Infinite Stratos:Archetype border 作:ぱらさいと
同日。一夏との面会を終えた直後。
後ろ髪を引かれる思いで五反田弾は廊下を進んだ。
白状すれば腹に据えかねる事実の連続だった。
理不尽が罷り通っている。十五歳に社会の仕組みは分からない。だが間違いを間違いと認識出来るだけの見識は備わっているつもりだ。
一夏にはまだまだ聞きたいことが残っている。
しかし同時に自制心が働くのだった。荒川という男は理想的な反面教師だった。
焦る必要はない。また近いうち面会へ来ればいい。そのときは差し入れの感想も聞ける。退院後の約束だって交わしたのだ。手術の傷も癒えているというからすぐにも段取りを組めるだろう。
そう考えて、案内板を確かめる。
エレベーターへの道を失念した。そんなタイミングだった。
「ジブンが五反田クンけ?」
背後から尋ねる声がした。
酒焼けしてハスキーな音色だ。
呼ばれた張本人が振り返る。
相手は長身の女性だった。全体にひょろりとしている。手脚が長いせいだ。
無造作な癖毛が様になっている。フレームレスの丸眼鏡と垂れ目で柔和な雰囲気だが、弾を観察する眼差しにはどことなく荒川茂樹に似通った気配を感じる。
ワイシャツにネクタイとスラックス。地味な会社員としか言い様がない。
ブランド品ではないんだろうなとだけ察せられた。
外見の特徴と言えば髪型と眼鏡くらいのものだ。
なのに丸出しの関西弁が第一印象を鮮烈にする。
「そうスけど」
「大したハナシちゃうねん。自販機探しててな」
女性は警察手帳を示した。
ぎこちない動作である。
警察庁警備局警備企画課 御厨樹警部補
「警察……?」
「そ。ミクリヤいうねん」
御厨は口元に薄い笑みを浮かべた。
ミクリヤという響きに弾は直感した。
「あっ。一夏の取り調べ担当の朝比奈さん」
「誰やねん朝比奈て。そんなヤツ知らんで」
「あ、あー、えーとですね、アニメの、いや原作はラノベで」
「ああ。織斑くんが言うてやったシジミがどうたらの」
「松岡修造じゃないッスよ。あれ非公式ッスから」
「なんのこっちゃ。松岡は熱血テニスのオッサンやろ」
警察手帳をポケットへ押し込みつつ、御厨は肩を鳴らした。
「ノド乾いてんねん。自販機どこやねホンマ……」
愚痴をこぼす様もスマートだった。
これは完全な弾の主観でしかない。
二人はエレベーターで三階まで降りた。そこにはラウンジがあって、壁際には自動販売機がずらりと並んでいる。値段を見ると外よりも割高に設定されていた。
御厨警部補は「コーラでええ?」と聞きながらラムネサイダーを二本買った。
昔ながらの自動販売機らしくスロット機能がついている。数字は揃わなかった。
「これ一生当たらん気ィするわ」
ボヤきながら御厨は一本目を弾に渡した。
「あの……お姉さんって、荒川さんとは別の部署なんスか」
「あないなオッサンと同僚なってみい。三日で辞表出したるわい」
舌打ちを交えつつ御厨が悪態をつく。
クールビューティーの俗っぽさに弾はますます好印象を抱いた。
「織斑くんとジブン仲ええんかいな」
「ウッス。幼馴染みなんスよ、ガキの頃からの親友です」
「ほおん。男の友情、ウチも好きやで」
「アザッス!!」
九十度のお辞儀を繰り出すのに一切抵抗はなかった。
端から見れば体育会のテンションである。御厨警部補もそう受け取った。
話題は一夏の昔話に移っていった。ほんの茶飲み話の感覚である。
「織斑くんてカノジョおらへんの。モテるやろ」
「非モテも非モテっスね。アイツかなり鈍いんで」
「男はどーんと構えとったらええねん。ガチャガチャやかまし言うようなんからモテてどないすんねんな」
「御厨さんマジでウチの店来てくださいよ。妹に説教して欲しいくらいッスよ」
「なんや妹おるんかいな。兄ちゃんがバシっと言うたらなアカンで」
「アイツ変なとこだけイマドキなんすよ……どこで仕入れてんだか」
「どうせネットやろネット。インフルエンザゆーんけ、あの小銭稼ぎ屋」
公務員にあるまじき問題発言だった。
ラムネ瓶をゴミ箱へ放り、御厨はヘッと冷笑した。
「妹ちゃんはどないやねん。織斑くんのこと」
「そりゃあ一夏は出来たヤツっすよ。アイツの姉さんは社会人なんスけど、たまーにしか帰って来ないからってそんな日にゃもう家事ばっかで。オレもビックリするっすよ。一夏の作る唐揚げの美味いこと美味いこと……」
