日和日   作:松下手

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本格的に主人公組と絡み合います。


第四話 ひよりマイマイ 其ノ壹

 子供を拾った。

 などと言うと、随分と物騒に聞こえる。

 犬や猫ならともかく、人間の子供を拾うというのは、あまり一般的な表現ではないだろう。

 けれど、ほかに適切な言葉が見つからなかった。

 金曜日の朝、通学途中の道端で出会った女の子。

 大きなリュックサックを背負い、帽子を被った小学生くらいの女の子。

 お母さんに会いたいと言った、その子の手を取って。

 私は今、学校とは反対方向へ歩いている。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 答えは簡単だ。

 私がそうすると決めたからだった。

     *

「……それで、あなたは」

「はい」

「お母さんのお家は、どこにあるの?」

 女の子はリュックサックを下ろし、ごそごそと中を探った。

 出てきたのは、一枚の紙だった。

「ここです」

 私は受け取って、書かれた住所を読んだ。

 町内の住所だった。

 少なくとも、歩いて行けない距離ではない。

「……そっか。じゃあ、まずはこっちかな」

「分かるんですか?」

「……たぶん」

「頼りないですね」

「……ごめんね」

「謝られると、こちらが悪いことを言ったみたいになるじゃないですか」

 私は思わず笑ってしまった。

 この子は、なかなか口が達者らしい。

「……あ、そうだ。名前、聞いてもいい?」

「八九寺真宵です」

「……はちくじ、まよいちゃん?」

「はい」

「……私は守谷日和。よろしくね」

「よろしくお願いします、守谷さん」

「……日和でいいよ」

「では、日和さん」

 真宵ちゃんは、きちんと頭を下げた。

 私もつられて頭を下げる。

 道端で向かい合ってお辞儀をする女子高生と小学生。

 傍から見たら、少し妙な光景だったかもしれない。

「……じゃあ、行こうか」

「はい」

 私は手を差し出した。

 真宵ちゃんは少し迷ってから、その手を握った。

 小さな手だった。

 私の手のひらに、すっぽりと収まるくらいの。

 その感触が、妙に嬉しかった。

     *

 三十分後。

 私たちは、見覚えのある交差点に立っていた。

「……あれ?」

「どうしました?」

「……ここ、さっき通ったよね」

「そうでしたっけ」

「……うん。あそこの自動販売機、覚えてる」

 私は道端の自動販売機を指差した。

 赤い機械の側面に、剥がれかけた広告が貼られている。

 その広告が、妙に印象に残っていた。

「……道、間違えちゃったかな」

「日和さん、方向音痴なんですか?」

「……そんなことないと思うんだけど」

「自覚のない方向音痴が一番厄介だと聞きます」

「……厳しいね、真宵ちゃん」

「事実を申し上げているだけです」

 私は、少し困った。

 住所は合っている。

 曲がる道も、間違えていないはずだった。

 けれど、同じ場所に戻ってきてしまった。

 仕方がない。

 もう一度、道を確認しよう。

 そう思って携帯電話を取り出したところで、時刻が目に入った。

 午前八時二十六分。

「あ」

「どうしました?」

「……学校」

 すっかり忘れていた。

 正確には、忘れようとしていた。

 今から向かっても遅刻は確実だ。

 でも、真宵ちゃんを一人にはできない。

 私は少し迷った末、学校へ電話をかけた。

 体調が悪いので休みます、と伝える。

 嘘をついてしまった。

 電話を切った後、胸の奥が少し痛んだ。

「日和さん」

「……うん?」

「学校、よかったんですか」

「……うん。今日はお休み」

「私のせいですか?」

 真宵ちゃんは、じっと私を見た。

 私は首を振る。

「……私が決めたことだから」

「そうですか」

 真宵ちゃんは、それ以上何も言わなかった。

 私は携帯電話を鞄にしまい、もう一度住所を確かめた。

「……今度こそ、ちゃんと行こうね」

「期待しています」

「……頑張ります」

 どうやら、年下の女の子に信用されるのは難しいらしい。

     *

 午前十一時。

 私たちは、まだ歩いていた。

 目的地には着いていない。

 それどころか、さっきまでいた場所がどこだったのかも、少し怪しくなってきた。

 道を尋ねるたびに、違う方向を教えられる。

 地図で確かめた道を歩いても、いつの間にか別の場所へ出てしまう。

