Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
「それでは最後に、学生寮のお部屋について説明しますね」
昼食と校内見学を終えて席へ戻ると、配られた冊子には折り目が増えていた。一夏は途中まで書いたメモへ目を落とした。真耶の説明を聞きながら端末を取り出す。
「皆さん、学園のアプリを開いてください。『寮生活』の項目に、お部屋の割り当てが届いていると思います」
画面に棟名と階数が並んだ。部屋番号の下を押して電子暗号キーを受け取ると、灰色だった鍵の印に色が付いた。
「……鍵も、これなのか」
「そう説明されていただろう」
箒は自分の画面を見たまま答えた。一夏はもう一度番号を読んだ。今日からはそこへ帰るらしい。
「お部屋の扉にある読み取り部分へ端末をかざして、アプリから解錠してください。鍵の受領が済んでいない方は帰る前に先生へ声を掛けてくださいね」
真耶は生徒たちの操作が済むのを待っていた。続いて端末の紛失や故障、充電切れのときは管理室へ連絡するよう告げる。認証情報も部屋番号も外へ公開してはいけない。
一夏は電池の残量を確かめてアプリを閉じた。
「以上だ。説明は終了する。部活動の見学をする者はそれぞれの案内に従え」
千冬が資料を揃えるより早く、教室のあちこちで椅子が鳴った。
「私は剣道部へ行ってくる」
箒が部活動の案内を抜き出した。剣道部の欄には小さな印が付けてあった。
「今日から見学できるのか?」
「ああ。この時間からだそうだ」
「じゃあ、ちょうどいいな」
箒の口元が少し緩んだ。朝から教室を見回していたときより表情が軽い。案内図を開くと道場まで指で辿った。
「一夏はどうする?」
「今日はもう座ってたいかな。説明聞いてただけなのに、結構疲れた」
「校内も歩いただろう」
「広かったよな、ここ……」
「なら、無理に付き合わなくていい。見学だけだ」
最後だけ念を押された。一夏は肩をすくめて頷く。
「分かってる。終わったら、どんな感じだったか教えてくれよ」
「ああ」
「僕はこっちが気になるな」
ミーシャの指の先には料理研究会とあった。一夏は紹介文を辿り、末尾で目を止めた。
「……試食あり」
「そこだけ読まないでくれる?」
「お前、今そこ見てただろ」
「活動内容も見てるよ。各国の家庭料理だって。材料をどこで揃えているのかも聞いてみたい」
「そのついでに食べるのか」
「作ったら、味を確かめないと」
「確かめるだけで済むんだろうな」
「それは作る量によるかな」
「もう全部食べるつもりじゃないか」
ミーシャは聞こえなかったように活動場所を確かめた。
「寮でどこまで料理ができるのかも、聞いておきたいんだ。調理室を使えるなら、作れるものが増えるし」
「ああ。それは俺も気になるな」
「分かったら教えるよ」
案内を折り畳む手つきまで丁寧だった。料理の話になると聞きたいことが次々に出てくる。昼も一夏と二人で汁物の出汁を言い当てようとしていた。
セシリアには半分ほどしか分からなかった。食堂でそこまで考えたことがなかったのである。
「オルコットさんも、何か見に行く?」
急に話を向けられてセシリアは顔を上げた。
「いえ。今日は特には」
「そう。じゃあ、また後でね」
ミーシャは引き止めもせず一夏に手を振った。近くの生徒へ調理室の場所を尋ねて出ていく。箒も鞄を肩に掛けた。
「一夏。見学が終わったら連絡する」
「おう。行ってこい」
ほかの生徒も次々に教室を出ていった。机を確認した一夏が振り返ると、セシリアと目が合った。
「……ええと」
「……はい」
二人とも続かなかった。昼食では箒とミーシャの話に入ればよかった。今度はその二人がいない。一夏は鞄を持ち直した。
「俺、食堂で何か飲んでようかと思うんだけど」
言ってから隣を見る。
「オルコットさんも、よかったら」
