Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
百貨店の紙袋が、歩くたび手首へ触れた。
背の伸びた身体に合う服を選べたことは素直に嬉しい。
今度は一夏へ持っていく品物の方が気になっていた。
夕食を終えると十八時を少し回っていた。
箒とミーシャは日が暮れ始めた道をホテルへ向かっていた。
荷物は朝より増えている。片手の紙袋が歩くたび脚のそばで揺れた。
「……もんじゃ焼きは久しぶりだったな」
「箒が焼き方を知っていて助かったよ。僕だけなら、いつ食べていいか迷っていたと思う」
「初めてでは分かりにくいだろうな。昔は実家の近くでも食べたものだ」
箒は少し懐かしく笑った。今夜は具を炒めるところから、小さなへらで食べるところまで教える側だった。初めの一枚を箒が焼き、次はミーシャが鉄板へ向かった。自分で焼いたものを切り分ける時間も楽しかった。
それで今日の出費が削減されたわけではない。紙袋を見ると、昼食後に繰り返し姿見の前へ立った記憶が蘇る。
当初、候補は三つまでのつもりだった。一着決めると次が気になる。アクセサリとのコーディネートを考えてしまう。折角ならばとアンダーウェアにも気合いが入り、あっという間に購入数は膨れあがった。日々の節約がなければどうなっていたかとレシートに冷や汗をかかされた。
「……それにしても、今日の買い物は疲れた。静嘉堂文庫美術館を見学していたときよりも、ずっと精神を消耗した気がする」
「そう? 僕は楽しかったけどなあ」
「お前はな。私は何度着替えさせられたと思っている」
「でも、ちゃんと似合う服が見つかっただろう? 特に最後に選んだブラウスなんか、箒も気に入っていたじゃないか」
「……それはまあ」
箒は否定しなかった。自分で選びそうにない服でも、着れば悪くなかった。肩も袖も突っ張らず、腕を動かせる。以前の服に慣れていただけで、合っていたわけではないらしい。
ミーシャがしつこく勧めた理由も、それなら分かる。
「まあ、結果として悪くはなかった。だが、次に買い物へ行くときはもう少し手加減してくれ」
「うん。考えておくよ」
「……今、約束するとは言わなかったな?」
「気のせいじゃないかな」
ミーシャは涼しい顔だった。箒は息を吐いた。一度で熱意を使い果たす相手ではないようである。
ただ自分のことを考えて選んでくれたのも確かだった。新しい服で一夏に会うことを、少し楽しみにしている。その気持ちまで言い当てられそうなので、袋の方はあまり見ないことにした。
ホテルに近い繁華街で足を緩めた。忘れ物かと聞かれ、箒は首を振った。
「いや、忘れ物ではない。一夏への見舞いの品を、まだ用意していなかった」
面会先は病院になる見込みだと、ホテルから連絡が来ていた。場所と時刻の正式な案内はまだだった。それでも、手ぶらのまま待つ方が落ち着かなかった。
「ああ、そういえばそうだったね。面会時刻が決まる前に用意しておいた方がいい」
「うむ。午前中の可能性もありうる、直前になって慌てるのは避けたい。できれば日持ちのする菓子折りがよいのだが……」
箒は大通りを見た。このまま行けば百貨店がある。幼い頃、家の用事で菓子折りを選ぶ大人についてきたことがあった。実物を目にすれば迷うとは思わなかった。
「ここに寄ろう。まだ開いているな」
ミーシャが営業時間を確かめた。道は箒にも分かる。だが見舞いに向くものまで、よく知っているわけではなかった。
地下の売場にはチョコレートとタルト、焼き菓子が並んでいた。札の名前を読み、自分の好みだけでは選べない難しさに気づく。どれもよさそうで、どれがよいか分からない。
「……ミーシャ」
「うん?」
「……昔は見慣れた店の箱を選べば済むと思っていたのだがな」
「病室へ持っていくなら、保存の仕方も確認しておこう。冷温保存は避けよう」
落ち着いた箱の焼き菓子が目についた。箒は手を伸ばしかけ、商品名を読み、止まった。
「一夏はこういった菓子を好んだだろうか」
「どうだろうね。僕は一夏君の食べ物の好みまでは知らないからなあ」
「当然だ」
「箒は昔から一緒にいたんだろう? 何か覚えていない?」
幼い日々の記憶を辿る。