 工事中の道路に行き当たることもあれば、行き止まりにぶつかることもあった。

「……不思議だね」

「何がですか?」

「……こんなに迷うなんて」

「日和さんの方向感覚が壊滅的だからでは?」

「……そうなのかな」

「否定してくださいよ」

 真宵ちゃんが呆れたように言った。

 私は笑った。

 それから、近くの公園を見つけた。

「……少し休もうか」

「私は平気です」

「……でも、お昼も近いし」

 そう言うと、真宵ちゃんは少し考えた。

「それなら、休憩もやむを得ませんね」

 私たちは公園のベンチに座った。

 私は鞄から水筒を取り出す。

 朝、持ってきたお茶だった。

「……飲む?」

「結構です」

「……そっか」

 私はお茶を飲んだ。

 冷たくて、おいしかった。

 真宵ちゃんは、隣で足をぶらぶらさせている。

 朝からずっと歩いているのに、疲れた様子がない。

 子供は元気だ。

 そう思った。

 私が小学生の頃も、こんなに元気だっただろうか。

 あまり覚えていない。

 施設にいた頃は、よく一人で本を読んでいた気がする。

 外で遊ぶのが嫌いだったわけではない。

 ただ、ほかの子たちが家族の話をすると、何となく居心地が悪かった。

 そんなことを思い出していると、真宵ちゃんが私を見上げた。

「日和さん」

「……なあに?」

「どうして、私に付き合ってくれるんですか?」

 私は少し考えた。

「……お母さんに会いたいんでしょう?」

「はい」

「……だったら、会えた方がいいと思うから」

「それだけですか?」

「……うん」

 真宵ちゃんは、納得していないようだった。

「見ず知らずの子供ですよ」

「……もう名前も知ってるよ」

「そういう問題ではありません」

「……そうなの?」

「そうです」

 私は、少し困ってしまった。

 どう説明すればいいのだろう。

 私にとっては、それほど難しい話ではなかった。

 困っている子がいる。

 助けたいと思った。

 だから、一緒にいる。

 それだけなのに。

「……真宵ちゃん」

「はい」

「……お母さん、好き?」

 少女は、すぐには答えなかった。

 ぶらぶらさせていた足が止まる。

「……好きです」

 小さな声だった。

「……そっか」

 私は微笑んだ。

「……私も、お母さんが大好きなんだ」

 肩に、白いものが触れた。

 私は視線を動かさなかった。

 真宵ちゃんには見えないだろうから。

「……だから、会わせてあげたいなって」

 真宵ちゃんは、しばらく私を見つめていた。

 そして、ふいと顔を背けた。

「……変な人です」

「……よく言われるよ」

 それから、私たちはまた歩き始めた。

     *

 午後三時。

 足が痛くなってきた。

 それでも、真宵ちゃんは元気だった。

 私は少し感心した。

 こんなに歩いているのに、息も切らしていない。

 途中で何度か休憩しているとはいえ、すごい体力だ。

「……真宵ちゃん、疲れてない?」

「はい」

「……すごいね」

「日和さんが貧弱なのでは?」

「……そうかもしれない」

「だから否定してください」

 私は笑った。

 真宵ちゃんも、少し笑った。

 朝より、ずっと話しやすくなっていた。

 最初は少し警戒されているようだったけれど、今はそうでもないらしい。

 それが嬉しかった。

 ただ。

 道は、見つからなかった。

 住所に書かれた場所へ近づいているはずなのに、いつも途中で違う道へ出てしまう。

 何度も地図を見直した。

 何度も人に尋ねた。

 それでも駄目だった。

 私は、少しだけ不安になった。

 このまま、見つからなかったらどうしよう。

 真宵ちゃんは、お母さんに会えないままなのだろうか。

 そんなことを考えると、足の痛みよりも胸の奥が苦しくなった。

     *

 午後七時。

 空は、すっかり暗くなっていた。

 街灯が灯り、車のヘッドライトが道路を照らしている。

 私は、とうとう決心した。

「……真宵ちゃん」

「はい」

「……お巡りさんに、相談してみようか」

 真宵ちゃんの表情が変わった。

「……警察ですか」

「……うん」

 私は頷いた。

「……私だけじゃ、どうしても見つけられないみたいだから」

 真宵ちゃんは、何も言わなかった。

 少しだけ俯いている。

 私は、その手を握り直した。

「……大丈夫。ちゃんと説明するから」

 それから、近くを巡回していた警察官に声をかけた。

