Infinite Stratos:Archetype border   作:ぱらさいと

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00-28

 看護師は水羊羹の包装を見た。病室への持ち込みと、本人への手渡しは問題ないという。念のため担当医へ確認をとる形になった。

 袋を持ち直す。御厨が病室の前でカードをかざす。電子音のあとに錠が外れた。

「外におります。済みはった声かけたってください」

 御厨が離れた。箒は扉へ向いた。何年も離れていた相手が中にいる。朝から紙袋を落とさないよう握っていた指が、今度は扉を叩くのを躊躇した。

「……最初に、何と言えばいい」

 ミーシャは隣で少し笑った。

「手紙には何て書いた?」

「久しぶりだな、と書いた」

「それでいいんじゃないかな」

 箒は頷いた。書いた挨拶を、そのまま言えばよかった。

 扉を二度叩く。乾いた音がして、少し待った。向こうから返事が来た。

「はーい。どうぞ」

 息を呑んだ。

 知っている声だった。少し高くて明るい。名前を呼ばれる前から、顔が浮かぶ声だった。

「……一夏」

 名前を呟いて扉を開けた。

 想像していたより広い部屋だった。大きな窓から自然光が入り、淡い色の壁と寝具を照らしている。窓辺に小さな机があり、医療機器はベッドの脇へ寄せてあった。

 そのベッドで上体を起こした少年が、入口を見た。

「……箒?」

 ゆったりした長袖のシャツを着ていた。髪が肩まで延びている。窓の光の中で柔らかく動き、覚えている硬い毛先の感触を思い出させた。

 以前と違うところはあった。一つずつ確かめる前に、その顔が笑った。

「……本当に箒か?」

 丸くなった目へ、はっきり笑みが浮かんだ。

「おお! 箒じゃないか!」

 声の高さも昔に近かった。変声期を迎えた低さがなく、少年らしい中性的な響きが残っていた。

「久しぶりだな! 元気にしてたか?」

 挨拶はあまりにも自然だった。昔と同じように笑われると、さっき思い出した文句まで消えてしまう。

「……一夏」

「どうしたんだよ、箒?」

「一夏……!」

 気づくと足が動いていた。

「うわっ!?」

 驚く声を聞きながらベッドの脇へ行った。右手を両手で包む。その手がそこにあると分かっても、すぐには離せなかった。

「一夏……!」

「お、おい、箒? どうしたんだよ」

「……馬鹿者」

「え?」

「馬鹿者……!」

 箒の声が震えた。

「この、大馬鹿者……!」

 一夏は困惑したように瞬きをした。

「いきなり何だよ。久しぶりに会って最初の言葉がそれか?」

「うるさい!」

 箒は顔を上げた。涙が滲み、一夏の顔が少しぼやけた。

「お前は……お前はどれだけ私に心配をかければ気が済むんだ!」

「……箒?」

「ずっと……ずっと心配していたんだぞ!」

 言葉が次々と溢れ出した。

「何が起きたのかも、どうしているのかも、ろくに分からなくて……! 連絡を取ろうにも取れず、私は……私は……!」

 喉が詰まった。続きが言えなくなり、俯いた。手だけは握ったままだった。

「……本当に」

 やっとのことで、声を絞り出す。

「本当に、心配したんだぞ……」

 一夏は箒を見ていた。握られた手へ目を落とし、また顔へ戻る。何か言いかけ、返事を探してから小さく声を出した。

「……ごめん」

 小さく呟いた。

「心配かけたな」

「俺も、こんなことになるとは思わなかったんだ」

「……まったくだ」

 握る手へ力が入った。謝ってほしかったわけではない。無事な顔を見たら、しまっておいた心配が一緒に出てきた。

「なあ、箒」

 一夏が、少しだけ身を乗り出した。

「来てくれて、ありがとう」

 箒の肩が僅かに震えた。

「すごく嬉しいよ」

「……っ!」

