Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
十一月下旬。杜王町へ冬が到来した。
稽古場の窓は短い夕暮れのあと暗くなった。
箒は最後の一本を振り下ろす。落ち着いて竹刀を構え直した。
踏み込んだ足を戻す。息を整え、握りを緩める。決めていた本数は終えた。すぐに座る気にはならず、再び正面を見た。
篠ノ之箒、十五歳。中学校生活で三度目の秋が終わった。
華々しい夏も遠い。全国大会優勝の勝利に酔い痴れたのは一瞬である。終着点はまだ遠い。篠ノ之箒は勝って兜の緒に意識を向けられる人間なのだった。
夏休み明け。始業式。全校生徒の前で名前を呼ばれ、表彰されたこと自体は誇らしく思っている。何人かの大人から話を聞かれた。それで日課の鍛錬を怠るのは筋が違う。
決勝戦の内容を振り返ると反省点に気づく。
己を見つめ直す時間の方がむしろ長くなった。
床の端へ置いていたスマートフォンが震えた。
ミーシャからだった。
『検査結果が届いた。箒のところにも来た?』
指の動きが止まった。視界には液晶画面が映る。
IS適性検査。
避け得ぬものと意識させられた元旦。それも春の進級と夏の大会が相次ぎ、再び意識の外へ追いやられていった。だが未来はいつかやって来る。運命などと大げさに表現するまでもない。例年の恒例なのである。
今日は、その結果が届く日だった。
『まだ見ていない。これから帰る』
送ると、すぐ返事が来た。
『あとで話せる?』
『ああ』
簡潔すぎる返事だった。箒は画面を伏せた。
道着を畳み、道具を片づける。普段通りのつもりだったが、最後の紐を結び直した。
手元の形が、どうにも落ち着かなかった。
帰宅すると、届いていた封筒を机へ置いた。
差出人を確かめるつもりはない。分かりきっている。
表にある自分の名前と、通知の文字だけを確かめ、箒は上着を脱いだ。手を洗い、水を飲む。台所から居間へ戻っても、封筒は同じ場所にある。
開けなければ、結果は分からない。
開けたところで、結果が変わるわけでもない。
箒はハサミを使い封を切った。
封筒には厚みがあった。取り出したのは合計四枚。
判定結果を記した用紙と、IS学園の受験資格について記した書類が三枚。
順番を決めるまでもなかった。
無意識に判定結果の用紙を開いていた。
IS適性 Cランク
「……Cか」
受験資格はある。それは通知書にも記載がある。
いくら読み直しても印刷内容が変わるはずもない。
だが。Cランクというのは、中途半端なレベルである。
紙の端を押さえた。乾いた音が聞こえた。
何を期待していたのだろう。
受けたくないと思っていた。ISを進路の、人生の中心に置かれるなど我慢ならない。いっそ手違いか事故で結果が来なければ。自暴自棄な考えを抱いたことも数え切れない。
それなのに、Cという文字を見て、ほっとしてはいなかった。
胸の奥に灯った炎が全身へ充満する。
通知書を握り潰している。気づいて箒は手を離した。
大きなシワが出来上がっていた。
「馬鹿らしい」
口にしても、何が馬鹿らしいのか。説明が出来ない。
検査当日を思い返す。同級生らは各々の浴を口にしていた。
判定結果次第ではIS学園への進学を考える者がいた。
他に志望校があるので結果には興味のない者がいた。
箒には、その話し方ができなかった。許されない気がした。
篠ノ之という姓は珍しい。初対面の相手から尋ねられることがある。
不躾だと先方は思わないらしい。何を置いてもまず姉。篠ノ之束。篠ノ之博士。姉妹仲について。幼少期のエピソード。連絡を取り合っていないのか。居場所について予想を。
一言「知るか」と放ってやりたくなる。
全国大会の優勝インタビューすら例外でなかった。
記者たちはいつ姉について尋ねるか、タイミングを伺っているように感じてしまった。もちろん予感は邪推でなかった。
箒は、机の脇へ目を向けた。
大会関連の贈答品は大切に保管している。参加賞。トロフィー。表彰状。どれもかけがえのない思い出の品だが、突き詰めるとこれらは『モノ』である。いつかは形を失う。
通知書とて極論すれば一枚の紙でしかない。
けれど。この印刷用紙にも、身体が反応を示す。
三年間を通して重ねてきた研鑽の、一つの集大成。
