Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
看護師は水羊羹の包装を見た。病室への持ち込みと、本人への手渡しは問題ないという。念のため担当医へ確認をとる形になった。
袋を持ち直す。御厨が病室の前でカードをかざす。電子音のあとに錠が外れた。
「外におります。済みはった声かけたってください」
御厨が離れた。箒は扉へ向いた。何年も離れていた相手が中にいる。朝から紙袋を落とさないよう握っていた指が、今度は扉を叩くのを躊躇した。
「……最初に、何と言えばいい」
ミーシャは隣で少し笑った。
「手紙には何て書いた?」
「久しぶりだな、と書いた」
「それでいいんじゃないかな」
箒は頷いた。書いた挨拶を、そのまま言えばよかった。
扉を二度叩く。乾いた音がして、少し待った。向こうから返事が来た。
「はーい。どうぞ」
息を呑んだ。
知っている声だった。少し高くて明るい。名前を呼ばれる前から、顔が浮かぶ声だった。
「……一夏」
名前を呟いて扉を開けた。
想像していたより広い部屋だった。大きな窓から自然光が入り、淡い色の壁と寝具を照らしている。窓辺に小さな机があり、医療機器はベッドの脇へ寄せてあった。
そのベッドで上体を起こした少年が、入口を見た。
「……箒?」
ゆったりした長袖のシャツを着ていた。髪が肩まで延びている。窓の光の中で柔らかく動き、覚えている硬い毛先の感触を思い出させた。
以前と違うところはあった。一つずつ確かめる前に、その顔が笑った。
「……本当に箒か?」
丸くなった目へ、はっきり笑みが浮かんだ。
「おお! 箒じゃないか!」
声の高さも昔に近かった。変声期を迎えた低さがなく、少年らしい中性的な響きが残っていた。
「久しぶりだな! 元気にしてたか?」
挨拶はあまりにも自然だった。昔と同じように笑われると、さっき思い出した文句まで消えてしまう。
「……一夏」
「どうしたんだよ、箒?」
「一夏……!」
気づくと足が動いていた。
「うわっ!?」
驚く声を聞きながらベッドの脇へ行った。右手を両手で包む。その手がそこにあると分かっても、すぐには離せなかった。
「一夏……!」
「お、おい、箒? どうしたんだよ」
「……馬鹿者」
「え?」
「馬鹿者……!」
箒の声が震えた。
「この、大馬鹿者……!」
一夏は困惑したように瞬きをした。
「いきなり何だよ。久しぶりに会って最初の言葉がそれか?」
「うるさい!」
箒は顔を上げた。涙が滲み、一夏の顔が少しぼやけた。
「お前は……お前はどれだけ私に心配をかければ気が済むんだ!」
「……箒?」
「ずっと……ずっと心配していたんだぞ!」
言葉が次々と溢れ出した。
「何が起きたのかも、どうしているのかも、ろくに分からなくて……! 連絡を取ろうにも取れず、私は……私は……!」
喉が詰まった。続きが言えなくなり、俯いた。手だけは握ったままだった。
「……本当に」
やっとのことで、声を絞り出す。
「本当に、心配したんだぞ……」
一夏は箒を見ていた。握られた手へ目を落とし、また顔へ戻る。何か言いかけ、返事を探してから小さく声を出した。
「……ごめん」
小さく呟いた。
「心配かけたな」
「俺も、こんなことになるとは思わなかったんだ」
「……まったくだ」
握る手へ力が入った。謝ってほしかったわけではない。無事な顔を見たら、しまっておいた心配が一緒に出てきた。
「なあ、箒」
一夏が、少しだけ身を乗り出した。
「来てくれて、ありがとう」
箒の肩が僅かに震えた。
「すごく嬉しいよ」
「……っ!」
箒は返事をなくした。俯いて呼吸を整える。一夏は手を抜かず、待っていた。
入口のミーシャも黙っていた。二人が話せるようになるまで、そちらへ来なかった。
しばらくして箒は顔を上げ、片手を離して目元を拭った。
「……すまない。少々、取り乱した」
「いや、別にいいけど」
「お前はそういうことを簡単に言う……」
「え?」
「なんでもない!」
一夏が目を丸くした。箒は咳払いでごまかした。
