Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
日曜日の午前八時半。
ミーシャの自宅の台所で、箒は腕を組んでいた。
窓から入る朝日が調理台へ四角く射し込む。
その真ん中に、鶏レバーのパックが置かれていた。
憮然とした表情の箒が呻くように言う。
「……納得がいかない」
「何が?」
ミーシャはエプロンの紐を結びながら尋ねた。
「レバーだ」
「うん。レバーだね」
「それが分かっていて、なぜ出す」
「どうして美味しくないのか聞いたからさ」
ワケもなく答えられ、返事に詰まった。
確かに、聞いた。それは間違いなく事実だ。
だが、質問したからと言って、もう一度食べることに同意したかどうかは、別の話ではないだろうか。
先週、一緒にイタリア料理を食べたあと、箒は食事を手帳へ書き留めるようになった。最初の晩は、料理の名前を思い出すだけで少し時間が掛かった。ペコリーノ。魚の香草焼き。羊肉の串焼き。翌朝からは、いつものご飯と味噌汁に戻った。
数日後。買い物の途中、精肉売り場のレバーが目に留まった。
食べるものを増やすなら、試してみてもよいと思ったのである。値段も手頃だった。まして自炊の経験は相応に積んでいるのだ。内臓とはいえ肉なのだ。フライパンでよく火を通すだけ。味つけも塩胡椒だけ。これなら失敗することはあるまい――ところが、いざ出来上がったレバー炒めは、乾燥して硬いうえひどい臭みに悩まされた。
翌日、話を聞いたミーシャはにこりともしなかった。
代わりにまた根掘り葉掘りの質問が始まる。購入した店から下処理の有無、調理方法から味つけのタイミングまで。
とどめに日曜日の朝なら実際に作れると言い出した。
そして現在。日曜日の午前八時半。箒は、再びレバーと向き合っている。
「焼いて食べたと言っただろう。臭みが強かったし、硬かった。あれを食べ続けるのは御免だ」
「食べ続けろとは言ってないよ」
「ならば別のもので構わんではないか」
「それでも良いよ。けど、もう一度作ってみたいんじゃなかったの?」
ミーシャが顔を向けた。
黒い目には、からかうような色がない。ざっくり切られた短い黒髪は、教室で会うときと同じように、不揃いな毛先をあちこちへ向けている。
料理の半分ほどでも髪型へ気を回せばよいのに。
箒はそんなことを考えてから、腕をほどいた。
「……作り方は、知っておきたい」
「じゃあ、そこからだね」
ミーシャが、もう一枚のエプロンを差し出した。
十四歳の女学生に2LDKマンションは広すぎるように感じた。
いま二人はキッチンにいる。ここだけでも広い。わずかに肩をずらせばすれ違える。その向こうにダイニングがある。一人用にしては大きなウッドテーブルと何故か四人分の椅子があって、奥にはリビング。一人暮らしのために家具は少ない。大画面の液晶テレビとローテーブルにソファチェア、あとは本棚とスチールラックがいくつか。
ダイニングテーブルにもローテーブルにも、本やDVDが積み上がっている。
部屋へ入ったときから、箒はそちらが気になっていた。
「そんなに見なくても、あとで貸すよ」
「……まだ何も言っていない」
「表紙を読もうとしてたから」
ミーシャは、キッチンボードの端へ小さな紙を置いた。
「今日の献立はレバー入りのオムレツ。ブラッドソーセージにベイクドトマト。それから、コンソメスープとバタートースト」
「朝からそれだけ作るのか」
「二人分なら丁度良いくらいだよ。ソーセージは味見程度だしね」
「普段はもっと簡単、と」
「うん。学校がある日はトーストとスープに、あとヨーグルトぐらい」
箒は紙を覗いた。
料理の名前の下に、使う道具と、おおまかな順番が書かれている。
「ここまで書く必要があるのか」
「台所のどこに何があるか、調理師ながら説明するよりメモを見た方が早いから」
箒はもう一度、紙を見た。
癖のない綺麗な文字だ。もちろん日本語である。
