Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
面会票に名前を書くだけの手続きと思っていた。
病院の受付で五反田弾は奇妙な状況に置かれている。
対応する職員はいたって事務的な、淡々とした調子だ。
弾の困惑に意識を向ける素振りすら見せない。
「織斑一夏の見舞いなんですが」
職員は端末を確認し、返事をするまでに少し間を置いた。
「担当の者が参ります。こちらでお待ちください」
弾は差し入れの紙袋を持ち直した。
東京都内の国立病院だった。広い待合室には診察を待つ人も、家族を迎えに来たらしい人もいる。皆が誰かに用があって来ている。
インフィニット・ストラトスの登場は社会に少なくない影響を及ぼした。
女性の社会進出を加速させる一助となる――
小綺麗なスーツでめかしこんだ婦人方は、みな希望に目を輝かせた。
現実はこの通り。女性の特権階級化を思考する人々が現れた。女尊男卑社会の到来である。これに抵抗する人々もいて、弾は十五歳らしい鋭敏さと鈍感さから「居心地の悪さ」を察知する場面に遭遇しつつ、しかし「何だかなあ」以上の感想は出力できなかった。
悶々とする弾の前に現れた男は、一般病棟とは違う方へ案内した。
「面会前に確認事項があります」
「確認って、何を?」
「別室でご説明します」
返事は丁寧だった。
だが弾が次の質問をする前に、男は歩き出していた。
窓のない小部屋には背広の男たちがいた。
奥の中年男がのろのろと腰を上げる。短く刈った頭に大きな耳。口元には笑みがあるのに、目がどこを見ているのか掴みにくい。
「どうも、荒川です。五反田弾くんだね」
差し出された名刺には『荒川茂樹』とだけあった。
裏を返しても白い。所属も肩書も連絡先もない。
「……どちらの方ですか」
「面会の手伝いを少々ね。どうぞ、座ってください」
荒川は一方的に椅子を勧めた。
命令しているようなものだ。
口調だけが穏やかで、得体が知れない。
幼馴染みの親友が入院したと聞かされたのが数ヶ月前。どこへ搬送されたのかも分からず、見舞いに行くどころではなかった。所在が知れたのは今週のことである。駆けつけるのはそれほど不自然だったろうか?
壁際の男がこちらへ視線を向ける。
背広の下でも分かるほど肩が広い。もう一人は弾が紙袋を置く動きまで追っていた。
「あのォ……俺、何かしました?」
「いやいや、君を疑ってるわけじゃない。取り調べの権限だってない。ただ、念のため身元確認をしなきゃならんのさ」
弾は財布から身分証を取り出した。
荒川が記載事項を確かめる。隣の男は別の書類と照合していた。
身分証が戻る前に、一枚の紙が差し出された。
「機密保持誓約書。こちらにも目を通してもらえかね」
「せ、誓約書?
「大げさだよ。だがまずは
荒川の指が該当する行を示した。
弾はすぐにはペンを取らなかった。
「どうしてそんな大事に?」
「私の口からは。
「説明できないことを、俺には守れと?」
「不便をおかけして申し訳ない」
薄笑い。心にもない言葉だった。
「そういう決まりなもんでね。例外を作るものよろしくない」
周りの男たちは微動だにしない。
廊下の向こうから誰かを呼ぶ放送が聞こえた。
頭上からは換気システムの稼働音が囁いている。
普通の病院の音だった。この部屋から出れば、さっきと同じ待合室がある。弾の閉じ込められたこの部屋だけが別の法則に支配されている気がした。
「一夏の具合が悪いから、面会制。とか?」
荒川は書類から目を上げた。
「餅は餅屋、よく言うだろう。健康状態については主治医に聞くのが一番じゃないのかい」
「え、じゃあなんで制限を?」
荒川の笑みが止まった。ほんの一瞬だった。
壁際の男が弾の手元へ目を向ける。
弾はペンを取りかけた手を止め、まず最後の行まで読んだ。
ここで断れば一夏へ会う話そのものが進まなくなる。そういう部屋なのだと分かった。
