Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
正月元旦の朝。鳥の囀りを聞きながら箒は掛け時計を見た。
昨夜は日付が変わるまで起きていた。ミーシャの持参したノンアルコールを開け、グラスで乾杯、短く新年の挨拶を交わした。
ジュースのようなものと思ったが意外にも甘味はなかった。心地よい炭酸の刺激とほのかな酸味が舌に広がる。これは冷菜とともに味わうのがよいと納得した。
夜更かしの内容はその程度である。だが眠る時刻は普段より遅くなった。
箒の体内時計は正確無比にいつもの時刻で覚醒した。眠気がないのは、疲労が少なかったからだろう。
「もう起きてたんだ」
廊下からミーシャが顔を出した。
不揃いな黒髪の片側が、寝癖で浮いている。
「お前も早いな」
「たまたま目が覚めただけさ」
少女は台所の湯気を見て、袖をまくった。
「何か手伝おうか」
「汁椀を出してくれ。今朝は雑煮だ」
「分かった」
ミーシャは昨夜教えた食器棚へ迷わず向かった。
すまし仕立ての雑煮を二人で食べ、使ったものを片づける。箒は客間へ干しておいたタオルを取りに行った。
順に湯を使い、着替える。昨夜決めた初詣へ出掛ける支度だった。
ミーシャは先に玄関へ出て、庭を眺めた。
「庭、昼間はまた違うね」
「見学の続きは帰ってからだ」
「うん。今日は神社だね」
返事をしつつ、黒い目は庭木の枝を追っていた。
箒も革靴の紐を締め終えた。出発しようという矢先、ミーシャは玄関へ戻った。鞄を玄関へ置く。手荷物はスマートフォンと財布、あとはハンカチだけになった。
「いいのか。ここから距離があるぞ」
「人混みだろうからね。身軽な方がいい」
「ああ。なるほど」
答えてから、箒は戸締まりを確かめた。
ミーシャは門の外で待ち、箒が鍵をしまうと、隣へ来た。
「眠くないか?」
箒が聞くと、黒い目がこちらを向いた。
「少し。でもすぐに目が覚めそうだ」
「帰り道で寝るなよ」
「歩きながらは、難しいと思う」
真面目な返事に、箒は少しだけ口元を緩めた。
杜王町の空に薄雲が広がっていた。
夜風に比べれば寒さは穏やかだ。表通りは着物姿の男女や防寒着を着込んだ親子連れで混み合っていた。家々の玄関には正月の飾りがあり、普段は閉じている門から、新年を祝う声が聞こえてくるようだった。
新興の住宅街を抜けると古い集落へ入る。
「六壁神社、で合ってるよね」
ミーシャがスマートフォンの画面を示した。
「ああ。その辺りのはずだ」
「ここは電波の通りが悪いのかも」
「かも知れん。再開発中のようだ」
箒の目に映るのは工事現場だった。廃虚同然の古い住居を解体中なのだ。流石に元日元旦から作業というわけもなく、フェンスやカラーコーンで区切られた敷地内は無人だった。断面が露わになった住居というのはどうにも気味が悪い。そこで過去に営まれてきた住民の暮らしを覗き見している感覚がある。
「地図だけが頼りなのに」
「大通りを進めばいいだろう」
「どのみちこの地区の奥にあるんだ。どこかで入らないといけない」
画面上で頼りないほどか細い道が神社の正面へ続いていた。
箒は実際の道と見比べた。違う気がする。
「通れなければ戻るぞ」
「もちろん」
二人はスマートフォンの案内を信じた。
古いと言っても住宅街である。正月飾りのある家も少なくない。
低い生け垣があり、駐車場があり、道端には売り切れだらけの自動販売機が立ち尽くす。
緩い上り坂へ入ったところで、ミーシャが足を止めた。
「……もう少し先、だと思うんだけど」
「その台詞、何度か聞いたぞ」
「同じ場所を歩いているわけではないよ。さっきは、青い車が停まってた」
箒は後ろを振り返った。
確かに、その車はない。だが、同じ色の塀を、先ほども見たような気がした。
「画面では、どこにいる?」
