飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
うららかな日曜の昼下がり。キャンプ場のバイク置き場で、乙三はわずかに顔をしかめながらカブを降りた。
「ここなら、キチゲ予報と矛盾せえへんな……」
辺りには鼻にまとわりつく、なんとも言えない臭気が漂っている。
「これが『破滅の序曲』とか言うてたやつか?」
臭気をたどっていくと、一張りのテントの前で、男ふたりが言い争っている。話の内容からして、会社の上司と部下だろう。
年嵩の上司らしき男が怒声をあげる。
「いつになったらまともな契約を取れるようになるんだ! 休みばっかり一丁前に要求して!」
若い部下も負けてはいない。
「安月給でこき使っといて、よくそんなことが言えますね! 結果を求めるのは相応の給料を出してからにしてください!」
「なんだと!? 外回り中にパチンコ屋でサボってることぐらい、こっちはお見通しだ!」
「自分だけキャンプに家族を連れてきて、部下にパシリをさせるなんて最低だ!」
テントから離れた場所で、上司の家族だろう女性と少女が、呆然と立ち尽くしている。
それは『緑あふれる地で、憎しみあう者たちが破滅の序曲を奏であうであろう』というアークパーソンのポストと合致していた。
ふたりに近づいていくだけで、乙三はむせ返る。ドブ川の底から掬い上げて数日間炎天下に放置したヘドロと、長いこと掃除していない公衆便所のニオイを混ぜ合わせたような悪臭だ。
上司の男はシュールストレミング(とても臭い発酵食品)の缶、部下のほうはエピキュアーチーズ(非常に臭い発酵食品)のパックを手に、ただならぬ気を纏って互いをなじりあっている。
「大体おまえはワキガが臭いんだよ! 営業なんだから身だしなみはしっかりしろと何度も言ってるだろう! このシュールストレミングより臭いぞ!」
「外回りしてれば汗臭くなるに決まってんでしょう! 課長こそ足が臭い! このチーズより臭い! なのに、なんでいつもデスクに裸足を乗せるんですか! オフィスのみんなが迷惑してるんだ!」
「水虫だから仕方ないだろう! おまえのワキガだってみんな我慢してるぞ!」
とうとう上司はシュールストレミングを菜箸で崩しながら部下に向け撒き散らす。
部下は対抗してエピキュアーチーズを十徳ナイフでスライスし、上司のほうに飛ばす。
「ワキガのほうが体質だから仕方ないんだ! モラハラだ!」
乙三は爆臭にクラクラしながら、男たちに声を掛けた。
「おふたりとも、そこらでしまいにしましょ……。お互いスメハラってことで……。他の人たちのキャンプを台無しにしたらあかん……」
上司と部下は同時に怒鳴った。
「「他人はすっこんでろ!」」
「……ハイ……(´・ω・`)」
乙三がすごすごと引き下がったところに、マスカーバディとセーラーヴァルダが逆方向から現れた。
「なんだ、クソオスか」とセーラーヴァルダ。「ここはハゲと養生テープで対応なさい。ふたり同時にやらないと、そのとてつもなく臭っさいの、身体にぶち撒けられるわよ」
セーラーヴァルダはフフンと笑った。トビショックとマスカーバディが汚臭にまみれるのを期待しているのだ。
マスカーバディも不敵な笑みを返す。
「もちろんボクらでやるつもりだよ」
「減らず口を……!」
セーラーヴァルダは顔を引きつらせて撤退していった。
マスカーバディは悪臭男ふたりに両腕を広げる。
「さあ、ボクに癒して欲しいのはどっちかな?」
乙三は驚きを隠せない。「ちょ、ふたりとも男やで! あんた女やろ! ええんか!?」
「構わないよ。ボクはトビショックの味方だからね」
「み、味方……?」
「ふたりで一気に解決するよ!」
「お、おう」
悪臭男たちはどちらもマスカーバディのたわわな胸に目が釘付けだった。
「お嬢さん! こんなカスみたいな部下を持たされた私を癒してくれえ」
「パワハラ上司に毎日虐げられてる自分こそ、癒されるべきですっ」
上司の妻が鼻の下を伸ばしている夫に青筋を立てる。
「あなたっ!」
「ひいっ!」
上司が怯んだ瞬間、担当は決まった。
「ヒュウマニティ・バイブレイション!」
「ソラス・コクーン!」
