Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
翌朝の教室で千冬が出席簿を閉じた。一夏は冊子から顔を上げる。
ついさっきまで寮の話があちこちで聞こえていた。今は前を向いた生徒が小声で聞き返している。クラス代表。一夏も隣を見たが箒はもう教壇へ目を向けていた。
「……もう決めるんだな」
「いつかは決めるだろう」
箒が声を落として答えた。
「そうだけどさ。まだ、名前も全部覚えてないぞ」
「だからこれから話を聞くんだろう」
机の資料を端へ寄せる。その横で一夏も冊子を閉じた。
昨日の話を思い出すとまだ顔を見にくいことがある。だが今の返事はいつもの箒だった。少しほっとして前を向くと真耶が資料を持っていた。
「クラス代表になった方には学園行事やクラス対抗の催しなどで、一年一組の代表として活動していただきます。詳しい内容はその都度説明しますが……」
「まず、候補者を出せ」
千冬が引き継いだ。
「自薦、他薦は問わん。自分がやりたい者、適任だと思う者がいるなら、手を挙げろ」
一夏は周囲を見た。自分より落ち着いた女子はいくらでもいる。初対面でも話ができて皆に声を掛けられる生徒もいた。誰が手を挙げるだろう。
千冬がもう一つ条件を足した。
「なお、推薦された者の辞退は認めない」
「……え?」
声を漏らしたのと同時に前の席から手が挙がった。
「はいっ! 織斑君を推薦します!」
条件が付くのを待っていたような早さだった。一夏はその手を見てから女子の顔を見た。相手はにこりと笑う。
「……俺?」
「うん。織斑君」
「私も、織斑君がいいと思います!」
ほかの席からも賛成された。誰が立候補するか考えていたのに、なぜか自分の名前ばかり聞こえる。
「織斑だな」
千冬がチョークを取った。黒板に織斑一夏と書く。見慣れた名前が随分大きかった。
「待ってください。俺、まだ──」
「何だ」
「こういうの、やったことないんですけど」
「だから?」
一夏の返事が一度止まった。
「だからいきなり代表って言われても。俺、ISのことだって、これから習うところだし」
「今は候補を挙げている。お前に決まったわけではない」
「じゃあ、候補になるのを断るのは……」
「さっき言ったな」
確かに言われた。聞いたばかりの条件が早速自分へ使われている。一夏が口を閉じると近くの女子が笑った。
「皆で手伝うから、大丈夫だよ。昨日も話しかけやすかったし」
「話しかけられたから、答えただけなんだけど」
また笑われた。悪気はないのだろうが、困りながら答えたことまで推薦の理由にされると頷けない。一夏は隣へ顔を向けた。
「……何とか言ってくれ」
「何をだ」
「今の俺が、全然落ち着いてないってことを」
「見れば分かる」
「分かるなら、助けてくれよ」
箒は黒板を見た。
「まだ、決まったわけではないと言われただろう」
「候補から降りられないとも言われたんだぞ」
「聞こえていた」
いつもの声だった。よく見ると口元が少し緩んでいる。一夏は前へ向き直った。
「……他人事だと思って」
「お前が慌てすぎなんだ」
近くで聞いていた女子まで笑っている。そちらへの文句は諦めた。真耶が手元に控える間も、黒板には自分の名前だけが残っていた。
「ほかには」
千冬が教室を見回した。一夏もつられて見た。
目が合った女子に申し訳なさそうに首を振られる。別に彼女を推薦しようとしたわけではなかった。ただ誰かほかにいないかと思っただけだ。
椅子が鳴った。ミーシャの手が挙がる。
自分で出てくれるのだろうか。それなら助かる。一夏が困っている間にも用事を済ませてくるような相手だ。杜王町でも何度かそういうことがあった。仕事はよく分からなくても自分より落ち着いてできる気がした。
「グラハム」
千冬が指名した。
「セシリア・オルコットさんを推薦します」
一夏はセシリアを見た。彼女もミーシャへ顔を向けている。青い目が一瞬だけ丸くなった。
「……わたくしを、ですの?」
ミーシャが頷いた。
「うん」
説明は続かなかった。代わりに別の席から声がする。
「あ、そっか。オルコットさん、代表候補生だもんね」
昨日の自己紹介を思い出したらしい。
「そうだよ。英国の」
「ISのこと、慣れてる人の方がいいのかな」
「クラス対抗の行事もあるって言ってたし……」
一夏に集まっていた視線が動いた。別の手も挙がる。
「私も、オルコットさんを推薦します」
「あ、私も。代表候補生の方が、そういうのは分かってそうだし」
一夏を推していた女子の一人まで考えてから手を上げ直した。
「じゃあ、私もオルコットさんに」
よかった。一夏の肩から力が抜けかけた。
千冬が名前を書き足す。自分の文字は消えなかった。セシリア・オルコットがその横に並んだだけだった。
