Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
ホテルの車寄せで箒は足を止めた。
都内の幹線道路から一本入った通りだった。ガラス扉を隔てた向こうに磨かれた床と広いロビーが見える。二人で目星をつけた宿とは雲泥の差がある。
「……随分と立派なホテルだな」
自動扉が開いた。中へ入りながら、もう一度天井を見上げる。
「そうだね。もっと普通のビジネスホテルかと思っていたよ」
ミーシャも辺りを見ていた。
東京駅でヒメノとハヤカワに別れ、迎えの公安の車へ乗った。
運転手はここで引き継ぐと言い、玄関まで案内して去った。
どこへ行けばよいか迷う時間はなかった。フロントから壮年のホテルマンが出てきた。こちらへ向かって真っ直ぐ歩いてくる。
「篠ノ之様、グラハム様でいらっしゃいますね」
「はい」
「お待ちしておりました。お部屋のご用意は整っております」
丁寧に切り揃えた黒髪を、整髪料で固めている。
黒い蝶ネクタイがいやに眩しい。
現実感の薄さに箒は一瞬、目眩がした。ふと意識が現実へ戻ったときホテルマンはロビーの一画にあるラウンジを示していた。
「……お二人をお待ちのお客様がいらっしゃいます」
「……待っている?」
箒は眉を寄せた。客室の説明より先に会う相手がいるらしい。
「はい。ヒメノ様、ハヤカワ様の上司と伺っております」
その紹介をされて安心した。あの黒服の刑事たちは箒の中で悪印象を抱く要素がなく、ならば上司も同様だろうと思った。
ラウンジの最も奥まった席へ通される。
二十代の半ばか、その少し上に見えた。白いワイシャツに黒いネクタイとスラックス。ロングコートも黒だった。毒々しいほど赤い髪を一本の三つ編みにし、顔の両側へ長めの髪を垂らしている。
衣擦れひとつなく女が立ち上がる。
振り向いた女の目に、息を飲んだ。
金色の瞳だった。虹彩の中へ同心円が幾重にも重なって見える。光の加減かと思っても、目を逸らすまでその模様が残った。凝視しそうになる異様な眼光だ。そのまま意識が虹彩の奥底へ誘われてしまいそうで、ミーシャは目を逸らしたのだった。
「こんにちは」
柔らかな声だった。
雰囲気に反して高く聞こえる。
「篠ノ之箒さんと、ミーシャ・グラハムさんですね」
「……はい」
箒が答えると、女が少し笑った。
「はじめまして。私はマキマといいます。警視庁警備局警備企画課というところにいます」
警察手帳を開き、二人へ向けた。
「今日、新幹線で一緒だった早川くんと姫野さんとは同じ部署です」
「ああ……」
なるほど、と箒は頷いた。
どういう部署かは説明がなかった。質問しても答えが返ってくる気配でもない。同じ警視庁でも南雲しのぶとはまったく違う雰囲気を感じた。
マキマは手帳をコートの内側へしまい、二人にソファを勧めた。
「車内で牛タンの話をしていたそうですね」
ミーシャが少し目を開いた。
別れて十分と少しだ。もう報告が届いていた。
旅の途中の他愛ない会話まで筒抜けだった。
「快適な旅路で安心しました」
二人が座ってからマキマも腰を下ろした。
コートの裾を整え、鞄から封筒を取り出し、テーブルへ置いた。
「ホテルについて、いくつか説明したいことがあります」
挨拶のときと同じ声だった。
「難しい話ではありません。ただ、今回の旅行は特別な状況だということは南雲警部補から篠ノ之さんへ説明があったと思います。そのためのちょっとした決まり事と思ってください」
マキマは封筒から用紙を取り出した。
「二人が東京で安全に過ごすためのマニュアルです」
折り畳まれた紙を開き、一枚目を確かめる。
「宿泊費は我々で負担します。お部屋も同様、我々で手配しました」
「そこまでしていただく理由が分かりません」
マキマは問いを聞いてから頷いた。