書かれた行をもう一度読む。
どこまでが一夏の病気の話で、どこからが国の秘密なのか。区切りは分からない。
「本人は知ってるんですか。俺が来てるって」
「もちろん。彼がイヤだと言う相手を通すわけがない」
その返事を聞いてから弾は署名した。
荒川は誓約書を受け取ると、揃えた紙を隣の男へ渡した。
「お疲れさん」
弾は礼を返さず、身分証を財布へしまった。
労いの言葉も心底嘘くさい。荒川はまたのろのろ立ち上がる。入口の脇に置かれた内線の受話器を手に取り、どこかへ連絡を始めた。
すぐにネームプレートを首から提げた病院職員が現れた。
荒川たちと別れられると知って弾は内心ホッとした。
職員用のエレベーターを使って最上階へ通される。
紙袋の中身は差し入れである。食べやすそうな個包装の菓子と、病室に飾るための花。なけなしの小遣いを切り崩して買い揃えた。手痛い出費とは思わない。
想像していた見舞いには、窓のない部屋も、誓約書もなかった。
「一夏。俺だ。入っていいか」
「おう、開いてるぞ」
聞き慣れた声に肩の力が抜ける。
親友の自宅を訪ねる感覚で扉を開ける。
大きなベッドの上で一夏が顔を上げた。背を起こし、ゆったりした部屋着を着ている。窓辺には面会者用だろうパイプ椅子がある。個室トイレや洗面台まで完備されて、広々した空間といいちょっとした高級ホテルの手触りがある。
「弾!」
「よう。具合はどうだ」
「見てのとおり。わざわざ悪いな」
笑い方は覚えている友人のものだった。
近づくと入院前との変化が一目瞭然だった。伸びた黒髪が額へ落ちている。袖口から見える腕は以前より細かった。
「ちょっと痩せたか」
「ずっとこんなところにいるからな。かなり鈍ってる」
「メシは食えてんのか?」
「それは大丈夫。食欲はあるぞ」
「なら、コイツも役に立ちそうだな」
弾は紙袋を持ち上げた。
一夏が礼を言い、花束を受け取る。
花の色を見たとき、表情が少し明るくなった。
「お。いいな、これ。窓の外にも見飽きてたんだ」
「小さい方が邪魔にならないかと思ってよ。デカい方にするか迷っちまった」
「いや、嬉しい。ありがとう」
弾は椅子を引いた。
ようやく見舞いに来たのだと思えた。
「お前が来るって聞いて、少し落ち着かなかった」
一夏が言った。
「俺もこんな手続きがあるとは知らなかったけどな」
「そうじゃなくて。何から話せばいいか、考えてたんだ」
弾は花の包みを外しながら、顔を上げた。
「学校の話でもしてればいいんじゃないか」
「それもそうなんだけどさ」
「何も決めて来てないぞ、俺。元気か聞いて菓子を置いて、いつもの話をするつもりだった」
一夏は少し笑った。
「ならそこからでいいか」
「ああ」
弾は包み紙を畳んだ。
病室の中まで聞き取りをする人間のように入ってきたくはなかった。
手始めに学校の話をした。
一夏のいないところであった出来事や共通の知人のこと。菓子の袋を開け、食べてよいものを確かめてから少しずつ分ける。
一夏は笑い、時々窓へ目を向けた。
話が途切れたところで、弾は声を落とした。
「ところで一夏よぅ。オマエなんだって病院送りになったんだ」
一夏の指が袋の端で止まった。
「荒川っていけ好かねえオッサンに会ってさ。名前しか書いてないヘンな名刺を渡されたぞ。どうせならもっと美人の姉さんから受け取りたかったよ。ったく夢も希望もねえんだから」
「……そうだったのか」
「もしかして、荒川のこと知らない?」
一夏は頷いた。
「最初は藍越学園の入学試験へ行くつもりだったんだ」
「聞いてたよ。そこを受けるって」
「押上が地元だと馴染みがないだろあそこ。道に迷っちゃ不味いと思ってスマホの地図アプリに、GPSまで使ったんだけど、着いたのはIS学園の試験会場だった」
弾は沈黙した。言葉が出なかったのだ。一夏のそそっかしさは幼馴染みとして太鼓判を押してやれる。それでIS学園の試験会場に着いたのなら「女の園に行きたいなんて度胸あんじゃねえか」と笑い飛ばしてやれた。が、スマホのアプリどころかGPSまで揃って動作不良を起すのは、ちょっと信じがたい。
