Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
「……とりあえず、座るか」
箒は鞄を肩に掛けたまま動かなかった。一夏は机から椅子を引き、彼女の方へ向けた。
「立ったままだと、落ち着かないだろ」
箒は椅子を見てから鞄を下ろした。その上へ剣道部の案内を置く。座るまで何も言わなかった。
一夏も隣の椅子を寄せた。普段食事をするときと同じくらいに離して座ったのに、顔を向けにくかった。残っていたシャツのボタンを留めて手を膝へ置く。
「病院でさ。手術したって話はしたよな」
箒が小さく頷いた。
「でも、何の手術だったのか、ちゃんと言ってなかった」
机には開いたメモがある。一夏はそちらを見なかった。読み上げるので精一杯になり、箒の目を見られないと思った。
箒の鞄から案内の端が出ていた。道場は広かったか。先輩はどんな人だったか。さっきまでは帰ってきたら聞こうと思っていた。その話なら何も準備せずに始められる。
一夏は膝へ置いた手を揃えた。検査のことから順に話す。何度も考えたはずなのに、最初の言葉だけが箒に向けるには唐突に思えた。
「ISを動かしたあと、いろいろ検査されたんだ。どうして動かせたのかとか、身体に変なところがないかとか。それで、分かったことがあって」
箒は聞いていた。
「俺の身体、ずっと自分で知らないままだったことが、あったらしい」
これでは何も分からない。一夏は指を組んで続けた。
「性分化疾患って、先生は言ってた。身体のつくりとか、ホルモンの働きとかが、普通に男とか女とか分けるだけじゃ説明できないことがあるんだって」
アレクシアから聞いた言葉を順に思い出した。
「俺の場合は男として育ってきたけど、身体の中には女性の器官もあって。機能していない部分もあったって、説明された」
箒の指が動いた。何かを握りかけたように見えたが、そのまま止まる。
「それで、手術をした。機能していなかった男性の器官を取り除いて、もともとあった女性の器官を整える手術」
最後は声が小さくなった。病院では何度も説明を聞いた。自分に関係する処置なのも分かっている。それなのに箒へ話すと、初めて口にする言葉のようだった。
「……色々、先の事まで考えて、必要な処置だって言われたんだ」
一夏は顔を上げた。
「あのさ。何も聞いてなかったわけじゃないぞ。説明は受けたし、そのあとも分からないことは聞いて」
そこで止まった。箒はまだ何も尋ねていない。弁明を求められたわけでもなかった。
「……ごめん。今の、変だったな」
首の後ろへ伸ばしかけた手を膝に戻す。
「全部、分かってるかって言われたら、まだ、うまく説明できないところもある。何がどこまで必要だったのかとか、そのとき自分がどこまで分かって返事したのかとか」
箒の目はこちらに向いたままだった。
「でも、手術を受けたのは本当で、今も治療が続いてる」
そこまで話して息を吐いた。
「薬も、そのためなんだ。身体の状態を整えるのに、ホルモンを補う治療が必要だって。名前は……すぐ思い出せないけど」
思い出せないのが事実か、一夏自身も曖昧だった。箒の表情は変わらない。
「俺に合わせて使ってる薬で、これからも診てもらいながら続けることになってる。通院の話、してただろ。あれも、そのため」
箒がゆっくり頷く。膝へ揃えたその手で、今朝は冊子に通院のための線を引いてくれた。何の診察か知らずに予定を覚えてくれていたのだ。
一夏は手元から目を戻した。
「それで、今まであんまり出てなかった二次性徴も、進んでいくって言われた。身体が、女性の方に変わっていくんだって」
廊下の向こうで扉が閉まる音がした。
「さっき見たのも、そういう変化で」
箒の喉が動いた。だが返事にはならなかった。一夏はシャツを見下ろす。ボタンはもう全部留まっていた。
「病院で、怖くて言えなかったって、書いたんだ。お前に話すためのメモに」
箒が一度だけ机を見た。開いた紙があるのは分かったが手を出さなかった。見せてくれと言えば、今の一夏はもっと急いで説明しようとするかもしれない。
「そのまま、持ってきてた。今日も、戻ってきたら話そうって思ってたんだけど」
黙っていたのは彼女を遠ざけたかったからではない。それだけでも早く伝えたくなった。
「……びっくりするよな」
言ってしまってから箒の顔を見た。何が返ってくるかは想像できなかった。
「俺も、びっくりしたから」