 箒は返事をなくした。俯いて呼吸を整える。一夏は手を抜かず、待っていた。

 入口のミーシャも黙っていた。二人が話せるようになるまで、そちらへ来なかった。

 しばらくして箒は顔を上げ、片手を離して目元を拭った。

「……すまない。少々、取り乱した」

「いや、別にいいけど」

「お前はそういうことを簡単に言う……」

「え?」

「なんでもない!」

 一夏が目を丸くした。箒は咳払いでごまかした。

「顔を見るまではどうなっているのかと思ったんだ」

 一夏が握られた右手を少し動かした。

「今はこうして話せるくらいには元気だよ」

 声を聞いて手に触れ、箒はようやく頷けた。違うところを探す前に、ここにいる一夏を見ていたかった。

「そろそろ、僕も挨拶していいかな?」

 箒は振り返った。ミーシャを入口へ置いたままだったと、初めて思い出した。

「す、すまない! 一夏、こちらは私の友人で、ミーシャだ。東京行きにも付き合ってくれた」

「ミーシャ・グラハムです、はじめまして。箒から話は聞いてるよ」

「織斑一夏です。俺のことは一夏でいいから」

 一夏は右手を差し出しかけて止め、箒を見た。

「……そろそろ、離してくれないか?」

 箒は手元を見た。駆け寄ったときから握ったままだった。慌てて離した。

「す、すまん」

「いいけどさ。びっくりしたぞ」

 耳まで赤くなる箒の隣で、二人が短く握手した。

 ミーシャは手を離し、一夏の髪へ目を移した。声と顔には考えていたより幼い印象があった。ただし初対面の自分に、以前との違いまで分かるわけではなかった。

「それにしても、こうして会えてよかったよ」

「ん?」

「箒がずっと心配していたからね。顔を見られたら安心するだろうなって思ってたんだ」

「……そっか」

 一夏は箒へ目を向けた。

「なんか、悪かったな」

「だからもう謝らなくていい!」

「ははっ。分かったよ」

 ミーシャは二人の言い合いを眺め、口元を緩めていた。

「ところで、一夏」

「何?」

「僕たち、ここにいても大丈夫かな? 面会の許可はもらってるけど、君が疲れているなら無理はさせたくないんだ」

「全然平気だよ」

 一夏は即答した。

「むしろ、話し相手が来てくれて助かるくらいだ」

「そうなの?」

「ああ。病院って、思ったより暇なんだよな」

 一夏は窓の方をちらりと見た。

「テレビはあるし、本も読めるけどさ。ずっと同じ部屋にいると、なんか時間の感覚がおかしくなってくるんだよ」

「それは退屈そうだね」

「だろ?」

「だったら、今日は少しくらい賑やかにしてもいいかな」

「もちろん!」

 嬉しそうな返事を聞いて箒も表情を緩めた。そこで手に持ってきたものを思い出す。

「そ、そうだ! 一夏!」

「うん?」

「見舞いの品を持ってきたんだ」

 箒は大切そうに紙袋を持ち上げた。

「水羊羹だ。お前、昔から甘いものは嫌いではなかっただろう?」

「えっ、マジで?」

 一夏の顔が明るくなる。

「ありがとう! ちょうど甘いものが食べたいと思ってたんだ!」

「そ、そうか」

「すげえ嬉しいよ。ここだと、あんまり好き勝手に食べられないからさ」

 箒はほっとした。箱の前で迷った時間が、その返事でようやく済んだ気がした。

「だが、食べる前には担当の医師に確認を取るんだぞ」

「分かってるって」

「本当か?」

「本当だよ。もう、箒は心配性だな」

「誰のせいだと思っている!」

「俺です。すみません」

 すぐ頭を下げられ、ミーシャが吹き出した。箒も怒った顔を続けられなくなった。

「……まったく」

 呟きながら紙袋を棚へ置いた。

 ペットボトルとティッシュの箱、時計、読みかけの文庫本が一冊。ほかに目立つ私物は少なかった。長く使っている部屋だという割に、ここでの暮らしがあまり見えてこなかった。

