Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
箒が立ち止まると、ミーシャも隣で止まった。
明治生命館の一階。静嘉堂文庫美術館の展示室だった。丸之内の街を歩いていたときはミーシャが建物や服の話をしていた。入館してからは、箒の足が止まるたびにミーシャが追いつくことになった。展示替えで何を見られるか案じていたが、幸いにも目当ての刀剣があった。
刀身に沿って目を動かす。切先と刃、それから地鉄。解説を読んで戻ると、また別の箇所を眺めたくなる。
ミーシャは静かに同じガラスの向こうを見ていた。
「……見事なものだな」
「さっきから同じことを言ってるよ」
「それ以外に言いようがないのだ」
小声で答えるとミーシャが笑った。箒も口元を緩め、また刀へ向き直った。
稽古なら刃筋や間合いを考える。目の前の刀は抜いて使うことができない。距離感のおかげで鑑賞に集中出来ている。
「箒はどこを見てるの?」
「地鉄だ。それから刃文も」
「形だけじゃないんだね」
「ああ。細工の一つ一つに技巧が詰まっている」
ミーシャが解説を読み直した。箒の言う場所を探し、少し姿勢を変えて見る。分かったと言って先へ行かないのが、箒には嬉しかった。
「そういえば、箒の実家にも古い刀があるんだよね?」
箒は少し考えた。家の刀を同じ見方で眺めたことはあまりなかった。
「古い刀だ。稽古に使うことはない」
「御神体、というのだっけ」
「そうなる。普段は封印されている」
ミーシャの中性的な顔がこちらを向いた。
「箒の実家って神社だったね」
「ああ。墨田区の、押上という。スカイツリーが近いのだったか」
計画自体は耳にしたことがある。
だが、記憶の中にある地元の景色と、テレビで目にしたあの電波塔は馴染まなかった。工事が始まる前後にはISが発表された。家族が離散することとなったのはそれから間もないことだった。
「刀には銘があると、父の蔵書で読んだことがある」
「父君は刀剣に関心がおありなのだな」
「美術品はなんだって好きだよ。でも現代美術には反応が薄い気がする」
箒の視線が刀身からミーシャへ移った。
「現代美術と美術品は違うのか」
ミーシャは「休憩室へ行こう」と促した。
背もたれのないベンチが置かれた一画へ移る。
休日とあって観光客が何人か座っている。
天井に施された装飾を眺めながら、ミーシャは「テーマがないんだ」と言った。
「……主題がないのは特殊なのか」
美術品がおしなべてテーマを持つと、箒は思っていなかった。
むしろ彼女が詳しいものは刀剣然り茶器然り。本来は実用品である。東京駅の駅舎も同様、歴史的価値はあとから付与されたものだ。美的外観を定義する様式とそれを実現する技術の希少性も、あくまで付属的な要因である。
「箒の考えているのは日用品、実用品から転換したものだと思う。そうした品にメッセージは必要ないよ、だって『そういうものである』以上の説明をする必要がないから」
「絵画や彫刻の方か」
「そういうこと。実用性とか機能性を度外視した、『表現すること』を目的に生み出されたものの中でも、現代美術っていうジャンルはちょっと特殊なんだ」
そこまで言って、ミーシャは珍しく言葉を詰まらせた。
何かを語るとき彼女が沈黙するのは珍しい。箒も急かさず、続きを待った。
余程難解な観念であるなら不承知な自分が割って入っては正確さを損なう。
天井から壁面、足下の床へと視線が移っていく。
俯いて考え込んだあとミーシャは、
「禅、みたいなものなんだ」と歯切れの悪い説明を始めた。
「禅そのものとは違うと?」
「違う。表面的に似ているだけなんだ。僕は禅宗には詳しくない……父も、軽々しく手を出すべきではないと言って、教えてくれなかった。僕に聞かせてくれたのは
箒は驚きのあまり背筋が伸びた。
まさか、禅と縁もゆかりもないアメリカ人が禅の本質を示し、正しく伝えているとは思わなかった。
もちろん箒自身も禅宗を学んだわけでない。精神集中のために座禅をするくらいだ。禅の言葉である必要性すらない、ただの瞑想と表現したって意味は通じる。どころかそちらの方が性格であろうと思う。
ミーシャは現代美術について「存在しない答えを推測させるもの」と表現した。
「禅は言葉を否定する。言葉を否定する問いへ、言葉に頼らず答えを導く。だから答えそのものは存在しているだろう? けれど現代美術はいくら考えたって答えがない。問うことそのもに意義があるならそれも良いけれどね……最近は『答えを理解出来た』という建前のために答えを持たせず、『答えを理解出来たからこの作品には価値がある』と宣言するんだ」
ここまで説明されて、ようやく箒はミーシャの父親の真意を理解出来た。
思考を言葉に出来たのに満足したらしい。
ミーシャは空いていたベンチへと座った。
箒との身長差がますます拡大した。
「箒の家にある刀には銘があるの?」
