。話せるかと聞けばよかった。

『一夏の発表を見た。落ち着かない。相談したいことがある。話せるか』

 読み返した。昔の話も検査の話も書いていない。しかし今の自分が伝えたいことにはこれで足りていた。

 以前に一夏の名前を出したとき、ミーシャが頷いたことを思い出す。知っているのは名前だけかもしれない。それでも、幼い頃から説明を始めるよりは話しやすかった。

 送信した。

 届いた文が画面へ移る。箒は両手で電話を持ち、返事を待った。誰に話すかが決まっただけで、少し肩の力が抜けた。

 数分後に電話が震えた。

 すぐ画面を見た。ミーシャからだった。翌朝に六壁神社で合流するという。携帯電話は電源を切り、自宅へ置いてくるようにとも書かれていた。

「……六壁神社?」

 もう一度読んだ。会うつもりはあるらしい。それは分かった。しかしなぜ明朝なのか。今夜少しでも話すわけにはいかないのだろうか。

 事情を知っているのかと尋ねたかった。何か分かっているから、携帯電話を置いてこいと言うのかもしれない。待ち合わせの理由がないだけで、考えなくてよいことまで増えてくる。

 箒は返信を入れた。なぜ明日の朝なのか。今少し話せないか。送って待つ。

 返事は来なかった。

 追加の文を書いた。さっきの文と大して変わらない。読み返してから、それでも送った。

 画面に通知は増えない。

 手が離せなくなったのかもしれない。もう眠ったのかとも思ったが、ついさっき返事を寄越したばかりだった。箒は通話を選んだ。

 繋がらなかった。間を置いてもう一度試しても同じだった。

「……電源を切ったのか?」

 呟いてから画面を見た。自分で切ったのか、何か別の事情があるのか。表示を眺めても答えはなかった。

 翌朝に六壁神社で会う。今ある約束はそれだけだった。

 箒は電話を机へ置いた。すぐに取り直してしまう。新しい通知はない。伏せて置いても、裏側から画面の光が漏れた気がして手が伸びた。

 何も変わっていなかった。

 今夜のうちには返事が来ないのだろう。そう考えるまでに、何度も同じ文を読むことになった。

 *

 箒の居間では時計が進んでいた。

 ソファへ背を預け、天井を見上げる。何もできなかった気がした。ニュースを見て驚き、食事を作り、片づける。ようやく連絡を取った相手とも、話は翌朝へ持ち越された。

 電話を伏せたまま立ち上がった。

 起きる時刻を確かめて服を出す。携帯電話を置いていくなら、時刻も場所も別に覚えておく必要がある。紙へ書いて鍵の横へ置き、考え直して上着のポケットへ移した。

 理由を聞きたい気持ちは消えなかった。それで会う約束まで投げ出すつもりもない。言われたとおりに何も考えず待っていたと思われるのはなおさら嫌だった。

 明日会ったら聞く。

 今夜どう感じたかも伝える。そこまで決めると、ようやく次にすることが思いついた。

 台所へ戻って火を確かめた。戸締まりを見て、使っていない部屋の灯りを消した。いつもなら考えずに終える作業だった。今は一つ済むたびに、少しだけ落ち着いた。

 居間へ戻る。伏せた電話はそのままにした。

 明日の場所と時刻は決まった。ほかの答えを同じ画面へ何度求めても、今夜は増えそうになかった。

 箒は最後の灯りを消した。窓の外では杜王町の夜が更けている。

 世界の常識が変わる日だと、テレビの中で誰かが言っていた。箒にはまだ、その名前を知っているというところから先へ進めなかった。

 

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