Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
ミーシャは扉を開けて足を止めた。入口に旅行鞄がある。通路には開いた箱と紙袋が並んでいた。
机もベッドも服で埋まっている。薄い夏服の隣に冬の上着があり、パーカや部屋着も出してあった。季節を分けずに全部広げたらしい。
収納の前で少女が振り返った。左右に結んだ髪が揺れた。
「あ、同室の子? あたし、凰鈴音。よろしく」
「ミーシャ・グラハム。よろしく。そっちが君の机かな」
「ええ。あたしはそっちを使うつもりだけど」
「分かった」
ミーシャは袋を避けて手前の机へ向かった。鈴は収納へ手を掛けたまま話す。
「ちょうど荷物を
ミーシャは椅子のパーカを取った。机のブラウスと重ねて袖を内側へ入れる。
「……え?」
鈴の机にも服があった。端を揃えてその上へ載せた。
「ちょっと。何してるの?」
「服を移してる」
「見れば分かるわよ!」
鈴が収納から離れた。ミーシャはもうベッドへ移っていた。薄手のシャツと畳まれた衣類をまとめて向こうへ運ぶ。
眺めたりからかったりする様子もない。自分の場所を空ける手つきだった。
「待ちなさいよ。それ、まだ分けてる途中なの!」
「うん。さっき聞いた」
「聞いたなら、勝手に動かさないでくれる?」
ミーシャは残っていた服を持った。
「僕の荷物も、置きたいんだ」
「あたしだって、あとで戻すつもりだったわよ。今、整理してるんだから」
「だったら、君の机とベッドで続けてくれると助かる」
最後の服を移すと鞄を下ろした。持ち手を離して肩を動かす。
「ふう」
「何、一仕事終えたみたいな顔してるのよ」
「荷物を置けたから」
鈴は二つの机を見比べた。こちらの服の山だけが増えている。荷物を置きたいという話は分かる。分かったからといって腹が立たなくなるわけでもなかった。
「あのね。人のものを、そんな無造作に触らないで。あんた、デリカシーってものがないの?」
ミーシャが鈴を見た。
「落としてはいないよ」
「そういう話じゃない!」
鈴の声が高くなった。ミーシャは少し待ってから鞄を開けた。その手を見ているとますます腹が立った。
「ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるよ」
「だったら、少しくらい──。あたし、中国の国家代表候補生なのよ」
鈴は顎を上げた。こちらが何者かも知らずに自分の都合だけを通されるのは面白くない。今度こそ何か反応するはずだった。
「そう」
ミーシャは筆記具を出した。
「本土で生まれて、両親の仕事で日本へ移住した。そのあとIS適性が分かって、中国へ戻ったんだろう?」
鈴の口が閉じた。
「で、今度は学園へ入るために再来日。日本へ来るのは初めてじゃない」
筆記具が棚へ置かれる。話の内容に反してミーシャは自分の片づけを気にしているようだった。
「……は?」
少し遅れて声が出た。
「何で、知ってるの?」
「違った?」
「違わないけど!」
鈴は眉を寄せた。否定できない自分にも苛立った。
「いや、待って。あたし、そんな話してないわよね」
「してないね」
「あんた、あたしのこと知ってたの?」
ミーシャがようやく顔を上げた。
「今、会ったばかりだよ」
「じゃあ、何で分かるのよ」
声にはまだ怒りが残っていた。ただ先ほどのように怒鳴れば済む気はしなかった。
ミーシャは小物入れを取り出して机へ置く。
「服と、話し方。あといくつか気づいたこと」
「……服?」
「秋冬のアウターは一年前と二年前に中国のティーン世代に流行ったものだ。けれど夏モノは日本のモノだね。それも今年発売された新作だ。ということは少なくとも一昨年と去年は中国で暮らしていた」
移した服へ一度だけ目をやった。
「旅行先のお土産という買い方じゃない。一枚二枚でないのがその証拠。特別裕福な過程ならハナシは別だけれど」
「それだけで、中国生まれだって?」
「名前と、君が中国の代表候補生だという話も合わせてね。少なくとも日本で生活を送った期間の方が長い」
「日本語を話す中国人なんて、珍しくないでしょ」
「確かにね。凰さんの日本語はとてもなめらかだ。ピンインの音もない。そして話法も標準語に近しい」
鈴は黙った。ミーシャは説明を続けた。
「早口なのは個人差もあるだろう。けれど
鈴が唇を結んだ。
「母国語として習得した癖は簡単に抜けない。中国出身で、母国語は中国語、第二言語か第三言語に習得したと考えるよりは分かりやすい。最初にいたのは神奈川の方かな」
「……だから日本にいた?」
「うん」
ミーシャは着替えの袋を出した。鈴はその腕を追っていた。
「それで、ISのために中国へ帰ったっていうのは?」
「今、国家代表候補生だと言ったから」
空いている収納へ袋を運んだ。