「そら妹ちゃんの立場あれへんわ。いうてウチも自炊でけへんから炊飯器ほかしてもたけどな……」
ナハハ、と御厨は力なく笑った。
「オレ中華は得意ッスよ! 実家定食屋なんで炒めモン全般やれます!」
「ほーん、あとで店教えてえな。今度行くわ。しやけど中華はなんでなん?」
「そっちは幼馴染みのご両親に教わりました。中国の人ッス。中学上がってすぐ帰っちゃってそれきりッスけどね」
「本場の中華か。ええなあ……ビール飲みたなるやん、やめてえや」
御厨の愚痴はさらに続く。弾はそんな様も全肯定する。
来客用のソファへ腰掛けているに過ぎない。
バレーボール選手じみた体形が元凶である。
このレベルのスタイルに、弾は免疫を持っていなかった。
「その転校生ちゃん? は日本語喋れんの」
「バリバリっスよ。生まれは中国でも日本育ちなんで」
「あーはいはい、ウチも地元におるわ。親のお国言葉ぜんぜんワカランの」
「アイツもキレると強烈なんスよ。一夏もしょっちゅうボケて」
「なんや。織斑くん、ジブン以外の知り合いみな女子?」
「言われてみれば? でも全然浮ついたハナシないッスよ」
弾の記憶力はカタログスペック以上の精度を発揮する。
世間的には針金細工とか八尺様の類いである。
人相だけで言えば「荒川よりはマシ」な程度だ。充分に胡散臭い。その上で弾は「女性である」というだけで美点と捉えている。
当人は全てを受け入れている。指摘出来る者もいない。
なすがままの状態に陥っていた。御厨は素知らぬ顔をする。
「箒とは男女ってよりか悪ガキ仲間でしたし。オレも一緒に三人でよくバカやりましたよ」
「ほーき? 誰なんそれ」
「篠ノ之箒っス。小学校んときの同級生で、一夏とは幼馴染みっスね」
「ほおん。変わった名前やな」
「剣道やってるヤツで、昔っから気が強いんスよ。怒らせると手がつけらんないっつーか」
「ほな織斑くん、尻に敷かれとったん?」
「いやいや。どっちかっつーと一夏が振り回してましたね。アイツ悪気なく余計なこと言うんで」
「ナハハ。目に浮かぶわ」
御厨は膝を叩いた。
「しやけど今も付き合いあるんかいな」
「箒は途中で転校したんスよ。確か小四だったかな。それっきり会ってないっスね」
「なんや。寂しいハナシやな」
「まあ連絡先も知らないんで。一夏なら知ってるかもっスけど」
「ほーん」
御厨は興味なさげに相槌を打った。
「どんな子やった? 見た目とか」
「黒髪で、髪は長かったっスね。昔から剣道一直線って感じで」
「竹刀で追いかけ回されたり?」
「あー、ありましたね。オレらが道場でふざけて師範に怒られて。箒だけやたら真面目に稽古するんスよ」
「真面目な子なんや」
「変なとこ頑固でしたけどね。勝負になると絶対譲らないし」
「織斑くんは剣道どうやったん」
「結構やれたはずっスよ。姉さんが厳しいから身体動かすの得意で。でも箒の方が熱心だったな」
「ふうん。で、なんで転校したん?」
「さあ。大人の事情じゃないっスか。当時は何にも教えてもらえなくて」
「そらそやな。子供にいちいち説明せえへんわ」
御厨はあっさり引き下がる。
弾の方は昔の光景を思い浮かべていた。学校帰りの道。道場の板張りの床。竹刀を抱えてむくれる箒と、その顔を見ても理由の分からない一夏。間に入った自分まで叱られたこともあった。
「そういやあいつら、しょっちゅう喧嘩してましたね」
「犬も食わんやっちゃな」
「でも本気で仲悪いワケじゃなかったっス。箒がいなくなってから一夏もちょっと静かになったし」
「ほう。それ本人に言うたん?」
「言ったら否定しますよ。ああいうヤツなんで」
「男の子は照れ屋で困るわ」
御厨が笑う。弾もつられて笑った。
いつの間にか彼女は、質問する側とされる側という位置取りを忘れさせていた。
「ほなさっきの中華の子は?」
「ああ、鈴っスか。鳳鈴音って名前で」
「なんや難しい字ばっかやな。なんて書くねん」
「鳳凰の鳳に鈴の音っス」
「へえ。綺麗な名前やん」
「本人に言ったら調子乗りますよ」
「そらアカンな」
御厨は愉快そうに笑った。
「その鈴音ちゃんも織斑くんと仲良かったん?」
「そりゃもう。しょっちゅう一緒にいましたよ。ウチの店にも来てましたし」
