Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
放課後、二人は空いた教室で配布された実施要領を広げた。箒は剣道部へ顔を出す予定を少し遅らせ、窓側の席へ座る。
一夏は一枚目の、二対一という文字に指を置いた。
「本当にこれでいいのか。俺たちが二人で行って」
「先生から説明はあった。オルコットさんにも確認しよう」
ちょうど鞄を持っていたセシリアが足を止めた。
「何か不都合がおありですの?」
「いや。こっちが二人相手でいいのかなって」
「先生が経験を考慮してお決めになった条件でしょう。わたくしも了承しております。それを理由に手加減するつもりはございませんわ」
セシリアは紙を一枚引き寄せた。
「ただ当日までに規則は覚えてきてくださいませ。試合中に説明する余裕まではお約束できませんから」
一夏は背筋を起こした。言い返すことはなかった。
出場者が使うのは各機の通常のシールドエネルギー。セシリアは二人をともに行動不能へ追い込めば勝ち、タッグ側はブルー・ティアーズを停止させれば勝ちになる。被撃墜判定の出た機体は即時離脱し、味方への情報提供も含めて競技へ関与できない。故意に操縦者の身体を狙う行為は禁止。審判の停止指示には全員が従う。
一夏は指で勝利条件を追った。文字を読んでいるうちは理解できるつもりだったが、いざ自分がどこへ飛ぶかを考えると途端に分からなくなる。
「ミーシャ、片方が先にやられたら、もう片方だけで戦うことになるんだよな」
「そうだね。けれど、その時点で僕たちの選択肢もかなり減ると思う」
「分かってる。だからさ、俺が前に出たら、お前は後ろに……」
そこで手が止まった。自分がどちらへ動くのか決めていない。後ろと呼んだ場所へミーシャを置いても、セシリアが横へ回れば、二人とも同じ方向へ向き直る必要がある。
「今の実習じゃ、横へ動くだけでも相手が見えなくなった」
「僕も。まず、どの位置へ行くか短く伝える練習をしよう」
ミーシャは余白へ二つの丸を書き、二人の位置を点で示した。動かす前に、いま見えている相手がどこにいるか話してみる。一夏も同じ紙へ印を足す。
セシリアが一対二で構わないと答えた理由は、こういう細かなことまで準備しているからかもしれない。一夏はそう考えたが、相手の練習内容を知っているわけではなかった。いま確かめられるのは、自分たちの役割だけだった。
時間切れの判定はタッグ側の残存エネルギーを二機分の開始値に対する割合へ換算して比較する。一機を失えば、その機の分は零になると注記があった。
「片方が残れば、それで有利とはいかないんだな」
「二人とも動いている間に何をできるか考えないとね」
ミーシャが頷いた。セシリアは紙を机へ戻す。
「準備をなさるのでしたら、実習場の追加使用を申請できますわよ。わたくしはすでに申し込みました」
そのまま立ち去る背中を一夏は見送った。
勝つための準備を始めている相手がいる。自分の方は受けるかどうかをまだ話していた。
「ミーシャ。さっき、俺を手伝うって言ってたよな」
「うん。君が代表を引き受けるなら、僕はそれを手伝いたい」
「どうして俺なんだ」
ミーシャはすぐに答えず、紙の端を揃えた。
「君を薦めた人がいて、君もここで暮らしていく。困るところを一緒に片づける仕事なら、僕にもできると思った。僕が前へ出たいときにはまた自分でそう言うよ」
箒が腕を組み直した。
「引き受けるなら、私も稽古を見る。まだお前の今の動き方をちゃんと見ていないからな」
一夏は規定の二枚目を裏返した。代表の仕事を説明した資料が付いている。クラスからの提出物の取りまとめ、行事の連絡、教員とクラスの間の確認。それから対外的な競技に出る場合の注意だった。
「これ試合に勝ったら全部やるんだな」