「中国はIS操縦者の確保に熱心だからね。Cランク程度なら見逃されることもあるだろうけれど、わざわざ本土出身でもないのに帰国させるとなるとAランクじゃないかな? この予想は国家代表候補生という部分とも合致する」
「そんなに簡単に……」
「今の服も、日本での暮らしだけが続いていたというより、最近まで中国で生活していたように見えるし」
鈴は服を見た。どこへしまうかしか考えていなかった荷物だった。目の前の相手はそこから引っ越しの順番まで辿っている。
「……じゃあ、日本にいた場所も分かるわけ?」
今度は挑むように尋ねた。ミーシャは収納を開けたまま答える。
「横浜。でも長くはない。東京へ移住してる」
鈴の顔が止まった。ミーシャは自分の服を棚へ入れる。
「西日本じゃない。一番あり得ないのが大阪。あそこの人は、どこでもお国言葉で話すから。次に可能性が高いのは関東だ。それでまず横浜。
「それだけで、住んでいた場所まで分かるの?」
「分かるわけじゃない。服と、さっき君が認めた話を合わせて、そう考えた」
確かに日本で買ったものと中国へ戻ってから選んだものが混じっていた。だが相手は最初から知っていたのか。それとも今の自分の返事まで使って話しているのか。
「親の仕事の都合というのも、当てただけ?」
「子供が生活を移す理由として、まず考えた。違うと言われたら、その部分は考え直す」
「言い方は全部知ってるみたいだったじゃない」
「君が違わないと言ったから、続けたんだ」
認めた言葉まで材料にされている。鈴は言い返そうとして止まった。
「違う?」
「……違わない」
声が小さくなった。
ミーシャは頷いて収納へ戻った。当てたことを喜びもしない。こちらを見て笑うこともなかった。どの棚へ服を入れるかの方が大事らしい。
鈴はその背中を見た。最初の勢いで怒り続けることはもうできなかった。
「……あんた、何なの?」
「ミーシャ・グラハム。さっき名乗ったよ」
「そういう意味じゃなくて」
棚の高さを確かめていたミーシャが少し考えた。
「まだ、続きも聞く?」
「続き?」
聞き返してから嫌な予感がした。ミーシャは答えを待たずに続けた。
「家にはそれなりに余裕があって、今は君自身にも、独自の収入源があるんだろうね」
鈴は机を見た。化粧品の箱が置いてある。服の整理が済んだら使いやすい場所へ置くつもりで出しておいたものだった。
「十六歳で、その価格帯のコスメを自分の好みで選べる。服も、一着だけ特別なものがあるという買い方じゃない。普段から、そういうものを選べる環境があるんだろう」
「……自分のお金で買ったのよ」
「うん。だから君自身にも収入があるんだろうと思った」
答える声に羨むような響きもなかった。
「高いものを持っているからといって、必ず裕福な家だとは限らないけど。君は気に入ったものを継続して揃えられるように見える」
「何を見て、そこまで言ってるのよ」
「服と、コスメだよ。一つだけ特別に高いものを買ったというより、自分の好きなものを続けて選べている。家の環境に、今の報酬も加わっているのかなと」
「自分で選んで、自分のお金で買ったものよ。勝手に、家の説明にしないで」
鈴は箱を引き寄せた。高価に見せたかったわけではない。自分で気に入って買ったものだ。その選び方まで初対面の相手に順番に説明されるのが嫌だった。
「……あんた」
「今日つけている香水もそう。ミュウミュウのローブルー・オールドパルファム。三越伊勢丹で三月に販売された限定品だ。中学三年生が手軽に買えるかは少し疑問がある。でも君は国家代表候補生として相応の報酬を受け取っているから問題がない」
鈴が箱から顔を上げた。
「……報酬?」
「中国なら、代表候補生に相応のお金を払うだろう」
ミーシャはもう一枚服をしまった。
「国によって、ISを運用する組織の看板は違う。司法機関に置く国も、民間軍事会社へ委ねる国もある」
説明を続けながらも片づけの手は止まらない。どんな肩書でも隣の机を使ってよいとは考えていないらしかった。
「中国はISを競技用マシンと定義している。国務院が監督する国家体育総局、だったかな。あそこなら人民解放軍からも技術スタッフを送りやすい」
そこでようやく鈴へ向き直った。
「確か毛沢東の論文。名前は忘れたけど、スポーツ振興で促進された国民の健康は国力増強につながる……と何かで読んだ。それにISは世界的に注目されてるからね。国際大会で勝てば国威発揚にもなって一石二鳥だ」
「……国の技術を示すことだって、大切な役目でしょ」
鈴の声がはっきりした。
「報酬があるから、余裕で買えるだけみたいに言わないで。候補生になるまで、訓練もした。学校の友達と離れることも、簡単じゃなかったんだから」
余計なことまで話したと思った。ミーシャは顔を変えなかった。ただ収納へ伸ばしていた手を止めていた。
「うん。だからお金を掛けるんだろう?」
