Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
十時前。二人は東京駅の丸の内側に着いた。
箒の背後で赤煉瓦の駅舎が両翼を構えている。高層ビルが林立するオフィス街は、幼い頃に神社の境内から見上げるよりもずっと狭い。
ところが駅舎の前だけは広場が開け、行き交う人も、目的地へ急ぐように見えた。
「……同じ東京でも、まったく別の街だな」
宿を出る前、朝食のトーストが予想外においしくて、箒はミーシャが頼んだクロックムッシュまで味見した。朝から妙に機嫌がよかったのはそれもある。ホテルの玄関を出るときには二人分の携帯電話と充電器を確かめ、警護担当者への外出連絡も済ませた。連絡の確認だけで随分と時間が掛かった。
東京駅へ向かう道では、黒い車が何台も横を通った。朝日を受けた窓が白く光り、横断歩道の縁ではキャリーケースの車輪が石畳を細かく叩いた。箒はその様子を眺めながら、人がこれほど多くても進む方向が自然に分かれていることに気づいた。
「待ち合わせるのも楽ではないだろう」
「合流するなら駅の中の方がいいかも知れないね」
「そうではない。人混みの中から相手を見つけ出せるのかと、そう思っただけだ」
「目印を決めておいた方がいいかも」
「迷子にならなければよい」
「僕も置いて行かれるのは嫌かな」
ミーシャは落ち着いた口調で返した。箒は冗談にしては少し真面目な言い方だと思った。横断歩道の信号が青へ変わり、二人は流れに合わせて渡る。駅前広場へ入ると視界が大きく開けた。
煉瓦の色が綺麗に見える位置へ移ったところで、ミーシャはようやく足を止めた。
ミーシャは駅舎の方へスマートフォンを向けた。レンズを動かしてから撮る。人の顔が正面へ入らない角度を選んでいた。
「写真を撮るのか?」
「うん。煉瓦の色が綺麗だろう? 箒も撮る?」
「私は構わん。……いや、少し待て」
箒は画面を取り出した。写っているのは赤い壁、緑がかった屋根、薄く伸びる朝の雲。慣れない街でも、それだけなら気に入った。
「一枚、私にも送ってくれ」
「もちろん」
撮った写真は一枚だけでは終わらなかった。ミーシャは建物全体を写したあと、煉瓦の接ぎ目が見える近さでもう一枚撮った。箒は同じ建物の写真を何枚も残す理由が分からず、画面を覗き込む。
「遠くからなら形が分かる。でも、近くから見ると材料が分かるだろう?」
「刀剣を見るときと似ているな。全体の姿を確かめてから、地鉄や刃文を見る」
「そう、それだよ。詳しくないものだって、気になるところから近づけばいいんだ」
「ならば、そこの飾りも撮っておこう」
箒が屋根の端を指すと、ミーシャは角度を変えて画面へ入れた。思った以上に拡大が利く。遠目には線にしか見えなかった装飾に、小さな影がついていた。
「目を凝らすと違うものが浮かぶだろう?」
「ああ。一夏に見せれば、なんと言うか……」
「楽しみが一つ増えてよかったよ」
一夏の知らない年月を埋めようと考えていたのに、自分もあいつの暮らしのことは知らない。箒は画面の写真をもう一度開き、まだ見たことのない景色を一緒に見られたらと思った。
通知が鳴った。二人の携帯電話には位置情報の共有を示す小さな印も残っている。マキマから聞いた条件を忘れたわけではなかった。
「……これがなければ、もっと気楽なのだがな」
箒が表示を指すと、ミーシャは眉をわずかに上げた。
「気になるよね。僕も誰がいつ確認するのか、完全には分かっていないし」
「お前でも分からんことがあるのか」
「もちろんあるさ。だからこそ、連絡先と終了条件は控えておいたんだよ」
ミーシャは手帳の小さな付箋を見せた。説明を受けた時刻と担当者の連絡先が記されている。箒が確認できるよう、文字は整っていた。