「全部自分一人で済ませるとは書いてない」
ミーシャが横から指を置いた。協力者を決め、連絡を分担してよいとある。
「だから手伝うと言った。機体に乗っている間、君は提出物を出しに行けないし、皆の返事も集められないから」
「自分が授業で遅れたときは?」
「僕も遅れるかもしれない。どちらかが分かったことをもう片方へ伝える。そのくらいからでいいと思う」
箒が資料の端を押さえた。机を寄せていた生徒の一人が、横から覗き込んでいる。
「試合の日に見に行ってもいい?」
一夏は顔を上げた。
「それは俺が決めることなのか」
「許可が要るって、こっちの紙に書いてある。見学席の申し込み、クラスでまとめるなら手伝うよ」
相手は一枚目の下の欄を指した。先ほどまで二対一の文字へ目が行き、そこは読み飛ばしていた。
「助かる。俺、今そこまで見てなかった」
「うん。私も戦い方は分かんないけど、人数を聞くならできるから」
女子は自分の端末へ申込期間を控えた。候補者になったとき皆で手伝うと言われた。今日の申し出にはいつまでに何をするかが付いていた。
「人数だけ聞けばいい?」
女子が尋ねた。
「締切も一緒に伝えてくれると助かる。返事を忘れた人がいたら、俺から確認するよ」
「分かった。出場する三人のことは知らせていいんだよね」
一夏はセシリアから受け取った要領を読み返した。見学者に知らせる情報が、募集人数と会場だけなのか、参加者名まで含むのか。欄外に『周知可』と小さく印があった。
「ここに出ている名前だけなら。試合の練習内容はまだ決めてないから、俺にも答えられない」
「じゃあ、その通りに書いとく。うちのクラス、席替えまだだから、名簿はすぐ回せるよ」
彼女が指した端末には一組の連絡画面が開かれていた。一夏は慌てて自分の名前が入っている列を探す。入学してまだ日が浅く、顔と名前の対応が追いつかない。こうして何かを頼むと、覚える機会も一つ増える。
箒は先ほどから二人のやり取りを聞いている。資料の端を支えながら、返事があった人の数を数えられるよう、紙の右側を空けてくれた。
一夏は紙の隅に彼女の名前と、頼んだ仕事を書いた。自分がまだ全員の名前を覚え切れていないことも今ならそのまま伝えられそうだった。
「名前これで合ってるか。読み方は」
確認すると、相手は笑い、下にふりがなを足した。間違えたまま何度も呼ぶより、先に聞けた方がよかった。
セシリアが戻ってきた。机へ置いていた実施要領を取りに来たらしい。見学の話を聞き、申請の締切が通常の実習と同じか、自分でも確認すると言った。
「俺たちの分も頼めるのか」
「三人が出場する演習ですもの。同じ説明を三回聞きに行くのは先生もお手間でしょう」
「ありがとう。分かったら、教えてくれ」
「その代わり、規則の読了確認はご自分でなさってくださいませ。名前だけ代筆するわけにはまいりませんから」
念を押され、一夏は頷いた。セシリアは紙を揃えたが、そのまま帰ろうとはしなかった。
「お二人が、役目までお決めになっているようでしたので。もう一つだけ」
指先が、二対一と書かれた欄を押さえる。
「わたくしが、この条件へ何も考えずに返事をしたと、思わないでくださいませ」
一夏の視線が止まった。そこまで言ったつもりはない。だが、二人を相手にしていいのか、と聞き直したことを思い出す。
「……そういうつもりじゃ」
「承知しておりますわ。ただ、受けたあとから人数のことで気を遣われると、わたくしの返事まで疑われている気がいたします」
セシリアは穏やかに言った。責めるために声を大きくする様子はなかった。その方が、一夏も途中で言い返さずに聞けた。
「全員が条件を読んで先生が審判をしてくださる。その中で準備をして試合へ出る。それでお願いしたいんです」
「分かった。もう、二人だからって遠慮する方は考えない」
