人生へたへたおじさんが通りすがりのメスガキに幸せにされるまで 作:メスガキに勝てない
三十二歳。独身。会社員。
月月火水木金金。残業、休日出勤、上司の機嫌取りに後輩の尻拭い。睡眠時間は日に日に削られ、食生活は荒れ、趣味らしい趣味もなくなった。友人とはいつの間にか連絡を取らなくなり、恋愛に至っては、それがまだ自分の人生に関係のあるものなのかどうかさえ、よくわからない。
要するに、社畜である。
しかも、なかなか筋金入りの。
会社に飼われ、会社に餌を与えられ、会社の都合で生かされている。給料日にはわずかな現金を受け取り、その大半を家賃や生活費として吐き出す。人間の尊厳を切り売りしているつもりでいたが、そもそも自分の尊厳がいくらで売れるのか、考えたこともなかった。
豚小屋の王様。
安物のネクタイを締め、オフィスチェアを玉座とし、デスクの周囲数メートルを領土とする王である。臣下はいない。国民もいない。あるのは未処理の書類と、明日までに返信しなければならないメール、それからパソコンの右下で無遠慮に進んでいく時刻だけだった。
その夜、時計は二十三時を回っていた。
蛍光灯の白い光が、人気のなくなった事務所を照らしている。ふと顔を上げると、窓硝子に自分の姿が映っていた。
血色の悪い頬。目の下に薄く落ちた影。伸びかけた髭に、少し緩んだネクタイ。肩は内側へ丸まり、首は前へ突き出している。背広の肩口には、今日一日分の疲れが目に見えない埃のように積もっていた。
我ながら、あまり景気のいい顔ではなかった。
若い頃は、もう少し違ったはずだ。
休日には出かける場所を考えた。読みたい本があり、食べたいものがあり、いつか訪れてみたい土地もあった。欲しいものを欲しいと思い、嫌なものを嫌だと言い、未来という言葉に漠然とした期待を抱くこともできた。
それが、いつの間にかなくなっていた。
何か大きな失敗をしたわけではない。人生を決定的に変えてしまうような出来事があったわけでもない。
ただ、毎日少しずつ我慢をした。
今日は仕方がない。今週は忙しい。来月になれば落ち着くだろう。
そうやって先送りにしているうちに、いつしか自分の生活のほうが、仕事の都合に合わせて形を変えるようになっていた。
私はパソコンを閉じた。
明日も仕事だった。明後日も仕事だった。その先にも、きっと仕事がある。
それでも、帰らなければならない。
帰ったところで、誰かが待っているわけではなかった。
冷蔵庫には飲みかけのペットボトルと、いつ買ったのかも思い出せない調味料がある。洗濯物は椅子の背にかかったまま、床には読みかけの雑誌が伏せられている。食事は空腹を黙らせるための作業で、睡眠は翌朝また会社へ出ていく身体を整備するための時間だった。
自分の生活を、ずいぶん粗末に扱っている。
そう思わないでもなかったが、ではどうすればいいのかと考えると、それだけで疲れてしまった。
駅へ向かう途中、コンビニに寄ろうかと思った。
弁当でも、おにぎりでもいい。菓子パンをひとつ買って帰るだけでも、何もしないよりはましだろう。
けれど、何を食べるか決めるのが億劫だった。
そもそも、本当に腹が空いているのかどうかさえ、よくわからない。
人間は、こうして少しずつ駄目になっていくのかもしれない。
骨が折れるような音がするわけでも、血が流れるような出来事が起きるわけでもない。ただ、空腹を感じることを忘れ、眠気を無視し、疲れている自分を疲れていると認めなくなる。
そのうち、自分が何を食べたかったのか、どこへ行きたかったのか、何を楽しみにしていたのかさえ思い出せなくなる。
そして私は、そういう状態を大人になるということなのだと、どこかで納得していた。
「……うわ。なに、その顔」
不意に声がした。
顔を上げると、街灯の下にひとりの少女が立っていた。
