Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
黒い乗用車が病院の正面玄関で止まった。
東京旅行三日目の午前十時過ぎ。運転席から降りた女はホテルでも見かけた公安の職員だった。周囲を見てから後ろの扉を開ける。
「到着しました。ここからは徒歩でのご案内になります」
「……ここが、件の病院か」
箒は建物を見上げた。昨日選んだ水羊羹を持参している。車の中で何度も持ち直したため、紙の持ち手が少し柔らかくなっていた。
「箒。大丈夫?」
先に降りたミーシャが隣へ来た。
「な、何がだ?」
「いや、ちょっと緊張しているみたいだからさ。昨日から何度も袋の中身を確かめているだろう?」
「……別に、緊張などしていない」
「そう? だったらいいんだけど」
深追いはしなかった。箒が新しいブラウスの袖を直すのを待ち、共に玄関へ入る。
消毒液の刺激臭がした。受付には一般外来の患者が並んでいる。だが職員はそちらへ向かわず、ホールの端へ進んだ。扉の上へ掲げられたプレートには職員専用と表示があった。
「……あの」
箒は思わず呼び止めた。
「見舞い客の受付はあちらではないのですか?」
「今回は個別の面会手続きが必要になります。担当者がお待ちですので、まずはそちらへご案内します」
「……そうですか」
少し不思議に思いながらも従った。
デジタル認証をパスし扉を通る。ミーシャはそのたび職員を見た。病室より先に、説明を聞く場所があるらしい。箒も黙って歩いていた。
突き当たりで職員が止まった。灰色の、金属そのままの扉に会議室の番号だけがある。中で何を話すかまでは分からなかった。
「こちらです。どうぞ」
扉が開いた。四人掛けの机と書類棚、ブラインドの降りきった窓が見えた。中では見知らぬ男が一人、パイプ椅子に腰掛けて待っていた。
もう一人は窓際に立っている。細身のせいで余計に背丈が目立った。癖のある髪と丸眼鏡が印象的だが、他は特徴がない。
「……ああ、どうも」
奥の中年男が先に声を出した。短い髪に冴えない背広。口元は笑っているのに、視線はあらぬ方を向いている。ミーシャはその目の置き方が気になった。
「篠ノ乃箒さんと、ミーシャ・グラハムさんですね。いや、ご足労をお掛けしました。どうぞ、適当に座ってください」
男は立たずに向かいの椅子を指した。
「……失礼します」
箒が会釈して座り、ミーシャもあとに続いた。中年男は二人が座り終わるのを待って薄い書類を引き寄せた。
「荒川と申します。自衛隊の関係者でしてね。まあ、細かい所属を説明しても仕方ありませんから、今日のところは面会手続きの調整役だと思っていただければ結構です」
荒川茂樹だった。箒も六壁神社の境内でミーシャの予測を思い出した。陸上幕僚監部調査部調査第二課別室。通称を調別という。まさか本当に自衛隊まで関わっているとは思わず、緊張の程度が増した。嬉しくない汗が額に滲んだ。
荒川は説明を続けた。女子中学生を相手にしている風には見えない。普段、政治家や官僚と会議をしているときもこんな態度なのだろうと思えた。そのくらい自然体だった。
「本日の面会についてですが、病院側との調整はこちらでやらせてもらいました。主治医の先生も了承済みという意味です。ただ、患者さんの状態を考慮すると、やはり長時間の面会は避けていただきたい。その点はご了承ください」
「……はい」
箒は真剣に頷いた。入院中の相手なのだ。体調を最優先に置くのは分かる。面会の許可が出ていると聞けただけでも安心した。
荒川の話はまだ続いた。
「それから、面会中に知り得た情報についても、注意してもらう必要がある。患者さんの容態や治療内容について、外部へ不用意に公開するのはいけない。特に、インターネット上へ書き込むようなことは困ります。まあ、お二方がそういうことをするとは思っていませんが、このハナシは念のためです」
「……分かりました」
「結構。ああ、それと」
視線が膝の上の紙袋へ下りた。
「そちら、見舞いの品ですか?」
「……はい。一夏に渡そうと思って、昨日購入したものです」
