飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
まばゆい光の塊を背に、それは告げた。
「いま、人の世は救いを求めておる……。近いうちに、心惑う者どもが世を騒がすであろう。そなたはその救い主として働くのが
乙三は光を背負う大ぶりな鳥の影に問う。これも何度目の質問か分からない。
「迷える者の救い主て、まるでヒーローやな。……確かにヒーローには憧れるけど、なんでおれやねん。他にもっとシュッとした体力のある若い奴が、ぎょうさんおるやろ」
「時が来たれば『
影は乙三の問いには応じない。いつものことだ。
「なあ、鳶の神さん! 答えてんか」
学がない乙三には光の中にいる影がどの種の鳥か見当がつかないが、自身の職に照らして鳶であろうと思い込んでいた。
「なあって!」
乙三はせんべい布団を跳ねのけて飛び起きた。寝汗がU首のシャツとステテコをじっとりと濡らしている。
見慣れた築45年のアパートの一室。1K8畳のカーテンがない窓の外で、地方都市のはずれののっぺりとした風景が、じんわりと朝の光を滲ませている。
乙三は狭い台所で蛇口から直接水を飲むと、鏡を覗き込んだ。
近頃は年相応に老いを感じたりするものの、同世代のホワイトカラーよりは体力に自信がある。最後に同窓会に出たのは随分と前になるが、その時ですら同窓生たちは腰が痛いの四十肩だのと嘆いていたものだ。
コンプライアンス準拠の気乗りしない作業服一式に着替えた乙三は、鳶職に向いていると言い難い先芯入りのごつい安全靴を履き、フードデリバリーのような大きなバックパックを背負ってアパートを出た。
走るのが不思議なぐらいガタガタの中古のスーパーカブに跨り、まずはコンビニに立ち寄って、昼食と飲み物を買い込む。いつものおにぎりとサンドイッチ、2Lの麦茶、ブラックコーヒー。
朝の混み合う時間帯、同じ現場で働く男たちも入店してくる。
乙三はその中の顔見知りに目を止めた。
「よっ。おはようさん」
乙三の挨拶に、元木は「……ッス」と、小さく頭を下げた。何度か言葉を交わしたことがある程度の関係だが、顔見知りの職人と挨拶を交わすことは、乙三にとって仕事へのこだわりのひとつだった。人間関係の良し悪しは、仕事の良し悪しに繋がると信じている。
ふと、二人の目がレジの方を向く。なにやら騒がしい。
店員がひとりの客に声を掛けている。この店でよく見かける中年のサラリーマンだ。
「あの、お客様……。他のお客様のご迷惑になりますので……」
店員の制止を無視して、中年サラリーマンはセルフレジのひとつを占有し、延々と操作し続けた。
惣菜パンと野菜ジュースのふたつだけを手にして、バーコードを交互に読み取らせては、「よしよし、よく読めたな」「どうした、なんで読めない!? おまえの力はこんなもんじゃないだろう!(`・ω・´)」「そうそう、それでいいんだ!」「俺はちゃんとおまえを見ているからな!」などと機械を励ましている。
他の客たちは気味悪がって別のレジに行列するか、諦めて店を出ていった。外からやって来る客のほとんどは、そのままUターンして他店に向かう。
「……なんすか、あれ」
元木は呆れたように、あるいは嗤うように鼻を鳴らした。
中年サラリーマンにまとわりつく異様な気配。乙三は直観した。
――あいつが『心惑う者』やって言うんか……?