「ええ。ご一緒させていただきますわ」
誘い終わるのを待っていたような早さだった。
「あ、うん。じゃあ……」
「参りましょうか」
そこで立つ順番に迷った。廊下でも互いに歩調を窺っているうちに食堂へ着いてしまう。
昼の混雑は引いていた。窓際に向かい合って座れる席がある。
「あそこ、空いてるな」
「ええ。先に、お飲み物を選びましょうか」
先にセシリアが紅茶を選んだ。一夏も同じものを頼む。
席に着くとカップと受け皿が触れる小さな音までよく聞こえた。
「広い食堂ですわね」
「そうだな。昼、あれだけ人がいたのに座れたし」
「ええ」
「……うん」
一夏は紅茶を見た。窓の光が表面に揺れている。湯気も立っていた。まだ熱いだろう。
向かいではセシリアが取っ手に指を掛けていた。その動きには迷いがない。背筋も綺麗に伸びている。自分も真似て座り直してから、顔を見ていたことに気づいた。
「……織斑さん?」
「はいっ」
妙に高い声が出た。セシリアが目を丸くした。
「何か、お困りですの?」
「いや。困ってるっていうか……」
綺麗なので見ていました、とは答えられない。一夏はとりあえず背中を伸ばした。するとセシリアの眉が僅かに下がった。
「どうぞ、お楽になさってください」
「あ、うん。ありがとう」
礼を言ったものの背中は戻せなかった。どのくらい崩していいのか分からない。
セシリアもカップを受け皿へ戻した。音がしないよう最後だけゆっくり下ろす。
話題なら幾つも知っていた。けれど本人から聞いたものはどれだったか。先に映像で見た場面まで一緒に浮かぶので、口を開くたびに確かめなければならない。あの件が正式な任務に変わったからといって、初対面で知っていてよい話が増えるわけでもなかった。
「篠ノ乃さんとは……」
一夏がこちらを見た。
「箒?」
「その、幼い頃から、ご一緒だったそうですわね」
これは昼に聞いた。セシリアはその席のやり取りを思い出してから続けた。
「ああ。途中で引っ越しがあって、しばらく離れてたけど。今はもう、前みたいな感じかな」
「ええ。とても自然にお話しになっていましたもの」
「あいつ、昔からああなんだよ。俺が何かやらかすと、すぐ分かるみたいでさ」
存じております、と言いそうになった。唇を閉じる。一夏が不思議そうに続きを待っていた。
「……仲がよろしいんですのね」
「まあな」
一夏の顔に照れた笑みが浮かんだ。セシリアも微笑んだが次が出ない。
映像の二人には呆れたことも笑ったこともある。その間へ自分の言葉を一つ置くだけで、これほど困るとは思わなかった。
「お砂糖はお使いになります?」
「あ、うん。もらおうかな」
砂糖へ伸ばしかけた手が重なった。二人とも引き、謝る声まで揃ってまた止まる。
今度はセシリアが手を膝へ戻した。一夏は砂糖を一つ取り、スプーンが鳴らないよう慎重に混ぜた。
「……あのさ」
「はい」
「何か変なことしてたら、教えてくれると助かる」
「変なこと、ですの?」
「飲み方とか。俺、そういう作法、あんまり知らなくて」
取っ手を握る彼の指へ目をやる。そんなに気をつけていたのか。
「ここでは気になさらなくて結構ですわ」
「それでも、落ち着いて見えるからさ」
そう言われてもセシリア自身、肩に入れた力の抜き方を忘れかけていた。
「……そう見えます?」
「うん。俺、貴族の人と話すの、初めてだからさ。何か失礼があったら悪いなって」
セシリアは取っ手から指を離した。相手が黙る理由を知ると、自分の沈黙まで少し可笑しくなった。
「同じクラスになったのですから、そこまでお気遣いいただかなくても」
「そうなんだけど。……あの、紅茶って、もう飲んで大丈夫かな」
「え?」
「オルコットさん、まだ飲んでないから。何か待つのかと思って」
そういえば一度持ち上げただけだった。会話を考えている間にカップを戻している。
「いえ。特に、そういう決まりは……」
