飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「なあ。そのタライを下ろして、落ち着いて話さへんか。兄さんも疲れたやろ」
巨大な金盥を頭に乗せた若い男に、乙三は語りかけた。無論トビショックに偏心している。
男は商店街を右に左にとふらつきながら、ゆるゆると進む。頭が揺れるたびに金盥からジャラジャラと金属がこすれ合う音がして、チャリチャリと硬貨がこぼれ落ちる。
金盥には硬貨が文字通り山盛りになっているが、すべて10円以下の硬貨で、50円以上はない。子供銀行のプラスチックのコインも何割か混ざっている。
男の後ろには硬貨を拾ってホクホクの子供やそれを諌める大人、親切心で硬貨を回収する者、好奇心だけの野次馬にネット配信者などがハーメルンの寓話のごとく続き、商店街をカオスにしていた。
駆けつけたセーラーヴァルダはハァハァと肩で息をつき、ベネチアンマスクの上からでも分かる鬼の形相を浮かべる。
「……またクソオスか……!」
キチゲ化したのが男なら、助ける気などさらさらなかった。
だがタライ男に懸命に声を掛けるトビショックを見た瞬間、ちょっとした思いつきが頭をよぎる。
セーラーヴァルダは老齢の女性がひとりで仕切っている衣料品店に飛び込むと、一番安いコートを買い求めた。
「タッチ決済でお願い」
「ウチはやってないのよ、ごめんなさいねぇ」
老女はセーラーヴァルダの奇矯な姿にも全くの無関心だった。
「じゃあQRコードで」
「ウチはやってないのよ、ごめんなさいねぇ」
「チッ……ならクレジット」
「ウチはやってないのよ、ごめ……」
「……現金でいいわ! 早くして!」
店主はおっとりと勘定を済ませる。
「袋は……」
「要らないっ!」
セーラーヴァルダはコートをひったくるようにして裏路地に飛び込むと、値札がついたままのそれを着込んでセーラー服を隠し、ベネチアンマスクを外した。通りすがりの一般人を装うためだ。念のため、綺麗にセットした前髪を下ろして目元を隠す。
そしてタライ男に話しかけながら後ろ歩きするトビショックにぶつかるよう、横道からまろび出た。
「きゃっ!」
ヴァルダはナヨナヨと倒れ込んでみせたが、短足低重心でメタボなトビショックはどっしりと揺るがない。
ヴァルダの算段では、トビショックが詫びを入れたところで怪我をしたなどと因縁をつけてキチゲマンの浄化を阻み、被害(?)を拡大させるはずだった。トビショックに恥をかかせたい一心だった。
が、乙三はそのまま気づかずに進んでいく。続く野次馬たちも見向きもしない。
「え……? あ、ちょっ……」
乙三の無線に元木の声が入る。
『いま女の人とぶつかりましたよ』
「えっ? 怪我してそうか?」
『全然。わざとぶつかって受け身を取ったように見えたっすけど』
「そんなことする人おらへんやろ。悪いけどフォロー頼むわ」
『了解』
ハーメルンの行進の最後尾で自転車を押していた元木は、モルタル壁のような厚化粧の四十がらみの女を助け起こした。
「大丈夫っすか」
元木のフォローはビジネスライクながらも、気遣いを感じさせるものだった。警官志望だった元木のこういった行動には、下心も媚びもない。
いつもなら『クソオスは触るな!』と叫ぶはずのヴァルダは、この瞬間、なぜか胸の奥に『キュン』という音を聞いていた……。
「今日のKMはどういう人だったんですか?」
乙三の部屋で佐津川が尋ねた。乙三と元木の3人で、飲みの最中である。
「少ない給料から小銭をコツコツと貯金しとったらしいんやけど、何年もかけてペットボトルに貯めたコインを数えてみたら何万もなくて、キレたところをキチゲ解放されたっぽい。子供銀行のコインでかさ増しして、ばらまいて歩いて金持ち気分を味わってみたかったらしいわ」
「あれって、金持ちの真似だったんすか?」と元木。「どこの世界線から来たんだろう」
「言うてキチゲマンやからなあ。なんか変な回路が繋がってしもたんやろな」