「無銘だ。無銘刀、伝光忠。緋緋光忠と呼ぶ方が多かった記憶がある」
箒は一度息を整えた。話したいことが増えると、つい声が大きくなりそうだった。
「通称には由来がある。太陽光を浴びると刀身が緋色に輝くのだという」
「日を映すから?」
「伝説では刀身にヒヒイロカネが使われているからだそうだ」
ミーシャの眉が少し上がった。
「それなら御神体として大事にされるのも分かる」
「伝説だぞ。学術調査をしたわけではない」
「分かってるよ。でも、そういう話と一緒に伝わってきたものなんだろう?」
箒は頷いた。作りや伝来を聞かれると思っていた。その答え方は少し予想と違った。
「神事では取り出して神楽舞に用いる。私が幼い頃には母が舞っていた」
「箒も見たの?」
「ああ」
「緋色に輝くところも?」
すぐには答えなかった。
白い袖と、扇についていた鈴を思い出した。母の手の動きに合わせて刀身が現れる。記憶の中のそれは緋色の刃として記憶に残っていた。
「……淡い緋色の光を帯びて見えた」
ミーシャは続きを待った。
「向きが変われば消えると思った。だが次に見えたときも、やはり刃の辺りが緋色だったのだ。小さかったから、見間違えたと言われればそれまでだが」
「箒が見たときはそう見えたんだね」
「ああ」
それ以上は説明できなかった。ミーシャはもう一度頷き、展示へ目を戻した。見たものを先に否定されずに済んだ。
「いつか神楽も見てみたいな」
「……その機会があればな」
短く答えた。自分も母の真似で扇を持ったことは今は言わなかった。
刀剣を離れても歩く速さは変わらない。器の釉薬に出た色を比べ、絵の前では少し下がって全体を見た。ミーシャは描かれた人物の手元を見つけ、箒は衣の線を追った。
何を見ていたか聞くと、自分の見落としたものが出てくる。同じ展示の前へ戻ることもあった。
「君のお父さんも、こういうものを見せてくれたのか」
箒の問いにミーシャが顔を上げた。
「育ててくれた方の父なら、よくね。説明を聞く前に、まず自分で見るように言われたよ」
「難しそうだな」
「分からなくてもいいんだって。ただ、気に入ったところまで借り物の言葉にしなくていいと」
ミーシャは器の前へ戻った。箒も並んだ。
しばらくして、先ほどのものよりこちらが好きだと言った。なぜかと聞かれるとうまく言えなかった。しかし答えを急かされなければ、もう少し見ていてもよい気がした。
ガラス越しの光が変わったことに気づいて時計を見た。昼を回っていた。展示室の出口まで来ても、箒は最後の展示へもう一度目を向けた。
「……随分と長居したな」
「午前中で出られるとは思ってなかったよ」
「分かっていたのか」
「箒が刀の前で立ち止まったときにね」
言い返しかけてやめた。箒自身、まだ少し見ていたかった。
「付き合わせて悪かった」
「僕も楽しんでいたから、お詫びはいらないよ。そろそろ何か食べたいけど」
「ああ。それには賛成だ」
丸の内で昼食を取ることにした。
入口のメニューを箒が読み、ミーシャが横から覗く。そのたび昨日のようなものは頼まないと言った。昨日の夕食ではないから大丈夫だと返されても、箒にはまだ信用できなかった。
席へ着けば二人ともよく食べた。展示の話をしているうちに皿が空く。最後には気に入ったものをそれぞれもう一度挙げることになった。
「刀の話なら、まだ続けられそうだね」
「お前も器の前では長かったではないか」
「うん。また来たいと思ってるよ」
箒は頷いた。ミーシャの気に入ったところを聞くと、自分だけでは見過ごしていた場所も、覚えておきたくなった。
店を出ると午後の光が窓へ映っていた。鞄の持ち手を直し、次の予定を聞こうとミーシャを見る。
「もう一か所くらい、見て回るか」
「そうだね。今度は服を見よう」
「……服?」
頷く顔は美術館で話を聞いていたときと同じだった。ただし今度はこちらの服を随分熱心に見ている。
「箒が今着ている服、いつ買った?」
「一年ほど前だと思うが」
「袖を見てごらん」
腕を下ろして見た。袖から出た手首が、思っていたより長かった。
「洗濯で縮んだのではないか」
「肩も窮屈じゃない?」
「……少しは」
「一年で十一センチも背が伸びたんだろう。服は同じようには伸びないからね」
箒は黙った。百六十センチほどだった身長は百七十一センチになっている。腕を上げると服に引っ張られたのも、洗濯だけのせいではないらしかった。
「せっかく店が色々あるんだし、今日は一通り揃えようよ」
「一通りとは何だ」
「服と、それに合わせるもの。必要なら下着も」
「……そこまでか?」
「外に着るものだけ替えても、下が窮屈だったら困るだろう?」
説明は分かった。それでも、今ここで一通り買う話になるとは思っていなかった。箒は鞄の中の財布を思い出した。
「予算は決めるぞ。昨日の古書と同じ調子では困る」
「もちろん」
「それから、自分で選ぶ」
