Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
01-01
四月初週。IS学園一年一組。
真正面の黒板が圧迫感を放つ。
最前列の重圧に、クラスメイトの嬌声が加わる。
ホームルーム前の朝である。
一夏も何度となく過ごした時間のはずだった。
これが人生でも指折りの難局とは予想外である。
「織斑くんの髪キレーだよね、どんな手入れしてる?」
「髪? いやぁ……フツーに洗ってるだけだけど……」
「それでその髪と顔? ズルくない?」
「顔は関係なくないか!?」
周囲の女子が笑った。どこを見ても女子がいる。クラスメイトは全員女だ。
IS学園は女子校である。ISを動かせるのは女だけなのだ。男子禁制を敷くまでもなく、男子が立ち入る理由がなかった。
織斑一夏もまた女子である。自らをどう任じようと、物質としての状態は現実である。
無論。身体が女だからと言われて女物が気持ちに馴染む理屈もない。
身につけているのは全てが男物だ。主治医のアレクシアにも相談したが機能的には問題ないの一点張りで、参考にならなかった。
この違和感に馴染むのはいつになるのだろう。下半身の
「写真撮っていい? 一枚だけ!」
「!」
カメラのレンズを向けられて咄嗟に身体が動いた。
反射的に両腕でブレザーの胸元を庇う形になる。
男子用という名目で制服はゆとりを持たせている。姿勢に注意していれば身体の線を誤魔化せる。今朝も寝室の姿見で繰り返し確かめた。
六ヶ月を超える
「写真はもう少し慣れてからにしてくれるか」
「そっか。ごめんね、いきなり」
「いや、そんな、謝るほどじゃ……」
「じゃあ連絡先だけ交換しようよ!」
次の話が早かった。一夏は窓側へ目をやった。
箒と目が合った。幼馴染の口元が少し緩む。助かったと思ったが、返ってきた声は期待と違った。
「人気者は大変だな、一夏」
「見てないで助けてくれよ!」
「随分と楽しそうに見えたが?」
「今の俺を見てそう思うなら、眼科に行った方がいいぞ!」
箒が声を出さず笑った。
杜王町で数か月過ごすうちに、この言い合いは戻っていた。買い物の袋を持たせ合い、夕食の献立を決め、ミーシャの間食をどちらが止めるかで相手を指す。どうでもよい会話が、六年会わなかった時間を少しずつ埋めた。
住む前には知らない土地での自分を思い浮かべられなかった。覚えたのは病院への道だけではない。箒が寄りたい店と、ミーシャが遠回りしてでも行く店が増えた。暮らしてみれば、説明された生活より細かい用事があった。
学園でも三人の席は近かった。箒と、その後ろのミーシャ。知らない顔の教室でも、二人の場所はすぐに分かった。今では箒が笑う前の目つきも読める。
それでも話せていないことがあった。
一夏は上着の端を握った。病室で考えた言葉は覚えている。次に二人になったら、その次に落ち着いたら。そうしているうちに春になっていた。
「……一夏?」
「ん? ああ、何でもない」
箒が眉を寄せるより先に、一夏は笑った。
「それより、そっちだって人のこと言えないだろ」
箒の机にも、女子が集まっていた。
「篠ノ乃さんって、やっぱり剣道やってるんだ?」
「ああ」
「姿勢いいもんね。さっき立ってるところ、すごく格好よかった」
「……普通に立っていただけだ」
「そういうところ! そういうところがいいの!」
「どういうところだ」
箒の声が硬かった。一夏へなら、もっと気軽に返事をする。怒っているのではない。初めて会った相手に褒められても、何を返すか分からないのである。
困った顔を隠そうとして眉へ力が入る。ところが、それも含めて喜ばれていた。
「背が高くて、姿勢も綺麗で、雰囲気が武士なんだよね」
「分かる。凛々しいのに、笑うと急に優しくなるの」
「だから聞こえているぞ」
「声もいい……」
箒がこちらを見た。一夏も見返した。
「……助けてほしいか?」
「さっきのお返しか」
「お互い様だな」