いよいよ名前を呼ばなければ、アメリカ人だと失念しそうになる。
ともかく。どこから手をつければよいかは、確かに分かった。
「それで、私は何をする」
「まず、手を洗おう」
「それくらいは分かっている」
「僕も洗うんだよ」
ミーシャが隣へ並び、蛇口を開いた。
下処理の手順をミーシャが実演する。そのあと箒も見よう見まねで続く。
まずレバーを専用のまな板へ移す。包丁の先端を使い大きな血管や目に見える血の塊をすべて除く。
「前は、このまま焼いたのかい?」
「ああ。袋から出して、そのままだ」
「大きさも?」
「大きいものは切った」
「厚さも意識した方がいい。同じ一切れでも火の通りが違ってくる」
ミーシャが二つ並べる。
言われてみれば、その通りだった。
箒は大きい方を切り分け、小さい方と見比べた。
「あまり細かくしてよいのか」
「今日はどのみち刻んでしまうからね。オムレツの具にするときは卵の火加減が一番難しいから、そこにあわせる」
箒は頷き、次を取った。
鉄っぽい独特な匂いがある。これを苦手という声があるのも頷ける。
ミーシャは浅いタッパー容器へ牛乳を注いだ。
そこへ下処理の済んだレバーを沈める。
「これは?」
「レバーの臭い消しの代表例だよ。あとは塩の浸透圧で臭みと余分な水分を除いたり、お酢を使う場合もある」
「これをすれば、臭くなくなるのか」
「万能ってわけじゃあないかな。鮮度が回復することはないし。トニオさんの言葉を借りるなら
ふたを閉じられたタッパーは冷蔵庫へ仕舞われた。
ミーシャはキッチンタイマーを十五分に合わせる。
「待っている間に、ほかを進めよう」
生レバーに使った道具を片づけ、二人で手を洗い直す。
箒がまな板の置き場所を聞くと、ミーシャは空けておいたところを示した。
改めて見るとキッチンも整理整頓されている。
「綺麗好きなのだな」
「途中で探し物をすると、焼いているものを忘れそうだから」
「お前でもあるのか」
「あるよ。失敗から学んだ」
当然のように返され、箒は、台所をもう一度見回した。
整然として見えたものにも、理由があるらしかった。
トマトは箒が半分に切った。
切り口へオリーブオイルを垂らし、塩と胡椒、それから乾燥した香草を散らす。
「オレガノだよ」
尋ねる前に、ミーシャが瓶をこちらへ向けた。
「まだ聞いていないぞ」
「今、瓶を見ていただろう?」
「……確かめただけだ」
箒は瓶の名前を読み、蓋を閉めた。
「これで終わりか」
「あとは焼く。火を入れると、味が変わるから」
トースターへ入れると、今度はスープに取り掛かった。玉ねぎを薄く切り、鍋へ入れる。市販の顆粒コンソメを使うと聞いて、箒は意外そうに顔を上げた。
「本があれだけあるのに、これは即席なのか」
「今日は、レバーの方を見たいからね。全部に手を掛けると、どこかで間に合わなくなる」
「本格的に作る方が好きなのかと思っていた」
「好きだよ。けれどコンソメだけは即席だね……うん、本当に。何度か自作して分かったけれどインスタント食品って素晴らしい技術だと思う」
よほど手痛い失敗だったらしい。ミーシャの黒い目が、少し虚ろになった。
沸騰した湯の中で玉ねぎが揺れている。
味を見ようとして、ミーシャから小さな匙を渡された。少し冷まして口へ入れると、思ったより薄く感じる。
「塩は?」
「ソーセージにも味があるから、食べるときに確かめよう」
「一つずつ、決めないのか」
「一緒に食べるものだからね」
箒は、皿のない食卓へ目を向けた。
自分で食事を作るときは、ご飯を炊き、味噌汁を作り、おかずを用意する。それぞれを作れば、食事になると思っていた。
口の中でどう並ぶかまでは、あまり考えたことがなかった。
隣でミーシャが、冷蔵庫から黒褐色の塊を取り出した。
「それが、ソーセージなのか?」
「ブラッドソーセージ。イギリス産だからブラックプディングって言うんだけど。血を使って作るんだ」
箒の眉が僅かに動いた。
「……血?」