「目的地の近く。ただ、位置が少し動くんだ。立ち止まっているのに」
ミーシャは端末を持ち直し、周囲を見た。
住宅街はいつの間にか空き家ばかりだった。
坂の両端に古い石垣がある。裸の枝が左右から覆いかぶさる形で道へ張り出している。風が吹くと枝先が触れ合い、乾いた音がした。
箒は胸元の上着を押さえた。
何となく、息を深く吸いにくい。
歩いて疲れるほどの勾配ではない。今朝の食事も適量の範疇だ。寒さで肩へ力が入っているのかと思い、ゆっくり息を吐く。
違和感は身体の芯に居座ったままだった。
「箒?」
「……少し、待て」
ミーシャは素直に沈黙した。
二人とも立ち止まる。
生活の気配がない。駐車場は空。生け垣は荒れ放題。プラスチック製のプランターは覆ったまま、猫の額ほどの庭先に捨て置かれている。ずっと昔から時間の流れが止まっているようにも感じられる。
風が枝を擦れわせて音を鳴らす。
それが止まると完全な静寂が訪れる。
箒は道の先を見た。
普通の坂だった。石垣も、古い塀も、町の外れなら珍しくない。
違和感を言語化できない。正体を探ろうとすると輪郭が崩れる。
「……何か、聞こえた?」
ミーシャが小声で尋ねた。
「静かだ」
「電波が弱い。いったん戻った方がよさそうだね」
「そうだな」
箒が頷きかけたとき、道の向こうへ、鳥居の上の部分が見えた。
坂を少し曲がった先だった。木々の間に、色の褪せた柱が立っている。
「あそこ、神社がある」
ミーシャが言った。
ほっとしたような声だった。
「あれが、地図に出ていた場所かな」
「六壁神社とは違う」
箒は疑念を隠さなかった。
自分でも、声が少し強くなったのが分かった。
ミーシャがくいと箒を見上げた。
「道を聞けると思ったんだけど」
箒は鳥居を見た。
拒まれている気配とは違う。それならば分かりやすい。
むしろ、待ち構えているように感じる。霊感ならぬ直感が危険を告げる。
「入口までだ。奥へは行くな」
箒が言うと、ミーシャは少し不思議そうな顔をした。
それでも、頷いた。
鳥居前から境内を見渡せる。その程度に狭い。
石畳の参道の先に小さな社殿が見えた。
参道には枯れ葉が積もっている。正月の飾りも、参拝する人もいない。手水の場所らしいものが、脇にあった。手を洗い清めるための水は止まっていた。
ミーシャは鳥居の外で立ち止まり、境内を覗いた。
「誰もいないね」
「戻るぞ」
自然、箒の声は鋭くなった。
人影が現れたのと同時だった。御神木のそばに誰かがいる。
影に見えたのは黒革のロングコートのせいだ。上背はあるが細い。奇妙なヘアアクセで髪を上方向へ押し固めている。どことなく怪しい。何事かブツブツと呟いている。断片的に聞き取れたのは「ナオエツ」や「オシノ」という、馴染みのない言葉だけだった。
「待て。君たち、そこで何をしている?」
男の視線が、二人の足元へ落ちた。
それから、鳥居の内側を一度見た。
穏やかと言い難い声音である。目つきも陰険と言っていい。とても初詣に来た人間とは思えない様だが、ミーシャは平静そのもので応じた。
「初詣へ行く途中で、道に迷いました。六壁神社へ行きたいんです」
調子を崩されたのは男の方だった。
「六壁神社?」
丁寧に整えられた眉が吊り上がった。
「見たところ地元の子供だな。それにしてはとんだ方向音痴じゃあないか」
「スマートフォン、正確にはiPhoneですが。地図アプリの案内通りに進んだ結果、ここへたどり着きました」
ミーシャは携帯の画面を向ける。
男は一瞥するなり「フン」と鼻で笑った。
「ここらを歩くときは地図に頼るもんじゃあない。地権以上に小径が入り組んでいるからね。しかも再開発のおかげでもともと地図に記載されていた道がなくなったり、あるいは接続が絶たれたり、とにかく
説明は、ごく普通だった。
箒は警戒心をもって男を見ていた。