篠ノ之神社で祭りの屋台を回った。町内の大人に呼び止められ、一夏と菓子を分けてもらった。神楽の支度をする母のところへ戻ると、一夏もついてきた。
その場面は思い出せる。今も同じ菓子が好きだと言えるかとなると、分からなかった。手に取りかけた箱を戻す。
「……昔のことなら、それなりに覚えているつもりだったのだがな」
少し寂しい声になった。
「今の一夏が何を好んでいるのかと聞かれると、分からん。考えてみれば、当たり前のことなのだが……」
ミーシャは隣に並び、同じ棚へ目を向けた。
「だったら、あまり難しく考えすぎない方がいいんじゃないかな。お見舞いなんだからまずは相手の負担にならないことを優先しよう。日持ちがして、一度にたくさん食べなくても済むものなら、失敗は少ないと思うよ」
「……ああ。だが、できれば美味いものを持っていきたい」
「もちろん。その方がいいに決まってるさ」
ミーシャは笑って頷いた。それ以上、箒の気持ちを細かく聞こうとはしなかった。
日持ちするものだけでも沢山あった。当然ながら生菓子は却下だ。洋酒入りも避けることにした。店員の説明を聞くたびに、選ぶための条件が増えていく。
「……むう。これほど難しいとは思わなかったぞ」
「贈り物って、案外そういうものだよ。自分が食べるだけなら、気になったものを選べばいいんだけどね」
「一夏の好みが分かれば、もう少し選びやすいのだが……」
箒は棚を見直した。考え方を少し変えてもよさそうだった。
「……待て。何も洋菓子にこだわる必要はないのではないか?」
「もちろん。和菓子でもいいと思うよ」
頷いてもらうと少し顔が明るくなった。
神社では参拝客や近所の人から菓子を頂くこともあった。母が神事の支度を終えると、住居で包みを開けて分けた。一夏が居合わせた日もある。
転校生活へ入って家を離れたあとのことは昨夜の書類でようやく詳しく知った。思い出せる景色と、それから先を一緒にはできない。
懐かしいから見舞いに向くわけでもない。箒は箱の裏の表示を見た。
和菓子の売場へ移る。羊羹と最中、煎餅、饅頭。落ち着いた色の箱が揃っていた。知ったものが増えると、少しだけ選びやすくなった。
一つの店の前で止まった。
「水羊羹、か」
小さな容器が箱へ一つずつ収まっていた。小豆のものを中心にした詰め合わせである。夏らしく涼しげな包装だったが、華やかすぎもしなかった。
「これならばどうだ。柔らかく、喉越しもいい。一度に全部食べる必要もない」
「うん。いいんじゃないかな。ただ、水羊羹にも要冷蔵のものと常温で保存できるものがあるから、そこは確認しておこう」
店員へ聞くと、どれも密封した個包装になっており常温保存できるという。賞味期限も先だった。希望条件を全て満たしていた。
箒はその箱を選んだ。包装が整い、手提げ袋へ入るのを見て、ようやく肩の力を抜いた。選ぶものが決まっただけで、随分と楽になった。
「……これなら、一夏も気に入ってくれるだろうか」
「好みに合うかどうかは分からないけど、ちゃんと考えて選んだものだろう? 悪くないと思うよ」
「ああ。ただ、病院で菓子を食べてもよいのかは確認しておく必要があるな」
「そうだね。食事制限があるかもしれないし、病棟によっては持ち込みにも決まりがあるだろうから。そこは事前に聞いておこう」
箒は頷いた。面会の連絡が来たら持ち込みについて尋ねる。受け取った袋を両手で持つと、一つ用事が終わった実感があった。
「さて、これで用事は済んだかな。そろそろホテルへ戻ろうか」
「ああ。……いや、待て。もう一つ、買っておいた方がいいものがある」
先へ行こうとしたミーシャを呼び止めた。何を忘れたかと聞かれ、箒は少し考えてから答えた。
「警察の方々にも礼をしたい。この旅行だけでも大勢の方に迷惑をかけた。まして、マキマさんの四係は実家の警護もしてくださってきたのだ。挨拶だけで済ませるのでは私も不本意だ」
菓子の袋へ目を落とした。留守にしていた年月が、何か一つ買えば埋まるわけでもなかった。
「だが。まずはどなたに受け取っていただくかを伺うのが先決だ」
「うん。ホテルに戻ったら聞いてみよう」