「ほかに内臓と、肉の切れ端。国によっては大麦なんかを入れたりもする」
包みの表示を読み、ミーシャは必要な分だけ切り分けた。
切り口は、箒が知っているソーセージとは随分違う。明るい肉の色ではなく、細かなものが詰まった、黒っぽい断面だった。
「生き物の血を食べるわけか」
「伝統的に畜産が盛んな土地だと珍しくない。日本にも魚の
「言われてみれば……うむ、特別ではないのか」
「嫌なら、食べなくてもいいよ。僕が食べるから」
箒は、少し黙った。
あまりに自然に言われてしまった。これでは自分だけが大袈裟に身構えているようなものではないか。
「一口は、食べてみる」
「分かった」
ミーシャはそれ以上言わず、包装の加熱方法を確かめた。切り分けたものを小さなフライパンへ並べ、火に掛ける。
食べると答えたが褒めはしなかった。
正直、その方が楽だと思った。
タイマーが鳴った。
引き上げたレバーの表面の水分をキッチンペーパーで拭き取る。余った牛乳は捨てた。
フライパンへ油を引き直しつつミーシャは「そうだ」と箒へ訪ねた。
「焼き色は、どのくらいだった?」
「黒だ。少し焦げたかもしれん、念入りに焼いた方がいいと思ってな」
「火は?」
「強めだ。なかなか中まで焼けなかった」
ミーシャは、フライパンを持ち上げる手を止めた。
「食感が硬くなった理由はそれだろうね」
「火を通す必要があるんだろう」
「ある。特に内臓系はその通り。けれど肉にせよ魚にせよ、強火で一気に焼くと身が縮んで硬くなりやす。あとは温度変化もあるかな。今回は冷蔵庫から取り出したばかりだから、弱火からでいいかもね」
大きく切り取られたバターが、温めたフライパンの上で溶けていく。
刻んだ玉ねぎを入れると小気味よい音がした。ミーシャは液化したバターとたまねぎを混ぜ、箒へ色を見せた。
「今回はたまねぎも具にするからこのくらいでいいよ」
「本に載っていた料理だろう」
「ドラマで見た料理が気になったんだ。サクロモンテ風オムレツ。スペイン風オムレツの一種で、レバーだったりソーセージとグリーンピースやパプリカ、たまねぎなんかを入れる」
「……初耳だ。そのドラマは面白いのか」
「ボクは好きだよ。原作のシリーズ小説も持ってる。ただ、ホラー要素のあるサスペンスだから人を選ぶかもしれない」
淡々と言いつつミーシャはレバーを並べた。
途端に音が少し大きくなった。
箒は、油が跳ねない位置から手元を覗く。
ミーシャはすぐに弱火からトロ火へ切り替えた。
「もう弱くするのか」
「表面を焦がしたくないからね。それにバターをかければそれでも火が通っていく」
ときどき面を返しつつスプーンで溶かしバターをかける。
しばらくじっくり焼いて、ミーシャは温度計を取り出した。
「断面の色を見れば分かるだろう」
「鳥レバーは加熱不足が怖い。目だけで確かめるより慎重でいい」
箒は温度計と、フライパンを見比べた。
硬くするなと言われ、今度はよく火を通せと言われる。
最初は随分勝手な話に思えた。隣で説明を聞き、実演を目にし、ようやく理解が及んだ。要は勘に頼らず丁寧にやれば良いのだ。
十分な加熱を確かめてから、レバーを取り出す。少し冷まし、清潔な道具で細かく刻んだ。
切り口を見る。中心までよく火が通っている。それでいてしっとりと水分を保ち、乾燥している様子がない。
箒は何も言わず、卵の入ったボウルを引き寄せた。
「混ぜていいか」
「うん。泡立てなくていいよ」
「卵を溶くくらいできる」
言い返しながら、箒は箸を動かした。
ミーシャが笑う。
「それは、助かる」
最初の一つは、ミーシャが焼いた。
溶いた卵へ、刻んだレバーと玉ねぎを混ぜる。
フライパンを改めて温め、バターを溶かし流し込む。
箸で大きく混ぜると、液だった卵が、見る間に柔らかな塊へ変わった。
ミーシャは手を止め火を落とした。
「ここからは、急に固まるから」
端を寄せ、傾けたフライパンの中で形を整える。箒が知っている卵焼きとは、手の動かし方が違った。
蓋を使って中まで火を通し、皿へ移す。
