Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
エスカレーターに買い物客が運ばれる。
カメユウデパートの地下二階は大混雑だった。
日曜日の午後三時半。みな夕食の具材を求めている。箒とミーシャも同様だった。
精肉と青果のさらに向こうで鮮魚が売られている。エスカレーターを降りたミーシャは案内板に構わず、残り僅かな買い物かごへ手を伸ばした。その後ろから箒が声を掛ける。
「詳しいのか」
言葉不足は篠ノ之箒の無自覚な悪癖だった。
致命的なほど説明を欠く。能弁は才能だが美徳とは言い難い。不足の美は如何にも日本的な感性だが……コミュニケーションにおいてはむしろ不適切な方針である。
ミーシャはさらりと「便利だからね」と言って応じた。
「そうだろうか……」
「距離が近い。自転車もいらないぐらいだから。品質と鮮度がいいのもある。すぐに使い切るなら下処理を簡略化できる」
「なるほど。工程を短縮出来るのは、確かに利点か」
ミーシャの説明に箒は頷いた。
レバーを焼くたびに牛乳を消費するのは、不経済に思っていた。軽く塩を振ってやる程度で済む。それだけでも十五分から三十分の待ち時間が生じる。無論、その間にほかの調理を進めれば効率は維持出来る。
結果的に出費を抑えられるならそれは間違いなく利点と言える。
合理性を認めつつ箒も買い物かごを手にした。
「一つで足りると思うよ」
「お前が買いすぎなければな」
「昼も言われたね」
「覚えているならいい」
昼食は冷凍庫に保管されていた白米で焼き飯だった。
こちらは箒も手慣れている。本格的な炒飯ではなく、野菜の切れ端や余った漬け物を刻んで具にするものだ。
ミーシャが沢庵を食べるのは少々意外だった。
「こっちだよ」
不揃いな黒髪が渋滞の間を抜けていく。
あとを追ううち鮮魚売り場の看板が見えた。
陳列台の上に置かれた箱。氷が敷き詰められ、その上に鮮魚が並ぶ。
赤みを帯びた鯛。銀色の鯵。その隣には、白いトレーに入れられた切り身がある。店員が一枚ずつ置き直すたび、透明なフィルムへ照明が映った。
ミーシャはすぐに足を止めた。
「……今日はこれがよさそうだ」
視線の先にある札を箒も見る。一文字『鰹』と書かれている。
「何を作るつもりだ?」
「まだ、決めてない」
箒は横顔を見た。
「これがいいと言っただろう」
「美味しそうに見えたんだ。気になるものを買うのもいいかなって」
「献立に従って買うのではないのか?」
「日によるね。でも野菜や魚はそのときどきで仕入れがなかったりするだろう? だから、必要に応じて変える」
ミーシャは隣の冷蔵ケースへ目を移した。
「今日の品揃えを見て、そこから考えるのも楽しい」
これも箒の経験と合致した理屈だった。
献立を決めるときまず冷蔵庫の中を基準にする。そこから組み立てていき、不足があれば別のものへ変更するか、あるいは買い出しへ向かう。どの選択肢を採用するかはやはり
箒の考え方はあくまで
一方、ミーシャはこうして食材から献立を逆算すること自体を楽しんでいる。
「旬の戻り鰹だな。どう食べる」
「刺身かな」
即答だった。
「ニンニクはある。でもポン酢は切らしてたんだ、あとで買い足さないとね」
「この鮮度なら粗塩でもいい」
「塩? ステーキなら分かるけど。刺身でも塩なんだ」
「透明感のある鮮やかな赤み。それにカドも立っている。これなら臭い消しは必要あるまい」
箒が言うと、ミーシャは頷いた。
「脂を味わうには最高のコンディションなんだね」
「うむ」
黒い目が、楽しそうに細くなった。
箒は少しだけ眉を寄せ、陳列台へ顔を戻した。
当初は焼き魚の予定だったが……これも醍醐味というものだろう。
「せっかくなら盛り合わせにしない?」
ミーシャは太刀魚を見ていた。名前通り刀剣を思わせる銀色の外見である。これもやはり季節の食材である。
「……ミル貝は、流石にないのかな」
「旬ではないな。養殖ならば別だが」
「養殖も美味しいと思うけれどね。旬のものと比べれば、というだけで」
「そういうものか」
「最近は大学も熱心に研究するくらいだよ? 食材の安定供給にもつながるらしいから、一石二鳥なんじゃないかな」
「ウナギ、いやマグロの方か。それは覚えがある」
「一度は食べてみたいよね。最先端の養殖マグロ」