「……まだ、俺も残るんだよな」
小声が漏れた。
「推薦を受けただろう」
箒が答える。
「それはそうだけど」
安心していいのか分からなかった。
セシリアは机で指を揃えた。自薦するつもりも誰かを推薦するつもりもなかった。まず皆が誰を選ぶか見ていようと考えていたのである。
昨日は家名にも候補生の肩書にも普通の拍手が返った。それが今は推薦の理由として何度も口にされる。経験があるから任せられそうだと周囲がこちらを見た。
視線を集めることには慣れている。セシリアは背筋を伸ばした。
「推薦いただき、ありがとうございます」
声はきちんと出た。近くの女子が笑顔で返す。
「うん。よろしくね、オルコットさん」
「いや、まだ決まってないぞ」
女子が黒板を見た。セシリアも一夏を見る。
目が合うと昨日の食堂を思い出した。落ち着いて話そうとするほど、次の言葉がすぐには出てこない。
「……ええ。まだ、候補としてですわね」
「うん。俺も、その辺はちゃんと分かってないんだけど」
一夏は二つの名前を見上げた。どう一人に決めるのかも聞いていない。
セシリアはミーシャへ目をやった。最初に推薦した彼女はもう手を下ろしている。賛同する声を静かに聞くだけだった。
礼は言うべきだろう。けれど何故自分なのか。本人の理由をまだ聞いていなかった。
話し掛けようとしたところで教壇から声がした。
「グラハム」
ミーシャが顔を上げる。
「はい」
千冬はチョークを置いてミーシャを見ていた。
「推薦の理由を聞こう」
小声が止んでいった。一夏もミーシャを見る。
代表候補生だから、ではないのか。自分も周囲の声を聞いてそう思いかけていた。だが千冬が聞いたのは賛同した女子ではなかった。
セシリアの指が止まった。ミーシャは座り直して担任を見た。
「お前がオルコットを推薦した理由だ。聞かせてもらおう」
「国家代表候補生が、この学園へ来る理由を考えました」
一夏は首を傾げた。推薦の理由なのに入学の話から始まった。セシリアも続きを待っている。
「国家代表候補生は官民を問わず、その国で最も整った環境で訓練を受けられることが多いはずです。設備や指導者、整備の支援も、一般の操縦者より優先して用意されるでしょう」
ミーシャが黒板の名前を見た。
「そういう人が、わざわざ外国の学校へ来る。そこが気になりました」
「……勉強するためじゃないのか?」
一夏の小声を聞いてミーシャが顔を向けた。
「もちろんそれもあるだろうね。ただ、ここで学ぶためにはそれなりの負担もある」
答えるとまた千冬へ向き直った。
「公用語に日本語を指定している時点で、IS学園は世界的に見ても難関校です。操縦の適性があれば、それだけで授業を理解できるわけではありません。専門的な話まで日本語で聞けるようにして、生活の場所も移さなければならない」
何人かがセシリアを見た。昨日も日本語が上手だと声を掛けられていた。そのとき一夏はただ感心していた。
今も彼女は皆と同じ速さで説明を聞いている。そうできるようになるまで何をしてきたかはミーシャに言われるまで考えなかった。
「本国で十分な訓練を受けられるなら、語学や移住の負担に見合うものが、こちらにあると考えた方が自然です」
千冬はミーシャから目を離さなかった。
「続けろ」
「オルコットさんの場合は家の事情もあります」
セシリアの指が僅かに動いた。
「英国のジェントリ階級の家で、未成年でも家長を務めている。家長という立場は昨日の自己紹介で話していましたね」
「……ええ」
セシリアは声を整えて答えた。
「家長としての仕事を、こちらでも続けられるにしても、本国を離れて暮らすための調整は要るでしょう。普通の留学生以上に、留学する利益と負担を考える立場のはずです」
予定を調整している。昨日の食堂でもそう聞いた。勉強と訓練に家の仕事まであるのに、彼女は滑らかに説明していた。
一夏はその顔を思い出した。話すのに慣れているからといって用事が少ないわけではなかったのだ。
「本国に十分な教育と訓練の環境があるなら、家長が国を離れてまで、一般的な授業を受けに来るメリットは薄いと思います」
ミーシャは同じ調子で続けた。
「ではIS学園の設備が必要なのか。そう考えても、英国側に設備が足りないとは簡単には思えません」
賛同していた女子たちも手を下ろした。教室にはミーシャの声だけが続く。
「ISの軍事利用に最も熱心なイギリスが、軍の研究開発部門や実験場を持っていないとは思えない。条約上の建前がどうであっても、研究や試験をする場所は用意しているでしょう」
セシリアは唇を結んだ。研究開発部門と実験場。名前を挙げられたわけではない。それでも思い当たる場所はあった。