淡い黄色のオムレツが、目の前へ置かれた。
表面に、少しだけ焼き色がある。
「……簡単そうに見えるな」
「じゃあ、次は箒がやってみよう」
箒はフライパンを受け取った。
卵液を入れ、箸を動かす。ミーシャがやったとおりに混ぜているつもりなのに、手元へ寄ってくる卵の速さが違った。
「火を少し落として」
「わ、分かっている」
答えてから、つまみを回した。
箸で寄せた端に、薄い裂け目ができる。
「……破れた」
「まだ戻せるよ。無理に引っ張らず、そのまま寄せて」
ミーシャは手を出さなかった。
箒は唇を結び、フライパンを傾けた。思ったよりも重い。手首だけで動かそうとすると、余計に力が入った。
「少し持ち直してもいい。僕の持ち方と同じにしなくても大丈夫」
箒は一度、フライパンを火から外した。
柄を握る位置を変え、卵を寄せ直す。
形は、ミーシャが作ったものより平たくなった。端には小さな割れ目もある。それでも皿に載せてやればどうにかオムレツと呼べるものになっていた。
箒は二枚の皿を見比べた。
「……随分違うな」
「食べるには、困らないと思う」
「形の話をしている」
「うん。そこは、何度か作れば変わる」
ミーシャは、焼いたソーセージを添えた。
「僕も、一度目から今の形だったわけじゃない」
その言葉に、箒は顔を上げた。
「どのくらい失敗した?」
「ただの炒り卵として食べた回数なら数えきれないよ」
「……そうなのか」
箒は自分の皿へ目を戻した。
形が崩れた部分へ、玉ねぎが顔を出している。
まだ、炒り卵にはなっていない。
今は、それでよいことにした。
焼けたトマトとトースト、温めておいたスープを運ぶと、食卓の上が埋まった。
箒は料理本を濡らさない場所へ移し、向かいへ腰を下ろした。
ミーシャが、形の整った方のオムレツをこちらへ置こうとする。
「そちらはお前が食べろ」
「比べるなら交換した方がいいかと思って」
「自分で作った方を、確かめたい」
「分かった」
箒はフォークを取り、薄くなった端を切った。
卵の断面に、細かいレバーと玉ねぎが見える。口へ入れる前に少し匂いを確かめると、バターの香りがした。
一口、食べる。
レバーの味は、ちゃんとあった。
だが、前に食べたものとは違う。口の中の水分を取られるような硬さはなく、噛むと、卵の間から濃い味が出てくる。玉ねぎが甘かった。
箒はゆっくり飲み込み、もう一度、皿を見た。
「……食べられる」
「それはよかった」
「いや。そうではなくて」
ミーシャが、こちらを見る。
「うまい。前とは、全然違う」
言うと、ミーシャは嬉しそうに笑った。
箒は少し居心地が悪くなり、もう一口取った。
「形は、そちらの方がいいがな」
「少し交換する?」
互いの皿へ一切れずつ移す。
ミーシャの方は、卵の厚さが揃っていた。箒のものには、薄く硬くなったところと、厚く寄ったところがある。
食べてみると、見た目の違いが、そのまま口にも分かった。
「同じ材料なんだな」
「うん。一緒に混ぜたからね」
「分かっている」
箒は、自分のオムレツへフォークを戻した。
何が違うか分かると、ただ失敗したと思っていたときより、気になるところが増えた。
次は、火を弱めるのを、もう少し早くする。端へ寄せる前に、卵の固まり方をよく見る。
頭の中で手順を追っていると、向かいから声がした。
「冷めるよ」
「……分かっている」
箒が食べ始めると、ミーシャも自分の皿へ向かった。
ブラッドソーセージは、まず小さく切ってみた。
外側は香ばしく、中は、普通のソーセージのように弾む食感ではなかった。濃い味が、口へ広がる。
「こちらは、ずいぶん強いな」
「少しずつでいいよ」
次に、トマトを食べた。
切り口にフォークが沈み、温かい汁が流れる。生のまま食べるときとは違う甘みがあった。さっき散らしたオレガノの香りもする。
スープを飲むと、先ほどは物足りなく思えた味が、ちょうどよかった。
箒はカップを置き、並んだ皿を見た。
