Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
六壁神社の参道へ朝日が差していた。
箒は木々の間を足早に抜けた。石畳にできた日向と日陰を、順番に踏んでいく。携帯電話は自室へ置いてきた。上着のポケットには昨夜書いた時刻のメモが入っている。
背後に御神体の山を控えた拝殿の前で、ミーシャが待っていた。参道を向き、いつものように静かに立っている。腕時計を何度も見たりはしていなかった。
箒は最後の石段を上がった。歩いているあいだに考えた文句が幾つもあったはずなのに、相手の顔を見ると名前が先に出た。
「……ミーシャ」
「来たね、箒」
箒は頷き、ゆっくり息を吸った。ミーシャは話し始めるのを急かさなかった。こちらが顔を上げてから口を開く。
「まず、昨日の指示について説明しておくよ」
「……指示?」
「携帯電話の電源を切って、自宅に置いてくるように伝えただろう。その理由」
「あれか。事情があるとは察したが」
「情報機関による盗聴やハッキングを警戒した」
回りくどい前置きはなかった。箒はその言葉をもう一度、頭の中で繰り返した。
「今回の発表は各国の情報機関にとっても重要な意味を持つ。日本政府が織斑一夏を世界初の男性IS操縦者として公式に発表した。ISの運用や研究、各国の安全保障に影響する可能性がある以上、彼について情報を集めようとする組織が動いても不思議じゃない」
「情報、機関」
「政府や軍の情報機関だけとは限らない。ISに関係する企業や研究機関、それらとつながりのある組織も、独自に情報を集めようとするかもしれない」
脅かそうとしている声ではない。授業のあとに本で読んだことを話すときも、ミーシャは同じ調子だった。だからといって軽く聞き流せる内容でもない。
「調査の対象は一夏本人だけとは限らない。彼と親しかった人間、彼の過去を知る人間、彼について何らかの情報を持っている人間も、情報収集の対象になる」
箒は相手を見直した。一夏の話をしていたはずなのに、自分のことへ近づいてきた。
「……私もそうだと?」
「可能性はある。可能性というだけだけれどね」
昔どこで一夏と遊んだか。何を話したか。そのようなことまで調べる者がいるのだろうか。
箒は口を閉じた。自分が思い出として覚えているものを、知らない誰かが情報として欲しがる。その考え方には慣れていなかった。
「そこで重要になるのが携帯電話だ」
「どう接続する」
「インターネット回線につながっている以上、常にハッキングのリスクを抱えている。デバイス側でもアプリケーション側でも対策はしている。これが万能でも絶対でもないことは言うまでもない。もしハッキングされればあらゆる情報が筒抜けだ。それにGPSで現在地を特定出来るし、逆に盗聴盗撮機能を持ったアプリケーションを忍び込ませることだって出来る」
「だが、私の携帯電話が、そんな簡単に……」
「リスクを避けるには最善だった。もちろん携帯電話を自宅に置いてきたからといって、あらゆる追跡や調査を防げるわけでもない。けれど想定されるリスクは回避した方がいい、そう判断した」
「……私とお前が会うことを、隠すためか」
「そういうこと」
ミーシャは頷いても肯定した。
「相談した内容も、相談したという事実も、第三者へ知らせる必要はない」
箒は参道を見た。鳥居の外を自転車が過ぎた。携帯電話を置いてきても、ここが二人だけの部屋になるわけではなかった。
「だから昨夜、あれ以上のやり取りをしなかったのか?」
「そうだ。詳しい話は会ってからするつもりだった。それに、メッセージで事情を説明しようとすれば、そこで新たな情報をやり取りすることになる。それは望ましくない」
箒は昨夜の画面を思い出した。返事が来ず、同じ文を読み直した。相手は読めないところにいるのかもしれないと考え、何度も通話を試した。
ミーシャの方は最初から、それ以上は返さないと決めていたらしい。
「……私が不安になると分かっていてもか?」
「分かっていたよ」
迷わない返事だった。その早さが、箒には少し腹立たしかった。
「キミが何度も連絡を確認するだろうことも、追加の説明を求めるだろうことも想像できた。それでも、今回は直接会って話す方が安全だと判断したんだ」
「理由は分かった。だが、私がどうするかまで、お前が決めるのか」
初めてミーシャの目が僅かに動いた。
「来るかどうかはキミに任せたつもりだった」
「説明がなければ、選びようがない。お前が何か危ない目に遭っているのかとも考えたのだぞ」
声が拝殿の軒へ響いた。大きく言うつもりはなかった。だが理由を聞いたからといって、昨夜の時間までなくなるわけではない。
「僕は無事だと、一言書けた。そこは僕の判断が足りなかった」
「次はそうしてくれ」
「分かった。ただ、通信の扱いまで同じになるとは約束できない」
「それも、決める前に言え」
ミーシャは頷いた。簡単に自分の考えを曲げる相手ではないと、箒も知っていた。だから今のうちに言っておく必要があった。
