Infinite Stratos:Archetype border   作:ぱらさいと

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01-03

 寮の廊下で立ち止まる。端末の画面と扉の番号を見比べる。

「……ここ、でいいんだよな」

 数字は合致している。学園のアプリを開き直しても同じ部屋が表示される。その下には受領済みの電子暗号キーがあった。

 食堂で別れるとき、セシリアは部屋の片づけと本国への連絡を済ませると言っていた。また紅茶を飲もうという約束だけして先に帰っていった。

 一夏はしばらく食堂の近くで待った。箒は剣道部、ミーシャは料理研究会へ行ったきりだった。見学が長引くこともあるだろう。電話で呼び出すほどの用もない。先に寮へ向かうと二人へ送って席を立った。

 そこまではよかった。案内図を頼りに歩いてきたつもりが、一度違う廊下へ入った。戻って分岐を曲がり直し、ようやくここまで来たのである。

 端末に新しい返事は届いていなかった。二人ともまだ忙しいらしい。一夏は部屋番号を覚えようともう一度見上げた。

「帰りは間違えないようにしないとな」

 扉脇の読み取り部分へ端末を寄せた。アプリの解錠を押すと短い音が鳴る。画面の表示が切り替わり、内側の錠が外れた。

「……おお」

 取っ手を引くと今度は開いた。一夏は室内へ足を入れた。

 背後で扉が閉まり、鍵が掛かる。閉め出される前に充電しよう。そう思いながら端末を近くの机へ置いた。

 窓から入る光が床の奥まで届いていた。ベッドも机も家で使っていたものより立派に見える。

「……立派だな」

 窓際から部屋を見渡した。ベッドは二つあった。机も収納も二人分ある。

 男子が一人しかいないのだから、二人部屋をそのまま使わせてくれるのだろう。そう納得して入口に近い机へ鞄を置いた。広いのはありがたいが両方を使う用事はなさそうだった。

 椅子を引いて収納を開ける。奥行きも棚の高さも十分ある。筆記用具を出して引き出しに入れかけたが、まだ配布物を整理していないことを思い出した。先に鞄から出さなければならない。

 届いていた荷物もあった。箱を開ければいつもの生活に使うものが出てくるはずなのに、机を見ただけで今夜までに全部片づける気は失せた。今日必要な分だけにしよう。隣の空いた机へも広げかけてやめる。使う場所を増やすと後が面倒だ。

 段ボールの上には配送先として寮の住所が印刷されていた。自分の名前の下にある部屋番号を指でなぞる。つい昨日までは知らなかった数字だった。ここへ荷物が届いている。それだけのことで新しい生活が始まったという実感が湧いた。

 封を切ると上にはタオルと洗面用具が詰めてある。洗剤は小さな袋に入れられ、ほかのものへ漏れないよう口が二重に結ばれていた。一夏は結び目を解きかけてやめた。置く場所を決めるまでは開けない方がいい。

 その下から取り出したのは薄いファイルだった。学園の案内とは別に千冬がまとめた生活上の連絡先が入っている。通院先へ伝える住所。休日に薬が足りなくなった場合の相談窓口。寮の管理室を呼ぶ番号。必要なものだけを取り出せるよう書類の端に色の違う付箋が付いていた。

「……こんなところまで」

 千冬は家を出る朝にも普段と変わらない顔でいた。忘れ物をするなと一言だけ告げたのに、こういうところでは何も言わずに手間を掛ける。一夏は付箋を一枚めくった。緊急時の連絡先の欄には見慣れた番号がある。電話を掛ければ仕事中でも折り返してくれるはずだと分かっている。だからこそ些細なことで掛ける気にはなれなかった。

 書類を机へ積む前に収納の鍵を確かめた。私物を保管する小さな引き出しは施錠できる。学生寮の説明を聞いている間は気にしなかった設備だった。今は薬の袋と検査結果を入れておく場所として真っ先に使い道が思い浮かぶ。誰かに盗まれる心配ではない。開けたままにしておいて偶然見られることが怖かった。

 室内の注意書きも読む。洗濯室の利用時刻と消灯後の音量。共有の設備を使う前に確認する決まりがいくつもある。一夏は端末へ洗濯室の場所を入力した。案内図の上では同じ階だが途中に曲がり角が二つある。先ほどの迷い方を考えると最初の一度くらいは案内図を持って行った方がよさそうだった。

 扉の内側には避難経路が貼られている。廊下側の階段へ出る矢印の横に「室内の全員で確認」とある。一夏は空いたベッドを振り返った。二人部屋なのだから規則も二人を想定しているのだろう。自分だけなら点呼も簡単に済むはずだ。そう考えてから、誰にも尋ねずに決めつけていることに気づく。