「案内された先にISが置いてあってさ。俺、動かしちまったんだ」
「……お前が、ISを? マジで言ってる?」
「ああ。マジだ。ほんとおったまげた」
「ありゃ女にしか動かせないんじゃなかったか」
「俺もそう聞いてたよ」
一夏の声が少し強くなった。
すぐに口を閉じる。
「悪い。弾に怒ってるわけじゃない」
「分ーってる。んで、そっからどうなったんだよ一夏」
一夏は組んだ指へ視線を落とした。
「起動したあと暴走した。操縦なんて分からないんで、もうお手上げってカンジだった」
「てことは救助されたのか。美人だったか」
「下心丸見えだぞ。ああ……、美人ではあると思う」
「千冬さんを基準にすんじゃねえとあれほど言ったろ。で、名前は」
「取り調べかよ。山田先生。日本人の試験官だ。その人に、助けてもらった」
弾は病室の扉を見た。
守られているのだと思っていた部屋が、少し違って見えた。
「その先生は今どうしてる」
「あれきり。なんだ、ケービキカクカだかいう人らから箝口令が出てるんだ。俺の担当はミクルだかミノルだかいう人だ」
「ミクルってこたあ上司はハルヒだろ。てことはアレか。ミノルは白石か」
「白石稔なら谷口だろバカ。エンドレス∞エイトでキレてたのは誰だよ……ともかく、警察が色々手を回してくれてるらしいんだ」
らしい、と一夏は言った。
弾なりに事実と推測を区別できた。
何より現状を把握出来た。一夏自身、混乱しているのだ。
「検査を受けたのは、そのあとか」
「自衛隊の病院で詳しく調べられた。血を採ったり、画像を撮ったり。俺が起動できた理由を調べたかったんだと思う」
「……分かったのか?」
弾は筋張った長身でぐいと乗り出す。
一夏はなかなか答えなかった。
窓の外では道路を車が流れている。信号が変わると、その列が短く切れた。
「俺の身体は、外見と中身が一致してないって結論なんだそうだ」
「どういうことだ」
「女なんだよ。ああいや、勘違いするなよ? 見た目はこの通り男なんだ。けど中身、内臓の方が女だって言うんだ。CTスキャンってあるだろ。あの宇宙船みたいなヤツで輪切り写真を撮ったら子宮があったんだと」
弾は返事を忘れた。
目の前には一夏がいる。
一緒に学校へ通い、食事をし、くだらない話をしてきた友人だった。
今何を聞いたとしても、その時間が別のものになるわけではない。
だが本人は、その言葉を一人で聞かされたのだ。
「大丈夫、なんだよな。病気とか。その、気分とか」
弾が尋ねると、一夏はようやくこちらを見た。
「どうなんだろうな。別に気持ちまで女になるワケじゃないし。かと言って『はいそうですか』で受け止めきれるかってーと、また違ってくる」
「……そうだよな。いや、すまん、バカなこと聞いちまった」
「朝目が覚めたら女でした~、以外にもパターンがあるのかって驚きはしたぞ」
一夏は笑おうとして、うまく笑えなかった。
弾は次の質問を急がなかった。
混乱しているのは誰よりも一夏自身だ。
聞きたいことは山ほどある。心配で、知りたいことも数え切れない。
尋ねてしまえば楽になれる。自分一人だけ楽になるために、親友へ押しつけるのは間違っている。
「手術も、受けた」
静かな病室に言葉が響いた。
「手術?」
「生殖器を整形する手術をしたと説明された」
弾の手が椅子の縁を掴んだ。
「ま、待て。オレに分かる言葉で頼む。いや無理はするな。けど五反田弾ってヤツはバカなんだ、バカは
「ハッキリ言うと
「えっ。一夏、え、マジか。おいマジか」
一夏は少し眉を寄せた。
「子宮があるって言ったろ。しばらくは注射と貼り薬を続けなきゃらしいけどな。また背も伸びるから、とりあえずの不安はないぜ」
弾は言葉を飲み込んだ。
どう返せばいいやら、分からなくなった。