もう一度息を吸った。いつの間にか呼吸は戻っていた。
「……それで、私の話を聞いてくれるんだな?」
「もちろん。キミが話したいことを聞くよ」
ミーシャは続きを待った。箒は一度だけ手元へ目を落とした。
「発表を見て、まず名前を疑った。同じ名前の別人ならいいと思ったんだ。そう考えたことも、今は嫌になる」
袖口を指で引いた。こんなことから話すつもりではなかったが、今は先に言ってしまいたかった。
「一夏でなければ、私には関係ない。あのときはそんなふうに考えていたのかもしれない」
「身近な相手の名前を聞けば、驚きも大きくなるよ」
「だとしても、すぐに喜べなかった。私は適性があると分かって、進路を選べると思った。なのに、あいつのことはよかったと思う前に怖くなった」
「本人が喜んでいるかどうか、キミはまだ聞いていない」
「……そうだな」
箒は小さく頷いた。起動できた理由なら研究者が調べるだろう。自分が一夏へ聞きたいことはそこへ辿り着く前に幾つもあった。
「……それに、私は一夏の今の状況を何も知らない」
声が少し低くなった。
「今、どこにいるのか。誰と一緒にいるのか。発表の前後に、何があったのか。本人は何を考えているのか。何も知らないんだ」
「報道ではこれから各国がどう動くかとか、ISの研究がどう変わるかとか、そんな話ばかりだった。無論、重要であるとは理解している。だが……」
言葉を切る。テレビを消したときに言いたかったことも、たぶんこれだった。
「私が知りたいことではなかった」
ミーシャは先を促す言葉も挟まなかった。
「一夏に何があったのか。それを本人はどう受け止めているのか。これからどうしたいと思っているのか。私はそれが知りたい」
箒は道場で向かい合った顔を思い出した。写真の下につけられた肩書きより、自分にはそちらの方がはっきりしている。
「……私は一夏がこれからどうなるのか、それが怖いんだ」
ようやく言えた。口にすると、昨夜から落ち着かなかった理由が少し形になった。
「今までと同じように過ごせるのか。周囲の人間は一夏を一人の人間として見てくれるのか。それとも、世界初の男性IS操縦者という肩書ばかりを見るようになるのか」
手を握った。寒さで固くなった指先が掌へ当たった。
「もし、各国が一夏を自分たちの都合で利用しようとしたら? 本人が何を望んでいるのかを考えず、ISを動かせるという事実だけを理由に、何かを要求してきたら? ……私はそんなことになってほしくない」
「私は一夏の力になりたい。だが、どうすればいいのか分からないんだ」
顔を上げてミーシャを見た。
「私は一夏の連絡先を知らない。今、どこにいるのかさえ分からない。だから本人に直接尋ねることもできない。何かしてやりたいと思っても、何をすればいいのか分からないんだ」
昔の話はいくらでもできる。それなのに今は手紙を送る先さえ知らない。会わずにいた年月を、そんなところで数えることになった。
「……だからお前に相談したかった」
視線が少し下がった。頼もうとしていることが、ようやく言葉になりそうだった。
「お前なら、私が知らないことを知っているかもしれない。少なくとも、私よりは冷静に考えられると思った。何か、私にできることがあるのなら教えてほしかったんだ」
「一夏の居場所は僕にも分からないよ。予想は出来るけれど」
ミーシャの返事は短かった。期待していた答えではない。箒は頷くまで少し掛かった。
「でも、キミが誰かに事情を尋ねようとすれば、その行動を気にする人間はいるかもしれない」
「警察か?」
「警察庁、公安調査庁。内閣情報調査室。それに軍事情報を扱う調別。外国の組織も含めれば、考えられる名前はいくつもある」
「
「陸上幕僚監部調査部調査第二課別室。今回みたいに外国の情報機関の動きまで関わるなら、僕はその名前も考える。ただ、名前が挙がった程度では、その組織の者がここへ来ている証拠にならない」
組織の名はそこで止まった。単語を増やせば安心できるという話でもなかった。
「私は一夏の昔のことしか知らないぞ」
「向こうはキミがどこまで知っているかを知らない。知らないと言っている人を、本当に知らないか確かめたいと思うかもしれない」
「そんなことを言い始めたら、誰にも何も聞けないではないか」
「だから何を聞きたいかを先に決めておく。聞かれるままに昔話をして、相手だけが情報を持ち帰るようなことは避けた方がいい」
箒は知らない大人に昔話をする自分を想像した。幼馴染なのだから教えてほしいと言われたら、答えてしまうかもしれない。
一夏の居場所を知っていると持ちかけられたら、なおさらだった。知りたいことを先に差し出されれば、引き換えに何を話すかまで冷静に考えられるだろうか。
「私は簡単に人を信じると思われているのか」
「一夏の話をしているときのキミは、いつも返事を選ぶのに時間を掛ける」
言い返しかけて止まった。昨夜は知らない番号からの着信にまで期待していた。相手が誰かを確かめる前に、電話を取ってしまった気がする。