 入寮の手続きは確かに済ませた。それでも部屋をどう使うかまで説明された覚えはない。真耶の話を聞きながら鍵を受け取るのに精一杯で、同室者の欄があったかどうかさえ思い出せなかった。画面を開き直そうとして指を止める。せっかく荷物を出したのだから先に片づけよう。疑問は夕食のときに聞けばいい。

 箱の底には千冬が使い慣れた布製の袋も入っていた。中には針と糸と小さな裁縫ばさみが収まっている。中学校の頃なら制服のほつれを千冬に渡して済ませた。今度は自分で直せということらしい。何か言われたわけでもないのに、一夏は小さく笑った。最後に袋を引き出しへ収めた。手の届く場所を選んだのは、今後も使う場面がありそうだったからだ。

 窓を少し開けた。外から生徒の声が届く。もう誰かと親しくなったらしい声も、電話で家へ報告している声も混じっていた。一夏はまだ全員の名前を覚えていない。今日の教室を思い返すと机の並びと顔だけが先に浮かんだ。

 鞄を下ろしたのに肩が重い。歩いたのは校内だけで実習もしていなかった。座って説明を聞くにも案外体力が要るらしい。

 ジャケットを脱ぐと背中に籠もった熱が逃げた。ハンガーへ掛け、汗の気になるシャツも脱いでおく。着替えは箱にある。肌着のまま収納の脇へ移ったところで鏡が目に入った。

 入口からは隠れる位置にあった。映った自分は少しくたびれている。髪を手で押さえてから腕へ目を落とした。

 杜王町では歩ける距離が少しずつ延びた。最初は近所へ出るだけで帰り道が気になったものだ。それが軽い買い物袋なら持って帰れるようになった。箒も店を覗くふりをして足を緩める回数が減った。待ってもらっていると分かっても、そのたびに礼を言えば彼女は困った顔をする。だから次に歩き出すまで一緒に店先を眺めていた。

 今日は広い校内を回った。休みたいとは思ったが途中で動けなくなることはなかった。退院した頃ならもっと辛かっただろう。

 それでも鏡の中の腕は記憶より細い。肩を動かしてみても記憶している力の入り方をうまく再現できない。毎日見ているはずなのに、ふとした拍子に確かめ直してしまう。

「……まあ、急には無理か」

 持ち上げた腕を下ろす。アンダーシャツの胸元は、すっかり輪郭が変わっていた。自分の身体と分かっていても直視するのに罪悪感と羞恥心が沸き起こる。ぷっくりとした膨らみの下にあるものを意識すると頬に熱が籠もった。

 ジャケットを着ている間はあまり考えずに済む。

 脱いで鏡の前へ立つとそうもいかなかった。

 体力が戻れば全部元どおりになる。最初はどこかで楽観的に考えていた。歩けるようになっても服の選び方は元へ戻らない。治療が続いているのだから当然だとアレクシアは説明を繰返した。一夏も頭では覚えていた。

 同じ制服を着る日が続けば慣れるだろうか。朝の支度で何度も襟や裾を確かめずに済むようになるだろうか。鏡から目を離す前にまたシャツへ手が伸びた。

 千冬と暮らしながら普通の学校へ通う。少し前まではそれ以外の高校生活を考えたことがなかった。IS学園へ来ることも、この身体で入学式を迎えることも予定にはなかった。

 顔を上げれば自分がいる。見間違えるわけはない。なのに服を選ぶときだけは以前の自分を基準にして失敗しそうになった。

「今はいいけどさ……」

 ハンガーのジャケットに目をやった。四月なら一日着ていてもおかしくない。少し暑いと言われたところで脱がなければ済んだ。

 夏はどうするのだろう。薄着になれば今と同じ服装では通せない。大きなシャツを選べばいいかもしれないが、その頃の身体に合うかまでは分からなかった。治療は今の状態をそのまま保つためのものではない。専門家に聞いた言葉を思い出してはまだ先の制服まで気になった。

 午前中には写真を求められた。断ると相手は引いてくれた。千冬も真耶も生徒へ注意していた。それなのに撮られていないかと気にする癖はすぐには消えそうになかった。

 背中を丸めすぎない。腕を不自然に組まない。誰かが近づいたら慌てて上着を直さない。考え始めると立っているだけでも忙しい。教室で疲れたのは歩いた分ばかりではないらしかった。

 一夏は鏡の縁へ手を置いた。毎朝こうして困るなら、少なくとも一緒にいる二人には話さなければならない。

「……箒と、ミーシャには」

 名前にした途端、二人の顔が浮かんだ。今日も隣から何度も声を掛けてくれた。杜王町でも具合を崩せば気づいてくれた相手だった。

 病院では話すつもりでいた。箒が帰った後に紙へ書き、次はこれを見ながら話せばいいと考えた。その紙を持ったまま退院した。杜王町へ着いてからは生活が落ち着くまでと思い、歩けるようになったら今度はもう少し元気になってからと思った。