少し大きめの上着を着た、小柄な女の子だった。年齢はよくわからない。少なくとも、私よりはずっと若い。こちらを見上げる目には、初対面の相手に向ける遠慮というものが、あまり見当たらなかった。
少女は私の顔をしげしげと眺め、それから、心底不思議そうに眉を寄せた。
「え、なに? ゾンビ?」
「……はい?」
「終電に乗り遅れた社畜の成れの果て? それとも、会社に魂を売ったら身体まで返品不可になっちゃった人?」
初対面である。
間違いなく初対面だった。
私は、返事に少し困った。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
「こっちの台詞なんだけど。なに、その丁寧なゾンビ語。敬語を使えば人間に戻れると思ってる?」
「いえ、そういうわけでは……」
「うわ、否定した。そこは『人間です』って言いなよ。自信ないの?」
少女は、こちらの返事など待たずに笑った。
それから、私の顔から襟元へ、襟元から胸元へと視線を動かし、最後に力なく垂れた手を見た。
「……おじさんさぁ。生活、終わってない?」
私は黙った。
見ず知らずの少女に言われる筋合いはない。そう返すのが、まともな大人の態度だったのだろう。
けれど、言い返す気にはなれなかった。
彼女の言い方はひどく失礼だったが、言っていることは、どうにも否定しにくかったからだ。
「仕事帰りですか?」
「ええ。まあ」
「ふうん。で、ご飯は?」
「……はい?」
「ご飯。今日、ちゃんと食べた?」
私は少し考えた。
昼食は、午後の会議へ向かう途中で買った菓子パンだった。夕食は、まだ食べていない。
とはいえ、今から何かを食べる気力もなかった。家に帰り、着替えもせずに眠ってしまえばいい。空腹など、朝になればどうにかなるだろう。
「昼に少し食べましたよ」
「それ、ご飯じゃなくて、燃料切れ寸前の車にガソリン一滴垂らしただけでしょ」
「……そこまでではないと思いますが」
「そこまでだよ。おじさん、何歳?」
「三十二ですが」
「三十二!?」
少女は、わざとらしく目を見開いた。
「うそ。三十二でこれ? 人生の折り返し地点どころか、スタート地点で転んだまま三十年くらい寝てた人じゃん」
「三十年は越えていますが」
「そこ訂正するんだ。かわいそ。自分の人生が崩壊してるのに、年数の計算だけは正確なんだね」
少女はけらけらと笑った。
私は、どう返せばいいのかわからなかった。
腹が立たないわけではない。見知らぬ少女にここまで好き放題言われれば、多少は不愉快にもなる。
ただ、その不愉快さを押し返すほどの元気がなかった。
それどころか、彼女の遠慮のない言葉を聞いているうちに、胸の奥で何かが少しずつ緩んでいくような気さえした。
私は長いこと、他人に心配をかけないことを美徳としてきた。
仕事が苦しくても、食事を抜いても、眠れなくても、訊かれれば「大丈夫です」と答える。自分の不調を隠すことが、周囲への配慮なのだと思っていた。
しかし、この少女は、私の返事など初めから信用していない。
こちらが取り繕うより早く、そのための布をひったくってしまう。
「ほら」
少女が私の袖をつまんだ。
「ご飯、食べに行くよ」
「……え?」
「え、じゃない。お腹すいてるんでしょ」
「いえ、私はもう帰ろうかと」
「帰って何食べるの?」
「家に、何かあったと思います」
「その『何か』、絶対ろくなもんじゃないじゃん。賞味期限が過去に生きてるやつとか、冷蔵庫の奥で化石になってるやつとか」
「そこまでひどくは……」
「じゃあ、今ここで冷蔵庫の中身、全部言ってみて?」
私は口を閉じた。
「はい、論破。よわよわおじさん、食生活でも敗北♡」
少女は得意げに笑った。
ひどく生意気な顔だった。
そして、困ったことに、少しだけ愛嬌があった。
