Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
「蔵の件はお前にも責任がある」
一夏は笑った。今になって責任を分けるのかと言い返す。ミーシャも、一人で作ったわけではないと二人を見た。
話の途中で扉が鳴った。
「失礼します」
少し間延びした、聞き覚えのある声だった。箒が振り向いた。
「……御厨さん?」
「はい。お話の途中、エラい申し訳ありません」
御厨が入ってきた。丸眼鏡の奥で穏やかに笑っている。今度は一人ではなく、白い看護服の女が続いていた。
「織斑君。調子はどうですか?」
「あ、御厨さん。こんにちは」
一夏が笑顔で応じる。
「大丈夫ですよ。今、箒たちと昔の話をしてたところです」
「そらよかった。懐旧を、ええと、旧交か。なんでもエエわ」
御厨は病室を見回した。
「ウチはもうちょいお話しててもろてもかめへんのですけど。看護師さんのご都合もありますよって」
「篠ノ之さんとグラハムさんは初対面ですやろ」
御厨が横へ寄り、看護師が一歩前へ出た。
「初めまして。看護師のアズマです」
白い髪を肩の手前で揃えていた。肌も淡い瞳も、窓の光の中でいっそう白く見えた。
箒は一瞬目を留めた。アズマは気にする様子もなく会釈した。
「織斑さんの担当看護師をしております。本日は退院後の生活についてお話があると伺いましたので、同席させていただきます」
深々と頭を下げる。
「体調に変わりがあれば、途中でも教えてくださいね」
一夏が頷いた。普段から世話になっている者へ向ける、気安い返事だった。
「さて」
御厨が口を開いた。
「せっかくですから、皆さんには座って聞いてもらいましょうか」
御厨は椅子を寄せ、アズマはベッドの足元に立った。説明を始める前に、まず一夏へ顔を向けた。
「まず確認ですけど、織斑君」
「はい?」
「これから話す内容には君の病状や治療に関することも含まれます。篠ノ乃さんとミーシャさんにも聞いてもろて構いませんか?」
「え? もちろんいいですよ」
一夏は御厨とアズマの二人を見た。
「退院後の暮らしの話なら、二人にも聞いてほしいです。俺だけだと、手続きの話をちゃんと覚えられないかもしれないから」
箒は全部分かるとは限らないと答えた。それでも席は立たなかった。一緒に聞いてほしいと言われたのなら、聞いておきたかった。
「ほな、お言葉に甘えさせてもらいましょう」
手帳が開いた。箒も自然に背筋を伸ばした。昔話のときに緩めていた背中を、きちんと起こした。
「先に結論から」
御厨は一夏を見た。
「織斑君の退院時期がぼちぼち決まります」
「…………え?」
一夏の目が丸くなった。箒も息を呑んだ。
「それは……」
「退院、ですか」
「ええ。そういう方向で調整中です」
御厨は頷いた。
「医学的なお話についてはウチより専門家の方が適任でしょう。アズマさん、お願いしてよろしいか」
「はい」
アズマが少し進み、ファイルを開いた。書類を一度確かめてから話す。
「入院は疾患の治療のためでした。投薬だけでは難しく、外科的な処置が必要だったと、担当医から説明されています」
病名や手術の具体的な内容については触れなかった。アズマは一夏が同席を認めた生活上の説明に範囲を絞り、担当医から聞いている退院後の注意を順番に伝えた。
「手術……」
箒の声が硬くなる。
「一夏はそんな大変な治療を受けていたんですか?」
「箒」
一夏は少し困った顔で笑った。
「そんな顔するなって。もう終わったことなんだからさ」
「だが……!」
「今はこうして元気にしてるだろ?」
箒は返事ができなくなった。今は元気だと言われても、知らなかった手術の話へすぐ安心できるわけではない。
アズマは二人が落ち着くのを待ち、先を続けた。
「手術そのものは予定どおり終了しています。術後の経過についても、担当医は良好と判断しています」
「……そう、ですか」
「術後の状態は安定しています。経過観察と投薬は必要ですが、そちらは定期的な通院で対応可能との結論です」
今度は一夏へ直接伝えた。
「担当医も以後のリハビリは日常生活を通して行なうのがよいとの考えです」
「おお……!」
一夏の顔が明るくなった。
「やっと、病院から出られるんだな」
一夏が拳を握った。それから看護師の顔を見た。
「もちろん先生の話を聞いてからですよ」
先に言われ、箒は注意を引っ込めた。
御厨が静かに咳払いした。
「ええところで申し訳ありませんけど、まだ話には続きがありましてな」