「……この順で食べることまで、考えていたのか?」
「順番は、君の好きにすればいい。ただ、濃いものばかりだと、疲れるだろう?」
ミーシャはパンを割った。
「一緒に食べて、美味しい方がいいから」
その言葉は、ずいぶん簡単だった。
箒はトマトの残りを食べ、ソーセージをもう一切れ取った。
「これなら、レバーも食べられそうだ」
食卓の皿が半分ほど空いたころ、箒は言った。
「毎日は飽きるかもしれないが」
「毎日食べる必要はないよ。レバーには鉄やビタミン類が多いけど、たくさん食べればいいものでもない。ほかの料理も作ればいい」
「結局、これだけ覚えても駄目なのか」
「覚えた料理が一つ増えたんだから、それでいいだろう?」
ミーシャの返事は早かった。
箒は、少し黙った。
食事を変えると考えると、何から何まで変えなければならないような気がしていた。今まで食べてきたものを並べ直し、足りないものを全部覚えなければならないような。
だが、目の前にあるのは、今朝作ったオムレツだった。
「手帳、持ってきた?」
「ああ」
箒は鞄から取り出した。
開いたページには、一週間の食事と稽古の時間が並んでいる。初めの二日だけは、疲れ具合も細かく書いた。その後は、短い言葉が一つ二つになっていた。
「途中から、雑になった」
「食べたものは、書いてあるね」
「量を忘れた日もある」
「次に食べるとき、少し気にしてみればいい」
ミーシャは勝手にページをめくらず、箒が開いたところだけを見た。
「これで、体力が足りないかどうか分かるのか?」
「これだけで決めるのは難しい。でも、今まで何となくしていたことが、少し見えるようになっただろう?」
箒は書き込んだ文字を見た。
稽古が長引き、夕食が遅くなった日がある。朝、慌ただしく家を出た日は、いつもより食べたものが少なかった。
書く前には、どちらも同じ一日のつもりだった。
「……見返すと、違うものだな」
「今日の分も、帰ったら書いておくといい」
「料理の名前を、また忘れそうだ」
「さっきの紙、持っていっていいよ」
箒は手帳を閉じ、調理台へ目を向けた。
最初から、そのつもりで書いてあったのかもしれない。
食べ終わると、箒は自分から皿を重ねた。
ミーシャが流しへ立つ横で、拭いた食器を受け取り、教えられた棚へ戻す。二人で使った台所は、来たときと違い、洗い物でいっぱいだった。
「作る方より、こちらの方が面倒だな」
「食べ終わると、急にそう思うね」
「お前もか」
「僕も」
箒は小さく息を漏らした。
ミーシャがこちらを見たが、何も言わなかった。
最後の皿を戻してから、箒は、作り方を書いた紙を手帳へ挟んだ。
「次は、自分の台所で作ってみる」
「分からなくなったら、聞いて」
「まずは、一人でやる。毎回お前に見てもらうわけにもいかないだろう」
「うん」
「……ただ、また硬くなったら、どこを間違えたかは聞くかもしれない」
「そのときは、どう作ったかも覚えておいてくれると助かる」
「それが厄介なんだ。お前は細かいところまで聞くだろう」
ミーシャは少し笑った。
箒はエプロンを外し、畳んで返した。
窓から入る光が、朝より少し奥まで届いている。食卓にはもう、二人分の皿はなかった。
「ミーシャ」
「何?」
「次は、魚の料理も教えてくれ」
「店で食べた料理?」
「それも気になる。だが、まずは、いつもの焼き魚をもう少しうまく作りたい」
ミーシャは、少し考える顔をした。
「じゃあ、魚を見に行こう。何があるか見てから、作るものを決めてもいい」
「買うところからか」
「そこも料理のうちだろう?」
箒は、手帳を鞄へしまった。
昼の稽古のあとなら、買い物へ行く時間は取れそうだった。今日作った料理のことを考えながら売り場を見るのも、悪くない。
「いいだろう。ただし、買いすぎるなよ」
「分かってる」
ミーシャは、すぐに冷蔵庫のメモへ目を向けた。
箒はその横顔を見て、もう一度、同じことを言っておいた方がよいか、少し考えた。