どんな手術にせよ代わりになるモノではあるまい。それこそ自尊心というか、尊厳というか、アイデンティティというか。ともかく『大事なモノ』を「将来病気になるかもしれない」なんて曖昧な根拠で取っ払ってしまうのは……おかしいのではないか。
訥々と説明を続ける一夏を見れば分かる。
これが全部承知して、納得し、受け入れた人間の顔であるはずがない。
自分なら同じ部屋で、同じ人数の大人を相手に何を聞けただろう。署名を求められたときの圧迫感を、弾は思い出した。
「ほかの方法は聞いたか」
「後々で、ってなると費用がシャレにならんらしい。癌を取るだけならまだいいんだが、その、モノ全部ってなると保険が利かないらしくて。そりゃあ凄まじい額でな。どのみち薬の副作用でダメになるって話は聞いた」
「薬ってのは。
「ああー……なんだっけか、ホルモンだ。そう。薬を早く打ち切ることになってもどのみち二次性徴が来たら同じなんだと」
「……保険の教科書持って来るべきだったぜ」
「読んだらすぐ寝るだろお前」
一夏は自分の腹の辺りを見た。
「手術のあとで分かった話もある。けどあのタイミングなら先々の面倒事を、前以て始末できるんだ」
静かな声だった。
弾は握った手を緩めた。
「……怖くなかったか」
「怖かった」
今度は、すぐに返事があった。
「身体の話をしているはずなのに、途中で事件とか国の事情とかが出てくる。何を聞けばいいのかも分からなくなるんだよ」
弾は扉の方へ視線を向けた。
一夏はそこを見なかった。
見なくても、向こうに誰かがいると知っているのだろう。
「退院は決まっているのか」
「まだ。傷はもう治ってるんだ。けど退院後のことで揉めてる。あ、コレ他の人に言うなよ。ミクルさんが愚痴ってテイで教えてくれたんだからな」
「色々おかしいぜ一夏よぉ。スパイ小説じゃねえかこんなの。誰もお前の都合を考えてねえぞ、聞いた限りじゃ」
「俺が聞くのは、決まったことの一部なんだと思う」
弾は一度深く息を吐いた。
怒鳴りたかった。
だが、一夏の肩が固くなっていることに気づき、声を落とした。
「大の大人があれこれ知惠を振り絞ってくれてるんだ。文句ばっかり言ってちゃバチが当たる。オレはどっしり構えて待つことにするよ」
「……ああ。そうだな、それがいい」
一夏の落ち着いた様子に、弾の熱も鎮まった。
こんな状況に巻き込まれた張本人が耐えているのだ。
自分ばかり熱くなっても仕方がない。
弾はパイプ椅子に座り直して言った。
「食いたいモンはあるか。流石に出前はしてやるか分からん。けど果物とか和菓子ならどうにかなるぜ。ウチの隣は八百屋で斜向かいが和菓子屋だからな」
「またあの手続きをさせられるかもしれないぞ」
「そのくらいで見舞いをやめるかよ」
弾が言うと、一夏は少しだけ笑った。
差し入れの袋を二人の間へ寄せる。
「退院したらメシ、食いに来いよ」
「もちろん。野菜炒めが恋しい」
「出られる日が決まったら考えよう。爺さんには伝えとくから」
「分かった。約束だ」
いつもの声で答えられ、弾も笑った。
不安は残っていた。だが今ここで、一夏が友人と約束できる時間をなくしたくはなかった。
面会の終わりを告げる声がして、弾は椅子を戻した。
また来ると伝え、病室を出る。
扉が閉まったあと、一夏はテーブルに残った花を見た。
弾へ話した内容を、頭の中で辿る。
口へ出すと、知っているはずのことの中にも説明できない部分があった。
しばらくして、扉がノックされた。
「入ってもいいかしら」
現れたのは白衣の女医だった。
艶のあるブロンドヘアとよく整った顔立ち。
微笑みは柔らかいのに、一夏は目が合うと少し背を起こした。
「ごきげんようオリムラくん。今日付であなたの主治医を務めるアレクシアよ」
金属質な甲高い声で話す。
子供っぽいようにも聞こえる。気品に満ちた、深みのある美貌と不釣り合いだった。
ネームプレートには『A.Ashford』と記されている。アッシュフォルドと読むらしい。