私はその感想を、ひとまず頭の隅へ追いやった。何しろ、見ず知らずの少女に袖をつままれ、夕食に連れていかれそうになっているのである。そんな場合ではない。
「君、私は大人ですから、自分の食事くらい自分で決められますよ」
「へえ。じゃあ、今日の夕飯は?」
「……」
「明日の朝ご飯は?」
「……」
「今週、何回ちゃんと寝た?」
「……」
「はい、全敗。おじさん、弱っ♡」
少女は、指折り数えていた手をぱっと開いた。
「大人のくせに、生活能力よわよわじゃん。会社では偉そうな顔してるのかもしれないけど、自分ひとりまともに養えないなら、王様どころか豚小屋の飼育係にもなれないよ?」
豚小屋。
その言葉が、妙に耳に残った。
私は、自分のことを少なくとも、きちんと働いている人間だと思っていた。責任を果たし、約束を守り、与えられた仕事を片づける。多少の無理をしているとしても、それは社会人なら珍しいことでもない。
だが、会社のために働き続けた結果、自分の身体を養うことさえ満足にできなくなっているのなら。
私はいったい、何を守っているのだろう。
「……わかりました」
「え?」
「食事、ご一緒します」
今度は、少女のほうが黙った。
彼女は私の顔を見上げ、少し拍子抜けしたような表情を浮かべた。それから、すぐにいつもの笑みを取り戻す。
「なにそれ。素直じゃん。最初からそう言えばいいのに」
「君があまりにも熱心に勧めてくれるものですから」
「そうそう。感謝しなさい。あたし、今日、おじさんの人生を救ってあげるんだから」
「夕食を一度ご馳走になるだけで、人生まで救われるとは思いませんが」
「甘いねえ。まずご飯を食べる。次に寝る。洗濯する。お風呂に入る。そういう人間の基本動作を取り戻すの。そしたら次は、仕事が嫌なら嫌って言う。無理なら無理って言う。人生を変えるのって、案外そういうところからなんじゃないの?」
少女は、ずいぶん簡単なことのように言った。
その言葉が、私の中へゆっくりと沈んでいく。
人生を変える。
そんな大げさなことを、私は長いこと考えないようにしていた。考えたところで、何も変わらない。変えられないものを望めば、今ある生活まで危うくなる。そうやって望むことを諦めるための理屈ばかりが、私の中で妙に上達していた。
けれど、目の前の少女は、私の理屈など歯牙にもかけないらしい。
「ほら、行くよ。あたしもお腹すいてるんだから」
「……君も、夕食がまだだったんですか」
「そうだよ。だから、おじさんに付き合ってあげるの。勘違いしないでよね。ゾンビの介護が趣味なわけじゃないんだから」
「それは失礼しました」
「わかればよろしい」
少女は私の袖から手を離した。
それでも、歩き出した私の隣を、当然のようについてきた。
駅から少し離れたところに、小さな定食屋があった。
暖簾をくぐると、味噌汁と醤油の匂いが、店の温かな空気と一緒に流れてきた。壁には少し色褪せた品書きが並び、カウンターの向こうでは年配の店主が黙々と鍋を扱っている。
特別に洒落た店ではない。けれど、そこには食事というものの、ごく当たり前の温かさがあった。
温かいものを作り、皿に盛り、誰かの前へ置く。
人間は、こうした単純なことを大切にして暮らしていれば、それだけでも案外、悪くないのかもしれない。
「おじさん、何にする?」
「生姜焼き定食にしましょうか」
「へえ。ちゃんと選べたじゃん。えらいえらい」
「子ども扱いしないでください」
「三十二歳にもなって、あたしに夕飯の心配されてる人が何言ってんの?」
返す言葉もなかった。
少女は唐揚げ定食を注文し、こちらの顔をちらりと見た。
「ご飯、大盛りね」
「いえ、普通で結構です」
「だめ。大盛り」
「食べきれないかもしれません」
「食べきれなかったら、あたしが手伝ってあげる」