「顔を見るまではどうなっているのかと思ったんだ」
一夏が握られた右手を少し動かした。
「今はこうして話せるくらいには元気だよ」
声を聞いて手に触れ、箒はようやく頷けた。違うところを探す前に、ここにいる一夏を見ていたかった。
「そろそろ、僕も挨拶していいかな?」
箒は振り返った。ミーシャを入口へ置いたままだったと、初めて思い出した。
「す、すまない! 一夏、こちらは私の友人で、ミーシャだ。東京行きにも付き合ってくれた」
「ミーシャ・グラハムです、はじめまして。箒から話は聞いてるよ」
「織斑一夏です。俺のことは一夏でいいから」
一夏は右手を差し出しかけて止め、箒を見た。
「……そろそろ、離してくれないか?」
箒は手元を見た。駆け寄ったときから握ったままだった。慌てて離した。
「す、すまん」
「いいけどさ。びっくりしたぞ」
耳まで赤くなる箒の隣で、二人が短く握手した。
ミーシャは手を離し、一夏の髪へ目を移した。声と顔には考えていたより幼い印象があった。ただし初対面の自分に、以前との違いまで分かるわけではなかった。
「それにしても、こうして会えてよかったよ」
「ん?」
「箒がずっと心配していたからね。顔を見られたら安心するだろうなって思ってたんだ」
「……そっか」
一夏は箒へ目を向けた。
「なんか、悪かったな」
「だからもう謝らなくていい!」
「ははっ。分かったよ」
ミーシャは二人の言い合いを眺め、口元を緩めていた。
「ところで、一夏」
「何?」
「僕たち、ここにいても大丈夫かな? 面会の許可はもらってるけど、君が疲れているなら無理はさせたくないんだ」
「全然平気だよ」
一夏は即答した。
「むしろ、話し相手が来てくれて助かるくらいだ」
「そうなの?」
「ああ。病院って、思ったより暇なんだよな」
一夏は窓の方をちらりと見た。
「テレビはあるし、本も読めるけどさ。ずっと同じ部屋にいると、なんか時間の感覚がおかしくなってくるんだよ」
「それは退屈そうだね」
「だろ?」
「だったら、今日は少しくらい賑やかにしてもいいかな」
「もちろん!」
嬉しそうな返事を聞いて箒も表情を緩めた。そこで手に持ってきたものを思い出す。
「そ、そうだ! 一夏!」
「うん?」
「見舞いの品を持ってきたんだ」
箒は大切そうに紙袋を持ち上げた。
「水羊羹だ。お前、昔から甘いものは嫌いではなかっただろう?」
「えっ、マジで?」
一夏の顔が明るくなる。
「ありがとう! ちょうど甘いものが食べたいと思ってたんだ!」
「そ、そうか」
「すげえ嬉しいよ。ここだと、あんまり好き勝手に食べられないからさ」
箒はほっとした。箱の前で迷った時間が、その返事でようやく済んだ気がした。
「だが、食べる前には担当の医師に確認を取るんだぞ」
「分かってるって」
「本当か?」
「本当だよ。もう、箒は心配性だな」
「誰のせいだと思っている!」
「俺です。すみません」
すぐ頭を下げられ、ミーシャが吹き出した。箒も怒った顔を続けられなくなった。
「……まったく」
呟きながら紙袋を棚へ置いた。
ペットボトルとティッシュの箱、時計、読みかけの文庫本が一冊。ほかに目立つ私物は少なかった。長く使っている部屋だという割に、ここでの暮らしがあまり見えてこなかった。
「一夏……この部屋で過ごして、どの程度になる」
「え?」
「いや、その……長く入院していると聞いた」
「ああ」
一夏は自分の周囲を見回した。
「結構長いよ。自分でも、こんなに長くなるとは思ってなかった」
「そうか……」
「まあ、先生たちはちゃんと診てくれてるし、看護師さんたちも親切だからさ。そこは心配しなくて大丈夫だよ」
「……本当だろうな」
「本当だって」
箒は一夏を見た。聞きたいことはまだあったが、うまく言えなかった。口に出しかけた言葉をやめ、別のところから尋ねた。
「……ちゃんと食事は取れているのか?」
「うん。三食ちゃんと食べてる」
「睡眠は?」
「寝てるよ。消灯時間も決まってるし」
「検査は?」
「それは……まあ、いろいろ」