ミーシャは少し考えた。宿と警護は箒への好意だけで用意されたものではない。少なくとも警備局の四係というのは箒が考えているような警察とは違う。ただ、礼を言いたいという気持ちまで否定するつもりはなかった。
「そうだね。何か用意するのは悪くないと思うよ。ただ、相手は公務員だからね。職務に関係する相手から贈り物を受け取れない場合もあるし、あまり高価なものは避けた方がいいと思う」
「……そうなのか。ならば、なおさら慎重に選ばねばならんな」
「うん。相手が受け取れないようなら、無理に渡さず礼を言うだけにしておこう。それで十分だと思うよ」
「お前なら、何を選ぶ?」
「ワインはどうかな。受け取ってもらえるかは先に聞くとして」
花か、それこそ菓子折を想定していた箒は呆然とした。
「未成年だろう」
「僕も飲んだことはないよ。産地や品種を読むのが好きなだけさ。折角なら楽しみやすいものの方がいいからね。花は後始末がいるから」
ミーシャは酒類売場の表示を見た。二人とも味を確かめられない。値段の高いものを選べば済むという話ではなかった。
「……ではお前に任せよう。ただし予算は抑えてもらうぞ。必要以上に高価なものを贈るつもりはない」
「分かってるよ。高ければいいってものでもないしね。それに、今回は少し珍しいものを探してみたいな」
「珍しいもの?」
「うん。有名な産地の高級銘柄より、あまり知られていない土地の個性的なワインの方が、贈り物としては面白いこともあるんだ。値段を抑えつつ、ちょっとした話題にもなるだろう?」
説明しながら酒類売場へ向かった。
棚にはいろいろな国の文字があった。箒には似た瓶でも、値段には大きな差がある。ミーシャは鍵の掛かった高級な棚を通り過ぎ、並ぶ本数の少ない産地へ目を向けた。
「有名な産地のものでなくても、よいのか?」
「珍しいだけで決めるのはよくないけど、贈る理由を説明できるものにしたいね」
やがて小さな陳列棚の前で止まった。
「……ああ、これなんかよさそうだね」
箒も横から見た。ルーマニアの赤ワインだった。ほかの国ほど種類は多くない。その中の一本を選び、ミーシャはラベルを読んでいた。
「ルーマニアか。あの国でもワインを造っているのか?」
「もちろん。ルーマニアは古くからブドウ栽培とワイン造りが盛んな国だよ。ただ、日本ではフランスやイタリアほど馴染みがないかもしれないね」
ラベルの文字を箒へ示した。
「これに使われているブドウはフェステカ・ネアグラ。現地では『 Fetească Neagră』 と書くんだ」
「……フェステカ・ネアグラ?」
「うん。ルーマニアやモルドバで栽培されている土着の黒ブドウ品種だよ。名前には『黒い乙女』という意味があるんだ」
「……黒い乙女、か」
箒は小さく繰り返した。品種の名というより、古い物語の女性についた異名のように聞こえた。
「ルーマニアでは代表的な赤ワイン用品種の一つなんだけど、日本じゃそこまで広く知られていないんだよ。だから珍しさという点でも悪くないと思う」
「味はどうなのだ」
「造り手によって随分変わるけど、一般的には黒い果実やプラムのような香りがあって、少しスパイシーな風味を持つものが多いね。しっかりした味わいの赤ワインに仕上げられることも多いんだ。これも父の受け売り」
ミーシャは値札と裏側の説明を読んだ。数千円台で、決めた予算の中に収まっている。瓶も贈り物らしく見えたが、値段で相手を困らせるほどではなかった。
「これなら予算内だし、品種としての個性もある。贈り物に選ぶにはなかなかいい一本だと思うよ」
「……なるほど。しかし、それほど珍しい品種なら、もっと高価でもよさそうなものだが」
「珍しさと値段は必ずしも比例しないからね。有名な産地の高級ワインには品質だけでなく、長年の評価や知名度、需要なんかも価格に影響する。逆に、あまり知られていない産地には手頃な価格でも面白いものが結構あるんだよ」
「ならばワインにしよう」
「もう決めていいの?」
「お前が選んだものを疑う道理はない。まして、父君も太鼓判を押されているのだ」
「そっか。じゃあ、贈答用にできるか確認してみよう」
ミーシャは頷いた。係員へ用途を話し、包装と手配について相談した。