「何も起きなかったら、予定の終わりに解除を求める。勝手に切れば僕たちの方が約束を破ることになるからね」
「……分かっている」
箒は画面をしまった。苦い顔をいつまでも続けていたくはなかった。東京へ来た目的は一夏に会うことだが、今日はミーシャと見て回る日でもある。
「それより、先に行くぞ。静嘉堂文庫美術館はどちらだ?」
「丸の内仲通りの方へ回ろう。少し遠回りだけど、街並みを見られるよ」
箒は頷き、並んで歩き始めた。
広い歩道には街路樹が続いていた。ビルの一階には磨き上げられたガラスがあり、その奥へ靴や服、鞄などがきちんと並ぶ。朝の光を受けた金属の飾りが、ガラスにいくつも反射した。
ミーシャは何軒かのショーウィンドウを覗いた。時計の文字盤を見比べたり、衣服の仕立てを眺めたり、料理店の昼のメニューを確かめたりしている。箒は、昨日の神保町で古い本を見ていた顔を思い出した。
「ここでも買い物をするつもりか?」
「今日は見ているだけだよ。街の雰囲気を知るのも楽しいから」
「お前の『見るだけ』は信用できん」
「昨日、僕が買った本は三冊だけだっただろう?」
「三冊も、だ」
「うん、まだ欲しいものはあったけど」
「……やはりな」
箒は首を振った。それでもミーシャが棚を眺める時間を嫌だとは思わなかった。見慣れない商品を見つけるたび、何に使うものか教えてもらえたからだ。
道沿いの低い植栽には、水を撒いた跡が残っていた。葉の先から水滴が落ち、縁石の内側へ小さな染みを作る。ビルの壁際には作業服の人がいて、店の扉の鍵を確かめていた。開店の準備をしているらしい。
「箒の地元にも、こういう通りはあるのかな」
「押上に、これほど同じような建物は並んでいなかったな。住宅も商店も神社も、道の途中で顔を見せる街だった」
「覚えているんだね」
「家の近くの道ならな。一夏と歩いた場所も、もちろん覚えている」
言ってから、少し恥ずかしくなった。ミーシャは気づいた様子もなく頷く。
「じゃあ、ここで見たことも話してあげられるね」
「何をだ?」
「一夏君に。東京駅の煉瓦とか、昨日の本屋さんとかさ」
「……病院にいるあいつが、そんな話を聞きたがるだろうか」
「きっと。僕なら、しばらく外に出られなかったら旅行の話を聞きたいと思うよ」
箒は少し考えた。見舞いに行ったらまず何を言うかばかり考えていた。一夏の方から聞きたいことが出てくる可能性はあまり考えていなかった。
信号が変わった。渡り終えたところで、ガラスに二人の姿が映った。
信号を待つ間、箒は店の窓へ映った自分を見た。普段から着ている上着は肩口で少し張り、腕を動かすと袖が手首より上がる。
「……何だ?」
隣から覗いていたミーシャが、気づかないふりで前を向いた。
「いや。あとで一つ相談してもいいかなと思って」
「相談? 服のことか?」
「よく分かったね」
「さっき私の袖を見ていただろう」
「鋭いなあ」
誤魔化す気のない声だった。箒は軽く鼻を鳴らした。
「洗濯をして縮んだだけだと思うが」
「その可能性もあるね。試着してから考えよう。今日は先に美術館だ」
いつもなら続きを聞いてきそうなミーシャが、話をそこで終えた。本人が決める余地を残されたので、箒も追及しなかった。
道の向こうに石造りの古い外壁が現れた。周囲のビルより窓の間隔が広く、柱や飾りにも目が留まる。箒は自然に足を緩めた。
「……ここだけ、随分趣があるな」
「明治生命館だよ。静嘉堂文庫美術館は、この建物の一階に入っているんだ」
「美術館だと言われなければ、役所か銀行にしか見えん」
「かつてのオフィス街の建築でもあるからね。中も見事だそうだよ」
ミーシャは入口の案内を確かめた。美術館の看板には開館時刻が記されている。まだ少し早かった。
「十分ほど時間があるね」