今度は一夏が笑った。
少し後ろにはもう一つ人の集まる席があった。
「ミーシャさん、それ、朝ご飯?」
「朝ご飯は食べたよ」
ミーシャ・グラハムは小さな包みを開けながら答えた。
「じゃあ、おやつ?」
「そうなるね」
「まだ九時前だよ?」
「お腹は時計を読まないから」
説明して一口食べた。頬へ掛かった黒髪を払い、ミーシャは机の周りを見た。
「そんなに見てると、食べにくいな」
「ご、ごめん。何食べてるのかなって」
「昨日、駅で買ったお菓子。一つ食べる?」
「いいの?」
「うん。一つだけね」
一つという数は変える気がないらしかった。受け取った女子は嬉しそうに後ろを振り返った。
「私、ミーシャさん派かも」
「えー、私は織斑君。中性的なアイドル顔って、ああいうのだと思う」
「私は篠ノ乃さんかな。あの凛とした感じ、すごくいい」
「ミーシャさんもいいよ。黒髪黒目で何考えてるか分からないのに、お菓子の話だけ妙にはっきり答えるし」
「食いしん坊なところ?」
「その落差がいいんじゃない」
まだ授業も始まっていない。
「派って、本人たちに聞こえてるんだけど」
一夏が口を挟むと、相手は真面目な顔で頷いた。
「大丈夫。争わないって決めたから」
「もう何か決めてるのかよ」
「三人並んでるところもいいと思うんだよね。さっきのやり取りとか」
「ああ、それは分かる」
箒を好きだと言った女子も頷いていた。一夏が助けを求める前に、箒は目を逸らした。
「私に聞くな」
「まだ何も言ってないだろ」
「言いたそうな顔をしていた」
「ほら、そういうところ!」
周りがまた喜んだ。何を言っても話の続きにされる。一夏にはもう、どう返せばよいか分からなかった。
授業前の一年一組に、早くも三つの支持層ができかけていた。
離れた席で見ている少女がいた。艶のある金髪に整えた制服。筆記具も机の端と平行だった。
セシリア・オルコット。英国国家代表候補生で、オルコット家の家長である。
隠しているつもりはない。尋ねられれば落ち着いて名乗る用意もあった。ただ今のところ、尋ねる者がいなかった。
「……あの」
近くを通った女子へ声を掛ける。
「はい?」
「こちら、何時から始まる予定でしたかしら」
「九時からだよ。ほら、黒板に書いてある」
「ええ。それは承知しておりますけれど……」
「先生、まだ来ないね。あ、私、山田さんに呼ばれてるから。また後でね」
女子は手を振り、一夏の周りへ戻った。
セシリアは案内書を一枚めくった。時刻を知らなかったのではない。会話を始めるには普通の問いだったはずである。
普通に答えられ、そのまま会話が終わった。
「……なるほど」
何がなるほどか、自分でも分からなかった。
避けられてはいない。席へ来たときも笑って挨拶された。ただ本当に、こちらを知らないのである。英国で家名に続いていた説明はこの教室にはまだなかった。
ミーシャは菓子を食べ終えて包みを畳んだ。黒い目が一瞬だけセシリアを向く。
教室へ来てから、あの少女は三人を確かめていた。一夏と箒、それからミーシャ。その順番も覚えている。一夏が上着に触れたときの目は短かった。見ていることに気づかれないよう、戻したのかもしれない。
こちらでは知られていなくても、あちらは三人を知っているらしかった。
「ミーシャさん、次、連絡先聞いてもいい?」
「あとでね。先生が来るみたいだから」
扉が開いた。山田真耶が書類の束を抱えて入ってきた。
「お、おはようございます。皆さん、もう席に……あ、まだですよね。じゃあ、そろそろ座ってくださいね」
女子たちは名残惜しそうに席へ戻った。一夏はようやく背もたれへ寄り掛かれた。
「た、助かった……」
「大袈裟だな」
箒が小声で言う。
「箒も、顔に出てるぞ」
「何がだ」
「ほっとしてる」
「……お前ほどではない」
箒も否定しなかった。
真耶が教壇で資料を揃えた。その後ろから黒いスーツの女が入ってきた。
「静かにしろ。これより、一年一組のオリエンテーションを始める」