「すまん、元木。これ持っててくれ!」
乙三は手にしていた商品を元木に押しつけると、店を飛び出した。カブの荷台に縛っていたバックパックをむしり取って、隣のマンションの目隠しの生垣を肥満体に似つかわしくない身軽さで乗り越える。
「偏心!」
偏心――それは乙三の決意や専心を意味する。乙三の感覚では、偏心することにより平均して4%ほど強くなれる気がした。そう、『気がする』だけだ。
乙三はバックパックから衣装を取り出し、着替え始めた。あまりにも度々同じ夢を見るので、鳶の神が言うヒーロー活動に備えた衣装を持ち運んでいたのだった。
中年男の太鼓腹丸出しのパンツ一丁姿に、朝食中だったマンションの住人が箸を止めて目を丸くしているが、気にしている暇はない。
ダボッとした鳶服の上下に手甲と地下足袋をまとい、ヘルメットを目深に被ってベルトを締め、老眼鏡で変装する。その双眸はまるで往年のケ◯ト・デリカットのようだ。
こうして乙三は昔ながらの鳶職人の姿になった。今の現場では、法が求める安全性を担保できないために纏うことが許されない鳶装束。だが乙三にとっては、この動きやすく足裏感覚に優れる装束こそが、安全を保障する装備だった。
コンビニでは中年サラリーマンによる、松岡◯造もかくやというセルフレジ機のコーチングが続いていた。一足先に駆けつけた二人組の警官が説諭しつつレジから引き剥がそうとするも、中年サラリーマンは驚くべき腕力でカウンターにしがみついて離れようとしない。
「俺とこのレジ君の情熱は! 誰にも止められない!」
「待てぇい!」
乙三は再びコンビニに突入し、仁王立ちで中年サラリーマンを睨めつけた。警官たちの顔にはありありと『なんだかややこしいのが増えた』と書いてある。
「あなた誰ですか!? さがっていなさい!」
「おれか? おれは唯野……やない、通りすがりの鳶職や!」
言い慣れない芝居じみたセリフに乙三の舌がもつれた。
サラリーマンは色めき立つ。
「トビショック!? 特撮ヒーローでも気取ってるつもりかっ!」
「トビショック......? まあそれでええわ。けど、ヒーローなんて大層なもんやあらへん。見ての通りの、ただのおっさんや」
「ただのおっさんは鳶服なんて着ない!」
乙三は中年サラリーマンのツッコミを無視してセルフレジに歩み寄り、『商品点数:128 合計¥17280』と表示されているタッチパネルの隅の『全取消』ボタンを押した。
ピッ、とレジが反応する。『商品点数:0 合計¥0』
「もうやめとき。みんな困っとるやん。なにがあったんか知らんけど、人様に迷惑をかけるのは違うわ。……な?」
「おっ、おっおっ……おまえぇっ!! 俺とレジ君の努力の証をぉっ!」
激高したサラリーマンは乙三に殴りかかった。警官がふたりがかりで押さえようとするも、リミッターが外れた馬鹿力は止められない。
乙三に向かってブンと突き出される拳。だがそれは空を切った。
次いで繰り出された二の拳、三の拳も、乙三は手のひらを軽く当てる程度で軽くいなし、狭い足場で鍛えた体捌きでヒラヒラと躱す。
やがてゼエゼエと息を切らしたサラリーマンの背後を取ると、乙三は寝技に持ち込むようにして四肢を絡みつけた。
「なっ……何をするっ! 離せっ!」
サラリーマンはジタバタと暴れたが、乙三の体躯はまったく動じない。
「ヒュウマニティ・バイブレイション……!」
乙三が念じながら叫ぶと、なにかの波動が男に流れ込む気がした。
乙三はサラリーマンの耳元で囁く。
「男はつらいことが多いわな……。男でも……いや男やからこそ、しんどいときも、泣きたいときかてあるもんや。……なあ、あんたの身に一体何があったんか、おれに聞かせてくれへんか……」
「おっ……俺……。俺はっ……」
サラリーマンの目にじわりと涙が浮かび、声が震えた。
「毎日毎日、家族のために片道2時間半かけて通勤して……上司のパワハラに耐えて……残業もして……っ。なのに、妻も娘も冷たくて……。給料が安い、家事をしない、家族サービスもないって……。休みは不規則で、家にいられる時間なんて、一日6時間もないのに……っ! そしたら、いつも文句を言わずに接客してくれる、このセルフレジが急に愛おしくなって……! 最近バーコードの読み込みが甘いから、特訓して元気づけてやりたくてっ……!」
「そうか……。大変やったな……。男やから泣かんとこう、弱音吐かんとこうとしたら、ほんま逃げ場あらへんよな……。おれもな、儲からん仕事で嫁と娘に似たようなこと言われて離婚されたさかい、気持ちはよう分かる……」
「分かって……分かってくれるのかっ……!」
乙三が四肢を緩めるとサラリーマンは乙三に向かい、泣く子のようにしがみついた。
乙三の無骨な手がサラリーマンの背中を何度も撫でさする。