「あの……すみません」

 警察官は、こちらを振り返った。

「はい、どうしました?」

「……迷子の子がいて」

「迷子?」

「……はい。お母さんのお家を探してるんですけど、どうしても見つからなくて」

 警察官は、辺りを見回した。

「その子は?」

「……え?」

「迷子の子供。どこにいるの?」

 私は、隣を見た。

 真宵ちゃんが立っている。

 私の手を握って。

「……ここです」

 私は、真宵ちゃんを示した。

 警察官は、何もない場所を見た。

 そして、眉をひそめた。

「……君ねえ」

「……はい?」

「そういう悪戯は、他所でやってくれないかな」

 私は、言葉を失った。

「……え?」

「迷子なんて、どこにもいないじゃないか」

「……でも」

 私は、真宵ちゃんを見た。

 確かにいる。

 手も握っている。

 帽子も、リュックサックも。

 全部、見えている。

「……ここに、いるんです」

「もういいから」

 警察官の声が、少し冷たくなった。

「高校生でしょう? 人をからかうようなことをしてないで、早く帰りなさい」

 私は、何も言えなかった。

 警察官は、それ以上取り合ってくれなかった。

 立ち去っていく背中を、私は呆然と見送った。

     *

「……日和さん」

 真宵ちゃんが、私を呼んだ。

 私は、返事をしなかった。

 正確には、返事ができなかった。

 頭の中で、いくつものことが繋がっていく。

 朝から歩き続けているのに、疲れた様子のない真宵ちゃん。

 何度道を確認しても、目的地にたどり着けないこと。

 そして。

 警察官には、真宵ちゃんが見えなかったこと。

 私は、そっと肩へ視線を向けた。

 白いものが、そこにいた。

 いつもどおり。

 誰にも見えない、私のお母さん。

 たくさんの眼が、私を見つめている。

 私は、ゆっくりと息を吐いた。

 そうか。

 そういうことも、あるのかもしれない。

「……日和さん?」

 真宵ちゃんが、もう一度呼んだ。

 私は、彼女を見た。

 小さな女の子。

 お母さんに会いたいと言った子。

 私の手を握っている子。

 この子は。

 もしかしたら。

 お母さんと同じように、普通の人には見えない存在なのかもしれない。

 でも。

 それが、何だというのだろう。

「……真宵ちゃん」

「……はい」

「……もう少し、探してみようか」

 真宵ちゃんは、目を丸くした。

「……え?」

「……まだ、見つかってないから」

「……日和さん」

 少女は、私を見つめた。

「怖くないんですか?」

 私は、少し考えた。

「……何が?」

「……私が」

 その声は、朝から聞いてきたどの声よりも小さかった。

 私は、真宵ちゃんの手を見た。

 握っている。

 ちゃんと、触れられる。

 少し冷たい。

 けれど、確かにそこにいる。

「……真宵ちゃん」

「はい」

「……私にもね、ほかの人には見えない、大切な人がいるんだ」

 真宵ちゃんは、黙った。

「……だから、見えないことは、怖いことじゃないよ」

 私は、微笑んだ。

「……それに、真宵ちゃんは何も悪いことしてないでしょう?」

 少女は、答えなかった。

 私は、そっと手を握り直した。

「……行こうか」

 真宵ちゃんは、しばらく俯いていた。

 それから。

「……はい」

 小さく答えた。

     *

 午後十時。

 私たちは、まだ歩いていた。

 何度も休憩した。

 コンビニで飲み物を買った。

 ベンチに座って足を休めた。

 それでも、目的地には着かなかった。

 私は、さすがに疲れていた。

 足が重い。

 肩も痛い。

 眠気もある。

 けれど、真宵ちゃんは元気だった。

 私は、もう驚かなかった。

 きっと、そういう子なのだ。

 そう思うことにした。

「……日和さん」

「……うん?」

「もう帰った方がいいですよ」

 私は、首を振った。

「……まだ、見つかってないよ」

「でも、日和さんが倒れてしまいます」

「……大丈夫」

「大丈夫そうには見えません」

 私は、少し笑った。

「……真宵ちゃん、優しいね」

「茶化さないでください!」

 怒られてしまった。

 でも。

 少し嬉しかった。

 真宵ちゃんが、私を心配してくれている。

 それが、何だか嬉しかった。

     *

 午前二時。

 私たちは、住宅街のベンチに座っていた。

 私は、靴を脱いで足を休めていた。

 靴擦れができていた。

 痛い。

