飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「さあ、ここや」
アパートの前にカブを停め、乙三はアークパーソンとジッジィを2階の自室に上げた。
鉄製の外階段はゴンゴンと乙三の足音だけを立て、部屋の畳も乙三が歩くときだけギシギシと鳴った。アークパーソンとジッジィはほとんど足音がしない。
「狭いな」
「狭うございますな」
ふたりは部屋を見回して言った。
「それに古い」
「古うございますな」
「そう言うたやろ、念押しすんな(-_-;) やっぱ悪やな、おまえら……」
「うむ。何度も悪の首魁と言っておる」
「トビショック殿、もしや勉学が苦手でらっしゃいますかな」
「そういう意味ちゃう! 確かに学はないけども!」
乙三は冷蔵庫と戸棚の中身を確かめた。
「たいしたもんないけど、なんか食うか」
「我々は概念ゆえ、腹はすかぬ」
「食費かからへんのか? そりゃ助かる。ほな、おれだけ失礼するで」
乙三は冷蔵庫から取り出したエクレアにパクつく。
「……だが食ってやっても良い」
アークパーソンはエクレアを凝視していた。
「トビショック殿。アークマン様はそれをご所望ですぞ」
「エクレアがそんなに気になるんか? ……そうか、腹がすかんなら食うたことないんやな」
「うむ。まだ食事はしたことがない。実体の密度も低かったのでな」
「エクレアはこれ1個しかないんや。食いさしやけど、良かったら食うてくれ」
乙三は半分残っているエクレアをアークパーソンに差し出した。
「おっさんが囓ったのはやだ」
「おーまーえーなー 」
乙三はプイと部屋を出ていった。
「トビショック殿?」
「放っておけ、ジッジィ。人間には中年の僻みというものがあるらしい。トビショックがおらぬほうが、部屋を広く使える」
「ははっ」
だが15分ほどで乙三は帰ってきた。
「……なんだ、我らに部屋を明け渡したのではなかったのか」
「なんでおれが部屋代だけ払って追い出されなあかんねん」
乙三はコンビニ袋からエクレアをふたつ、ちゃぶ台に取り出した。
「おおっ! 気が利くではないか!」
アークパーソンはエクレアをふたつとも自分の前に手繰り寄せ、独り占めしようとする。
「待て待て。1個はジッジィのや」
「ジッジィはわが分身ゆえ、われがふたつとも食したところで……」
「だめ。ちゃんと分けや」
「ちぇー(´・ω・`)」
アークパーソンとジッジィはそれぞれエクレアを頬張る。
「こ、これは……!」
「美味とはこういうことを言うのでございますな」
「そ、そうだ。うまいと言えばいいのだな!」
「……そうか。うまいか」
乙三はにっこりと微笑んだ。
「ジッジィ、髭にチョコとクリームがついておるぞ」
「アークマン様こそ、口のまわりが汚れてございます」
ふたりは幸せそうに緩んだ顔で、互いの口元をティッシュで拭った。
乙三がアークパーソンたちのために現場を早退したあと、仕事を終えた元木は春田笛美と駅前で落ち合った。電話で呼び出されたのだ。
めかしこんだ笛美は、自転車を押して現れた元木に、厚化粧の下で頬を赤らめた。
「ごめんなさい、突然お電話して」
「それはいいんすけど……。俺、現場帰りだからこんな格好で。申し訳ないっす」
元木の作業着は土砂で汚れている上に汗臭い。いつもの笛美ならば、目を吊り上げて「不潔だ」「臭い」「女性と会うのにその格好はあり得ない」「これだから底辺男は」と叫んだことだろう。
が、口を突いて出た言葉は全く違った。
「気になさらないで。私が急にお呼び立てしたせいだもの」
時折ふたりとすれ違う男が、笛美をチラッと見やる。
それはふたりの服装のギャップもあったが、笛美が相応の容姿の持ち主だからだ。笛美はいわゆる美魔女の類で、間近に見なければ年齢を感じさせることはなかった。
「お話は、この先の公園でうかがっていいっすか」
「えっ……?」
笛美は元木を話があるからと呼び出したのを思い出した。本当はただ会いたかっただけだ。