これはすぐに言えた。検査で知らなかったことを教えられ、手術の話を聞き、退院してからも身体の変化に気づいた。何か一つ分かったと思うとまた次があった。
箒は今その話をまとめて聞いている。一夏は口を開いた。
「でも、具合が悪くなってるわけじゃないからな」
今度は声を少し張った。
「手術のあとはちゃんと診てもらってるし。杜王町でも通院してた。今日だって、普通に歩けただろ。途中で倒れたりもしてないし」
言った後で例えが悪いと気づいた。
「いや、倒れるかもしれなかったって意味じゃなくて。ちゃんと、学校に通っていいって言われてるんだ」
箒は頷いた。いつもなら無理をするなと言うところだった。その一言がないので、次に何を足せば安心してもらえるか考えた。
「食べてるし、寝てる。お前とミーシャが、よく知ってるだろ。その辺は」
普段なら何か返ってくる。食事を抜こうとして叱られた話でも、買い物の途中で休まされた話でもよかった。
箒は手を重ね直しただけだった。一夏も黙った。
廊下で話す声が近づいてきた。部屋の前を通り過ぎる。遠ざかる足音を聞き終えてから箒へ向き直った。
「俺もさ。分かってはいるんだよ」
先ほどより声が低くなった。
「鏡を見れば違うし、服を着ても分かる。前と同じ身体じゃないって、それはちゃんと」
続けかけて考えた。病院の説明ではなく、自分が感じていることを話したかった。
「でも、朝起きたときとか、何かに気を取られてるときは忘れてるんだ。いつもの自分のつもりで動いて、それから、ああ、そうだったって」
服を選ぶときに思い出す。誰かが近づいてきたときもそうだった。何も変わっていないつもりで話していて、気づくと上着の前へ手を置いている。
「説明は覚えてる。これからどうなるって言われたかも。でも、自分が本当にそうなっていくっていうのは……何か、まだ、変な感じで」
箒が目を伏せた。すぐにこちらへ戻る。続きを待ってくれているのだと思い、一夏も話した。
「慣れてないだけかなって、思ったんだけど。何か一つ慣れた頃にはまた違うことが気になって」
ズボンの膝を指で一度撫でた。
「この前まで着られた服が、今度は気になるとかさ。前は考えなくてもよかったことを、いちいち考えるんだ。気にしすぎかもしれないけど」
箒が首を動かしかけた。一夏はその反応を見ると先に言葉を足していた。
「あ、でも、大丈夫。別に、それで何もできないとかじゃないから。服だって、選べばいいんだし」
自分で言って口を閉じた。選べばいい。それだけで済むなら、さっき鏡の前であれほど困らなかった。
「……今のはちょっと、格好つけた」
箒は責める顔をしなかった。だが返事もなかった。黙るともっと困らせる気がして、一夏はまた話し出した。
「箒はそんなに気にしなくていいからな」
すぐに言い方が違うと思った。
「いや。気にするなっていうのも、無理か。今、聞いたばっかりだし」
説明しておいて気にするなと言う。言い終わる前にまた直したくなる。箒の答えを待つ間まで自分の声で埋めていた。
「ミーシャにも、俺から話すよ。だからお前が、どう伝えたらいいんだろうとか、考えなくても……」
重ねた箒の指に力が入った。
「……ごめん。そんなこと、頼んでないのに」
一夏は息を吐いた。
「俺が、ちゃんと話してなかっただけだから。お前が何か気づいてやればよかったとか、そういうの、思わなくていいんだ」
箒が唇を結んだ。顔が少し下がる。それを見ると一夏は慌てた。
「杜王町にいた間、嫌だったとかじゃないぞ」
思ったより大きな声になった。
「一緒に買い物に行ったり、飯食ったり、普通に話したり。あれは本当に楽しかった。お前たちが何も聞いてこないのを、嫌だと思ってたわけじゃない」
箒が顔を上げた。
「むしろ、楽だったんだ。変に気を遣わずに話せるのが」
言った途端にまた引っ掛かった。話してしまった後は楽しく過ごせない、と聞こえないだろうか。
「……これから気を遣えって意味じゃないからな」
付け足す声は頼むようになっていた。
箒が小さく頷いた。それでほっとしたかったのに、何に頷いたのかまで気になった。分かったということか。今までどおりにするということか。ただ話を聞いてくれているだけなのか。
一夏は組んだ指を解いた。
「……何から話せばいいか、分からなくなるな」
随分話したのに、最初の言葉をまだ探している。
箒は手を見下ろした。何も持っていないのに力が入っていた。顔を上げると一夏がまた何か言おうとしている。聞かなければと思った。言えなかったことをようやく話してくれたのだ。