「いろいろ?」
「採血とか、身体の状態を調べたりとか。詳しいことは先生に聞いてくれないと、俺も全部は分からないんだ」
一夏は申し訳なさそうに笑った。
「難しい説明もされるんだけどさ、聞いてるうちによく分からなくなってくるんだよな」
「お前は昔からそういうところがある」
「ひどいなあ」
「事実だろう」
「まあ、否定できないけど」
箒はため息をついた。顔は少し笑っていた。
特別な話を用意しなくても、こんなやり取りができる。一夏がいて、返す言葉がある。会う前にはそれだけで嬉しいとは考え切れなかった。
「そういえば、箒」
「なんだ?」
「東京にはいつ来たんだ?」
「一昨日だ。昨日は静嘉堂文庫美術館にも行った」
「へえ。じゃあ、観光もしてるんだな」
「ああ。ミーシャに服も選んでもらった。……いや、その話はいい」
一夏が服を見たので、箒は慌てて話を止めた。
「似合ってるじゃん」
「お前は簡単にそういうことを……」
「本当のことだろ?」
ミーシャまで同じことを言った。箒は二人を順番に見た。どちらも悪気がなさそうで、余計に言い返せなかった。
「僕も、自分で決めて来たんだ。病院へ来るまでに、箒といろいろ見られて楽しかったよ」
「そっか。よかった」
一夏は安心したように笑った。
「それにしても、二人は仲がいいんだな」
「え?」
「いや、なんかさ。ずいぶん息が合ってるっていうか」
「そ、そうか?」
「ああ。箒が誰かとそんなふうに話してるところ、あんまり見たことなかったから」
一夏は感心したように頷いた。
「いい友達ができたんだな」
箒は少し驚いた。ゆっくり隣を見ると、ミーシャはいつものように笑っていた。
「……ああ」
箒は静かに答えた。
「そうだな」
続けて、小さく頷く。
「私には勿体ないくらいの友人だ」
「箒?」
ミーシャが意外そうに瞬きをした。
「なんだ。何かおかしいことを言ったか?」
「ううん」
ミーシャは首を振った。
「ちょっと意外だっただけ」
「何がだ?」
「箒がそんなことを言うなんて」
「わ、私だって、それくらいは言う!」
「うん。そうだね」
一夏が楽しそうに笑った。
「なんだよ、やっぱり仲いいじゃないか」
「だからそう言っているだろう!」
言い返すと一夏がまた笑った。明るい声が病室に残った。
ミーシャは棚の袋を見た。箒が選び、一夏が喜んだ。そのやり取りを確かめると、自分も少し落ち着いて話せる気がした。
「それより、一夏」
「何?」
「一つ聞いてもいいかな?」
「いいよ」
「普段はここで何をして過ごしてるの?」
一夏は少し考え込んだ。
「うーん……本を読んだり、テレビを見たりかな。あとはリハビリとか」
「リハビリ?」
箒がすぐに反応した。
「ああ。身体を動かす練習みたいなものだよ」
「……歩けるのか?」
箒の声が硬くなった。一夏はきちんと頷いて答えた。
「うん。歩けるよ」
「本当か?」
「本当だって。今は少しずつ運動量を増やしてるところ」
「そうか……」
箒は胸を撫で下ろした。
「ならば、よかった」
「まだ外を好き勝手に動き回れるわけじゃないけどな」
一夏は苦笑した。
「一人で出歩こうとすると、看護師さんに怒られるし」
「当たり前だ!」
箒が即座に言った。
「お前は入院患者なんだぞ! 勝手な行動をするな!」
「いや、実際に勝手に出歩いたわけじゃないって!」
「ならばいい!」
「まったく、箒は厳しいなあ……」
一夏が肩を落とした。ミーシャはその仕草に笑った。
「箒は心配してるんだよ」
「それは分かってるけどさ」
一夏は少し照れた顔で笑った。
「なんか、昔に戻ったみたいだな」
その言葉に、箒の表情が変わった。
「……昔?」
「ああ」
窓の外を一度見てから、懐かしむように言った。
「子供の頃、よくこんなふうに怒られたよな」
「……お前が無茶ばかりするからだ」
「そうだったっけ?」
「そうだ」
箒は即答した。
「秘密基地を作ったときも、同じだった。雨が降ってきて、作りかけの屋根が崩れて」