「……お前にも、同じことが言えるだろう」
「僕は彼に会ったことがない。その分だけ、距離を置いて考えられる。それが役に立つなら、相談に乗る」
「会ったこともないのに、一緒に考えてくれるのか」
「キミの相談だからね」
そこでミーシャが少し笑った。授業の合間に夕食の話を持ち出すときと同じ顔だった。箒もようやく、いつもの友人としてその顔を見た。
参道に足音がした。
買い物袋を提げた老人が会釈した。二人は道を空ける。老人は拝殿で手を合わせ、袋を持ち直して帰っていった。
調査に来た者には見えなかった。見えないだけだと言われれば、そのとおりなのだろう。しかし通る人を全員気にしていたら、何の話もできなくなる。
箒は老人の背からミーシャへ目を戻した。
「一夏に連絡できそうな人を、探したい」
「昔の住所は分かる?」
「覚えている。だが、今もそこに住んでいるかは分からない。千冬さんの仕事のことも、私は詳しく聞いた覚えがない」
口にしてみると、持っている手掛かりはどれも昔のままだった。覚えている家へ行けば一夏が出てくる。そんな都合のよい場面を、まだどこかで思い描いていた。
「会えると決まってから行くべきだと思うか?」
ミーシャはすぐに答えなかった。箒の方へ問いを戻した。
「約束がないまま行けば、会えずに帰ることもある。キミはそれでも行きたい?」
「行きたい」
今度は迷わなかった。知らないから行きたいのだと、ようやく言える気がした。
「だが、勝手に病院を探し回ったりはしない。会えないなら、手紙を預けられるか聞きたい。今の私にできるのはそれくらいだろう」
「手紙なら、会いに来いとだけ書くのはやめた方がいいかもね」
「なぜ、そんなことを書くと思う」
「キミなら書きかねない」
箒は口を尖らせた。稽古を休んだ一夏へ同じような文句を言った覚えがある。しかし今は来たくても来られないのかもしれない。
「返事は急がなくていい、と書く」
「それなら、受け取った彼が決められる」
「ああ。会いたくないと言われたら……そのときは考える」
拒まれても平気だとまでは言えなかった。何年も会っていない自分が急に訪ねていくのである。心配しているから歓迎されるとは限らない。
そう認める方が、テレビで聞いた難しい話より胸にこたえた。ミーシャは言い切れなかったところを責めなかった。
「東京へ行くなら、僕も行こうか」
箒は思わず顔を上げた。
「いいのか?」
「まだ日程も決まっていないのに、全部任せたような顔をしないでくれよ。宿も、交通費も、それぞれ相談して決めるんだ」
「分かっている。一夏に会わせろと頼んでいるのではない」
「それならいい。僕にも、彼の居場所を見つける約束はできないから」
会えなかった場合も考え、帰る日は先に決めようとミーシャが言った。箒は二泊三日なら準備できると答えた。
まず学校の予定を確かめる。必要な連絡を済ませ、宿はそれから決める。駅までの足と帰りの時刻まで話したところで、箒は覚えきれなくなった。
いつもなら携帯電話へ書き込む。今日は二人とも持っていなかった。
「紙くらい持ってくればよかったな」
「帰ってから、忘れる前に書こう。今ここで予約はできないし」
ミーシャが決まったことを指で数えた。二泊三日。学校の予定を優先する。帰る日を延ばして待ち続けない。
最後には少し迷ったが、箒は頷いた。会えるまで帰らないと言えば決意らしく聞こえる。それで誰かに無理を頼むことにもなりそうだった。
指先を開く。話しているうちに、朝からの冷たさが少し取れていた。東京へ行くだけで解決するわけではないが、画面を見続ける以外の予定ができた。
「旅先の食事は僕に少し任せてくれる?」
「もう、その話か」
「三日もいるなら、食事は何度もするだろう」
「一夏に会えるかもしれないのに、店のことまで考えられるか」
「会えるまで、何も食べないつもり?」
昨夜の夕食を思い出した。作り、食べ、皿も洗ったはずだった。ところが味はよく覚えていない。一夏に会えるまで同じことを続けるつもりかと聞かれれば、困ってしまう。
「……食べる」
「じゃあ、店の候補も考えよう。会えなかった日に、空腹まで抱えて帰る必要はない」
ミーシャらしい理屈だった。箒は息を吐いた。こんなときにも店を考えるのかと思う一方で、それがいつもの会話でもあった。
「私も調べる。お前の好きな店ばかりになっては困る」
「いいね。旅行の計画は二人で立てるものだから」
「今朝の待ち合わせも、そうしてほしかった」
ミーシャは一瞬黙った。今度は言い訳せず頷いた。
拝殿の影が石畳へ延びていた。箒は鳥居の向こうを見る。家には昨夜のやり取りが残った携帯電話がある。次に入れる文は返事を急かすものにはしたくなかった。
日程を決める。それから手紙を書く。
一夏に何が起きたかはまだ分からない。本人の言葉を聞きたいという気持ちだけは誰かの予想で済ませたくなかった。
「帰ったら、空いている日を送る」
「待ってるよ」
二人は並んで参道を下った。ミーシャはいつもの速さで歩いている。箒も急がず、その隣を歩いた