「我々の都合で指定した施設です。費用の責任もこちらで負います」
警察の都合であることは隠さなかった。箒は部屋の値段を尋ねかけ、やめた。
「決まりというのは?」
ミーシャが先を聞いた。
「三つあります」
金色の瞳が二人を見つめた。
「まずは終日、一人で客室から出ないこと」
「二人であれば問題ないのですか」
箒の問いにマキマは微笑みながら頷く。
「はい。時間を問わず、観光でも買い出しでも、外へ出るときは必ず二人一緒にいてください」
先に頷いたのはミーシャだった。
「箒と一緒に行動すればいいんですね」
「はい」
「それなら問題ありません。もともと、そのつもりでしたから」
「よかった」
マキマも頷いた。一つ目の確認はそれで済んだ。
「では二つ目です」
そのまま次へ話が移った。
「お部屋の清掃については毎日、私たちが指定した女性クルーに担当してもらいます」
「……清掃、ですか」
「はい」
今度はミーシャが首を傾げた。
「ホテルの従業員の方から?」
「そうです」
「警察が指名した方だけが、清掃に入るんですね」
「ええ。一般の清掃スタッフとは別に、私たちで専属のスタッフを決めましたー
マキマは予定を知らせる調子で答えた。
「宿泊中は担当者がお部屋を清掃します。女性のみを選定しました」
この規定はむしろ安堵感を持った。
巨大と言い表すには語弊があるものの、部屋数を考えればや清掃担当の従業員も相当数がいる。公安捜査官が「管理体制を整えた」と言っている。客室を出入りする人間の監視は万全ということらしい。
「清掃員もルームサービスも、必ず私の部下が二人いっしょにいます。」
さらに付け加えて、マキマの視線は次の紙へ移った。
「次で最後です」
ミーシャはマキマの笑みを見た。
観察するのは癖のようなものだ。
この表情には、何の感情もなさそうに思えた。仕事上その方が都合がいいから、とりあえずしている。そんな機械的な印象を受けた。同じ公安捜査官でもヒメノやハヤカワは人間味があったから、落差の激しさに邪魔されてマキマの輪郭がボヤける。
「携帯電話のGPSは常に作動させておいてください」
「……GPS?」
聞き返したのは箒だった。
「はい。位置情報の機能ですね」
マキマは自分の携帯電話を出した。
「二人の携帯電話に、位置情報を確認できる設定をしてもらいます。ホテルにいるときも、外出しているときも、切らないでください」
「……それは」
箒の眉が寄った。機能の説明なら分かる。気掛かりなのは機能を使用した結果の部分だった。
「私たちがどこにいるのか、警察が常に把握するということですか」
「そうなります」
隠すような返事ではなかった。
「……監視ではありませんか」
箒の声が硬くなった。マキマは不機嫌にもならず聞いていた。
「そう感じるのは自然なことだと思います」
共感を示すような口調だった。
「
答える顔にはやはり笑みがあった。
我々。私たち。我々。私たち。ミーシャの脳裏では、人称のブレが妙に引っかかっていた。こんなものは言葉のあやだ。神経質になり過ぎていると自分を言い聞かせてみても、違和感はずっと晴れずにいる。
「……ですが」
「篠ノ之さん」
名前を呼ばれた。声は大きくないのに、箒はその先を言いかけて止めた。
「あなたたちの旅行を邪魔したいわけではありません」
「…………」
「二人には自由に東京を楽しんでほしいと思っています」
マキマが少し首を傾げた。
「そのために必要な約束だと考えてもらえませんか?」
一緒に出かけるだけなら、初めからそのつもりだった。清掃に入る人間が決まり、外出すれば居場所が伝わる。条件を重ねてから自由だと言われても、箒はすぐに頷けなかった。
段々と狭まっていく首輪を掛けられた気分がする。