「……それでは、君の分がなくなってしまいますよ」
「おじさんの分まで食べる気満々みたいに言わないでくれる? 失礼すぎ。あたし、そんなに食いしん坊じゃないし」
少女は頬を膨らませた。
私は、思わず笑ってしまった。
声を出して笑ったのがいつ以来なのか、すぐには思い出せなかった。
少女はその笑い声を聞いて、ほんの一瞬だけこちらを見た。何か言いたそうにも見えたが、結局、何も言わずに水の入ったコップを持ち上げた。
やがて、料理が運ばれてきた。
生姜焼き定食は、湯気を立てていた。
薄く焼き色のついた豚肉に、甘辛いタレが艶やかに絡んでいる。生姜の香りが鼻をくすぐり、千切りのキャベツには水滴が光っていた。白いご飯はふっくらと盛られ、味噌汁の椀からは出汁の香りがほのかに立ちのぼる。
私は箸を持った。
肉をひと切れ口へ運ぶ。甘辛いタレと脂の旨味に、生姜の鮮やかな香りが重なる。噛むたびに肉の繊維がほどけ、温かなものが喉を通って胃へ落ちていった。
おいしかった。
ただ、それだけのことだった。
けれど私は、食べるという行為が、これほど身体に直接働きかけるものだったことを忘れていた。
空腹を満たすだけではない。温度があり、香りがあり、歯触りがある。自分の身体がまだ生きていて、何かを欲し、それを満たすことができる。
そんな当たり前のことが、妙に鮮やかだった。
「……どう?」
向かいの席で、少女が訊いた。
「おいしいです」
「なにその感想。小学生の作文?」
「本当においしいですよ」
「ふうん」
少女は唐揚げをひと口食べた。
「なら、よかった」
それだけ言って、彼女はまた自分の食事に戻った。
私は、顔を上げた。
少女はもう、こちらのことなど気にしていないような顔で、唐揚げにレモンを絞っている。自分の好きな料理を、自分の好きなように食べている。その姿を見ていると、私は少し不思議な気持ちになった。
彼女は、私を救おうとしているのだろうか。
そう考えるのは、いささか大げさかもしれない。目の前の男があまりにひどい有様だったので、見るに見かねて夕食へ連れ出した。それだけのことなのだろう。
それでも、私にとっては、ずいぶん久しぶりの出来事だった。
誰かが、自分の食事を気にかけてくれる。
たったそれだけのことが、こんなにも胸に沁みるとは思わなかった。
食事を終えて店を出ると、夜気が頬を撫でた。
腹が満ちたからだろうか。先ほどまで身体を覆っていた鉛のような疲労が、ほんの少しだけ遠のいている。もちろん、明日の仕事がなくなったわけではない。未処理の書類も、返信していないメールも、何ひとつ解決してはいない。
それでも私は今夜、温かい食事をした。
その事実だけが、ひどく確かなものとして残っていた。
「おじさん」
「はい」
「あんまり、自分のこと雑に扱わないほうがいいよ」
少女は前を向いたまま言った。
「仕事が大変なのは、わかるよ。大人って、いろいろあるしさ。責任とか、生活とか、将来とか。でもさ。疲れたら休む。お腹がすいたら食べる。しんどかったら誰かに言う。そういうのって、別に甘えじゃないじゃん」
私は返事をしなかった。
「なのに、おじさんは、なんでもひとりで片づけようとする。誰にも迷惑をかけたくないって顔してさ。そういうの、立派なんじゃなくて、ただの無茶だから」
「……君は、初対面の人間にずいぶん厳しいですね」
「だって、おじさん、放っておいたら本当にダメになりそうなんだもん」
そこで初めて、少女はこちらを見た。
口元には、いつものからかうような笑みが浮かんでいた。けれど、その目には笑いだけではないものがあった。
「自分のこと、もうちょっと大事にしなよ」
先ほどまでの罵倒とは違う声だった。
私は、返す言葉を見つけられなかった。