「……続き?」
一夏が顔を向けた。
「ええ」
御厨は手帳を閉じた。
「医療面では退院の準備を進められる見込みとなりました。ほやけど、退院したあとの生活についてはもう少し慎重に考えなあかん事情があります」
箒の顔が引き締まった。
「それはどういう意味ですか?」
「簡単に言えば、住む場所の問題ですわ」
「住む場所……?」
一夏はその言葉を繰り返した。退院と聞けば、元の家へ帰るところまで一緒に思い浮かべる。住む場所を選び直す話にはすぐ繋がらなかった。
「ええ。退院した後、君がどこで生活するか、という問題です」
御厨は穏やかに答えた。
「元の家に帰るのではいけないんですか?」
御厨は不可能ではないが勧めにくいと答えた。アズマが補足する。通院ができれば通常の生活は可能で、特別な設備のある施設に住む必要はないという。
「だったら、今の病院の近くが便利じゃないですか」
「医学的にはそのとおりです」
アズマの返事を聞いて御厨が頷いた。
「問題は君のプライバシーなんですわ」
「……プライバシー?」
「ええ」
「いまご自宅に帰られても、落ち着いて生活でけへんのちゃうか、と。そういうハナシです。カメラとマイクに囲まれるんは鬱陶しいですやろ」
「答えられることだけ、答えればいいんじゃないですか」
「それで済めへんやろ、いうんが
テレビ報道は沈静化どころか過熱する一方だ。
天気予報ぐらいしか意識して見ない箒でさえ、記憶に残っている。
「落ち着いて暮らせる方が、織斑くんにとってもよろしいんやないですか」
「でも……」
一夏はまだ納得していなかった。
「だからって、引っ越しまでする必要があるんですか?」
「必ずしも、とは申しません」
「え?」
「我々としてはあくまで提案です」
御厨は背もたれへ少し寄り掛かった。
「どこに住むかは君自身の今後の生活に関わる大切な問題ですからね。こちらの都合だけで決めるわけにはいきません」
そこで、一呼吸置く。
「ただ、君にとって利益のある選択肢はなるたけ用意しておきたいと思てます」
言い方は穏やかだった。しかし提案をする前から、次に話すことまで決まっているようにも見える。箒が尋ねかけるより、一夏の質問が早かった。
「じゃあ、具体的にはどこに住めばいいんですか?」
「そこです」
御厨は待っていたところへ来たように頷いた。
「我々としては宮城県仙台市への移住を提案したいと考えています」
「……仙台?」
一夏が目を丸くした。
「宮城県の?」
「ええ。東北で一番大きいらしいです」
「いや、それは知ってますけど……」
一夏は首を傾げた。
「なんで仙台なんですか?」
「いくつか理由があります」
御厨は手帳を開いた。
「医療機関や交通機関が揃っていますし、外から移り住む人も珍しくない。生活を始めるには悪くない場所です」
一夏は頷いた。ミーシャは説明している顔を見ていた。
「それだけじゃないんでしょう?」
御厨が顔を向けた。
「と、言いますと?」
「仙台を選んだ理由です」
ミーシャの声は穏やかなままだった。
「御厨さんの説明なら、仙台に限らずどこでもいい。大阪、名古屋、広島、博多。候補はいくらでも挙げられます」
「……なるほど」
御厨は少し感心したように頷いた。
「そらまあ、そうなんやけどなあ」
「おそらく荒川さんの都合じゃありませんか」
「やっぱ目立つてあのオッサン」
今度は隠さず認めた。
「仙台は陸自の駐屯地がようけありますねん」
「……自衛隊?」
箒が反応した。
「そうです」
指を折って理由を挙げた。
「極端なハナシ、東京からヒトとモノを運び込みやすいんですわ仙台は。トクシャさんも西よりええやろいうことで」
「トクシャ……南雲警部補の?」
「ええ。そのナグモさん」
公安警察に陸幕情報部、それに機動隊。随分と大所帯に思えた。一癖も二癖もあるマキマや荒川相手に、南雲警部補やこの御厨捜査官はかなりの苦労を強いられているらしい。というおりあの二人が主導権を譲ろうとしないのだろう。
そんな協調性を持ち合わせているようには見えなかった。
「ほんで、もう一つ」
御厨は手帳を閉じた。
「実はこちらとしては仙台市内やったら土地の目星はつけてます」
「目星?」
「ええ」
御厨の目が箒へ向いた。
「杜王町、という土地をご存じですか?」
「…………え?」
箒の手が止まった。一夏が不思議そうにそちらを見た。
「どうしたんだ、箒?」
「い、いや……」
箒は御厨へ向き直った。
「今、何と?」
「杜王町です」
御厨はゆっくり繰り返した。