得体の知れない装置が導き出した、ただの計測値。
全く価値の異なる二つが自分を動かしている。動揺させられている。同じように扱っている。そんな自分に腹が立つ。
剣道部の活動は試合という形で成果を客観視できる。
技術力。身体能力。精神力。どれが欠け、どれが上回ったか、箒は常に自己分析を行なってきた。
適性検査は
指示通り体操服へ着替える。指示通り椅子に座る。指示通り装置を装着し、指示通りに外す。それきりである。集中すればよいのかと困惑した。同時に集中して結果に影響するのかとも思った。
問い掛けるべき相手のいないまま結果が出た。
書類へ問いかけても沈黙が返ってくるだけだった。
検査結果の説明文は不親切なほど細かな文字である。それでも読もうとした。だが、すぐに判定へ目が戻る。
意識がかき乱される。平常心すら危うい。
粘つく汗が一滴、座卓へ吸い込まれて消えた。
ちょうどそのとき玄関の呼び鈴が鳴った。
「箒、僕だよ」
戸を開けるとミーシャが立っていた。
黒髪に夜風が当たっている。マフラーを緩め、箒の顔を見た。
「入っていい?」
「ああ」
箒は身を引いた。
靴を揃え、慣れた廊下を歩く。欄間の前で立ち止まることはなかった。
居間へ入ると箒は机の書類を裏返した。
ミーシャはすぐには尋ねなかった。
上着を脱ぐ。座布団の上へ座ってから、自分の鞄へ手を入れる。
「僕はBだった。受験資格はある」
出した書類を静かに座卓へ置いた。
一瞥して、文章は
「そうか」
「箒は?」
「Cだ」
口にした瞬間、また、紙を見たときと同じ熱さが戻った。
ミーシャは一度だけ頷いた。
「そう」
無反応に近い。驚きも、慰めも、示さなかった。
箒は縁側の向こう。庭へと目をやった。
「お前は、Bだったのだな」
「うん」
「BとCでは、何が違う?」
ミーシャは、自分の書類へ目を落とした。
「適正評価が高いほど複雑な操縦が可能になる、とは言われている。でも具体的な実例はない。分かっていないのと同じじゃないかな」
「こちらは知りようがないのに、測られるのだな」
「そうなるね」
「お前は、それで納得するのか」
箒の声が強くなった。
ミーシャは顔を上げた。
「検査結果が出たというだけさ。だからどうする、というのは何も考えていないよ」
「Bが出ていれば、余裕もあるだろう」
言ってから、箒は唇を結んだ。
八つ当たりだ。ミーシャのせいではない。
理性の部分では納得している。感情が抗う。
それでも、出た言葉は戻らなかった。
ミーシャは黙っていた。
しばらくして、自分の書類を折り、鞄へ戻した。
「僕の結果を、君が喜ぶ必要はないよ」
静かな声だった。
箒は顔を向けた。
「……そういうつもりではない」
「うん。僕も、これから考えないといけない」
箒は、膝の上で指を曲げた。
しばらく繰返す。
吸い込んだ息を吐いた。
「悪かった。お前に言うことではなかった」
「分かった」
ミーシャの答えは短い。
普段なら欠かさない料理の話も、しない。
箒はおもむろに立ち上がる。一瞬、目的を失念した。やや遅れて湯を沸かそうとしたのだと思い出す。無言のまま台所へと向かった。
逃げようとしている。そう捉えられても仕方がない。
座っているよりは、手を動かしていたかった。
湯呑みを二つ出す。普段使いの自分のものと、ミーシャに出しているもの。他にもいくつかあるのに気づけば彼女の湯飲みは一つに決まっていた。こんなときに気づかなくともいいのにと、心がざわつく。
急須に湯を注ぐ。二人分の湯飲みを載せて一緒に運ぶ。
戻ると、ミーシャは上着の端を畳み直していた。
淹れたての緑茶が湯飲みに注がれる。白い湯気が、揺れていた。
「見たとき、どう思った?」
「結果?」
「ああ」
ミーシャは湯呑みを見る。
「どうしようかな、と思った。そういえば何も考えていなかったなあ、とも思った。進路と言われてもあまりイメージが湧かなかったからかな」
「嬉しくはなかったのか」
「選択肢があることは嬉しいよ」
答えを聞いて、箒は頷いた。
普通はそうなのだ。適性があるからといって、IS学園へ必ず進学する理由はどこにもない。
普通の人間は、ISと関わりのない人生なのだから。
「ISには、関わりたくない」
机を見ながら言った。箒は俯いていた。視線はずっと揃えられた膝を捉えている。