男が筋道立てて土地の事情を語るあいだも、拝殿の方へ視線が誘われる。ロングコートの男が不審なおかげで集中力を削がれずに済んだ。
「どちらの道から来た?」
黒コートの男が尋ねた。
ミーシャが今通った坂を指す。
「鳥居前へ続く坂を登りました。古い住宅街へ続く一本道です」
「途中で誰かと会ったか?」
「住宅街に入ってからは、誰にも」
答えたあと、ミーシャは少し首を傾けた。
「もしかして私道でしたか。立ち入り禁止とか」
「そんな看板があったのか?」
「いいえ。見落としていたのかも」
男は、ミーシャを見た。
それから箒へ目を移す。
「君たち、どこまで入った?」
「ここまでだ」
箒は自分たちの足元を示した。
「今から引き返す」
男の目がほんの少し細くなった。
何かを尋ねかけたようだったが、口にはしなかった。
箒は社殿の方を見ないようにしていた。男の後ろに何かがいるというわけではない。ただ、目を向けたら、そこから離れにくくなる気がした。
「正しい判断だ。その点は褒めてやってもいい。それと
男の言い様には思い当たる人物がいるらしい。
随分、毛嫌いしている印象がある。
「君たち。二人だけか?」
「はい」
「なら町の大通りまで出よう。僕も戻るところだ」
男は、二人を促すように手を動かした。
ミーシャは箒を見た。
箒が頷くと、少女は一歩引き、男が外へ出る場所を空けた。
「ありがとうございます。僕はミーシャ・グラハムです。こちらは篠ノ之箒」
「岸辺露伴だ」
男は短く名乗った。
箒の方を見たとき、ほんの一瞬、間があった。
だが、名前については何も尋ねなかった。
露伴は鳥居を出ると、振り返らずに歩いた。
二人がついてくるかどうかは、角を曲がるところで確かめる。ミーシャもスマートフォンをしまい、その後ろへ続いた。
箒は一度だけ、背後を見た。
鳥居は、さっきと同じ場所にある。
そのはずなのに、柱の向こうの暗がりは、思っていたよりも深く見えた。
「おい、何をしている?」
露伴の気障な声がした。
「いや」
「なら精々、足下に注意して歩くんだね。正月早々に転んで怪我したんじゃ台無しだからな」
箒は前へ向き直った。
露伴は歩く速さを変えなかった。
ミーシャが道の端を避け、箒の隣へ寄る。
「寒くなかった?」
小さく聞かれ、箒は首を振った。
「平気だ」
それ以外の説明は、まだできなかった。
坂を下り、角を幾つか曲がる。
やがて電線の向こうに家の屋根が増えた。どこかで玄関の戸が開き、子供が大人に呼ばれる声がする。
箒は立ち止まりそうになった。
車の音が聞こえた。
胸元にあった重さも、いつの間にか薄れていた。
ミーシャが通りの名前を読んだ。
「ここなら分かります。さっき入った横道の一本向こうだ」
「そうだ。六壁神社へ行く連中ばかりだろうから、流れに従って進めばいい」
露伴は腹立たしげに顎で大通りの先を指した。
箒は咄嗟に今来た道を振り返った。
マウンテンバイクと植木鉢の並んだ家がある。
同じ坂を下りてきたとは、にわかに信じがたい。
「助かった。礼を言う」
箒が頭を下げると、ミーシャも続いた。
「ありがとうございました」
「正月早々、妙な場所へ迷い込んだものだな」
露伴は独り言のように言った。
「妙な場所?」
ミーシャが顔を上げる。
「道が複雑とわざわざ説明したはずだぜ。君たち、あそこへ用があったわけじゃあないんだろ」
「はい。見つけたのは偶然です」
「だったら忘れてしまえ。軽々しく尋ねる場所じゃあないんだ」
露伴の声は、先ほどと同じだった。
箒は、その言い方を覚えておこうと思った。
「岸辺先生はお仕事ですか?」
ミーシャが尋ねた。
「そう見えるか?」
「ええ。漫画家なのは存じています。リアリティー重視の作風なのも」
「その通り。今回も取材で尋ねたんだが……正直言ってハズレだったよ」
ミーシャの表情はブレない。
むしろ箒の方こそ驚いた。ごく小さな呟きも、露伴は聞き逃さなかった。