「代表候補生が訓練するだけなら、国内で出来る。研究用の施設も、試験をする場所もある。それでも操縦者をIS学園へ送るなら、既存の設備では扱いにくいものがあるのかもしれません」
「向こうの設備では試験稼働が難しい『ナニカ』です」
一夏がセシリアを見た。彼女はミーシャから目を離さなかった。否定も驚きの声も出さない。
「この学園は世界一のIS実験場でもあります。国内の実験場では十分に試せないものでも、ここなら動かせる。そういう目的なら、設備の整った本国を離れて入学する理由になります」
ミーシャの声は大きくならなかった。初めに出した条件へ一つずつ話を繋げている。
「ねえねえ~。その、本国じゃ扱いきれないナニカって~、たとえば何なの~?」
間延びした声に一夏が振り返った。少し離れた席の女子が眠そうな目で首を傾げている。長い袖から出た指は机に置いたままだった。
手を挙げずに話したので近くの生徒が教壇を窺った。千冬は注意しなかった。腕を組んでミーシャを見る。
この問いで推薦までの考え方が分かるだろう。専用機という答えに話を合わせたのか。ほかの可能性も考えたのか。担任は助け舟を出さずに待った。
「まず、核兵器ではないと思う」
一夏はミーシャへ顔を戻した。
「……核?」
「本国で試せないもの、と聞けば、候補にはなるからね」
ミーシャは質問した女子へ答えた。
「英国には核関連の試験を行ってきた施設と実績がある。昔の施設をそのまま使えるという話ではないけれど、試す場所がないから学校へ来た、という説明には無理があると思う」
「じゃあ~、ISに載せるのが難しいとか~?」
「組み込むには問題が多すぎると思う。国内外の批判もあるし、そもそもイギリスにはSSBNによるCASD体制がある」
女子がゆっくり瞬きをした。一夏も途中から分からなくなった。
「……悪い。その、後ろの二つは何だ?」
「弾道ミサイルを積んだ原子力潜水艦と、常時洋上抑止。核ミサイルを持った潜水艦を、交代で海に出し続ける仕組みだよ」
ミーシャがこちらへ向き直る。
「長い間、どこにいるか分からない潜水艦が海にいる。それがもうあるのに、稼働時間の短いISで同じ役割をやるメリットはない」
「……ああ」
略語にも少し形が見えてきた。代表を選ぶ話がいつの間にか潜水艦まで来ている。教壇を見ても千冬は止めなかった。
「同時に、核戦力でさえ、稼働中のISに対してはただの爆弾やミサイルでしかない。威力が大きいからといって、それでISへの有効性まで解決するわけじゃない」
ミーシャはまた黒板を見た。
「だから核を運ばせるより、IS同士の戦闘で使う新しい装備の方が、説明としては合うと思う」
「新しい装備~?」
「少し前に、Dstl──英国の国防科学技術研究所が発表したレーザー兵器がある。『ドラゴンファイア』」
セシリアの指が止まった。
「その技術を、IS用に転用したもの……だと思う」
ミーシャが言葉を切った。すぐには誰も答えない。問いを挟んだ女子も眠そうな顔のまま続きを待っていた。
「もちろん公開された兵器の名前だけで、オルコットさんの装備までは分からない。レーザーなら何でも学園でしか試せない、という意味でもないよ。ISに載せた段階で、既存の試験環境では足りなくなる何かがあるんじゃないか、という推測」
千冬は口を挟まなかった。まだ仕様を断定する材料はない。本人もその先までは言い切らないらしい。
「なるほどね~。ありがと~」
最初と変わらない調子で礼が返った。ミーシャは頷いて千冬へ戻る。
「具体的な装備や仕様までは分かりません。けれど、新しい技術を載せた機体を継続して動かすなら、操縦者も、その機体に慣れた人を置く方がいい」
セシリアは机の端から手を離した。膝に置いて重ねる。
「そこで、英国国家代表候補生という立場も合わせて考えました。本人に任された機体を持ち込んで、ここで試す。そのために入学しているのではないかと」
そこでミーシャがセシリアを見た。
「だからオルコットさんは専用機持ちではないかと思いました」
小さく椅子が軋んだ。専用機という言葉が席の間で繰り返される。
一夏は黒板を見た。名前の横には何も増えていない。それでも初めに書かれたときより、引き受ける仕事の重さが感じられた。
「自分の機体で継続して訓練し、その運用を任されている候補者がいるなら、クラスを代表する役にも適しているのではないかと考えました。それが、推薦した理由です」
話が終わるとセシリアは口を開きかけた。だが声が出なかった。
家名と家長であること。代表候補生として来日したこと。教室で自分から話したのはそこまでだったはずだ。
千冬の目がこちらへ移った。周囲もつられて顔を向ける。セシリアは膝の上で手を重ね直し、担任を見返した。