ゆっくりと支配を飲み込むよう、仕向けられているような……。
「マキマさん」
ミーシャが静かに呼びかけた。
「はい」
「位置情報を確認できるのはどなたですか?」
「担当の捜査官です」
「全員、ということですか」
「いいえ。私を含め、最低限です」
「なるほど」
ミーシャは頷いた。最低限という言葉のニュアンスまで確かめることはしなかった。仮に尋ねたところで具体的な回答を得られるはずがない。
だが。分かったこともある。手元の収穫でミーシャは満足した。
「分かりました」
「ほかに聞きたいことはありますか?」
「一つだけ」
「どうぞ」
「携帯電話の電池が切れた場合はどうなりますか?」
マキマが僅かに笑った。用意してきた説明の順番へ戻ったらしい。
「先を越されちゃった」
砕けた口調である。声と合わせると更に幼い印象が強まる。
真っ白な持ち手つきの袋が二つ、テーブルへ置かれた。
「これを使ってください」
中身はモバイルバッテリーとモバイルルーターだと説明された。
「未使用です。就寝前に充電すれば、朝には回復します。旅行中は常に持ち歩いてください。都内はあちこちに無料Wi-Fiがありますが、それらは使用しないこと」
「なるほど」
「分かりました」
箱を元へ戻す。もう一つは箒の前にあった。
「僕は普段から持ち歩いていますけど、予備があるのは助かります」
「そう。それなら安心ですね」
箒も箱を受け取った。三つの条件へ頷いて返事をする。マキマはそれを聞き、封筒を片づけ始めた。
「ありがとう。話が早くて助かります」
「お部屋にも書類を置いてあります。と言っても、いま説明したことの繰り返しです」
眼力が頭上から降り注いでくる。マキマが立ち上がったのだ。
「ああ、そうだ。篠ノ之さんのお家について書いた書類もあるんだ」
「……家の?」
「ええ。こちらで把握しているご自宅について。緊急性があるわけではないから、そこは安心してくれて大丈夫」
実家の報告というところが耳に残った。箒は頷いたが、何が書かれているかを考え始めていた。
どんな表情をしているか見たくない。ミーシャはこの公安捜査官がどうにも苦手だった。
「それからもう一つ。早川くんたちから聞いたのですが」
囁くような、含み笑いを帯びた声だった。
「織斑一夏くんにも、会いたいんでしょう?」
箒の肩が僅かに固くなった。
「……当然、心配しています」
今ここで名前を出されるとは思っていなかった。世界の何が変わるかより、元気でいるかを聞きたい相手だった。箒は膝の上の手を握った。
「……会えるのですか」
即答はなかった。箒の様子を念入りに確かめ、ようやく微笑んだ。
「条件が整えば、会えるかも」
「……本当ですか!」
箒は思わず身を乗り出した。
「そうだね」
その動きを見てもマキマの調子は変わらなかった。
「
時間が要るから、最終日にはなっちゃうね――マキマの口調は面談中よりずっと軽かった。
「……最終日」
「そう。最終日」
ただし、と言う代わりに説明が続いた。
「もちろん主治医の先生がダメと言ったらどうにもならない。まあ、そこは心配しなくていいよ。私の方でもある程度把握してるから」
箒は息を呑んだ。会えないまま帰るかもしれないと、何度も考えてきた。今は最終日という日付が出ている。
手紙を入れた鞄へ手が伸びた。
「何事も、なければ……」
「さっきの約束を守ってくれれば大丈夫。どれもカンタンなコトでしょう?」
箒の返事を待ち、マキマが頷いた。
「私も頑張らないといけませんね」
ミーシャは話の順番を覚えておいた。条件を承諾したあとに面会の話が出た。清掃担当者の選定や位置情報を確かめても、一夏の面会希望は分からない。だが説明を続けて聞くと、同じ約束の中へ入っていた。