「中身は?」
「水羊羹です。個包装になっていて、常温で保存できるものを選びました。賞味期限も確認してあります」
箒は少し胸を張って答えた。昨日悩んで選び、保存の仕方も店員に聞いた。そこはきちんと説明できた。
荒川はそれほど関心がなさそうだった。
「ああ、水羊羹。なるほどねえ」
短く頷き、書類へ目を戻した。
「食べ物には制限がありますからね。品物はこちらで預かり、病院に確認します」
「確認したあと、私から渡せますか」
取り扱いは任せてほしいという返事だった。箒の尋ねたところまでは説明がなかった。
「面会後には結果もお知らせできるでしょう。担当者が誰かは、今ここでは申し上げられませんが」
「ですが……」
袋を抱え直した。食べられないなら渡さない。しかし確認する前から取り上げられる理由はまだ分からなかった。
「何か問題でも?」
「いえ、その……できれば、私が直接渡したいと思っていたので」
「お気持ちは分かりますよ。ただね、こういう場所にはこういう場所の手続きというものがある。例外を認め始めたら、際限がなくなってしまう。我々としちゃあなた方だけを特別扱いするわけにはいかない」
荒川の目が抱え直した手を追った。返事は待っているのに、先へ進む方向は決まっているらしかった。
誰が食べてよいと判断するか。その答えがまだないと、ミーシャは思った。荒川が今度はこちらを向いた。
「……何か、ご意見でも?」
目が合ったところで尋ねられた。
「病院側の確認が必要という説明はもっともです」
ミーシャは穏やかに返した。
「ただ、一度預かってもらったあとに、誰がどう判断するのかは確認しておきたい。食事制限があるならそれは仕方がない。けれど問題がなかった場合に本人へ渡してもらえるのか、それとも僕たちから直接渡せるのか。渡し方についても、秘密事項ですか」
「……なるほど」
荒川の目が細くなった。
「賢いお嬢さんだ。細かいところに目が向く」
「篠ノ之さんが一生懸命選んだものです。どういう扱いになるのか知りたいと思うのは、特別なことでしょうか」
「ええ、もちろん。私もお気持ちは理解できますよ。しかし、具体的な取り扱いはこちらに任せていただくしかない。規則なもので」
「そうですか」
ミーシャはそれ以上聞かなかった。荒川は規則だからと質問への回答を拒否した。具体的な扱いは分からないままだった。
荒川は紙袋へ手を出しかけた。
「ではその品物をこちらへ──」
「ちょい待ち、荒川さん」
部屋の奥から声がした。
窓際にいたのは女だった。目つきや表情からは読み取れなかった。
目は眠たそうだったが、話へ入る時機は少しも遅れなかった。
「何をそない急いだはるんです? まだ面会の時間まで余裕あんねやろ」
何も憚るところのない関西弁である。
「どうされました、御厨さん」
御厨が立つと細長い体格がいっそう目立った。大股に机へ近づく。丸眼鏡の奥の目は荒川から離れていなかった。
「邪魔してすんませんなあ。黙ァって聞かせてもろてたんですけど、なんや話の順番が逆と違います?」
「逆、と言うと?」
「そら病人に食いモン差し入れするんやったら主治医なり看護師の確認は要りますわ。面会前にでも渡して、その間にサッと見てもろたらよろしいがな。なんで看護師でも医者でもないモンが預かりますねん」
そこで女は箒へ顔を向けた。
「初めまして。警察の御厨です。まあ、今日のところは荒川サンの
「……篠ノ乃箒です」
「ミーシャです。よろしく」
「はいはい、よろしく。朝からえらい堅苦しい場所へ連れてこられて、難儀やったでしょう」
御厨は軽く笑った。
「……御厨さん。こちらは事前の規定に従って、必要な手続きを進めているだけなんですがね」
「よう知ってますわ。しやからウチが言うてんのは、預からんでも確認に立ち会ったらエエだけやないか、ちゅうことでね?」
荒川の言葉にも慌てなかった。
「こっちかて何も把握してへんワケちゃいますねん。どこでいつナンボ払ろて買うた水羊羹か、イチイチあんたに説明する義理このコらにあるんかえ」