「ええ。わたくしもどちらか一方を見失わないように準備してまいりますわ」
そこまで言って彼女は資料を持ち上げた。ミーシャも礼を言い、勝敗条件の書かれたページを閉じる。
セシリアの靴音が教室の外へ消えた。一夏は改めて、向かいにいる相手を見た。
「ミーシャも俺に気を遣って、引き受けるとかじゃないんだよな」
「仕事を決めるときには君が困っていることも考えた。でも今自分がやりたいと選んだのは本当だよ」
「そっか」
「引き受けたあとで僕が勝手に全部済ませたら、そのときは言って。君が確認してほしいことを先に決めておこう」
申込書の署名欄には小さな空白が残っている。自分の意思で名前を書けば、あとから結果を他人に任せきりにはできない。セシリアが一度引き受けた条件に責任を持とうとしているのを見たあとでは、その欄をただの形式として扱いたくなかった。
「これ、先に決めた方がいいな」
一夏が机を示す。
「どういうこと?」
「練習の申請とか、クラスへの連絡とか。俺が確認しないまま進めちゃいけない用事を、ここに書く」
ミーシャは頷いてメモの端を開けた。箒が自分の予定表を重ね、剣道部の用事がある時間に丸を付ける。どの時間なら三人とも集まれるかが、少しずつ分かっていった。
「ずっと練習していれば強くなるってわけでもないだろ。授業があるし、俺は身体の確認もあるから」
「分かってる。そこは先生の指示を優先しよう」
ミーシャの返事は迷いがなかった。一夏は紙に『先に確認』と書き、横へ小さな丸を付けた。
一夏はペンを持った。まず思いついたのは名前の付いた用事だった。
「俺の名前で出すものは出す前に一回見せてほしい。分からなくても知らないうちに決まってるのは嫌だから」
「分かった。連絡先も許可なくほかの人へ渡さない」
「それは俺も。ミーシャの名前で勝手に約束しない」
箒が聞いていた。二人の間で決められたことへ自分から何かを足そうとはしなかった。ただ、机を拭く布を畳み、ペンの置き場を空けてくれた。
紙に二つ、短い約束が増えた。試合の作戦は一つも決まっていない。それでも自分たちが次に何を相談するかは見え始めていた。
一夏は机の下で手を開いた。身体の変化を隠そうとしていたときなら、その申し出にも身構えただろう。箒は教えられることを言い、ミーシャは自分の担当を選んでいる。
「……やる。勝ったら、俺が代表を引き受ける」
紙へ名前を書いた。引き受けたい理由まで立派に説明できる気はしなかった。それでもここへ自分で書くことはできた。
職員室で届けを受け取った千冬は二人の署名を見た。
「当日までに移動、停止、機体の解除を確実にしろ。攻撃するためにもまずそれが要る」
「はい」
「織斑。実習の負荷については医務室と調整済みだ。予定外の不調が出たら、その場で申告しろ」
一夏は頷いた。詳しい治療の話は閉じた職員室の奥で必要なところだけ確認された。廊下で待っていたミーシャへ戻ると、もう隣の実習場を借りる時刻が決まっていた。
「今日はどこまでやる?」
「先生に言われた三つから。止まれないまま、武器を持ちたくないし」
「賛成」
二人で歩き始めた。実習場の扉を開く前に一夏は紙の時刻をもう一度見た。今度の予定は自分も相談して決めたものだった。
追加使用の申請を出した実習場は、空いていなかった。隣の区画を使っている二年生がいて、安全確認のため、二十分ほど待つ必要があった。
一夏は入口のベンチへ座り、借りたばかりのカードを見た。動かそうと思ったときにいつでも機体を出せるわけではない。説明書の端に管理担当の内線番号があった。
「今日は待っている間に何をやる?」
ミーシャは実施要領を出しかけ、戻した。
「今同じものをもう一度全部読んでも頭に入らない気がする」
「珍しいこと言うな」
「僕も午前からずっと読んでた。機体を使う前に少し目を休めたい」