しかも決まったわけではない。問題がなければ調整できるという話だった。箒が期待だけで先へ進む前に、確かめたいことがあった。
「マキマさん」
ミーシャが口を開いた。
「はい」
「一夏さんとの面会について、僕からも確認していいでしょうか」
「もちろん」
「面会が実現する場合、本人には事前に僕たちのことを伝えていただけるんですよね」
「そうだよ」
「その上で、一夏さん自身が会いたいと思ってくれた場合に、面会するということでしょうか」
マキマは頷いた。
「分かりました」
ミーシャは微笑んだ。
「それなら安心です」
ミーシャは笑って頷いた。箒もそちらを見た。
神社で自分も話したことだった。会いたいだけで相手の都合を置いていくわけにはいかない。
「本人に、私が来たと伝えてください。それで、会ってもいいと言ってくれたら」
マキマが頷いた。その金色の目が二人の顔を順に見た。
「とても仲がいいんだね」
褒められたのか、確かめられたのか。ミーシャは同じ笑顔で返した。
「友人ですから」
答える声は普段と変わらなかった。
「そういうことなら、なおさら二人で楽しい思い出を作ってください」
マキマが立った。コートの裾が足元へ落ちる。
「説明はこれで終わりです」
二人も席を立った。フロントと担当者へ連絡できることを聞き、ラウンジの入口でルームキーを受け取る。マキマは面会について後で連絡すると伝えた。
エレベーターの扉が閉まるまで、その笑顔は変わらなかった。箒には頼れそうな警察官に見えた。ミーシャは顔だけでなく、条件を話した順番も一緒に覚えていた。
上昇が始まった。鏡の壁へ二人が映る。箒は少し黙ってから息を吐いた。
「会えるかもしれないのだな」
まだ少し声が上ずっていた。
「そうだね。ただ、決まったわけではないよ」
「分かっている。位置情報のことは落ち着かないが、話を伝えてくれる人は見つかった」
ミーシャは頷いた。守る約束が増えても、会えない可能性は残る。今それを何度も繰り返す必要はなかった。
目的の階で扉が開いた。厚い絨毯の廊下を進み、部屋へ入る。ツインの客室には大きなベッドが二つあり、窓際にはテーブルとソファまであった。候補に挙げていた安い宿なら、これだけの家具は置けなかっただろう。
「……すごいな。これも警察の経費なのか」
箒は整えられたベッドを見た。ありがたいと思うのと、申し訳ないと思うのが半分ずつだった。
「用意してもらったんだから使わせてもらおう」
ミーシャは小さな鞄をベッドの脇へ置き、カーディガンのポケットから電話を出した。
「さて、と」
「何をする?」
「位置情報の設定を確認しておこうと思って」
「ああ……」
箒も電話を出した。二人で手順を確かめ、位置情報の共有を有効にする。渡されたバッテリーはそれぞれの鞄へ入れた。
着替えと洗面用具を棚へ収める。箒は手紙の封筒だけを取り直し、鞄の内側へ入れた。ミーシャの方からは見覚えのある密閉容器も出てきた。
「……まだ残っていたのか」
「少しだけ。冷蔵庫へ入れておこう」
容器が冷蔵庫へ収まるのを見てから、箒は窓へ寄った。車が行き交い、遠くには高層ビルがある。この街のどこかに一夏がいた。画面の向こうにいると考えていたときより、近く感じられた。
「箒」
「……何だ?」
「少し休んだら、何か食べに行こうか」
「また食べ物か」
「もちろん。旅行の楽しみだからね」
箒は苦笑した。最終日までずっと面会のことだけを考えていたら、時間はなかなか進まないだろう。
「分かった。付き合おう」
手帳の最終日へ鉛筆で書いた。まだ決まっていない。それでも空いていた欄へ予定ができるのは嬉しかった。
ミーシャは窓辺の携帯電話を見た。共有中と出た画面が暗くなる。こちらの約束は、もう履行が始まっていた。
「清掃の時間も、後で確認しよう」
箒は次の行へ、その用事も書き加えた。