「宮城から大阪は遠い。往復に、宿泊も必要になる」
「確かに。東京へ来てくれれば助かるんだけどなあ。そうも行かないか」
「いずれ全国に出回る……ミーシャ。そのウニは戻せ」
「夢が膨ら……むう。バレたか」
冗談めかしつつも表情は真剣そのものだった。
最高級の北海道産ウニは、そっと売り場へ返された。
「興味があるのは構わん。だが限度がある」
「勇気も大事だとだけ、弁じておくとしよう」
代わりに刺身用のイカを買うことになった。
話題は次第にミーシャの蔵書へ移った。ウニへの関心を高めたのもそこだろうというのが、箒なりの予想であった。
「読書家でもあるのだな。あれだけ本があるとは思わなかった」
「そうかな?」
「専門書もあったぞ。日焼けで相当変色した古書も少なくない」
「叩き売りされていたからね。カカオ豆と芥子とコカの話は面白かったかな」
「コーラの専門書……想像がつかん」
考えこむ箒へミーシャは「コカの葉だよ」と訂正した。
「コカノキという樹木の葉には強壮効果があるんだ。原産地は南米の、アンデスだったかな。あっちの人たちは農作業の合間にコカの葉を噛んだり、コカ茶を飲んで休憩するらしい」
「……待て。その葉というのはその、アレではないのか」
「箒が想像しているのは強壮成分を抽出して、濃縮したものだね。葉っぱ一枚ならキシリトールガムと大差ないと思うよ」
「それがカカオ豆へどう接続するというのだ」
「チョコレートも昔は滋養強壮効果を持つ栄養剤だったんだ。味も恐ろしく苦かったというから、これは漢方薬みたいなものだね」
「論じ方によっては高麗人参もカカオも、コカノキとやらの同類とは」
「そうだね。重要なのはどの視点から、どの部分に注目するか、じゃあないかな。同じウニでも日本とイタリアじゃまったく違う料理になるのだし」
「お前の言わんとするところは、どうにか分かる」
およそ『食』が関わるなら、どんな論じ方でも構わないらしい。
好奇心旺盛なミーシャらしいと言えばその通り。箒には到底真似しがたく、またその結果培われたと思われる視野の広さに敬意すら覚える。
あの分析眼もそうだ。仕入れた情報をいつでも引き出せる。優れた記憶力の産物である。
「小説の類いは読まないのか。かくいう私も、あまり詳しくないのだが」
「そっちは人並みだと思う。流行りの新作をたまに買うくらいだからね。どうしても専門書や図鑑の方が気になっちゃって、いつも予算が足りなくなる」
「図鑑?」
「うん。図鑑。陶磁器の図録もあるし、日本料理の写真集もある」
意外、とは思わなくなっていた。特に陶磁器は料理に関心があるなら当然と言える。箒自身も嗜み程度だが茶道の経験があるので、やはり茶の湯道具の一つとして陶器に心惹かれるものがある。
ミーシャはふと焼き鮭のパックを目にした。
ほかにもカレイの煮つけ、サワラの西京焼きもある。
「こうした料理も、色々な呼び方があるのだろうね」
箒は「そうだな」と言った。
「洋食でもままあることなのだな」
「フランス料理が主に。オートキュイジーヌとヌーベルキィジーヌとか。日本料理はもっと細分化されている印象があるよ」
「懐石や会席のことか?」
「そう。それに精進料理と本膳料理。完成したものだけを見るとよく似た料理もあるだろう?」
二人の背後を賑やかな主婦の一団が通り過ぎていった。
販売員の嗄れた声も響く。日曜日の活気の中を、今度は箒が先導する。
「発祥はすべて異なる。無論そのまま現在へ伝わったのではなく、相互に影響しつつだ。……私の知る限りでよければ話すが」
「頼むよ」
ミーシャの目は好奇心にきらめいた。
「まず、懐石料理は茶道、茶の湯に起源を持つ。茶席で濃茶をいただく前に出される食事だ」
「茶会の前に料理を食べる?」
「そうだ。懐石を食べ、茶をいただくところまでが一続きのもてなしになる。一汁三菜という飯と汁物に、あとは煮物や焼き物を添える。向付けともいって
「向付けはお刺身のことだね」
「現在では、な。かつての
箒の説明にミーシャは小さく頷く。
「なるほど」
「ただ品目が揃えば懐石になるわけではない。季節のものを選び、器や出す順番も考える」
ミーシャは陳列台へ目を向けた。
「食材の旬だけじゃなくて、何に盛るかも?」