「仙台市にある町です。仙台の中心市街地ほどやかましないし、住民も誰彼構わず話しかけるようなんは少ない。生活に必要な施設も、ある程度揃っとります」
そこで、御厨は口元を緩めた。
「何より、篠ノ乃さんとミーシャさんがお住まいの土地でもありますからね」
「……!」
箒は目を見開いた。
「それは……」
一夏が彼女へ顔を向ける。
「箒って、杜王町に住んでるのか?」
「……ああ。ミーシャも、同じ町だ」
一夏が初めて聞く町の名を言い直した。箒は少し遅れて意味を掴んだ。あの道へ一夏が来る。近くへ引っ越すとはそういうことだった。
「御厨さん」
「はい?」
「本当に、一夏を杜王町へ?」
「ええ。候補地の一つとしてですけどな」
御厨は頷いた。
「篠ノ乃さんとミーシャさんがおられるなら、織斑君も新しい土地で孤立せずに済むでしょう」
箒は黙った。
「なァんも知らんとこで暮らし始めるいうんは思ている以上に負担です。まして、長い入院生活を終えたばかりの若いコなら、なおさらでしょう」
御厨は一夏へ視線を戻した。
「そういうとき、気兼ねなく話せる相手がおるのは大きいんです」
「……確かに」
一夏が頷いた。
「箒が近くにいるなら、知らないところに引っ越すって感じもしないかもしれませんね」
「でしょう?」
御厨は満足そうに笑った。
「お二人とも、織斑君のことを心配して、わざわざ東京まで来てくれたわけです。そういう友人が近くにおるというのは実に心強いことですわ」
会いに来るたびに東京へ出なくてもよくなる。同じ道を歩き、同じ店で買い物をするかもしれない。箒は嬉しくなった。
ただ、その嬉しさだけで話を先へ進めてよいのか。少し考えてから口を開いた。
「……御厨さん」
箒が口を開いた。
「はい?」
「その……一夏が杜王町へ移り住むというのはもう決まっていることなんですか?」
「いいえ」
即答だった。
「先ほど申し上げたとおり、あくまで提案です」
「……そうですか」
「ただし候補地としてはかなり有力やと考えております」
御厨は微笑んだ。
「医療機関との連携、生活環境、支援体制。そうした条件を総合的に考えると、仙台はなかなかの条件やないかなあ、と思ってます」
「……なるほど」
「もちろん織斑君自身の希望も聞かなあかんけど」
御厨は一夏へ顔を向けた。
「どうです? 織斑君」
「え?」
「引っ越すなら、家と学校はどうなるんですか。俺、仙台に行ったこともないんですけど」
住居の候補と学校の受け入れ先は調べられる。ただし、ここで全部決められるわけではない。御厨はそこを付け加えた。
アズマが静かに話へ入った。
「その点については私からも少し補足させてください」
御厨が頷く。
「お願いします」
病院では診察も服薬も時刻を決めてもらっていた。退院後は自分でも覚え、管理することになる。アズマは一夏へその違いを説明した。
「最初の通院間隔と運動の範囲は担当医に確認します。生活が落ち着くまで、学校へ通う時期も相談しましょう」
一夏は頷いた。出たらすぐ全部元どおりではない。それでも、ベッドの外での毎日を話せることが嬉しそうだった。
「……一夏」
「ん?」
「よかったな」
箒は静かに言った。
「本当に、よかった」
一夏は一瞬驚き、照れたように笑った。
「ああ。ありがとう、箒」
箒も小さく笑った。御厨は二人が話し終えるまで待っていた。
「そういうことですから、まずは今後の生活について、ゆっくり考えていただければと思います」
その言葉に、ミーシャが顔を上げた。
「仙台へ行きたくないと言ったら、どうなるの?」
御厨は東京も含め、ほかの候補を考えると答えた。
「では仙台へ行くことが退院の条件ではないんだね」
「ええ。医学的には別の話です」
アズマも頷いた。ミーシャはそれを確かめ、もう一つ尋ねた。
「退院後の外出に、ホテルで僕たちが言われたような条件は付く?」
「基本的には普通に買い物も通学もしていただきます。医師の注意事項は守ってもらいますが」
御厨はまた一夏へ向いた。
「ただし病状や入院中のことを、不特定多数へ詳しく話すのは控えてください。プライバシーを守るためです」
一夏は頷いた。何より外へ出られることが気になっていたらしい。ミーシャは買い物と通学という具体的な答えを覚えた。
御厨が手帳を開いた。通院しやすいこと。日常の買い物に困らないこと。近くで相談できる相手がいること。住居に求める条件をもう一度並べた。
一夏はその町で暮らす二人を見た。
「杜王町って、住みやすい?」