荒川は少し黙って御厨を見た。笑みは残っていたが、返事はすぐに来なかった。
「……いや、別に私は取り上げようとしたわけじゃありませんよ」
「預かる言うてはるやん?」
「ええ」
「せやから、今すぐやのうてもエエやんけ言うてますねん」
御厨の返事は簡単だった。荒川の笑みが少し変わる。
ミーシャは返事の間を聞いていた。さっきまで箒と話していたときにはなかった沈黙だった。
「……それで、篠ノ乃さん」
御厨が箒へ向き直った。
「その水羊羹、昨日買うてきはったんですか?」
「……はい。ホテルの近くの百貨店で、ミーシャと一緒に選びました」
「ほな、病棟の人に確認しましょう。許可が出たら、本人に渡せる形を相談したらええ」
「……はい」
頷く箒を見てから、また荒川へ顔を戻した。
「品物を預かるかどうかはそのあとでもええでしょう?」
「……まあ、構いませんが」
「ほなそれで」
荒川は手を引いた。これ以上言えば、預かることの方が目的に見える。ここは彼一人で段取りを決める場所ではなかった。
箒は持ち手を握り直した。医師の判断が出るまで食べ物を口にしてはいけない。その順番がはっきりしたことで、渡したいという自分の希望も、ようやく言葉にできた。
「……さて」
御厨は紙コップを取り、残った飲み物を一口飲んだ。
「面会そのものについては病院側から許可が出てます。時間は長く取れませんけど、織斑君の体調が許す範囲で会うてもろて構いません。詳しい注意事項は病棟の看護師さんから説明がありますんで、それに従うてください」
「……はい!」
箒が嬉しそうに頷いた。御厨はその顔を見て少し目を細めた。
「……まあ、そう慌てんと。病院の中では静かにお願いしますわ。相手さんも病人ですからね」
「は、はい。すみません」
「謝らんでもええですよ。久しぶりに会うんやったら、楽しみにしてはるのも分かりますし」
箒の頬が少し赤くなった。御厨はそこでからかうのをやめ、ミーシャへ向いた。
「ミーシャさんも、これでよろしいか?」
「僕は問題ありません。
「そらは結構」
御厨が頷いた。ひとまず済んだような顔で、続きの用事を付け加えた。
「ただし面会が終わったあとで、またちょっとハナシがあります。お二人とも、すぐホテルへ戻らんといてくださいね」
箒が顔を上げた。
「……話、ですか?」
「ええ。大したことやありません。今日の面会のこともありますし、今後の予定についても確認しなアカンことがいくつか。それに、見舞いの品の件も残ってますやろ」
「ああ……そうでした」
「せやから、面会が終わったら、またここへ寄ってください。品物の扱いについても、そのとき相談に乗りますわ」
今度は安心したように頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。仕事ですから」
御厨が軽く手を振った。
面会のあとに、また話す。ミーシャは荒川を見た。男は会話へ入らず、書類に目を落としていた。
「……荒川さん」
その男へ呼びかけた。
「何でしょう?」
「一つ、聞いてもいいですか」
「私に答えられる範囲なら」
「今回の面会について、荒川さんはどのようなご事情で?」
荒川の手が一瞬止まった。それからゆっくり顔が上がった。
「……先ほど申し上げたでしょう。関係機関との調整ですよ」
「それは聞きました。でも、新幹線の座席から病院への日帝確認まですべて
御厨の目も少し動いた。荒川はミーシャを見たまま黙っていた。
「……なるほど。なかなか鋭いことをおっしゃる」
間を置いて小さく笑った。
「我々にも我々の仕事があるということです。今回の件には複数の組織が関係しておりましてね。警察庁だけでなく、防衛省の側にも確認しておかなければならない事項がある。それだけの話ですよ」
「牛タンに飽きたわけではなかったんですね」
「普段の話し相手も、お嬢さんくらい賢いと私も助かるんだがね」
口元が僅かに上がった。
「イマドキの女学生は自衛隊だの警察庁だのの役所仕事に興味がありますか。昔はモノを囓ったでいるルンプロも同然の学生の趣味だったんだが」