 いつまでも揃わない準備を待っていた。話すことを忘れないための紙が、持っているから大丈夫だと思うためのものになっている。

 一夏は机へ戻った。端末を充電器へ繋ぐ。電池が切れれば部屋へも入れないとさっき聞いたばかりだ。画面を確かめると二人からの返事はまだなかった。

 鞄の内側から薬の手帳を出した。病院でもらった書類と重ね、その間に挟んだ紙を抜き取る。何度も畳んだ場所が柔らかくなっていた。

『箒へ』

 書き出しを見れば後は読まなくても思い出せた。手術。これから使う薬。変わっていく身体。会えたのが嬉しかったこと。それでも怖くて話せなかったこと。

 紙を裏返しかけてやめた。まだ何も言っていないのに隠してどうする。一夏は机の上で開き、端を筆箱で押さえた。荷物の整理はその後でもいい。

 箒が見学から戻ったら少し時間をもらおう。ミーシャにも自分から話す。二人へ同時に全部話そうとすると、片方の反応を見てもう片方に何を言うか考え始めそうだった。

 医師のように説明する必要はない。分からないところは分からないと言えばいい。聞かれて答えに詰まったら書類を見せることもできる。病気と治療のこと、今も変化が続いていること。今日はそこまででも構わないはずだ。

 箒が怒るところは想像できた。どうして黙っていたと問い詰められるかもしれない。その理由なら自分にもよく分かっている。言うのが怖かった。

 もっと怖いのは驚いた後だった。今までどおりに話せなくなったらどうしよう。隣に座るときに迷われたり、着替えのたびに妙に気を遣われたりしたら。そんなことまで勝手に考えて口を閉じてきた。

 ミーシャは何も聞かない。気づいていないとは限らなかった。服を選ぶときにも困らないよう手伝ってくれた。聞かれないことを理由にしていれば、自分から話す日はいつまでも来ない。

 箒も上着を気にしたことはある。だが無理に脱げとは言わなかった。こちらが答えやすくなるまで待っているのかもしれない。そうでなかったとしても、説明を先へ延ばす口実にはできなかった。

 一夏は紙へ目を戻した。病院で書いた文字は変わっていない。あのときの自分にも今日の自分にも必要なことが並んでいた。気の利いた言い方を探すより、このまま読んだ方が早いのかもしれない。

 鏡の前へ戻る。知らないうちに丸めていた背中を起こした。身体の変化はそれで消えない。隠れなくなるたびに俯いていたら、話し出す顔まで相手へ向けられなくなる。

「……ちゃんと、話さないとな」

 鏡へ向かって呟いたところで二度ノックがあった。返事をするより先に電子音が鳴る。錠の外れる音まで続いた。

「え?」

 一夏が振り返る間に扉が開いた。

「失礼する。一年一組の篠ノ乃だ。今日からよろしく頼む」

 箒が入ってきた。肩には鞄を掛け、片手に端末と剣道部の案内を持っている。

 同室になる相手へ挨拶をしているのだと、一夏は少し遅れて気づいた。箒はまだ室内をよく見ていなかった。

「荷物を置かせてもらっても──」

 先に扉を閉めた。鍵の掛かる音を聞いてから顔を上げる。そのまま言葉が途切れた。

「……一夏?」

 呼び掛けは僅かに掠れていた。

「……ああ」

 答えても箒は動かなかった。目が合ってから視線が下がる。

 一夏は自分の格好を思い出した。肌着のままだった。慌ててシャツを取る。

「ごめん。誰も来ないと思ってて」

 袖へ腕を通してボタンを留めた。箒は頷きもしなかった。

 同じ部屋にいたから驚いた。それだけではない。

 幸いと言うべきか。ズボンはまだ履いたままだった。

 しかし。お世辞にも、盛り上がった胸の丸みは、男性の特徴ではない。

 怒った顔でも赤くなった顔でもなかった。何を尋ねればいいのか決められずにいる。その様子を見ると次のボタンへ進む指が止まりそうになった。

「……あのさ」

 ようやく箒の目が動いた。一夏はその顔を見て続けた。

「……お前も、この部屋なのか?」

 少し遅れて箒が頷く。

 一夏は空いているベッドを見た。使う人はいないと思っていた。机も収納も片方を空けておけばいいと考えていた。

 そこへ箒が荷物を置く。これから毎日ここへ帰ってくる。話さないまま迎えるつもりだった最初の夜に、相手の方が先に来てしまった。

「一夏、お前……」

 その先は続かなかった。いつもなら説明しろと言ってくれる。隠しているのかと眉を寄せ、こちらが答えるまで待ってくれた。

 今は箒の方が言葉を探していた。一夏は机に広げた紙を見た。

「……ちゃんと、話すから」

 思ったより小さな声になった。

 箒は案内の紙を持ったまま立っている。扉を閉めるまでは普段どおりだった幼馴染が、まだ次の一言を見つけられずにいた。

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