アレクシアはあどけない微笑を浮かべ、手元のカルテをめくった。
「診断された病名は性未分化症、ということになるのね。ふうん」
既にエキセントリックな気配が濃厚だった。
「その……未分化症っていうのは、よくある病気なんですか」
「DSDの発生率? コモンではないけどスーパーレアには届かないわね。よく言ってノーマルレアってところじゃない? 治療法は確立されてるから治験紛いにはならないわ。モルモット扱いされずにすんでラッキーね」
「わ、分かりやすいなあ……」
「ちょっと調べれば分かるもの。スマートフォン、あるでしょう」
「すみません。オレ、ガラケーなんです」
「石器時代の患者なんて始めて見たわ。あとで髪の毛をいただける? ウチのラボで遺伝子を解析させてもらうから」
飄々としたアレクシアの態度は不快ではない。
形だけ案じている風に振る舞われたり、ISを動かした男への好奇心を露骨に示される方がずっと気分が悪かった。
「確認したいことが二つあるの。よくって?」
弾はパイプ椅子をそのままにして帰った。
放置されたままのそれへ、アレクシアが座る。
金髪碧眼の美女は化けの皮を脱ぎ捨てた。ただの奇人変人である。
「まず。オリムラくん、あなた男の子?」
「そうです」
即答だった。一夏は迷いなく応じた。
女医は微笑んだ。
「次。精子バンク、聞き覚えは?」
「知りません」
「不妊体質や無精子症の夫婦へ提供するために、精子を冷凍保存する組織。もちろん合法」
「それが、俺に何か関係あるんですか?」
「あるじゃない。アナタ、もう精巣ないのよ?」
セイソウという音が精巣へ変換されるのに十秒を要した。
はじめは聖槍の方を連想してしまっていた。
「あ、ああ……そうか。そう、でした」
「切除したあと冷凍してあるの。
「ピズ……何て?」
「学校で英語習ってるのよね。受験大丈夫なのアナタ。牛のタマキン、竿はナシよ」
突拍子のない暴言に一夏は咳き込んだ。
アレクシアは冷ややかな顔で「股が冷えたの? お大事に」と他人事だった。
「ともかく。アナタの精子はサルベージしてある。どうする? 検査に回していいなら、ウチのラボで保存しておいてあげるけど」
「ラ、ラボって、先生ここで働いてるんじゃないんですか」
「民間企業の研究員。でもちゃんと許可証は貰ってるから怪しくない」
どうにも調子が狂う。自由奔放過ぎる相手だ。
奇妙な疲労感に見舞われつつ。一夏は「そうですか」と言葉を搾った。
主治医としての説明は極めて簡潔だった。
下手な検査医よりずっと話慣れている。
アレクシアは注射や定期検診で通院が必要だと言い、資料にペンで線を入れながらつらつらと喋り倒した。マシンガントークである。
聞き逃した場合ここを読めば分かるのだろう。
件の精子バンクの資料とまとめてファイルを一夏へ押しつける。
「お姉さんにも来院して貰わないと」
「千冬姉も?」
「当然じゃない。家族なんでしょ?」
一夏は姉の顔を思い浮かべた。
そのあとに遠くで暮らす幼馴染の顔も浮かぶ。
どちらとも相性が悪い御仁の気がする。
「それと。身近な異性の知り合いは? カノジョがいるならそれが一番手っ取り早いわ」
「ううむ……幼馴染みはいるんですけど。何年も会ってないです。女子と付き合ってるとかは、まったくないです」
「そう。ま、そっちは急がなくていいわ」
姉や幼馴染みと同じ
凄まじい思考速度のせいで言葉を端折りがちだ。疑問が生じてもすぐに自力で解決してしまうから、周囲は何が起こってどんな結果となったのか、推察すら出来ない。
しかも探究心が強い。特に箒とはぶつかる。一夏には確信があった。
「これから、よろしくお願いします」
「ええ、ええ。全て私に任せてちょうだい」
別れる間際。深々と頭を下げた一夏に、アレクシアは今日一番の笑顔を贈った。
エキセントリックな主治医が退室する。
窓の向こうでは東京の道を、車がいつもどおりに走っていた。