トビショックは上司を、マスカーバディは部下を抱きしめ、必殺技(殺さないが)を放った。
「若い部下ってのは、ままならんもんや。おれも若い頃は色々やらかして、よう叱られたわ。課長さんはどないです? 彼は今、あんな気持ちを味わっとるんとちゃいますやろか」と乙三。
「年上って、ボクらよりも人生経験があるってことだよ。いいところは学べばいいし、ダメなところは反面教師にしたらいいんじゃない? 争う必要はないよ」とマスカーバディ。
トビショックとマスカーバディがうっすらと浮かべた涙に上司と部下は心打たれたようだが、それが悪臭にえずきそうになるのをこらえているせいだということに、彼らは気づいていない……。
「さっきは助かったわ。おおきにな」
興味本位に追いかけてくるキャンパーたちを撒いた乙三は、マスカーバディに握手を求めてから、手を引っ込めた。セクハラかもしれないと遠慮したのだ。
そのゴツゴツした手を、マスカーバディは両手で包むようにする。
「ボクこそ、お礼を言わないと。ボクがこの活動を始めて生きがいを見つけられたのは、トビショックに感銘を受けたからだよ」
「おれに……? 感銘やて……?」
ふたりの前にセーラーヴァルダが現れる。
「マスカーバディ! あんたやっぱり、クソオスに加担する名誉男性ね!」
「なんや、帰ったんやなかったんか」
セーラーヴァルダの口の悪さに乙三は呆れた。ふたりの間にマスカーバディは壁のように立つ。
「そうだよ。いけないかい?」
「女のくせに女の敵に回るなんて!」
「まさか。ボクはね、ボクとトビショックの味方さ。そのために男性も女性も関係なく助ける。それだけだよ」
「ハゲの味方? 語るに落ちたね! 男に媚びを売ってなにが楽しいの? この偽善者!」
「偽善者にすらなれない君に言われてもね」
マスカーバディがクスクスと笑うと、セーラーヴァルダは顔面を赤黒く充血させた。
「……いつか吠え面かかせてやるから! 覚えてなさい!」と姿を消す。
「……ええんか、あんな喧嘩売るようなこと言うて」
案じる乙三には答えず、「じゃ、またね!」とマスカーバディも去っていった。
その夜、トビショックのSNSアカウントにアークパーソンからDMが届いた。
『今日もキチゲマンを浄化したのだな。マスカーバディなる者は、トビショックの味方か?』
『彼女はそう言うとるな。正直、おれにはよう分からへん。どうかしたか?』
『我の敵対者がつるむのは気に入らぬ。正義のつもりならば、ひとりで掛かってくるがいい』
『おまえだってジッジィがおるやんか。それにおれは正義をやってるつもりなんてあらへん。おまえのことも、敵と思ってへんかもしれん』
『曖昧な奴だ。ジッジィは我よりいでし、分身のごときもの。ゆえに、ともに悪の覇道を歩むのは当然かつ必然』
そのメッセージを読んだ乙三は、瞬間、アークパーソンの孤独を見た気がした。
『一度、直接会うて話できへんか?』
乙三は思わず、そう送信していた。
「アークパーソンのアジトに行くことになった。力を貸してくれへんか」
現場での休憩中、乙三は元木を捕まえるなり、そう頭を下げた。何日も避けられていたからだ。
「えっ……」
一瞬絶句したものの、元木は淡々と応じる。
「俺よりも、マスカーバディと行くほうがいいんじゃないすか」
「連絡先を知らんねん。それにアークパーソンをどうにかしたいわけやないんや。話をしに行くねん。元木も一緒に行って、あいつの友達になったって欲しい」
「はあ?」
元木はさすがに驚きを隠せなかった。
「確かにあいつはガチの
「……そこや。おれは咄嗟にそういう判断ができへん。つい情に流されてまう。せやからトビショックの頭脳担当として、ついてきてくれ。おれが判断を間違えんように」
逡巡する元木に、乙三は続ける。
「こないだ、あいつが言うたんや。ジッジィはあいつが作った分身やて。つまり……あいつは生まれてからずっと、
「アークパーソンが、ぼっち……?」
「ファンアートの賞品の話のとき、あいつの行動の理由を読んでくれたやろ。一緒に行って、おれに読めへんあいつの気持ちを読んでくれ。この何日か、鳴らへん特小(無線)を持ってて分かったんや。トビショックは、おれと元木のふたりで偏心するもんなんやって」
乙三は深く頭を下げた。