 かなり痛い。

 けれど、歩けないほどではない。

「……日和さん」

「……うん?」

「もう、やめましょう」

 真宵ちゃんが言った。

 私は、顔を上げた。

「……どうして?」

「どうしても何もありません!」

 真宵ちゃんは、少し怒っていた。

「朝からずっと歩いているんですよ! 学校まで休んで!」

「……うん」

「普通、そこまでしません!」

 私は、少し考えた。

 確かに。

 普通ではないのかもしれない。

 でも。

「……真宵ちゃん」

「はい」

「……お母さんに、会いたいんでしょう?」

 真宵ちゃんは、口を閉じた。

「……だったら、もう少しだけ」

「……日和さん」

 少女は、俯いた。

「……もう、いいんです」

 私は、少し驚いた。

「……え?」

「もう、いいんです。日和さんは帰ってください」

 私は、真宵ちゃんを見つめた。

 その顔は、少し悲しそうだった。

 私は、ゆっくりと首を振った。

「……嫌だよ」

「……どうして」

「……真宵ちゃんを、一人にしたくないから」

 少女は、何も言わなかった。

 私は、少しだけ笑った。

「……ごめんね。頑固で」

「……本当に、頑固です」

「……うん」

 私は、頷いた。

「……よく言われる」

 真宵ちゃんは、少しだけ笑った。

     *

 午前四時。

 私は、とうとう歩けなくなった。

 足が動かない。

 膝が震える。

 立ち上がろうとしても、力が入らなかった。

「……あれ」

 私は、少し困った。

「……おかしいな」

「おかしくありません!」

 真宵ちゃんが、怒った。

「これだけ歩けば、誰だってそうなります!」

「……そうだよね」

「そうですよ!」

 私は、ベンチに座り直した。

 身体が重かった。

 眠かった。

 頭も、少しぼんやりしている。

「……ごめんね」

 私は、真宵ちゃんを見た。

「……まだ、お母さんのところに連れていってあげられなくて」

 真宵ちゃんは、何も言わなかった。

 私は、少しだけ笑った。

「……私、役に立たないね」

「……そんなこと」

 真宵ちゃんが、何かを言いかけた。

 けれど、言葉を止めた。

 私は、背もたれに身体を預けた。

 肩に、お母さんがいた。

 白いものが、私の首筋に触れている。

 いつもどおり。

 私は、そっと指で触れた。

 冷たい。

 安心する。

「……真宵ちゃん」

「……はい」

「……少しだけ、休んでもいい?」

 真宵ちゃんは、しばらく私を見つめていた。

 それから。

「……はい」

 小さく答えた。

「……ゆっくり、休んでください」

 私は、微笑んだ。

「……ありがとう」

 目を閉じた。

 ほんの少しだけ。

 足を休めるだけ。

 そう思っていた。

 けれど、身体はもう限界だった。

 意識が、ゆっくりと遠のいていく。

 最後に聞こえたのは、真宵ちゃんの声だった。

「……本当に、変な人です」

 その声は。

 少しだけ、泣きそうに聞こえた。

     *

 八九寺真宵は、ベンチに座る少女を見つめていた。

 守谷日和。

 朝、偶然出会った女子高生。

 自分のために学校を休み、一日中歩き続けた人。

 警察官に自分の姿が見えないと分かっても、逃げなかった人。

 そして。

 とうとう、疲れ果てて動けなくなってしまった人。

「……馬鹿ですね」

 真宵は、小さく呟いた。

 返事はない。

 日和は、静かに呼吸している。

 真宵は、その顔を見つめた。

 こんな人は、初めてだった。

 自分が何者なのか、薄々気づいているはずなのに。

 それでも、普通の女の子として接してくれた。

 母親に会いたいという願いを、笑わなかった。

 諦めなかった。

 最後まで。

「……どうして」

 真宵は、唇を噛んだ。

「……どうして、そこまでしてくれるんですか」

 答えはなかった。

 日和は、眠っている。

 真宵は、そっと手を伸ばした。

 日和の制服の袖を握る。

 小さな手で。

 ぎゅっと。

「……ありがとうございます」

 誰にも聞こえない声だった。

 夜明け前の空は、まだ暗い。

 けれど、東の空が、ほんの少しだけ明るくなり始めていた。

 真宵は、日和の隣に座った。

 そして、待つことにした。

 この人が目を覚ますまで。

 今度は、自分が。

 一人にしないでいようと思った。

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