「漫画家だったのか……」
「この岸辺露伴を知らないのか」
「マンガを読む習慣がなくて」
追い討ちをかけるようにミーシャも「ルーブル美術館とのコラボレーション企画で、インタビュー記事だけです」とバカ正直に告白した。
露伴は少しだけ不満そうな顔をした。
「まあ、いい。そういう子供もいるのは承知している」
箒は、初めて男の顔を違う意味で見た。
鳥居前では得体の知れない、警戒対象でしかなかった。
それがいまは自分の漫画を知らないという返事に機嫌を損ねている。おかげでようやく、普通に話せる相手なのだという気がした。
「露伴先生!」
遠くから、女性の声がした。
今度こそ露伴が眉を寄せる。
若い女性が人混みを抜け出してきた。純白の、ファーで飾りつけた可愛らしいアウターである。最新機種のスマートフォンを握り締めた手は十本全ての指先が仰々しいネイルで装飾されている。箒やミーシャとは対極に位置するイマドキの若者だった。
「どこへ行っていたんですかァ! 電話にも出ないし、待ち合わせ場所にもいないし!」
「
「ええっ!? この大渋滞でですか!? ああ、露伴先生ちょ……もう!」
イズミという女性編集を散々責め立てて気が晴れたのか、露伴はさっさと喫茶店の中へ消えていった。随分な人間性である。箒の中で「話が通じる相手」という岸辺露伴への評価は「人格破綻者」へと修正された。
箒がどう切り上げようか悩むうち、イズミ女史はすぐに回復した。
こちらは露伴と異なり底抜けに前向きかつ陽気な性分だった。
いくら口撃されても折れない意味で、お似合いの二人組である。
「二人も露伴先生と取材してたの?」
箒が真っ向から否定する。
「道に迷っていたところを案内してもらいました」
「そうだったの。あ、ゴメンなさい自己紹介が遅くなっちゃって。私、岸辺露伴先生の担当編集をしてる泉京香です。ハイコレ名刺」
小塚原の鬼婆に匹敵する長いつけ爪である。
泉京香は、にも関わらず慣れた手つきで名刺を差し出した。
受け取ったはいいがどう扱うのか箒は困った。ミーシャは「どうも」と会社員のような返事をしつつ、これも躊躇いなくコートの内ポケットへ仕舞った。
「それにしても、露伴先生が道案内なんて」
面白可笑しいという口調だった。
当然、ミーシャは即座に反応する。だが問い掛けるよりも先に泉編集は「二人で初詣?」とさらに続けた。
「はい。クラスメイトなんです」
ミーシャが言った。
「いいですね。何年生?」
「二年生です。春から三年になります」
「じゃあ、受験の年ですね」
泉はウンウンと大きく頷く。露伴よりずっとマンガじみた動きをする。さらに「あっ!」と、思い出したと言わんばかりに右手の拳で左の掌を叩いた。いまどきマンガでもこんなジェスチャーはしないだろうと箒は呆れた。
「ってことは、二人とも今年は三年生でしょ? 全国一斉のIS適性検査じゃない。私ももうちょっと若かったら……いやいや今だってまだ若いわよ? 二十代だもん」
箒は息を止めた。
IS。
聞き慣れた言葉だった。ニュースでも、学校でも、同級生の話の中でも出てくる。
いつか受けるものだと知っていた。第三者から言及されるのは、心中穏やかでいられなくなる。
「元日から初秋の話ですか」
ミーシャも無表情に言う。
「秋刀魚の話をするには少し早いですよ」
分かりやすいが惚けた例えだった。
泉編集は盛大に吹き出し、咽せた。何をしても賑やかな女性である。
箒には女史の笑い声が少し遠く聞こえた。
今年は、三年生になる。
当たり前のことだった。
近からず。だが遠からぬ先、意識の外に追いやってきた存在が、待ち構えている。
「箒?」
覗き込むミーシャの声に意識が戻る。
「何でもない」
首筋を冷や汗が伝った。泉編集はようやく笑いが収っていた。