「Wikipediaに書いてあること以上は知りません。昔と違って、いまはインターネットにも読み物が豊富ですから」
「昔と違って、か」
荒川は言葉をそのまま返した。
「トシを食った。すぐ年齢を気にする」
ミーシャは笑みを保った。
「そういうつもりはなかったのですが」
「いやいや。一本取られた」
荒川も笑った。似た表情でも、同じようには見えなかった。
ミーシャは質問を足さず、荒川も理由を聞き直さない。互いに確かめたかったところがあるのだと、御厨には分かった。
「……はいはい。そこまで」
御厨が手を軽く叩いた。
「お二人とも、ここは病院ですから。難しいハナシはあとにしましょうや。今は面会の方が先です」
荒川がそちらを見た。
「……いや、別に私は何も」
「ヘェヘェ分かってますよって。ウチかて責めてるわけやありません。ただ、そろそろ時間ですし、患者さんを待たせるわけにもいきませんやろ」
「ご尤もな意見だ」
短い返事を聞いて御厨が頷く。それから箒へ向き直った。
「篠ノ乃さん。見舞いの品はいったんそのまま持っていてください。病棟へ上がる前に、看護師さんに確認します。面会が終わってから、必要ならまた相談しましょう」
「……はい。分かりました」
「あとは病棟の看護師さんの説明を聞いてください。しんどそうなら、すぐ呼んでくださいね」
箒は真剣に頷いた。
「……ほな、行きましょうか」
御厨が扉へ向かった。箒も慌てて立ち、袋を持ち直して服の裾を整える。ミーシャが隣で席を立つと、後ろから名前を呼ばれた。
「……ミーシャさん」
「うん?」
荒川はまだ座っていた。
「面会のあと、お時間を少しいただくことになると思います。まあ、長くは掛からないでしょうが」
「うん。御厨さんから聞いたよ」
「……そうですか」
男の口元に薄い笑みが戻った。
「それは結構。ではまたあとで」
「うん。またね」
ミーシャは軽く手を振って出ていった。
荒川は書類を見た。束の妹と同行者。そこへ書かれた経歴を読んでも、さっきの質問の仕方までは分からない。何かを知っているから聞いたのか。知らないから確かめたのか。まだ決められなかった。
*
ミーシャは廊下で御厨の背を見ていた。前を行く箒へ歩調を合わせている。会議室の気楽な調子も変わらなかった。
「……御厨さん」
歩きながら呼びかけた。
「ん? 何です?」
「さっきはありがとう。箒のお見舞いの品のこと、助かったよ」
「いえいえ。大したことしてませんよ」
御厨は足を止めず答えた。
「いきなり預けろでは困りますやろ。順番の話ですわ」
それから少し声を落とした。
「……ミーシャさん」
「うん?」
「荒川さんのこと、あんまり甘う見ん方がええで」
ミーシャは僅かに目を細めた。
「……どうして?」
「あのオッサン。出世しやんまんま古巣をチョコチョコ異動の繰り返しや、もうエエトシなっても現場におる。よっぽどの癖モンやで」
「……なるほど」
「せやから、あんま突かん方がええ」
口元が少し緩んだ。
「分かりました」
「そら結構」
御厨は頷き、首を少し傾げた。
「……まあ、言われんでも分かってはるような気もしますけどね」
ミーシャは答えず笑っていた。御厨も先へ目を戻した。
エレベーターの前で箒が待っている。水羊羹を持ち、空いた手で服の裾を何度も直していた。
ミーシャは少し足を速めた。面会のあとの用事はそのときに考えればよかった。
「……ミーシャ!」
箒の声が来た。
「何をしている? 早く来い!」
「ああ、ごめん。今行くよ」
笑って返し、二人へ追いついた。
御厨がボタンを押すと扉が開いた。三人で乗り、病棟へ上がる。箒は胸の前へ袋を抱え、階数の表示を見ていた。今は一夏に会えることが、何より大きいらしかった。
ミーシャは扉へ映る御厨の横顔を見た。短い電子音がして表示が止まる。
扉の向こうは静かな病棟だった。御厨が先に降り、二人を振り返った。
「……ほな、行きましょうか。織斑君がお待ちですよ」
箒は一度深く息を吸った。
「……はい!」
強く頷いた。ここまで来たあとに迷う声ではなかった。