「あ、ないのか」
「少し、熱そうでしたので」
湯気を見ていたのも確かだった。一夏はほっとした顔になった。
「なんだ。俺も、それで待ってた」
笑われるかと思ったのに相手も同じ理由で待っていた。セシリアは答える前に小さく吹き出した。
「お好きなときに、召し上がってくださいませ」
「うん。じゃあ、ちょっとずつ」
一夏が慎重に口を付けた。すぐに離す。
「……まだ熱いな」
「でしたら、もう少し待ちましょう」
二人のカップが受け皿へ戻った。一夏は窓へ向けかけた目を戻す。自己紹介で聞いたことなら尋ねてもよさそうだった。
「自己紹介で言ってたけど、家の仕事も、こっちで続けるんだよな」
「ええ。現地で対応してくださる方々はおりますけれど、わたくしが確認しなければならないこともございますから」
「学校の勉強と、代表候補生の訓練もあるのに?」
「そのために、予定を調整しておりますの」
「すごいな」
思わず声に出ていた。
「俺、今日渡された書類だけでも、何から片づければいいんだって感じなのに」
「慣れれば、難しいことばかりではありませんわ」
「そっか。でも、休む時間もいるだろ」
セシリアは返事を探した。家長としての仕事を褒められたときの答えなら幾つもある。代表候補生への期待も聞き慣れていた。休む時間まで気にされると、用意したどれも合わなかった。
「……そのためにも、お茶の時間は大切にしております」
「ああ。自己紹介の後も、そんなこと言ってたな」
一夏が頷く。
「じゃあ、今、俺が喋り続けたら休めないか」
「いえ!」
自分でも驚く声が出た。一夏が瞬きをする。
「いえ、そのような意味ではございません」
「あ、そっか」
「お話しするのが嫌でしたら、ご一緒しておりませんわ」
言い直したつもりが強い口調になった。セシリアは一夏の顔を窺った。
「なら、よかった」
彼は笑った。
映像で見た笑顔だった。けれど今はこちらの返事で表情が変わる。黙っていれば相手も考えてしまう。そのことを一つずつ確かめているようだった。
「……わたくしも、あまり慣れておりませんの」
「何に?」
「こうして、同年代の男性と二人でお茶をいただくことに、です」
カップへ伸ばしかけた一夏の手が止まった。
「そうなのか?」
「家の用事では年上の方とお話しすることがほとんどですし、訓練でお会いする方々も……。ですから、何をお話しすればよいのか、少し」
言えるところで言葉を切った。まだ隠している理由はある。それでも一夏の肩が少し下がるのを見ると、話してよかったと思えた。
「……俺だけじゃなかったのか」
「そんなに、意外です?」
「ちょっと。全然そう見えなかったから」
「織斑さんが、あまりにもかしこまっていらっしゃるので、わたくしまで……」
「ごめん。それは本当に」
一夏は首の後ろを掻いた。
「オルコットさんって、綺麗だし、雰囲気も、その、ちゃんとしてるから。同い年の相手に話す感じでいいのか、分からなくなって」
セシリアが動かなくなった。一夏は口にしたばかりの言葉を頭の中で聞き直した。
「……変な意味じゃなくて」
本当のことだが言い換え方が見つからなかった。セシリアも顔を伏せた。礼の言葉さえうまく出てこない。
しばらく二人で紅茶を眺めた。少し離れた席では生徒たちが気楽に笑い合っている。一夏は息を吐いた。
「……お茶飲むのって、こんなに難しかったっけ」
独り言が聞こえたらしい。セシリアの肩が揺れた。口元に添えた手の陰でも笑っているのが分かった。
「ご、ごめん。変なこと言った」
「いいえ。わたくしも、そう思っておりましたので」
一夏もつられた。笑ってしまうとようやく椅子に座り直せた。
セシリアが紅茶を一口飲んだ。それを見て一夏もカップを持つ。
「わたくしを待たなくても、結構ですのよ」
「ああ、いや。今のはたまたま」