岸辺露伴に同調するではない。しかし彼がああも悪し様に評する理由が、箒にはほんの少しだけ理解出来た。
この女は好かん。
相性が悪い。そう気づくと、早急に別れたくなった。
「お仕事の途中でしょう。お邪魔しました」
箒はつとめて平常心を保った。
苛立ちや不快感は、抑制したつもりである。
だから泉編集の落胆顔は年始から仕事をしているという現実による。そのはずだ。
力なく「また会いましょうね……次も先生抜きで」と言残し、泉京香は雑踏の中へ去って行く。あとには再び正月元旦の朗らかな空気が舞い戻った。
初詣の予定はまだ済んでいない。
何故か、箒は先へ踏み出せずにいる。
ミーシャもじっと佇んでいる。
通りの端にいる二人の前を、参拝へ向かう家族が通り過ぎた。小さな子供が何かを指さし、父親らしい人が、神社は向こうだと答えた。
「……行くぞ」
重々しい声だった。
「うん」
ミーシャが箒の手を握る。
大通りは飲食店ばかり並んでいる。通行人のほとんどが六壁神社への参拝客だった。
「さっきの道、悪かったね」
ミーシャが言った。
「お前だけのせいではない。私も確かめるべきだった」
「まさか地図アプリが役に立たないとはね」
「近道には、ならなかったな」
「うん」
ミーシャは素直に頷き、スマートフォンをしまったまま、実際の道を見た。
箒は、隣を歩く少女の横顔へ目を向けた。
先ほど、あの鳥居の前で立ち止まった理由を、ミーシャは聞いてこない。
聞かれれば、何もなかったと答えただろう。
実際に何もなかったのかは箒にも分からない。
「さっきのことだが」
箒が言うと、ミーシャは顔を向けた。
「神社の前で、何か嫌な感じがした。理由は分からん」
言葉にすると、それだけだった。
ミーシャは「そうみたいだね」と応じた。
「僕は何ともなかった。でも、君が嫌だと言った。だから奥へ行くのはやめた」
「……そうか」
「戻ってきて、正解だったね」
箒は小さく頷いた。
それ以上、確かなことを言う必要はなかった。
六壁神社の入口には、人が集まっていた。
鳥居前で立ち止まる。境内の様子を観察する。参道には掃いた跡があり、両脇には出店の屋台がずらり。談笑する参拝客がいて、屋台からは威勢のいい声が。拝殿の方からは鈴の音が聞こえた。
ミーシャは白い息を吐いた。
「今度は間違いなさそうだ」
「ああ。看板もある」
箒が示すと少女は笑った。
二人で列へ並んだ。
列が動くたび、前の人との距離を少し詰める。待っているあいだに、ミーシャが社殿の屋根を見上げた。
「さっきの場所とは、人の数が随分違うね」
「町の人が集まるからな」
「案内の人もいる」
ミーシャの視線の先で、係の人が、列の曲がる場所を示していた。
箒は頷いた。いざというとき頼るべき相手がいる。
それがこんなにありがたいと思うのは、少し不思議だった。
「このあとは、家で昼食だったな。例の重箱か」
箒が確認すると、ミーシャは頷いた。
「うん」
「朝の皿も乾いている頃だ。先に片づけたい」
「僕も手伝う」
箒は小さく頷き、前へ向き直った。
帰ったあとの予定が決まっている。先のことが、はっきりと分かる。そう考えると、先ほどの坂道がさらに遠のいていくように感じた。
前の人の動きに合わせて少しずつ進む。その間に賽銭を用意する。ミーシャは不確かな部分だけを小声で尋ね、静かに答えを聞いていた。
賽銭箱が正面に来る。銭を投げ入れても願いは定まらない。
剣道について。無論、稽古に励む。励めるよう無病息災を祈るべきか。
そこへ
箒は固く目を閉じた。
思い悩むため初詣へ来たのではない。
隣には、朝から一緒に歩いてきたミーシャがいる。
手を下ろしたあと、箒はもう一度鳥居の方を見た。
戻る道は、参拝客のおかげで一目瞭然だった。
「帰りは、大通りからだ」
「賛成」
ミーシャも即答した。
箒は小さく息を漏らし、列から外れた。
元日の賑やかな音が、いくつも重なっていた。