一夏の背筋が伸びた。
「……千冬姉?」
「学園では織斑先生だ」
「はい」
考えるより先に返事が出た。
教室がざわめいた。こちらの名前は皆よく知っていた。
千冬は黒板へ名前を書き、副担任を紹介した。特別な反応を待たずに資料の説明へ進む。
「本日は校内施設、寮生活、各種申請について説明する。実機を用いた訓練は行わない。勝手にアリーナへ向かったり、整備区画へ立ち入ったりするな」
冊子は厚かった。時間割と連絡先、寮での注意が並ぶ。一夏はページをめくり、提出書類の一覧で止まった。
「……こんなに書くのか」
「名前を書くだけのものもあるだろう」
箒が横から答える。
「同じ名前を何回も書くんだぞ」
「自分の名前を書くくらいで音を上げるな」
「杜王町でも、引っ越しのとき散々書いたのに」
「そのときも、日付を間違えていただろう」
「あれ、まだ覚えてるのか」
「私が予備の用紙をもらいに行ったんだからな」
後ろの席から、小さな笑い声が漏れた。
「そこ。今から書き損じる相談をするな。説明を聞いてから記入しろ」
千冬の声が飛んだ。
「……すみません」
二人で頭を下げた。ミーシャだけは何も言っていない顔で用紙を揃えていた。
「一夏。今日は何日か、分かってる?」
「分かってるって!」
「念のため聞いただけだよ」
箒が笑いを堪えた。一夏は念のため日付を見た。
説明が健康管理へ移った。
「体調に関する申告は保健室または担任へ直接行え。通院や服薬についての相談も同様だ。全員の前で申し出る必要はない」
一夏の手が止まった。冊子の隅を押さえたまま目を下げる。
隣でページをめくる音がした。箒は通院の申請先へ小さな線を引いていた。
「……何してるんだ?」
「後で探すと面倒だろう」
箒は前を向いたまま答えた。
「お前、診察の日を忘れて買い物の約束を入れたことがあったからな」
「あれ、一回だけだって」
「一回あれば十分だ」
一夏は苦笑した。杜王町でも何度も助けられた。病院と、その帰りに寄れる店を、自分の用事と同じように覚えてくれた。
親切を受けるたびに、話さなければと思う。
箒が次の説明へ顔を上げた。今ここで言うことではない。その判断は正しかった。それだけに、黙る理由にも使いやすかった。
「それから、写真や動画の撮影、外部への公開には相手の了承を取れ。珍しいからといって、何をしてもいいわけではない」
写真を頼んだ女子がそっと見た。一夏が気づいて頷くと、相手も笑った。
ミーシャはそのやり取りを見ていた。一夏の身体が変わっていることには既に気づいている。薬の影響も、服を選ぶ迷いも、上着を脱がなくなったことも。今朝、支度のあとで鏡へ戻ったのも見た。
だからといって箒に代わって聞くつもりはない。一夏の代わりに説明もしない。話しかけそうになってやめるところを、何度も見ていた。考えなしに黙っているのではなかった。
ミーシャは冊子へ戻った。セシリアも離れた席で保健室の案内を読んでいる。そこへ目を止める時間が、ほかのページより少し長かった。
「では次に簡単な自己紹介をお願いします。お名前と、皆さんに伝えておきたいことを……」
一夏が顔を上げた。自己紹介の順番はすぐに来た。椅子を引き、上着の裾を直して立つ。
「織斑一夏です。ええと、まだ分からないことばっかりなんで、いろいろ教えてもらえると助かります。よろしくお願いします」
拍手が起きた。座るとすぐ隣から声が来た。
「ちゃんと言えたな」
「子供扱いするなって」
「さっきまで救援を求めていたのは誰だ」
箒は自分の番になると、すっと立ち上がった。
「篠ノ乃箒だ。剣道を続けている。……一年間、よろしく頼む」
短かったが、座る前から頷いている者がいた。
ミーシャが立つと、今度は妙に静かになった。
「ミーシャ・グラハムです。好きなものは美味しいもの。苦手なのは食べているときに急かされることかな。よろしく」
「食堂、あとで一緒に行こう!」
「お勧めも聞けそうで助かるよ」