一夏も紙を閉じた。廊下の向こうでは実習を終えた上級生が互いの記録を見ていた。一人は足首を押さえ、整備担当と話している。もう一人はその話が終わるまで荷物を持って待っていた。
ミーシャが天井へ目を上げた。何も読んでいない顔を見るのは、案外少なかった。
「いつもそうやって、考えてるのか」
「何を?」
「さっきの、名前で勝手に約束しないとか。そういうの、すぐ出てくるから」
ミーシャは少し考えた。
「今日先生に言われたことがあったから。相手が口にしていいと思うか、考えろって。分かったつもりでいたところを考え直してる」
一夏は教室での話を思い出した。セシリアの家の事情を分析していたとき、彼女がすぐ答えられなくなったこと。ミーシャはそのあとで謝った。
「俺、自分のことで慌ててて、ちゃんとは聞けてなかった」
「じゃあ、今話せてよかった。僕も君が引き受けた気持ちまで分かったつもりにはなりたくない」
その言い方には答えを迫る感じがなかった。一夏はカードを掌で返し、うまく説明するための言葉を探すのを少しやめた。
「俺もまだ分からない。ただ、できるところからやってみたいとは思った」
「うん」
「一人で全部できるってことは言えないけど」
「僕も言ってないよ」
一夏は笑った。まだ来ない機体の方を二人でしばらく見ていた。
順番が来ると、管理担当がカードを読み取った。短い注意事項を聞き、それぞれの名前で使用を記録する。
低く浮き、床の線に沿って進み、指定の場所で止まる。途中で向きを変える練習はまだ加えなかった。ミーシャの終了を待ち、交代して同じ線へ立つ。
区画の外では使用済みの実習機を整備員が点検している。細い工具を一本ずつトレーへ置く音が聞こえた。先ほどの授業では生徒の声に埋もれていた音だった。
「一夏。先に合図を決めよう」
ミーシャが停止線の前へ立つ。
「俺が止まったら、次にお前が進む。止まったって声に出す」
「分かった。僕はその返事を聞いてから動く」
一夏は床へ引かれた横線を見た。こんな簡単な段取りを、わざわざ口にする必要があるのかと思う。しかし先ほどの実習で、声を出す前に足を動かした自分を覚えている。
「停止した」
一夏が試しに言う。
「確認した。今から行く」
ミーシャが返す。それだけで互いの位置を見失う心配が少し減った。一夏は口元が緩むのを感じた。今はまだ機体を着けてもいない。ここから本番まで同じことを繰り返すつもりだった。
先ほどの授業より少し静かな区画だった。声がよく通る。隣の機体が動く音も一夏にははっきり聞こえた。
「終わり。次どうぞ」
ミーシャが脇へ寄った。一夏は返事をして進む。
最初の停止は線を半歩越えた。戻ろうとしたところで管理担当の指示が飛んだ。
「そのままでいい。位置を記録して、いったん降りて」
一夏は逆へ加速しかけた手を止め、足を置いた。やり直す前にどれだけ進んだか確かめる。二回目はその分だけ早く減速する。
線の手前で止まった。嬉しかったが、手を上げて喜ぶのはやめた。まだ浮いている。姿勢を崩せば、もう一度床へ支えてもらうことになる。
終了の記録を出すころにはミーシャも同じ場所で止まれる回が増えていた。二人とも最初の授業でできたつもりになったときほど、手元へ力が入ることに気づいた。
機体を収め、借りたカードを返した。一夏は自分の名前が終了欄へ付くのを見届ける。明日の追加使用もその場で空きを聞いた。
「明日は今日と同じ時刻ですか」
「五十分遅れなら、一枠ある」
一夏はミーシャを見た。相手も予定表を開く。夕食へ行く時間を確かめてから、二人で頷いた。
教室へ戻る前に一夏は扉の脇へ貼られた貸出表も見た。訓練機の枠は空いていても使える装備の欄には別の名前がある。
「盾、同じものが借りられるかも聞かないとな」