誰かに心配されることを、私はずっと避けてきた。心配をかければ、そのぶん相手の時間を奪う。事情を話せば、気を遣わせる。弱音を吐けば、余計な仕事を増やす。
そう考えて、何も言わずに耐えることを選んできた。
けれど、目の前の少女は、私が隠そうとしていたものを、初対面だというのに遠慮なく暴き立てた。
そして、暴き立てたあとで、私を責めるのではなく、食事をさせた。
「……ありがとう」
私は言った。
少女が、きょとんとした顔でこちらを見る。
「え?」
「夕食に付き合ってくれて、ありがとう。君の言うとおり、少し、自分のことを粗末にしすぎていたのかもしれません」
彼女はしばらく黙っていた。
やがて、ふいと顔をそむける。
「……べ、別に。あたしもお腹すいてたし。おじさん一人だと、どうせコンビニで適当なの買って終わりでしょ。見てられなかっただけ」
「ええ。そういうことにしておきます」
「なに、その余裕。むかつくんだけど」
少女は私の腕を、こつんと小突いた。
痛くもないほどの接触だった。
それでも、その小さな衝撃は、妙に確かなものとして残った。
少女は歩き出した。私もその隣を歩く。信号が赤に変わり、二人で立ち止まった。車のヘッドライトが路面を白く照らし、夜風が彼女の髪を揺らしていた。
私は、少し迷ってから口を開いた。
「……君」
「なに?」
「また、食事に付き合ってもらってもいいですか」
少女は、今度こそ言葉を失った。
ほんの一瞬、いつもの軽口が出てこなかった。その沈黙が妙に長く感じられたあと、彼女は口元を吊り上げ、勝ち誇ったように笑った。
「なにそれ。よわよわおじさん、ついにひとりでご飯食べるのも寂しくなっちゃった?」
「そうかもしれませんね」
「認めるんだ。へえー?」
「君と食べると、おいしく感じるので」
口にしてから、私は少しだけ気恥ずかしくなった。
少女もまた、すぐには言葉を返さなかった。
信号が青に変わる。彼女は歩き出しながら、こちらに顔を見せないまま言った。
「……ま、いいけど」
その声は、先ほどより少しだけ小さかった。
「次は、もうちょっとマシな顔して来なさいよ。せっかくご飯食べるんだから」
「努力します」
「努力じゃなくて、ちゃんと寝る。ちゃんと食べる。わかった?」
「わかりました」
「よろしい」
少女は満足げに頷いた。
私はその横顔を見た。
初対面の少女に罵倒され、夕食を食べさせられ、生活習慣の改善まで命じられる。三十二歳の男として、これほど情けないこともそうはないだろう。
私は、完敗していた。
しかも、ずいぶん気持ちのいい負け方だった。
少女と別れ、ひとりで帰路につく。
明日になれば、また仕事がある。会社へ行けば、積み上がった書類が待っている。何もかもが劇的に変わるわけではない。長年かけて身についた習慣は、一晩で消えてくれるほど親切ではないだろう。
それでも、帰宅したら、まず湯を沸かそうと思った。
その前に、洗濯機を回してもいい。冷蔵庫の中身を確かめ、明日の朝食を用意してもいい。今までなら、そんなことを考えるだけで億劫になり、結局何もせずに眠ってしまったはずだった。
けれど、今夜は少し違った。
腹が満ちている。身体が温かい。誰かの声が、まだ耳の奥に残っている。
――自分のこと、もうちょっと大事にしなよ。
私は三十二歳だった。
豚小屋の王様だった。
けれど、王国がどれほど荒廃していようと、王が自分の手で床を掃き、食事を作り、明日のために寝床を整えることくらいはできるはずだ。
それを再建と呼ぶには、あまりにもささやかな仕事だった。
けれど、人生というものは、案外そうしたささやかな仕事の積み重ねでできているのかもしれない。
私は部屋の灯りをつけた。
薄暗い室内が、ゆっくりと明るくなった。
豚小屋の王様は、その夜、久しぶりに自分の城を見回した。
ゾンビみたい、ばかみたい、変なおじさん