「構わん。朝食の話を聞いてやってもいい」
「あれだけ僕をからかったのに?」
「料理の話はお前の得意分野だからな」
言ってから箒は少し笑った。ミーシャも隣で笑う。
建物の外壁を見上げているうちに、駅から続く人の流れが一度落ち着いた。通りを吹く風はビルに当たって向きを変え、植え込みの葉を僅かに鳴らした。
「いつか、箒の地元にも行ってみたいな」
「ああ。私もだ」
箒は頷いた。以前の自分にはこれほど落ち着いて誰かと会話する余裕がなかった。心のどこかで諦めてしまっていたのだと思う。
どれだけ親密になってもすぐに離別してしまう。
ならば、始めから関わらずとも……。
ミーシャと出会って随分変わった。
同じく一夏も、変わっているだろう。
「……一夏に会ったら、私がどこで暮らしていたかも話そうと思う」
「杜王町のこと?」
「それもある。あいつの知らない間に、私の生活も随分変わった」
「聞きたいことがたくさんあるだろうね」
「お前についても紹介せねばならんしな」
「僕のことは、どう紹介するつもり?」
「……友人だ」
あまりに簡単な返事になった気がして、箒は言い直した。
「杜王町で世話になった、私の大切な友人だ」
ミーシャは少しだけ目を細めた。
「ありがとう。僕もそう紹介してもらえると嬉しいよ」
ミーシャは胸のポケットから小さな手帳を出し、昨日の最後に書いた予定を見せた。『美術館』の文字の下には『昼食』『買い物』とある。最終日の欄には面会のために余白が残されていた。
「この予定、全部回れると思うか?」
「美術館次第かな。箒が展示に夢中になったら、昼食は遅くなるよ」
「先に言っておくが、刀を一振り見るだけで午前中を使うつもりはないぞ」
「一振りだけかな」
小さく笑う声がして、箒は睨むつもりで振り返った。しかしミーシャは予定表を閉じて、既に建物へ向き直っている。
「それより、最後の日の面会はまだ決まっていないんだよね」
「ああ。ホテルへ戻ってから連絡が来るかもしれん」
「今日も電話はすぐ取れるようにしよう」
「承知している。着信音は切っていない」
手帳を鞄へ戻し、箒は改めて建物を見上げた。石の壁に刻まれた線は、隣の新しい建物とは少し趣が異なる。どの時代に建てられたのかと尋ねると、ミーシャは建物の竣工年を説明した。
「古いものを残しながら、この辺りはずっと使われているんだね」
「……そういう街なのか」
「少なくとも、この建物はそうだと思う」
箒は出入口へ並ぶ人々を見た。職員が案内を読み上げ、少し離れたところで旅行客が建物の写真を撮っている。東京の大きな通りであることを、しばらく忘れそうになった。
後ろから追い越した人が二人の間を通ろうとし、箒は反射的に一歩下がった。ミーシャも同じ方へ寄る。
「危ないところだったね」
「お前が手帳に夢中になるからだ」
「今は閉じてるよ」
「私は周りを見ていたぞ」
「うん。だから、ちゃんと避けられた」
あっさり褒められ、箒は言い返す言葉を失った。もう一度、ショーウィンドウの影へ視線を動かしたところで、係員が立ち上がる。
入口の方で係員が準備を始めた。建物を見上げていた箒は、案内板に展示室の位置が描かれているのを見つけた。
「……刀剣の展示があるといいのだが」
「展示替えがあるから、何が見られるかは中で確かめよう。絵や器もあるはずだよ」
「分かっている。お前にも見たいものがあるだろうしな」
「刀の前で長居したって、今日は急かさないよ」
「その言葉、忘れるなよ」
開館を知らせる係員の声が届いた。二人は入口へ向かう。箒は階段の手前で一度だけ振り返り、丸之内の街並みを目に収めた。
次にこの道を歩くころは、一夏への土産話が一つ増えているだろう。
ミーシャに促されて建物へ入った。ガラスの向こうには、まだ見ぬ展示室があった。