「覚えてる! 二人とも泥だらけになって、怒られたんだよな」
「お前が、大丈夫だと言うからだ」
「箒だって、最初は賛成しただろ」
それぞれ別のところで笑うので、ミーシャも事情を聞いた。説明を始めると、一夏は初めに棒を立てた場所まで覚えていた。
箒の覚えた景色が相手の中にもある。それが今は思った以上に嬉しかった。
「……一夏」
「ん?」
「覚えていたんだな」
「そりゃ覚えてるよ」
一夏は不思議そうな顔をした。
「大事な思い出だし」
「…………」
箒は黙った。俯きかけ、慌てて顔を上げた。
「そ、そうか」
「ああ」
「……そうか」
一夏は少し首を傾げた。それ以上は聞かない。ミーシャも二人の顔を見て黙っていた。
やがて一夏が別のことを思いついた。
「そうだ、ミーシャ」
「うん?」
「箒とはどこで知り合ったんだ?」
ミーシャは少し考えた。
「同じ教室で、僕から話しかけたんだ。箒を食事に誘った」
「へえ。何の話で?」
「剣道。それと、ご飯の食べ方かな」
「ミーシャ!」
箒が抗議すると一夏は余計に聞きたがった。ミーシャは次の機会の話へ取っておくと言った。
箒はようやくベッド脇の椅子へ座った。肩の力は抜け、声も普段の調子だった。ミーシャももう一脚を寄せた。
二人が落ち着くのを待ち、一夏が少し真面目な顔になった。
「……なあ、箒」
「なんだ?」
「本当に、ありがとうな」
「……またそれか」
「いや、ちゃんと言っておきたくてさ」
一夏は自分の膝の上へ目を落とした。
「先生も看護師さんも、よくしてくれるんだ。でも、検査して、ご飯を食べて、また検査してっていう日が続くとさ」
窓へ一度目を向けてから続きを言った。
「昔の話をして笑ってると、普通に戻れた気がする」
胸の奥が少し苦しくなった。
一夏は笑っている。安心させるためだけの顔でもないのだろう。それでも検査のための知らない顔が次々と出入りする時間を、箒はようやく想像した。
「……一夏」
「ん?」
「また、来てもいいか?」
一夏が瞬きをした。
「え?」
「だから……」
箒は膝の上で拳を握った。
「また、見舞いに来てもいいかと聞いている」
一夏は呆気に取られた顔をした。すぐに笑った。
「当たり前だろ!」
迷いのない返事だった。
「来てくれるなら、いつでも大歓迎だよ!」
「……そうか」
「うん。俺も退屈してるしさ」
「退屈しのぎか、私は」
「ち、違うって!」
慌てた返事を見て、箒も小さく笑った。
「冗談だ」
「……なんだよ、もう」
一夏は胸を撫で下ろした。
「箒まで人をからかうようになったのか?」
「お前があまりにも隙だらけだからな」
「ひどいなあ」
そんな二人を見て、ミーシャが口を開いた。
「僕も、また来ていいかな?」
一夏は迷わず頷いた。
「もちろん。もっと話してみたいし」
「ありがとう。箒の昔話の続きも、聞きたいな」
「余計なことを教えるなよ、一夏」
箒が先に止めると、一夏はまだ何も話していないと笑った。初対面の二人にも、もう共通の話ができていた。
箒も呆れた顔のまま笑った。窓からの光が机の端を照らしている。時計が目に入りかけたが、そちらを向かなかった。
また来ることを一夏が歓迎した。今はその返事を覚えておきたかった。
「……なあ、一夏」
「ん?」
「さっきの秘密基地の話だが」
「ああ」
「お前、覚えているか? あのとき、屋根が崩れたのは……」
箒は記憶を一つずつ確かめながら話した。一夏が応じ、ミーシャは知らないところを尋ねる。
二人だけで知っていた出来事が、三人で話せる思い出へ変わっていく。同じ場面で言い合いになっても、ミーシャが無理に間へ入る必要はなかった。どちらかが振り返り、事情を教えてくれた。
箒が話した一夏の昔を、今日は一夏の口からも聞ける。ミーシャは気になっていた別の問いを、いったん胸へ戻した。
次の思い出を尋ねると箒が先回りして止めた。一夏は何を話すかまだ決めていないと笑う。
その声を聞きながら箒は手紙を思い出した。
久しぶりだな。
最初にそれを言えばよかった。今なら、あれだけで足りたのだと思えた。