「箒ちゃんとは?」
「時期が違うんスよ。鈴が転校してきたのは中学入ってからなんで」
「ああ、入れ替わりかいな」
「そうっスね」
「どんな子やった?」
「小柄で元気で、思ったことすぐ口に出すタイプっスね。一夏とはしょっちゅう口喧嘩してました」
「そんなんばっかりやな織斑くん」
「なんか変に意地張るんスよ、二人とも。こっちが見てると笑えるんですけど」
「ジブンは仲裁役やったんか」
「オレも結構巻き込まれましたよ。鈴の機嫌が悪いと何故かオレまで怒られるし」
「女の子に囲まれるんも楽ちゃうねんな」
「一夏に言ってやってくださいよ。アイツは全然分かってないんで」
御厨は口元に手を当てて笑った。
「でも鈴のご両親には世話になったっス。中華教わったのもあの家で。家庭用の火力じゃ無理な料理とか、色々」
「ほう。店でも出しとるん?」
「いや、まだ修業中っス。うまく出来る日は出してますけど」
「失敗した日は?」
「妹に食わせます」
「ひっどい兄ちゃんやな!」
「冗談っスよ、冗談!」
弾は慌てて両手を振る。
御厨が声を立てて笑ったものだから、少し離れた席の入院患者がこちらを見た。
二人は揃って頭を下げる。
「で、その子も帰国してしもたと」
「中一の終わり頃だったかな。急に決まったみたいで」
「急に、ねえ」
御厨はごく短く繰り返した。
その声に含まれたものを弾は聞き分けられない。
「連絡取っとらんの?」
「オレは全然。一夏もどうなんスかね。そういうのマメなヤツじゃないんで」
「手紙とか電話とか、今は便利やのにな」
「昔はもっと簡単だったんスけどね。家まで走ってけば会えたし」
「そら近所の友達のええとこや」
「鈴の方も帰るの嫌がってましたよ。最初は絶対また来るって言ってて」
「ほんで?」
「それきりっス。元気ならいいんですけど」
言ってから、弾は自分の声が少し沈んだことに気付いた。
御厨は今度ばかりは茶化さなかった。
「元気にしとるとええな」
「ウッス」
ラウンジの窓の向こうには薄曇りの空が広がっていた。
無機質な病院の一角で交わされる昔話は、どうしたわけか懐かしく感じられた。
「しやけど織斑くんも罪作りやな。女の子ばっか周りにおって、みんな離れていくやなんて」
「別に付き合ってたワケじゃないっスからね」
「ほんまかいな。鈴音ちゃんから告白とかされへんかったん?」
「聞いてないっスね。アイツそういう話ぜんぜんしないんで」
「箒ちゃんも?」
「同じっス」
「ほな二人とも片想いやったりしてな」
「ないない。それはないっスよ」
弾は即答した。
御厨が片眉を上げる。
「なんで言い切れんねん」
「一夏っスよ? アイツ女心とかマジで分かんないんで」
「それ答えになっとらんがな」
「いや、でも本当にそうなんスって」
「ナハハ。まあええわ」
御厨はラムネサイダーの残りを飲み干した。
空になった容器を指先で弄ぶ。
「ほな、ミーシャ・グラハムいう子は?」
「……はい?」
「ミーシャ・グラハム。聞いたことあらへん?」
「いや。誰っスか、それ」
「知らんの?」
「知らないっスね。外国人っスか?」
「名前からしたらそうやろな」
「一夏の知り合いなんスか?」
「せやから聞いとるんやけど」
御厨は困ったように笑った。
弾は首を捻る。
「いやあ……少なくともオレは聞いたことないっス。一夏の知り合いなら大体分かると思うんスけど」
「最近知り合うた可能性は?」
「そりゃあるんじゃないっスか。でも今日もそんな話してないっスよ」
「どっかで名前だけ聞いた、とかも?」
「いやあ。ミーシャ……グラハム……」
弾は念のため声に出してみる。
何度繰り返しても心当たりはなかった。鈴や箒とは違う。顔も声も、名前を聞いて浮かんでくる風景もない。
「すんません。ほんと分かんないっス」
「そか。ほなええねん」
御厨はそれ以上追及しなかった。
弾の返答には迷いがない。知らないものは知らない。そこに隠し事をしているような気配はなかった。
「なんや。ジブンでも知らん友達おるんやな」
「そりゃオレだって一夏の全部知ってるワケじゃないっスから」
「そらそうや。いくら親友でもな」
「でもミーシャって人、なんかあったんスか?」
「いや別に。ちょっと名前が出ただけや」
「はあ……」
「気にせんといて。ウチの仕事の話やし」
御厨はひらひらと片手を振った。