「分かっているつもりだよ」
「本当に、分かっているのか」
ミーシャは少し考えた。
「箒がISを敬遠しているのは知ってる。泉さんとのやり取りがあったからね。でも、理由を聞こうとは思わなかった」
机の通知を引き寄せた。
裏返した紙を、表へ戻す。
「開発したのは私の姉だ。最初の一機。たった一機で、世界を変えてしまった。偉大……なのだろうな。そうだからと言って、付属品のように扱われるのは心外だ」
ミーシャは、箒の顔を見ていた。
「剣道選手なのだ、私は。ISとは縁もゆかりもない。姉と親密だったわけでもない。なのに試合のあといつも誰かが姉のことを聞いてくる」
箒の手が、紙の端へ触れた。
「そこへ
自分の声が、部屋へ響いた。
箒は少しの間、口を閉ざした。
心を落ち着かせてから続きを言った。
「なのに、Cだ」
ミーシャの視線は逸れない。
「勝手に期待していたのは私の方だった。思い上がっていた。関わりたくないと思っていたのに。無様だ」
言葉にすると心の底へ隠しているより居心地が悪かった。
「特別な結果が出れば、何か言い返せると思っていたのかもしれない。逃げられないなら、せめて、そこでまで劣っていたくないと」
箒は手を握った。
「どう足掻いても心が逃れられん。ISに、自らを縛りつけている」
ミーシャは、しばらく黙っていた。
箒も、何か言えとは言わなかった。
ゆっくりとした声が静かに尋ねる。
「望んだ結果ではなかった。欲しかった形では、なかった」
呆けているようで鋭い。痛いと感じるのは、身体のどこだ。
血が流れているわけでもあるまいに。
「……ああ」
「欲しかったと言うのも、嫌だった?」
箒は、短く頷いた。
仮令認めたところで同じだ。印刷用紙上の文字はじっとしている。
だが、ミーシャへ何をぶつけていたのかは、少し分かった。
「箒。確かめてもいいかい」
ミーシャが言った。
「何だ」
「君のお姉さんは、篠ノ之束さんなんだね」
箒は顔を上げた。
部屋の空気が、少しだけ変わった気がした。
「……気づいていたのだろう」
「最初は気づかなかった。漢字に慣れきっていなかったし」
「だったら、聞けばよかっただろう」
「君は家族のことを何も話さないから。打ち明けたくないのかなと思って、聞かないことにした」
箒は、一揃いの黒い目を見た。
気になれば質問する。ミーシャ・グラハムは疑問を抱くと衝動的になる。少なくとも箒はずっとそういう認識を抱いていた。料理、建築、言語、宗教、作法まで。知らないことを知らないままに出来ない性分なのだと、ずっと思っていた。
その相手が、ずっと聞かなかったことがあった。
「そうだ。私の姉は、篠ノ之束だ」
口へ出すと、喉の奥が硬くなった。
「嫌い、とは言い難い。言いたいことは山ほどある。不満だらけだ。しかし私にとってあの人は、実の姉だから」
箒は、言いかけた言葉を一度切った。
「世間は天才だの鬼才だの、好き勝手に言う。私にとって連中の意見や都合なぞどうでもいい。姉と私の間には関わりない雑音だ」
言い終えてから、箒は自分の言葉に少し戸惑った。
関わりたくないと言った。その口で、姉妹の縁を語った。
矛盾もここに極まれりだ。
何年も会っていないのは事実だった。しかし幼少期、何度も目にしたあの顔を忘れたことは一度だってなかった。
「会いたいかどうかも説明出来ん。だが、やはり血を分けた姉妹なのだと思う」
箒は言った。
ミーシャは、問いを重ねなかった。
篠ノ之姉妹の関係は当事者の主観が全てだ。
第三者の理解がどうであれ。箒の言葉が一つの真理で、もう一つは、束の語る真理のみである。
「うん」
「無論、姉妹が同一の人間である道理はない。姉の得手が私の得手とは限るまい。あの人に不得手があるのかは定かでないが……私はむしろ不得手の方が多い人間だ」
言い終えると、箒は机へ視線を戻した。
蓄積した感情がゆっくりと融解する。過去の記憶が言葉となって溢れそうになる。
残響が、脳裏で氾濫する。異口同音の戯言が重なって聞こえる。
「……私が割り切るべきなのだろうな。有象無象の雑音につきあって揺らいでやる義理もない」
「それがいい」
ミーシャは頷いた。
珍しく、全肯定する言葉を口にした。
箒の意識は次第に冷たさを取り戻す。
鳴り響くのは、吹き荒れる夜風だけだった。