「人の心は複雑ですね……」
かつてボディペイントでブロック塀に溶け込もうとした佐津川は、感慨深げに言った。
「佐津川さんが言うと深みがあるっすね……」
「そうそう、元木。おれがこかしてしもた女の人、どないやった?」
「ああ……最初は平気に見えたんすけど、なんかボーッとしだしたんで、念のため近くの医者に連れてきました。脈が早くて血圧が高めだったぐらいで、問題ないって。40過ぎのオバサンだったんで、そういうもんなんじゃないすかね」
「そんなことがあったんですね」と佐津川。
「俺は何もしてないのにお礼したいとかって、スマホの番号聞かれて。ちょっと引いたっす」
「教えたんですか?」
「あんまりしつこいんで。オツさんを待たせたくなかったし。
「ロマンス詐欺とかありますから、気をつけてください」
「ないっす。親子ぐらい年離れてるんで。気をつけなきゃなのはオツさんっすね」
「へ? なんやいきなり」
「マスカーバディに好かれてるんでしょ?」
「それこそないない。あの子、たぶん二十歳そこそこやで。親子より年離れとるわ」
「それはいけませんね」佐津川が身を乗り出す。「手を出したら自分が逮捕します」
「手を出すつもりはさらさらないけど、向こうかて成人やんか」
「自分は子を持つ親として、たとえ成人でもそのあたりは譲れないものがあります」
「……おれかて、これでも娘おるんやで。……会えへんけど(´・ω・`)」
佐津川と元木は同時に「「あっ」」と気まずい顔をした。
帰宅する元木と佐津川を途中まで見送った乙三は、その足でケーキ屋に立ち寄った。
売り切れの品が多い中、一番値の張るケーキを1ピースだけ買って帰る。
ひとり暮らしで皿など用意しないことも多い乙三だったが、ケーキはきちんと皿に載せ、蝋燭を一本立てて、火を灯す。
「ハッピーバースデー、
ひとりごちた乙三は、蝋燭が燃え尽きるまで凝視すると、誰もいない部屋で静かにケーキを食べた。
娘の佳奈の26回目の誕生日。乙三はスマホからお祝いのメッセージを送ったが、返信が来ることはなかった。
「なあ、ジッジィ……。我は本当に悪の覇道を進めておるのだろうか」
その日、アークパーソンはアジトの廃工場でたそがれていた。
「いかがなさいました。弱気こそ覇道の妨げでございますぞ」
「トビショックの話を総合するに、どうもキチゲ解放は純粋悪と言えぬようなのでな」
「アークマン様は人間どもを憎んでおられるわけではありませんから、致し方なきこと。アークマン様流のベストな悪を尽くしておられるかと」
「……そこはワーストではないのか? いや、ベスト? どっちか分からぬな」
「とにかく、アークマン様、ファイトっ! 」
「うむ。……ところで今日も人間どもが騒がしいな」
「表にいつもより大勢たむろっておるようです。なにを話しておるか、聞いてまいります」
「気取られぬようにな」
「はっ」
数分後。
「アークマン様、大変でございます」
「どうした。人間どもが良からぬことを話しておったか」
「は、まさに……。それが……」
「?」
「この廃工場を取り壊して更地にする、と……」
「えぇ……(´・ω・`)」
「……考えましてございますが、SNSで助けを求めれば、アジトを提供しようという人間もおりますのでは……」
「それでは覇道を往く悪の首魁のイメージが台無しではないか」
「ごもっとも……。……そうだ! こういうときこそトビショックでございます!」
「む?」
「お友達になられたのでございましょう? 助けを求めてみられては」
「友達まではいっておらぬ。それに悪の首魁としてだな……」
「悪の首魁であればこそでございます。ヒーローを我らに都合のいいように利用してやるのです。これこそ立派な悪事!」
ジッジィの口髭を蓄えた口元がニヤリ、と笑った。
「ジッジィ……。おまえは天才か……!」
アークパーソンは乙三のSNSにDMを送信する。
『トビショックよ。我にアジトを提供させてやる。ありがたく思うがよい』