答えが早すぎた。セシリアは重ねて指摘するのをやめる。気にしないでと言い続けるより、こちらから変えられることがあった。
「……織斑さん」
「ん?」
「セシリアで結構ですわ」
一夏が顔を上げる。
「同じクラスですし。その方が、お話ししやすいかと」
「じゃあ、俺も一夏でいいよ」
「……一夏さん」
何度も呼んだ名前なのに、本人がこちらを見てくれると落ち着かない。
「うん。……セシリア」
自分から勧めたくせに返事が遅れた。セシリアはカップを置いた。
知っている話を隠すことに気を取られすぎていた。目の前の彼に聞かなければ分からないこともある。
「一夏さんは普段、何を飲まれますの?」
「普段?」
「ええ。紅茶も、お好きですか?」
「家だと、緑茶が多いかな。紅茶も飲むけど、こんなふうにカップで出てくるのはあんまり」
「では今日はどうして?」
一夏は手元のカップを見て笑った。
「何にするか迷ってたら、セシリアが先に決めたから。同じものなら、話もしやすいかと思って」
「……そうでしたの」
「その割に、全然話せなかったけど」
セシリアも笑ってしまった。
「わたくしも、あまりお役に立てませんでしたわね」
「お茶の相手に、役に立つとかあるのか?」
考えたことがなかった。セシリアは少し迷って首を横に振った。
「……ありませんわね」
「じゃあ、いいんじゃないか。まだ残ってるし」
一夏がカップを軽く持ち上げた。まだ半分ほどある。
セシリアが顔を上げると彼は待っていた。急いで飲み終えるつもりもないらしい。
「わたくしは家では……」
客人へ何を出すか説明しかけて口を閉じた。一夏が聞いたのは自分の好みだった。
「……わたくし自身が好きなのは香りが強すぎないものです。お菓子と一緒にいただくことも、多いですから」
「ああ。ショートブレッド?」
「覚えていらしたんですの?」
「ミーシャが、すごく真剣に聞いてたからな」
昼のミーシャを思い出して二人で笑った。セシリアは砂糖の容器を一夏の前へ寄せた。
「もう一つ、いかがです?」
「ありがとう。でも、今のでちょうどいい」
「そうですか」
容器を元へ戻した。聞けば分かる。先回りして考えなくてもよかった。
「あのさ、セシリア」
「はい」
名前を呼んだところで一夏は一拍置いた。
「今度、紅茶の選び方、教えてもらってもいいか?」
「セシリアの好きなものを、教えてもらえたら」
セシリアは考えかけた茶葉の説明をやめた。好きなものなら次に一緒に頼めばいい。
部屋へ戻れば片づけも連絡も待っている。それでも、もう一度お茶を飲む時間は作れるだろう。
「ええ。でしたら、お菓子も一緒に選びましょう。合わせるものによって、お勧めも変わりますから」
「そんなに違うんだ」
「試していただいた方が、きっと分かりやすいですわ」
「ミーシャみたいなこと言うな」
セシリアはまた笑った。確かにミーシャと同じようなことを言っている。
次の話題はすぐには出てこなかった。一夏が紅茶を飲んだのでセシリアもカップを持つ。もう熱さを確かめる必要はなかった。
「……そのショートブレッドってさ」
一夏が少し身を乗り出した。
「はい」
「自分でも作れるものなのか?」
説明ならできる。だが自分で作ったところまで聞かれると困った。一夏は返事を待っている。セシリアは正確な言い方を選んだ。
「作れますけれど、その……わたくしが教えるより、確かな方に伺った方がよろしいかもしれませんわ」
「あ。食べる方が専門?」
「詳しい方がいらっしゃる、と申し上げておりますの」
口を尖らせてから自分で驚いた。一夏は楽しそうに笑っていた。
「そっか。じゃあ、俺が作れたら、味を見てもらおうかな」
「……ええ。それでしたら」
セシリアは残った紅茶を飲んだ。一夏も黙ってカップを傾けている。
次に目が合えばまた話すことに迷うのだろう。それでも空になりかけたカップを置くときには次のお茶に合わせる菓子を考えていた。