ミーシャが用紙をめくった。二人で決めた練習には機体が二つあれば済むと思っていた。前の利用者が返す時間と、点検が終わる時間も確かめる必要がある。
窓口で聞くと、盾の種類は実習のものに揃えられるという。ミーシャは受け取る場所を復唱し、一夏は時刻の隣へ部屋の番号を書いた。
「待つ時間、増えたか」
「でも何を待つか分かった。先に着替えれば、余りそう」
一夏は頷いた。何度も来るうちに覚えるだろうと考えていた場所を、今日の自分でも書いて持ち帰れる。二人で紙を覗き、読めない字を一つ書き直してから廊下へ出た。
ミーシャが用紙の端を指した。夕食の時間だけ、古いままだった。一夏はそこも直した。二人で同じ場所へ来るには練習以外の予定も揃えておく必要があった。
職員室で決めた予定が、そのまま動くとは限らない。それでも変更するときに二人で話せた。帰りの廊下で一夏は端末の時刻を書き直した。
その日のうちに連絡先の登録も済ませた。セシリアが掲示した番号は機体の整備用の回線とは別の私用端末のものだった。
「変更があれば、こちらへ。試合の直前に廊下を捜し回るのは困りますから」
ミーシャが携帯を出す。黒い小さなケースの端に学校の備品番号を書いたシールが挟まっていた。
「これが友人と学校用。家族に使う方は別にしてる」
「二つ持っていらっしゃるんですの?」
「うん。こっちを予備にした。連絡はいま出した方へお願い」
セシリアは頷き、登録の確認を返した。二台持つ理由をそれ以上尋ねることはしない。一夏も自分の番号を渡し、箒は画面に出た名前の読みを確かめた。
一夏は新しい登録欄に、試合に関する連絡とだけメモを書いた。電話番号を手に入れたからといって、何でも尋ねてよい気にはなれなかった。セシリアは機体の整備にも時間を使っている。用件が決まってから短く連絡する方がよさそうだ。
「当日の練習時間が動いたら、先に知らせる」
一夏が言うとセシリアは頷いた。
「わたくしも、共有すべき変更があればお伝えしますわ。ただし個人的な連絡の中身まで掲示されるのはご遠慮願います」
「分かった。番号は勝手に回さない」
ミーシャが先ほど決めた約束を思い出したように顔を上げた。自分の端末にもセシリアの名前を入れ、登録した側の画面を確かめている。
連絡帳にセシリア・オルコットの名前が入った。小さな同期の表示が点いて、すぐ消える。ミーシャは通知を一度見てから画面を閉じた。
「これで場所が変わっても聞けるな」
一夏が言う。ミーシャも頷いた。相手が登録した名前を知らないまま増やすより、自分で渡した連絡先が並ぶ方がよかった。
片づけを終えるころ、二組の用事で廊下を通ったフランチェスカと鈴が顔を出した。受け取った予定表を返すだけのはずが、長身の少女は一夏の肩へ手を置いて紙を覗く。
「二人分の予定か。やれやれ、忙しくなるね」
腰の横へもう片方の手が来た。一夏が振り返ると、彼女は覗き込んだ顔をそのまま残す。
「君の文字、思ったより読みやすい」
「それ、褒めてるのか」
「もちろん。困る理由があるかな」
箒が紙の反対側を持ち、少しだけ机へ引き戻した。フランチェスカも姿勢を戻すが、手は肩の上に残っている。
鈴は自分の予定を確かめていた。フランチェスカがそちらへ移って肩を抱くように寄っても紙から目を上げない。
「鈴今日の髪はいいね。よく似合ってる」
「そう。そこ時刻見えるようにして」
褒められたことより、長い腕が文字の上を通る方が気になるらしい。鈴が紙をずらし、フランチェスカも素直に腕を上げた。
セシリアは二人を見て小さく息をついた。
「イタリアの方はいつも距離がお近いんですのね」
「近い方がよく聞こえるだろう?」
フランチェスカが眠たげに返す。セシリアはその返事に呆れ、彼女が一夏の目を追っていたことまでは考えなかった。鈴も自分へ触れられる分には慣れたものだった。