「ああ。器の形や色でも全体の印象は変わるだろう。茶の道具や、席のしつらえ、ときには参加者の嗜好によっても変化する」
箒は言いながら少し考えた。
「私とて一通り承知しているつもりはない。聞きかじった話もあるし、正式な席の段取りに関わったこともないのでな」
「今の話だけでも、今朝とは違うね」
「今朝?」
「僕はまず味の組み合わせを考えた。器は大きさを優先した。あとはテーブルに並べたときの色の統一感かな」
箒は朝の食卓を思い出した。
黄色い卵と、焼けた赤いトマト。白い皿の上で、濃い色のソーセージが目立っていた。
「あれも悪くはなかったぞ」
「それはよかった」
思いのほか嬉しそうな顔をされ、箒は紙へ目を落とした。
「それと、会席は字が違っている」
「そこも教えてくれる?」
ミーシャが上着のポケットから筆記用具を取り出す。
折り畳まれた買い物メモと黒のボールペンだった。
受け取った箒は二つの単語を並べて書いた。
懐石。会席。
「こちらは宴席として考えると分かりやすい。酒と料理を楽しむ席だ。茶の湯の懐石とは、成り立ちや目的が違う」
「読み方が同じだと混同しそうになるよ」
「現に『懐石』を掲げた『会席』の店も少なくない。両者の隔たりは薄まりつつある」
ミーシャは書かれた二つを見比べた。
「無理からぬ、と思ってしまう気持ちもある」
「境界線が曖昧になるのは珍しくもない」
「この紙、もらっていい?」
「お前のメモだろう」
「そうだった」
ミーシャは笑い、折り目をつけずに持ち直した。
「精進料理は寺院の食事だ。なおかつ修行とも密接に関わる。肉や魚を使わず、野菜や豆、穀物などを使う。ただし野菜の中でも避ける食材がある。ニンニク、ネギ、ニラ、ラッキョウなどだ。たまねぎもそうだな」
箒が続けると、ミーシャは顔を上げた。
「どれも強壮効果がある食材だ」
「煩悩を刺激し修行を妨げる、というのが主な理由だ。そして野菜や豆もおよそあらゆる部位を食材に利用する」
「あらゆる部位?」
「大根や人参の皮などだ。煮物の飾りつけからきんぴら、酢の物まで色々ある」
箒は大根つまを取り上げた。
「このときも献立の組み合わせは重要だ。精進料理も懐石同様、盛りつけまで重視する。皮を剥くにも方法は色々あるからな。豆料理の豊かさも特色と言えるか」
ミーシャがまた頷いた。
「豆料理はとても気になる。僕もよく食べている方ではあるけれど、いつも似たようなものになりがちだったから」
「……そういえば、お前も私に豆を食べているか聞いたな」
「うん」
「あのときは普段の食事しか答えなかったが、こういう料理の話もできたわけだ」
「まず君の食事を聞きたかったからね」
ミーシャは少し考えた。
「でも、今なら作り方も聞ける」
「私が作れるものばかりだと思うなよ」
「じゃあ、知らないものは、どこかで食べてみよう」
箒は隣の顔を見た。
言ってから、話が終わると思っていた。ミーシャにとっては新しい予定が一つ増えるだけのことだった。
「……また食事に行く話か」
「実物を食べれば得られる情報もあるだろう?」
「お前ならそう言うと思った」
箒は、持っていた紙を畳んだ。
「本膳料理は武士の礼儀作法と結びついている。膳に何をどう配るかにも細かな決まりがある」
「膳というのは、一人ずつ使う、足のついた台?」
「そうだ。本膳のほかに、二の膳、三の膳と並ぶ形もある。どんな席かによって、膳の数や料理も変わる」
ミーシャが、自分の持っているかごを見た。
「それは、ずいぶん用意が大変そうだ」
「格式ある饗応の席で振る舞うものだからな。必然、儀礼的な性格が強くなる」
「宮廷料理と同じだね。主賓の格、季節、目的、色々な条件で扱う食材や調理方法まで細かく指定される」
「ああ。だが日本料理のすべてがそうというワケではない。毎日、膳を幾つも並べることなど普通はないのだからな」
「家庭料理とは違うからね」
「分かっているなら、いい」
箒は鉛筆を返した。
ミーシャはメモ用紙の余白へ新たな言葉を書き加えた。『本膳』の途中でピタリと手が止まる。箒が示すとすぐに書き終えた。
会話している場面ではまったく違和感がない。だがふとした瞬間、まだ学習中なのだと分かる。
「今日、来てよかった」
ミーシャが言った。
「まだ買い物は済んでいないぞ」
箒が返すと、少女はメモ帳を見直した。
ほんの少し間があって、二人とも笑った。