箒は学校へ行く道と、帰りに寄る店を思い浮かべた。
「静かで、いい町だと思う。店もあるし、交通にも困らん」
「箒、あの町を気に入ってるんだよね」
箒は頷いた。昔の家がある場所からは離れている。それでも今の自分が帰る町にはなっていた。
「二人がいるなら、知らない町でも少し安心だな」
一夏が少し安心したように箒を見た。
「……なあ、箒」
「なんだ?」
「もし俺が杜王町に引っ越したらさ」
「……ああ」
「また、昔みたいに一緒に遊べるかな」
箒の動きが止まった。
「…………え?」
「いや、せっかく近くに住むんだったらさ。たまには一緒に出かけたり、飯食いに行ったりできるだろ?」
一夏は何でもない誘いのように続けた。
「昔みたいに、いろんなところへ行けたら楽しいだろうなって」
「…………」
箒は一夏を見た。昔のように。それがいちばん具体的だった。毎日会うために、特別な理由を作る必要のなかった頃を相手も覚えていた。
「昔みたいに」という一言が、箒には何より具体的だった。毎日会うのに、特別な理由など要らなかった頃のことを、一夏も覚えている。
「……ああ」
箒は小さく頷いた。
「もちろんだ」
「本当か?」
「当たり前だろう」
箒は顔を上げた。
「お前が杜王町に来るのなら、私が案内してやる」
「おお!」
「町のことなら、私にも多少は分かる。困ったことがあれば相談してくれて構わない」
「助かるよ!」
一夏は笑顔を浮かべた。
「じゃあ、引っ越したらよろしくな!」
「……ああ」
頬が熱くなった。けれど返事は引っ込めなかった。
「任せておけ」
ミーシャが隣で楽しそうに笑った。
「僕も案内するよ。箒が連れていかない店もあるだろうし」
一夏は三人で行けばよいと笑った。箒も今度は慌てずに頷けた。
御厨はそのやり取りを眺めていた。それからゆっくり話を戻した。
「……どうやら、杜王町への移住については前向きに考えていただけそうですな」
一夏が顔を向けた。
「あ、はい」
少し考えてから、頷く。
「まだ分からないことも多いですけど……」
「ええ」
「箒とミーシャがいるなら、いいかなって思います」
御厨は微笑んだ。
「それは何よりです」
御厨は手帳に何かを書き込んだ。
「では今後の準備についてはこちらでも少しずつ進めておきましょう」
「候補を調べる段階なら、返事の前にも進められます。正式な手続きではもう一度聞きますから」
御厨は一夏の返事を書いた。前向きに考える。それがどこまでの了承として残るか、ミーシャは筆先を見ていた。
アズマが静かに声を掛けた。
「織斑さん。そろそろ一度、お身体を休めましょうか」
「え?」
「今日は朝から検査もありましたし、面会で随分お話もされていますから」
一夏は時計を見た。
「もうそんな時間ですか?」
「はい」
アズマは微笑んだ。
「楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね」
「……そうですね」
一夏が名残惜しそうに二人を見た。箒も同じだった。ただ背を少し休めた姿が見えたので、先に椅子から立った。
「次は町の話の続きをしよう」
「ああ。楽しみにしてる」
ミーシャも立って会釈した。来たときには初めましてと言った。その相手へ、帰りにはまたねと言えるようになっていた。
「……さて」
御厨が静かに口を開いた。
「ではそろそろ失礼しましょうか」
御厨は立ち上がり、手帳を内ポケットへしまった。
「織斑君。今後のことについてはまた改めてお話しします」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
御厨が会釈し、アズマも二人へ頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
箒も頭を下げ、ミーシャが続いた。アズマは穏やかに笑っていた。
「織斑さんも、お二人に会えて嬉しかったと思います」
「……はい」
箒が見ると一夏はまだ笑っていた。
また来ることを歓迎してもらった。その返事を覚えて部屋を出る。手紙はベッド脇へ置いた。今度は返事を送る先も聞ける。
ミーシャは御厨の内ポケットへ一度目をやった。住居と学校、通院先。今日初めて考えたには具体的な提案だった。一夏が頷いても、全部決まったわけではない。まだ話すことは残っている。
扉が閉じる直前、一夏が手を振った。箒も手を上げた。
新しい生活。その言葉の先はまだ見えない。ただ病室の中だけだった予定が、外へ少し延びていた。