さらりと答えて座った。次のセシリアは背筋を伸ばした。
「セシリア・オルコットと申します。英国国家代表候補生として、この学園で学ばせていただくことになりました。オルコット家の家長も務めております。皆様、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
礼が綺麗だった。拍手もきちんと返った。そのあと近くから声がした。
「イギリスから来たんだ。日本語、上手だね」
「……ありがとうございます」
「オルコットって、向こうでは有名なお家なの?」
「ええ。多少は」
「そうなんだ。私、詳しくなくて。ごめんね」
素直な返事だった。セシリアは笑みを保った。
「これから知っていただければ結構ですわ」
ミーシャの口元が少し上がった。
セシリアは膝で手を重ねた。家名を聞いて態度が変わる相手には慣れている。期待されるのも、値踏みされるのも珍しくない。
今の女子は同じ顔のまま、隣へ消しゴムを貸していた。代表候補生と名乗っても教室は変わらなかった。
一夏はその違いに戸惑った。自分は名乗る前から見られ、彼女は名乗ってから知ってもらおうとしている。同じ教室でも、同じところから始まるわけではないらしい。
セシリアは少し拍子抜けしていた。これからどう覚えてもらうかは自分で考える必要がある。英国で用意されていた席はここにはなかった。
姿勢を直して次の紹介を聞いた。まずこちらも相手の名を覚えるべきだった。
質問の時間になっても手は減らなかった。寮の家電と休日の外出、実家からの荷物。皆に確かめたいことがある。
一夏も冊子を読み返し、隣へ顔を向けた。
「箒、部活はどうするんだ?」
「剣道を続けられるなら、続けたい」
「そっか。じゃあ、俺もたまには付き合うよ」
「……まずは体力を戻してからだ」
箒は少し声を落とした。
「お前、調子がいいとすぐ無茶をするからな」
「分かってる。ちゃんと許可もらってからにするよ」
返事を聞いて箒の顔が和らいだ。
「なら、相手をしてやる」
ミーシャは二人を見てから通路の向こうへ顔を向けた。
「オルコットさんは何か続けていることってある?」
話を振られ、セシリアが目を上げる。
「操縦の訓練、という意味ですの?」
「それ以外でも。さっきの自己紹介、名前とお仕事の話だったから」
「……仕事」
セシリアは小さく繰り返した。代表候補生も家長も、確かに務めには違いなかった。
「そうですわね。読書は好きです。それから、お茶をいただく時間も」
「お菓子は?」
「……そちらが気になるんですのね」
「うん」
迷いのない返事だった。
「ショートブレッドなどは好みますわ。紅茶にもよく合いますし」
「覚えておくよ」
「お好きなら、機会があればご一緒しても構いませんけれど」
「じゃあ、お昼も一緒に食べない?」
「お昼?」
「お茶の前に、ご飯。今日は誰と食べるか決めていないだろ?」
セシリアは返事の前に一夏と箒を見た。
「あ、俺は構わないよ」
一夏が笑う。
「私も、別に異存はない」
箒も答えた。
「……でしたら、ご一緒させていただきますわ」
声は自己紹介より少し柔らかかった。
「よかった。僕はミーシャ。さっき聞いたと思うけど」
「ええ。存じて……いえ、覚えておりますわ」
言い直しは短かった。
ミーシャは聞かなかったように冊子を閉じた。前で千冬が休憩を告げている。一夏は立ち、上着の前をまた確かめた。
「ちょっと飲み物買ってくる。箒も何かいるか?」
「私も行く」
「僕も」
ミーシャも立つと、セシリアは迷ってから腰を上げた。
「……まだ、お昼の時間ではありませんわよ」
「分かってるよ」
「念のためです」
ミーシャは肩を上げた。あの少女へも、急いで全部聞く必要はなさそうだった。
同じ教室から一緒に廊下へ出る。ひとまず、そのくらいでよかった。
箒はミーシャの、セシリアはアシュレイの存在により原作よりも落ち着いた性格となっています。
あの売り言葉に買い言葉はちょっと、はい。