手術も薬も初めて聞く話だった。痛かったのかと尋ねたくなったが、今の説明をそこで止めていいのか分からない。必要だったのかと聞けば、彼はまた自分の返事を弁明しようとするかもしれなかった。
分からないことを聞くだけのつもりでも別の意味で伝わる。さっきから一夏はこちらが何も言わないうちに何度も言い直していた。
後で一つずつ尋ねよう。今は最後まで聞く。そう決めても声が途切れるたびに焦った。自分が黙っているから彼は次の説明を探すのではないか。
病室で再会したときには元気になったと聞いた。退院して近くに暮らせるようになり、歩く距離が延びた。冗談を言う顔を見るたびに箒も安心した。
同じ間に一夏は服を選ぶことや人の目を気にしていた。何気なく声を掛けた直前にも、一人で鏡を見て困っていたのかもしれない。
箒は口を開きかけた。一夏が顔を窺う。それでまた止まった。大丈夫だと言いたかったが何が大丈夫かまだ分からなかった。
もっと早く話してくれれば。その思いもあった。けれど今の説明を聞いていると、話すまで何を怖がっていたのかも少し分かる気がした。
「今も、一夏って呼んでほしい。俺も、お前と話すとき、急に別の言い方にはできないし」
箒は顔を上げた。名前を変えるつもりなどなかった。そのことまで一夏は確かめようとしている。
昔と同じだと言いかけた。だが同じだと言い切れば、聞いたばかりの困りごとまで無くしてしまいそうだった。
「……俺は俺だからさ」
そのはずだと、言い聞かせた。
箒と会えて嬉しかった。ミーシャと話すのは楽しい。それは真実だと分かっているのに、身体のこととなると、深い霧に迷ってしまう。
「性格が急に変わるとか、そういうんじゃないし。今までどおり、言いたいこと言ってくれていいから」
箒を見ていようとしたのに途中で目が逸れた。
「無茶したら怒っていいし。俺が変なこと言ったら、いつもみたいに……」
続きを出せなかった。いつもなら頼まなくてよかった。箒は自分の調子で言い返してくれたし、一夏も遠慮せず返せた。
今はそれを一つずつ確かめている。
「……いや。急には無理だよな」
一夏は膝を見た。
「ごめん。いろいろ言って」
箒の手が浮いた。声の代わりに触れようとして、そのまま半端な高さで止まった。彼が慰めてほしいと言ったわけではない。自分の返事が欲しいのか、もう少し聞いてほしいのかも決められなかった。
迷っている間にも一夏の口は動いていた。こちらへ手間を掛けない約束をしようとしている。箒は唇を噛んだ。そんな約束を聞きたいのではなかった。
「お前だって、入学したばっかりで、知らないことだらけなのに。いきなり同じ部屋で、こんな話までされても困るよな」
箒が息を吸った。一夏にはその先を待つ余裕がなかった。
「大丈夫。なるべく、手間はかけないようにするから」
言った自分にも遠い言い方だと分かった。これから同じ部屋で暮らす幼馴染へ、最初に約束することがそれなのか。
困らせたくなかった。学校へ通えるし生活もできると伝えれば、少しは安心してもらえると思っていた。それなのに箒の顔は楽にならない。話すほど自分の声も頼りなくなった。
「……うまく、言えないな」
一夏は笑おうとした。安心させるために思いついたのがそれだけだった。だが口元にはうまく力が入らなかった。
椅子が動いた。
顔を上げると箒が立っていた。一歩近づいて身を屈める。
「……箒?」
返事の代わりに腕が背中へ回った。肩を抱き寄せられる。
一夏の手は膝に残ったままだった。何か言われると思っていた。まだ少し怒られることも考えていた。そのどちらでもなかった。
箒は一夏の背中を支えていた。戸惑っている間も離れなかった。
「……大丈夫、だから」
いつもの言葉を最後まで言えなかった。背中へ添えられた手に少し力が入る。
一夏は口を閉じた。箒はそれでも待っていた。
机の上にメモが見えた。分からないこともあるけれど話を聞いてほしい。書いたのはそのことだった。全部の答えを持っていなくても箒はここにいてくれる。
説明を足さなくても離れなかった。笑ってみせる必要もなかった。
ようやく一夏の指が動いた。箒の袖へ触れ、そっと掴む。息を吐くと長く震えた。箒は何も言わない。一夏も顔を伏せたまま袖を離さなかった。
まだ伝えていないことはあった。自分で分かっていないことも残っている。それでも次の言葉を急いで探さずに済んだ。
背中を支える腕に任せて、もう一度ゆっくり息を吐いた。