「一夏……この部屋で過ごして、どの程度になる」

「え?」

「いや、その……長く入院していると聞いた」

「ああ」

 一夏は自分の周囲を見回した。

「結構長いよ。自分でも、こんなに長くなるとは思ってなかった」

「そうか……」

「まあ、先生たちはちゃんと診てくれてるし、看護師さんたちも親切だからさ。そこは心配しなくて大丈夫だよ」

「……本当だろうな」

「本当だって」

 箒は一夏を見た。聞きたいことはまだあったが、うまく言えなかった。口に出しかけた言葉をやめ、別のところから尋ねた。

「……ちゃんと食事は取れているのか?」

「うん。三食ちゃんと食べてる」

「睡眠は?」

「寝てるよ。消灯時間も決まってるし」

「検査は?」

「それは……まあ、いろいろ」

「いろいろ?」

「採血とか、身体の状態を調べたりとか。詳しいことは先生に聞いてくれないと、俺も全部は分からないんだ」

 一夏は申し訳なさそうに笑った。

「難しい説明もされるんだけどさ、聞いてるうちによく分からなくなってくるんだよな」

「お前は昔からそういうところがある」

「ひどいなあ」

「事実だろう」

「まあ、否定できないけど」

 箒はため息をついた。顔は少し笑っていた。

 特別な話を用意しなくても、こんなやり取りができる。一夏がいて、返す言葉がある。会う前にはそれだけで嬉しいとは考え切れなかった。

「そういえば、箒」

「なんだ?」

「東京にはいつ来たんだ?」

「一昨日だ。昨日は静嘉堂文庫美術館にも行った」

「へえ。じゃあ、観光もしてるんだな」

「ああ。ミーシャに服も選んでもらった。……いや、その話はいい」

 一夏が服を見たので、箒は慌てて話を止めた。

「似合ってるじゃん」

「お前は簡単にそういうことを……」

「本当のことだろ?」

 ミーシャまで同じことを言った。箒は二人を順番に見た。どちらも悪気がなさそうで、余計に言い返せなかった。

「僕も、自分で決めて来たんだ。病院へ来るまでに、箒といろいろ見られて楽しかったよ」

「そっか。よかった」

 一夏は安心したように笑った。

「それにしても、二人は仲がいいんだな」

「え?」

「いや、なんかさ。ずいぶん息が合ってるっていうか」

「そ、そうか?」

「ああ。箒が誰かとそんなふうに話してるところ、あんまり見たことなかったから」

 一夏は感心したように頷いた。

「いい友達ができたんだな」

 箒は少し驚いた。ゆっくり隣を見ると、ミーシャはいつものように笑っていた。

「……ああ」

 箒は静かに答えた。

「そうだな」

 続けて、小さく頷く。

「私には勿体ないくらいの友人だ」

「箒?」

 ミーシャが意外そうに瞬きをした。

「なんだ。何かおかしいことを言ったか?」

「ううん」

 ミーシャは首を振った。

「ちょっと意外だっただけ」

「何がだ?」

「箒がそんなことを言うなんて」

「わ、私だって、それくらいは言う!」

「うん。そうだね」

 一夏が楽しそうに笑った。

「なんだよ、やっぱり仲いいじゃないか」

「だからそう言っているだろう!」

 言い返すと一夏がまた笑った。明るい声が病室に残った。

 ミーシャは棚の袋を見た。箒が選び、一夏が喜んだ。そのやり取りを確かめると、自分も少し落ち着いて話せる気がした。

「それより、一夏」

「何?」

「一つ聞いてもいいかな?」

「いいよ」

「普段はここで何をして過ごしてるの?」

 一夏は少し考え込んだ。

「うーん……本を読んだり、テレビを見たりかな。あとはリハビリとか」

「リハビリ?」

 箒がすぐに反応した。

「ああ。身体を動かす練習みたいなものだよ」

「……歩けるのか?」

 箒の声が硬くなった。一夏はきちんと頷いて答えた。

「うん。歩けるよ」

「本当か?」

「本当だって。今は少しずつ運動量を増やしてるところ」

「そうか……」

 箒は胸を撫で下ろした。

「ならば、よかった」

「まだ外を好き勝手に動き回れるわけじゃないけどな」

 一夏は苦笑した。

「一人で出歩こうとすると、看護師さんに怒られるし」

「当たり前だ!」

 箒が即座に言った。

「お前は入院患者なんだぞ! 勝手な行動をするな!」

「いや、実際に勝手に出歩いたわけじゃないって!」

「ならばいい!」

「まったく、箒は厳しいなあ……」

 一夏が肩を落とした。ミーシャはその仕草に笑った。

「箒は心配してるんだよ」

「それは分かってるけどさ」

 一夏は少し照れた顔で笑った。

「なんか、昔に戻ったみたいだな」

 その言葉に、箒の表情が変わった。

「……昔?」

「ああ」