その仕草もやはり様になっている。
弾は素直に頷いた。
しかし話題に出された名前だけは引っかかった。知らない知人の話を警察から聞かされるというのは、なかなか妙な気分である。
「御厨さんって、一夏のこと調べてるんスか」
「まあ仕事やからな。せやけどジブンに難しいハナシする気はあらへんで」
「それは分かりますけど」
「嫌な思いさせたんやったら堪忍な」
御厨は軽く両手を合わせた。
弾は一夏の病室で感じた腹立たしさを思い出した。
荒川の顔も浮かんでくる。得体の知れない大人たちが、自分たちに知らされないところで物事を決めている。その事実はやはり気に入らなかった。
「一夏、悪いことしてないっスよ」
「せやろな」
あまりにあっさりした返事だった。
「……信じるんスか?」
「ジブンがそう思うとるんは信じるで。本人が何したかは、また別のハナシや」
「そりゃそうかもしんないっスけど」
「警察やから何でも知っとるわけちゃうねん。分からんもんを分からんと言えるうちは、まだマシな方やと思うで」
声の調子は相変わらず軽い。
弾は少しだけ考えた。妙に筋の通ったことを言う人だ。少なくとも知ったふうな顔で説教を垂れる荒川よりは話が通じそうに思えた。
「じゃあ、オレに聞いたことも役に立つんスか」
「さあなあ。昔話なんか、聞いてみな分からへん」
「なんスかそれ」
「世の中そんなもんや。聞いた結果、何もなかったっちゅうことも大事なんよ」
弾が曖昧に頷くと御厨は眼鏡を直した。
「それよりジブン、さっき店やっとる言うてたな。五反田いうたら定食屋さんけ?」
「あ、はい! 五反田食堂っス!」
「ほな今度寄らしてもらうわ。中華も出せるんやろ?」
「もちろんっスよ! オレが腕振るいます!」
「期待しとくで。腹減っとる時の中華は最高や」
「何が好きなんスか?」
「餃子やな。ニンニクどっさり入ったやつ」
「いいっスね! ウチの餃子も評判いいっスよ」
「よっしゃ。楽しみ出来たわ」
御厨は薄く笑った。
弾にはそれが社交辞令だとは微塵も思えなかった。
実際、食堂へ足を運ぶかどうかは彼女の胸先三寸である。
ただ御厨が覚えておくべきことは、既に充分聞き終えていた。
ロビーへ向かうエレベーターが到着した。
御厨は立ち上がり、慣れた手つきでネクタイを緩める。
「ほなウチ、まだ用事あんねん。ジブンも気ィつけて帰りや」
「ウッス! 今日はごちそうさまでした!」
「ラムネ一本で大げさな」
「いや、でも話聞いてもらえて助かったっス」
その言葉に御厨は一瞬だけ黙った。
「……そらよかったわ」
すぐにいつもの調子で笑う。
弾はエレベーターの前で深々と頭を下げた。扉が閉まるまで手を振る御厨の姿は、最後まで気さくな年上の女性そのものだった。
乗り込んだ弾は制服のポケットを探った。携帯電話があることを確かめる。妹に連絡を入れるためだ。
病院の外へ出たら、一夏の様子も少しだけ伝えようと思った。
ただしミーシャ・グラハムという名は、その文面には入らなかった。
理由は単純である。
弾にとっては見ず知らずの誰かでしかないのだから。
階数表示が下がっていく。
ラウンジに残った御厨は空き容器を捨て、すぐには動かなかった。
丸眼鏡の奥で目が細くなる。
箒。鈴音。そしてミーシャ。
三人の名を同じ調子で口にしたつもりだったが、返ってきた反応はまるで違っていた。
最初の二人には過去がある。いつどこで出会い、どんな顔をしていたか。弾は尋ねるまでもなく次々と語った。
最後の一人にはそれがない。
知っていて隠した人間の間ではない。記憶を探して、空振りした人間の間だった。
「……ま、そんなとこかいな」
御厨は独りごちる。
結論を急ぐ気はなかった。弾が知らないことと、一夏が知らないことは同じではない。逆に一夏が知っているからといって、彼女との関係まで分かるわけでもない。
昔話にしても同じだ。幼馴染みという言葉ひとつで、十年分の付き合いを括ることなど出来ない。
御厨は腕時計に目を落とした。
勤務中にラムネサイダーを二本買った。その分の小銭を惜しむ気はない。
あの少年は何も疑わず喋ってくれた。だからこそ、彼が答えられなかった問いの重みを、軽々しく扱うべきではなかった。
「ほんま、厄介な仕事やで」
呟きは誰にも聞かれず、ラウンジの空調音に紛れた。