警官の片割れが同情の目を向け、小声でコンビニの店長にこのトラブルを事件化しないことの確認を取ると、もうひとりの警官を連れて交番に撤収していった。
いつしか店外にはマスコミが陣取っており、むさ苦しい鳶職人と中年サラリーマンの熱い――否、暑苦しい抱擁を中継している。
ネット掲示板では興味本位の実況に花が咲いていた。
『リーマンがキチゲ解放してて草』
『氷河期世代の無敵の人やろなぁ』
『おっさんふたりが抱き合う地獄絵図』
『ウホッ事案キタコレ』
『誰だよこの鳶装束のおっさん』
『トビショックって言うらしい』
『クソダサすぎワロタ』
やがて中年サラリーマンは泣き疲れて落ち着きを取り戻した。乙三はその手を引いて立たせてやる。彼がまとっていた悪い気配は、もう感じない。
「さ、急がんと仕事に遅れるで」
乙三はレジ横に置かれたサラリーマンの惣菜パンと野菜ジュースを会計し、手渡した。
「今日はおれの奢りや。仕事はあんまり気負わんと、同僚もあてにしたらええ。そのぶん家族にかまけたり。家族もきっと寂しいんや」
「……ありがとうございます……」
中年サラリーマンはまわりの人間全員に頭を下げて、とぼとぼと店を出ていく。
マスコミはサラリーマンを追いかけてインタビューしようとしたが、乙三はその前に立ちはだかって、サラリーマンを行かせた。
「あんたらかて、似たような思いはしたことあるやろ。そっとしといたってんか。……な?」
乙三が立ち去ると何人かのマスコミはこの奇妙なヒーローを追ったが、乙三は身軽にフェンスや植栽を乗り越えて巻いた。
乙三が元の作業服に着替えてコンビニに戻ると、元木は乙三の買い物を返しながら不満げに呟いた。
「何すか、さっきの鳶装束……」
「えっ?」
「トビショックのことですよ。いい歳してヒーローごっこですか」
「なんや、早速正体バレとるんかいな。参ったな……」
乙三の脳裏を、夢で見た鳶の神の言葉がリフレインする。『ただし正体を知られることなく、世のため人のために尽くすべし……』
「バレるもなにも、見た目そのまんまじゃないすか」
「いやいや! セーラー◯ーンなんて素顔でもバレへんやん? スーパー◯ンかて眼鏡だけや。おれも老眼鏡かけとったやろ」
「セー◯ームーンと一緒にされても……」
「……実はな、おれ、日本人の113%に身バレしてもうたら、一生水虫にされてまうんや」
「……は? 誰にですか」
「その……神様に、や!」
元木は呆れ気味に溜息をついた。
「なんの話かよく分かりませんけど、113%って日本の総人口を超えてますよ」
「……そうなんか? 算数は苦手なんや。ほな、聞き違えかな……。何%て言われたんやろ」
「知りませんよ。大体、とっくに水虫なんでしょ? 前に言ってませんでした?」
「今はカサカサやけど、グジュグジュのえげつないのにされるに決まっとる! 相手は神様やぞ!」
「それでも、水虫では死にませんよ」
「いいや! 死ぬねっ! 鳶やから死ぬ!」
乙三のあまりの剣幕に、元木は白目を剥いた。
「なんでですか」
「足場に登ってる最中にめっちゃ足痒くなってみい! 気ぃ取られて足滑らすやろ!」
「……そういうもんすか? 土工の俺には分かりませんけど……」
「そういうもんや! 土工はゴム長が必須やから、元木もじきに水虫になって、もっとひどい目ぇ見るで! ……まあ、そういうわけやから、誰にも内緒にしといてや」
「……どうでもいいっす。俺には関係ないんで」
乙三は一瞬絶句した。
「今日びの若い奴は淡白やなあ……」
「おっさんが暑苦しいだけっすよ」
「おっさん言うな! オツさんや! みんなみたいにオツさんと呼べ!」
「はいはい、オツさんオツさん」
元木は先に会計を済ますと、さっさと店を出ていった。
乙三が買い物を済ませて追いかけたときには、もう元木の姿は見えなかった。
街のどこかの、暗く埃っぽい空間――。
ゆらりとふたつの影が揺れる。
それらは実体を持たないエネルギーの塊に近かったが、ひとつは若い気配を、もうひとつは年配の気配を漂わせている。
年配の気配が、若い気配の前に膝をつく。
「アークマン様。ご指示の通りに、男性サラリーマン一名の秘めたる鬱屈を解放させて参りました」
「うむ。男は悪事を働いたか?」
「はい。アークマン様の狙い通りに、とんでもない迷惑を。……が、邪魔が入りましてございます」
「邪魔だと? 我の邪魔をする者がいるというのか」
「はい。その者が『ヒュウマニティ・バイブレイション』なる技で、男のストレスを浄化したようで……」
「マジか……」
「マジでございます」
「まあいい。ともあれ、我らはこれで悪の覇道を歩み始めたということだ。よくやった、ジッジィ」
「ははっ」
ふたつのエネルギーがゆらめきながら、低くくぐもった笑いを闇に響かせた。