 窓の外を一度見てから、懐かしむように言った。

「子供の頃、よくこんなふうに怒られたよな」

「……お前が無茶ばかりするからだ」

「そうだったっけ?」

「そうだ」

 箒は即答した。

「秘密基地を作ったときも、同じだった。雨が降ってきて、作りかけの屋根が崩れて」

「覚えてる! 二人とも泥だらけになって、怒られたんだよな」

「お前が、大丈夫だと言うからだ」

「箒だって、最初は賛成しただろ」

 それぞれ別のところで笑うので、ミーシャも事情を聞いた。説明を始めると、一夏は初めに棒を立てた場所まで覚えていた。

 箒の覚えた景色が相手の中にもある。それが今は思った以上に嬉しかった。

「……一夏」

「ん?」

「覚えていたんだな」

「そりゃ覚えてるよ」

 一夏は不思議そうな顔をした。

「大事な思い出だし」

「…………」

 箒は黙った。俯きかけ、慌てて顔を上げた。

「そ、そうか」

「ああ」

「……そうか」

 一夏は少し首を傾げた。それ以上は聞かない。ミーシャも二人の顔を見て黙っていた。

 やがて一夏が別のことを思いついた。

「そうだ、ミーシャ」

「うん?」

「箒とはどこで知り合ったんだ?」

 ミーシャは少し考えた。

「同じ教室で、僕から話しかけたんだ。箒を食事に誘った」

「へえ。何の話で?」

「剣道。それと、ご飯の食べ方かな」

「ミーシャ!」

 箒が抗議すると一夏は余計に聞きたがった。ミーシャは次の機会の話へ取っておくと言った。

 箒はようやくベッド脇の椅子へ座った。肩の力は抜け、声も普段の調子だった。ミーシャももう一脚を寄せた。

 二人が落ち着くのを待ち、一夏が少し真面目な顔になった。

「……なあ、箒」

「なんだ?」

「本当に、ありがとうな」

「……またそれか」

「いや、ちゃんと言っておきたくてさ」

 一夏は自分の膝の上へ目を落とした。

「先生も看護師さんも、よくしてくれるんだ。でも、検査して、ご飯を食べて、また検査してっていう日が続くとさ」

 窓へ一度目を向けてから続きを言った。

「昔の話をして笑ってると、普通に戻れた気がする」

 胸の奥が少し苦しくなった。

 一夏は笑っている。安心させるためだけの顔でもないのだろう。それでも検査のための知らない顔が次々と出入りする時間を、箒はようやく想像した。

「……一夏」

「ん?」

「また、来てもいいか?」

 一夏が瞬きをした。

「え?」

「だから……」

 箒は膝の上で拳を握った。

「また、見舞いに来てもいいかと聞いている」

 一夏は呆気に取られた顔をした。すぐに笑った。

「当たり前だろ!」

 迷いのない返事だった。

「来てくれるなら、いつでも大歓迎だよ!」

「……そうか」

「うん。俺も退屈してるしさ」

「退屈しのぎか、私は」

「ち、違うって!」

 慌てた返事を見て、箒も小さく笑った。

「冗談だ」

「……なんだよ、もう」

 一夏は胸を撫で下ろした。

「箒まで人をからかうようになったのか?」

「お前があまりにも隙だらけだからな」

「ひどいなあ」

 そんな二人を見て、ミーシャが口を開いた。

「僕も、また来ていいかな?」

 一夏は迷わず頷いた。

「もちろん。もっと話してみたいし」

「ありがとう。箒の昔話の続きも、聞きたいな」

「余計なことを教えるなよ、一夏」

 箒が先に止めると、一夏はまだ何も話していないと笑った。初対面の二人にも、もう共通の話ができていた。

 箒も呆れた顔のまま笑った。窓からの光が机の端を照らしている。時計が目に入りかけたが、そちらを向かなかった。

 また来ることを一夏が歓迎した。今はその返事を覚えておきたかった。

「……なあ、一夏」

「ん?」

「さっきの秘密基地の話だが」

「ああ」

「お前、覚えているか? あのとき、屋根が崩れたのは……」

 箒は記憶を一つずつ確かめながら話した。一夏が応じ、ミーシャは知らないところを尋ねる。

 二人だけで知っていた出来事が、三人で話せる思い出へ変わっていく。同じ場面で言い合いになっても、ミーシャが無理に間へ入る必要はなかった。どちらかが振り返り、事情を教えてくれた。

 箒が話した一夏の昔を、今日は一夏の口からも聞ける。ミーシャは気になっていた別の問いを、いったん胸へ戻した。

 次の思い出を尋ねると箒が先回りして止めた。一夏は何を話すかまだ決めていないと笑う。

 その声を聞きながら箒は手紙を思い出した。

 久しぶりだな。

 最初にそれを言えばよかった。今なら、あれだけで足りたのだと思えた。

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