二人だけで酒の購入を進めず、ホテルの成人スタッフへ確認することになった。品物は選んだが、まだ買ってはいない。受け取ってよいかも聞いてもらう。辞退されれば買わないことを、箒もその場で確かめた。
「……それにしても、今日は随分と買い物をしたな」
「そうだね。服も買ったし、お見舞いの品も選んだし。なかなか充実した一日だったんじゃないかな」
「ああ。もっとも、最後にワインまで選ぶことになるとは思わなかったが」
「僕も最初から予定していたわけじゃないよ。箒が言い出したことだろう?」
「それはそうなのだが……」
「お前は普段何を読んでいるのだ?」
「面白そうなものを、いろいろとね」
ミーシャはいつもの調子で答えた。それでは説明にならないと言いながら、箒も笑った。
外へ出るとすっかり暗くなっていた。街灯とビルの明かりが歩道へ落ち、人々はそれぞれの用事へ向かっている。ホテルまでは遠くない。
箒は何度か袋を持ち直した。菓子を衣類の荷物で押さないようにしていた。ミーシャはその手元を見て、少し目を細めた。
「……気に入ってくれるといいのだがな」
独り言に近い声だった。
「水羊羹のこと?」
「……ああ。せっかく持っていくのだから喜んでもらいたい」
「うん。そうだね。でも、あまり心配しすぎなくてもいいと思うよ。何を持っていくかより、誰が持ってきてくれたかの方が嬉しいこともあるだろう?」
箒が少し驚いた顔で向いた。ミーシャは穏やかに笑っていた。それ以上の説明はしなかった。
「……そうだと、よいのだが」
「きっと大丈夫さ」
ミーシャは紙袋を持つ手へ目を戻した。
押上で一緒に育った相手でも、離れてからの年月までは知らない。今日の道や味を箒に教わったように、一夏にも会って尋ねればよいのだろう。贈り物だけで空いた時間を埋める必要はない。
ホテルの明かりが見えてきた。箒が顔を上げた。
「……ところで、ミーシャ」
「うん?」
「さっきのワインの品種名、何と言ったか?」
「フェステカ・ネアグラだよ」
「フェステカ・ネアグラ……。そうだったな。黒い乙女、という意味だったか」
「うん。ルーマニアの土着品種だね」
箒は二度ほど繰り返した。知らない言葉は覚えにくいが、意味がつくと忘れにくくなる。
「……しかし、妙な偶然だな」
「何が?」
「黒い乙女という名前のワインを、黒いコートを着た女性に贈ろうとしていることだ」
ミーシャは一度目を丸くし、それから笑った。
「ああ、確かに。言われてみればそうだね」
「偶然とはいえ、少し面白いと思ってな」
「うん。なかなか洒落が利いているんじゃないかな」
入口のガラス扉を見た。昨日の席で黒いコートの女が笑っていた。
品種名との共通は偶然である。それでも、箒が見つけた組み合わせは少し印象に残った。
「受け取ってもらえなかったら、名前の話だけしようか」
「そうだな。礼を言うのに、品物が必ず要るわけではない」
箒は菓子の袋を抱え直した。
「ミーシャ、早く行くぞ。明日も出掛けるのだから今夜は少しゆっくり休みたい」
「ああ、そうだね。さすがに今日は僕もちょっと疲れたよ」
「……今日の午後、あれほど張り切っていたお前が言うか」
「ははっ。買い物に夢中になっている間は疲れなんて気にならないものさ」
「全く。お前という奴は……」
箒が首を振るとミーシャが笑った。
入口では制服の従業員が宿泊客を迎えていた。少し奥に、見覚えのある黒いスーツの女がいた。二人を認めて軽く会釈する。マキマの手配なのだろう。昨日からの体制は今日も続いている。
ミーシャも会釈した。箒は隣で明日の予定を話していた。
フロントへ酒類売場の案内を渡す。確認して返事をすると言われた。品物を先に届けてしまう話にはしなかった。箒はそれで十分だと答えた。
返事を待ってから訪ねる。その順番を確かめ、エレベーターへ乗った。鏡に大きな衣類の袋と小さな菓子の袋が映る。どちらも明日のために、自分で選んだものだった。
部屋へ戻ると箒は菓子を置く場所を探した。ミーシャは服の袋を隣のベッドへ置いた。
「先に、明日の服を出しておこうか」
「ああ。皺になっては困るからな」
箒はブラウスを取り出した。午後に何度も鏡を見たことを思い出す。今度は勧められる前に、自分でハンガーへ掛けた。