反論されたという顔もせず頷いた。
「競技で勝てば、国の技術力も、操縦者を育てる力も宣伝できる。そのために機体を研究し、訓練の環境を整えている。実際に乗って結果を出す人にも、高い報酬を支払うのは当然だと思うよ。代表候補生はこれから国の顔になるかもしれない人たちなんだから」
鈴は言い掛けてやめた。代表候補生だと名乗ったときに待っていたのはこんな返事ではなかった。
「……それで、あたしの買い物の話になるわけ?」
「そう。日本で暮らしていた頃から馴染みのあるブランドを選べる家庭環境と、今の君に支払われる報酬。両方あれば、気に入ったものを揃える余裕はあるだろう。代表候補生だという話と、ここにある持ち物はちゃんと繋がる」
鈴の机を一度だけ見る。
「だから驚くような話ではないよ」
収納の扉が閉まった。鈴の口は開いたままだった。
相手の態度を変えたくて持ち出した肩書だった。それが今は服や家の事情と一緒に並べられ、報酬を受け取る理由まで説明されている。
しかも本人は少しも熱くなっていなかった。
「……あたしの荷物、調べたの?」
「開けていない袋には触ってないよ」
ミーシャはベッドに残った袋を示した。
「これは君の側へ運んでもいい?」
「自分でやる!」
鈴が先に取り上げた。自分の机の下へ入れて戻る。今度は声を落とした。
「今の、全部、入ってきてから考えたの?」
「うん。君が代表候補生だと言ったので、だいたい繋がった」
「それまでは?」
「荷物を置きたかった」
ミーシャは椅子を引いて座った。鈴は立ったまま返事を失った。
冗談のようだが最初から同じことしか言っていない。ミーシャは空いた机で小物を揃え始めた。
「……あんた、あたしとは今会ったばかりなのよね」
鈴はそこまで確かめてから言った。
「うん」
「人のものから、そんなことまで勝手に考えるのはどうなのよ」
ミーシャが顔を上げた。
「言わない方がよかった?」
「考えないでほしいんだけど!」
言ってから無理な要求だと気づいた。見えたものから何を考えるかまで止める方法はない。ミーシャは少し考えていた。
「とりあえず、君のものは君の側へ置いておくといいんじゃないかな」
鈴は自分の机とベッドを見た。夏服も冬服も行き先のない袋もこちらに集まっている。急に全部しまいたくなった。
「……もう、あたしのこと、ほかに何も言わなくていいから」
「そう」
ミーシャは本当に話をやめた。端末を取り出して画面を見る。
鈴は畳みかけた服を置いた。このまま黙って片づけたら相手の言うとおりにして終わる。それも面白くなかった。
「広げすぎたのは悪かったわ」
端末を触る指が止まった。
「あんたの机とベッドは空ける。でも、次から勝手に触る前に言って。移してって言われたら、あたしが動かすから」
「分かった。先に声をかける」
謝るのかと思って少し待った。それ以上は続かない。鈴もそこまで求める言葉は出さなかった。
ベッドの服を自分で畳み直した。棚を一段空けて重ねる。部屋中へ広げていたときよりしまう場所を決めやすかった。癪なので口にはしない。
「共用の場所はどうするの」
机の間を指した。ミーシャは二人で相談してから物を置こうと答えた。
「勝手に、あんたの料理道具を並べたりしないでよ」
「ここに持ち込める道具はまだ確かめてるところだよ」
「……置くつもりではあるのね」
その問いにだけミーシャは少し笑った。
鈴は肩を落とした。嫌な相手だとはまだ思う。だが黙っていれば何かを譲ってもらえる相手でないことは分かった。
横顔を見ても怒った様子はない。黒い髪と黒い目がこちらを向くこともなく、端末の操作を続けている。自分だけが怒って言い返し、最後には服をしまっていた。
鈴は収納を開け直した。すぐ使わない冬物を上段へ入れる。棚の手前が空くと小さな袋も収まった。机には明日使う冊子と筆記具だけを残す。
「これで、文句ないでしょう」
「僕の場所は空いたよ」
褒め言葉はなかった。少し待っていた自分に気づくとまた腹が立った。認めてもらうために片づけたのではない。
鈴は窓の留め金へ手を掛けた。少し開けると新しい紙や服の匂いの間へ外の空気が入ってくる。
「開けてもいい?」
聞くのが後になった。ミーシャが頷く。鈴は何も言わず開けた幅を少し狭めた。
こちらも先に聞けばよかったのだろう。一つ動くたびに相手を確かめるのは面倒だった。それでも一人部屋を与えられたわけではなかった。
「……最悪。何なの、もう」
小さく呟いて空いた紙袋をまとめた。ミーシャがふと顔を上げる。
「鈴」
鈴の肩が跳ねた。
「……何よ。まだ何かあるの?」
「その箱、入口の前に残ってる。あとで出るとき、ぶつかると思う」
入口に空の箱が残っていた。鈴は取りに行って畳み、収納の脇へ立てた。
ミーシャはもう画面へ戻っていた。それを確かめてから鈴も旅行鞄の蓋を閉じた。今度は入口へ置かず自分の側へ寄せた。