「僕からも候補を出していい?」
返事を待つミーシャは楽しそうだった。箒は息を吐き、候補は三つまでだと答えた。
最初の店で覚えていたサイズを言うと、店員は服を当てて肩の位置を見た。別のサイズも試そうと勧められる。ミーシャは何も言わず、箒を見ていた。
「……分かった。試す」
試着室で腕を動かした。肩が突っ張らない。袖口も手首の辺りへ来ている。鏡だけを見たときより、着た違いがはっきりした。
カーテンを開けるとミーシャが顔を上げた。
「どう?」
「……動きやすい」
「うん。肩も合ってるね」
箒は鏡へ戻った。落ち着いた色のブラウスと、すっきりしたパンツ。派手なものではない。背筋を伸ばしても服に引かれず、自分の姿が少し自然に見えた。
「この色なら、手持ちのものにも合わせやすいと思うよ」
「ならば、これでよいのではないか」
「もう一つの方も着てから決めよう。さっき箒が気になっていたもの」
自分で手に取った服を指された。それでは断る理由もなかった。
もう一度着替えて鏡を見る。顔の近くに柔らかな色がある。慣れなくて襟元へ指が伸びた。
「おかしくはないか」
「箒はどう思う?」
「……悪くない」
「僕もそう思うよ」
答えはそれだけだった。もっといろいろ言われると思っていたので、箒は少し拍子抜けした。
「似合うのか」
「うん。よく似合ってる」
改めて言われると頬が熱くなった。箒は横を向き、鏡へその顔を映さないようにした。
普段のものと少しきちんとした場に向くものを組み合わせた。買う前に値札を見て、洗い方も尋ねる。勧められた全部を選ぶわけではない。断るとミーシャは少し残念そうにしたが、怒ったりはしなかった。
「ではそれは買わん」
「そっか。こっちの方が気に入った?」
「ああ」
「じゃあ、そちらにしよう」
繰り返すうちに、箒も好きな方を言いやすくなった。紙袋を受け取ると少し疲れていた。服を選ぶだけでも、考えることが随分多かった。
「……よく迷わずに選べるな」
「迷ってるよ。箒が着ないものを買っても仕方がないからね」
「そういうものか」
「そういうものさ。次は下着を見ようか」
箒は足を止めた。買い物が終わった気でいた。
「まだあるのか」
「一通りって言っただろう?」
次の店では店員と話す時間の方が長かった。身体に合わなくなったものがないかを確かめ、普段に必要なものを選ぶ。曖昧に答えても決めつけず、別の聞き方で確認してくれた。
相談と試着は仕切られた場所で済ませた。ミーシャは離れた売場で待っていた。その距離があると分かり、箒も落ち着いて助言を聞けた。
肌着も揃えて会計をする。紙袋を持って戻ると、ミーシャは見ていた商品を棚へ返した。
「大丈夫だった?」
「ああ。色々と教えてもらった」
「よかった」
中身を詳しく聞かれなかった。箒は少し安心し、それから自分で付け加えた。
「……やはり、合っていなかったようだ」
「窮屈だった?」
「慣れてしまうと分からなくなるものだな」
ミーシャは頷いた。得意にならなかったので、箒も素直に礼を言えた。
最後はアクセサリーの店だった。必要ないと言いかけた箒が、小さな髪留めの前で止まる。いつもの髪型を変える気はない。結び目へ少し添えるなら邪魔にもならなさそうだった。
「稽古のときは外すぞ」
「もちろん。普段、出掛けるときのものだよ」
差し出された飾りは少し華やかだった。箒はその隣の、もっと小さなものへ目を向けた。
「こちらではどうだ」
「いいね。合わせてみようか」
鏡を借りて髪のそばへ当てる。さっき選んだブラウスも思い浮かべた。自分の髪へ当てると、飾りの大きさや色の収まりまで気になった。箒は少し角度を変えて確かめた。
「……これにする」
「うん」
「お前が選んだ方ではなくてよいのか」
ミーシャは少し驚いた顔をした。
「箒が気に入った方がいいに決まってるだろう」
当たり前に返され、箒はもう一度鏡を見た。自分で選んだ小さな飾りだった。服を選んだ時間も、それと一緒に持ち帰れる気がした。
店を出ると袋が増えていた。ミーシャへ衣類の一つを渡し、下着の袋は自分の鞄へ収めた。
「疲れた?」
「……午前中よりはな」
「僕は楽しかったよ」
「分かっている。見れば分かる」
ミーシャが笑い、箒も少し笑った。
買った服を思い出す。一夏と会う日にはどれを着よう。
そこまで考えたところで相手を見た。顔を覗き込まれる前に、別の話をした方がよさそうだった。
「夕食はもう考えているのか」
「まだ。箒は何か食べたい?」
箒は通りの先を見た。美術館でも店でも、今日は随分教わった。それでも食べるものなら自分から勧められる。
「もんじゃ焼きはどうだ。久しぶりに食べたくなった」
「僕は店で焼いたことがないんだけど」
「ならば教えてやる。小さなへらの使い方もな」
「それは楽しみだね」
ミーシャは嬉しそうに頷いた。今度は箒の方が教える番だった。
「では夕食は決まりだ」