『アジト? 提供? いきなり何の話や?』
『我に新しいアジトを用意せよ』
『なんでや?』
『必要なのだ』
『だからなんで』
『困った者に手を差し伸べるのがヒーローではないのか』
『そうやけど、おれはヒーローなんて上等なもんやないから』
『いいから、新しいアジトを用意するのだ。用意しないなら悪いことをしてやる』
『なにを』
アークパーソンは返信に困った。キチゲ解放以外になにができるか思いつかない。
『なんかやる』
『だからなにを』
『めちゃめちゃ残酷で、狡猾で、身の毛がよだち血も凍るような悪魔の所業を』
『具体的に』
アークパーソンがいよいよ返信できずに困り果てていると、しばらくして廃工場の扉が三三七拍子でノックされた。
「おれや。トビショックや」
乙三が仕事を放り出して駆けつけたのだった。
「……で、アジトを用意しろって、なんのこっちゃ。詰めたら黙り込むし、気になってしもて、職長に『パンツ穿いてくるの忘れた』言うて早退してしもたわ」
「……」
「アークマン様。ここは思い切って、正直にお話しされては……」
「……トビショックよ。これは脅迫である。我らに新たなアジトを用意せよ。でなければ、有葉市を大混乱に陥れる」
「……」(←乙三)
「……」(←アークパーソン)
乙三は居住まいを正した。
「……友達として言う。ちゃんと訳を話しなさい」
「はい……(´・ω・`)」
「……要はここが取り壊されるから、居場所がなくなるってことかいな?」
「以前の我らであれば、どこにでも侵入してアジトにできたが、若干ながら物理にとらわれるようになってきた今はそうもゆかぬのだ……」
「分かった。ええで」
乙三の笑顔に、アークパーソンは身を乗り出した。
「マジか!? どこを用意してくれるのだ? 人間どもを見おろせるタワマンの最上階か? それともアジトらしくジオフロントか!?」
「おれのアパートに来たらええ。ボロくて狭くて和式便器でバランス釜やけど、普通に生活はできる」
「えぇ……(;_;)」
「……おまえ、そういうとこ素直すぎて邪悪やわ(´・ω・`)」
佐津川はいつものように、交番から警らに出ようとしていた。
その眼前を乙三のスーパーカブがのんびりと通り過ぎる。
佐津川は絶句した。
「えっ……? 3人乗り……!?」
アークパーソンとジッジィをアパートに迎えると決めた乙三は、善は急げとばかりにふたりを乗せて案内するところだった。
佐津川は警笛を全力で吹きながら交番バイクで乙三のカブを追った。
乙三はすぐにカブを路肩に寄せて停めた。
「駄目ですよ! たとえ唯野さんだろうと、トビショックだろうと、3人乗りは交通違反です! しかも後ろのふたりはノーヘルじゃないですか!」
「我は悪の概念ゆえ、違反上等である」アークパーソンが胸を張る。
「いえ、そも違反に当たりません。わたくしとアークマン様はほぼ重量がございませんし、人間にカテゴライズされるものでもなく……ゆえに3人乗りにも、ノーヘルにも抵触せぬかと」ジッジィが穏やかに、だが毅然と告げる。
「え……? アークマンって……アークパーソン!?」
佐津川はいきなりの展開に混乱した。なぜトビショックが乙三の姿のままアークパーソンたちと一緒にバイクに乗っているのか、まったく理解できない。
乙三の言葉が混乱に追い打ちをかける。
「道交法の細かい解釈は分からへんけど、このふたりをアパートに連れてくだけやから、大目に見たって。な?」
「アパートに連れていく!? 悪の首魁を!?」
佐津川は白目を剥いた。
「このふたり、居場所がないんや。概念やから自分で部屋も借りれへんし、生活保護とかも受けられんやろ?」
「……なるほど……。概念なら仕方ありませんね……。……?」
「おおきに。ほな行くで。ふたりとも風で飛ばされんように、しっかり捕まりや」
佐津川は去っていく乙三のカブを、狐につままれたような顔で見送るしかなかった。
「……???」