男を相手にこんな気持ちになったのは、人生で初めてだった。いつの頃からかネットで男叩きをすることにハマり、ネットでのみ繋がったミサンドリストたちと溜飲を下げる毎日だった。セーラーヴァルダの活動を始めたのも、トビショック――すなわち男への当てつけだ。
「喫茶店ぐらい、私にご馳走させてください。このあいだ助けていただいたし……」
「この格好じゃ、店や他のお客さんの迷惑になるから」
元木の淡々とした、だが誠実な他者への気遣いに、笛美は内心で驚いた。彼女の父親は自営のブルーカラーだったが、外で一緒に過ごすのが恥ずかしいほどにガサツで無神経だった。これは勤め人と自営の差なのか、それとも30数年で男がそう変わったのか――そんなことを考える。
「なにがいいっすか」
元木にそう尋ねられて、笛美は戸惑った。
元木は自販機の前で足を止めている。笛美の飲み物の好みを聞いているのだ。
「わ、私が出します。元木さんはなにがお好きですか」
「いいんすか? ……じゃあ、スポーツドリンクを」
ペットボトルを受け取った元木の手は職人の無骨なそれだったが、綺麗に洗われていた。顔にも泥はねひとつついていない。服はどうしようもなくても、少しでも清潔にして笛美と会おうとしたのだろう。
「ゴチになります」
元木はペットボトルをカーゴパンツのポケットに突っ込んだ。不格好に膨れたポケットが、笛美の目には愛嬌に映る。
笛美は買い求めたフレーバーウォーターの小さなボトルを捧げ持つようにして歩いた。
笛美は改めて、なぜこんなにもこの男が気になるのか、と考えた。建設作業員としては悪くない雰囲気だが、見た目はそこそこでしかないし、金を持っている感じもしない。女としては、連れて歩いたところでアクセサリーにもステータスにもならない男だ。
元木は笛美ともども適当なベンチに腰を下ろすと、スポーツドリンクを口にした。
「仕事のあとはやっぱこれっす」
あたりはもうだいぶ暗く、まばらな街灯だけがふたりを照らしている。
元木はこの状況を持て余していた。笛美には用件らしい用件がないように見えるのだが、好意から誘われたという認識には繋がらない。恋愛対象に入っていないせいだ。
乙三や仕事仲間とならトビショックや現場の話ができるが、20ほども年の離れた異性とは何を話せばいいか見当がつかなかった。
「あの……笛美さんって名前、どなたが考えたんすか。やっぱご両親すか」
やっとの思いで話題をひねり出す。
「……私が考えました。父がつけた名前が、あまりにひどかったので……改名したんです」
笛美は自然にトラウマを切り出した自分に驚いていた。誰にも話したことはなかったのに……。
「そっすか……大変だったんすね。おれも雑な名付けをされたんで、ちょっと気持ち分かるっす」
「元木さんも?」
「両親揃って、なぜか絶対に女の子が生まれるって信じてたらしくて。智夏って女の子の名前しか考えてなかったらしいんす。そしたら生まれたのが男だってんで、『人』の文字を足して智夏人。雑っしょ? 一生のものなのに」
元木は苦笑いした。
「私の前の名前は……セイラ。……聖なる裸と書いて、聖裸」
まるでダムが決壊したかのように、笛美の喉から長年の秘密が溢れ出す。
「当時流行ってたアニメから、ノリで取ったって。漢字は冗談で、父の会社でネタにできるから、って。父は本当は、会社を継がせられる男の子が欲しかったんです。『おまえは女だから、せめて笑われて会社の役に立て』って、従業員の男たちと一緒に私を侮辱する……そういう人でした」
「そうだったんすね……」
「小学校からは、いじめの標的にされました。アルテイシアってあだ名でからかわれたり、名前負けしてるってよく笑われました。私、化粧で隠してるだけで、本当はブスだから……。化粧できないうちは、本当につらかった……。金髪さんって言われて、頭に黄色の絵の具をかけられたことも……」
「自分の責任じゃないところで人生が歪むって、きついっすね。納得のしようがないもんな……。俺は叔父の過去のせいで、なりたかった自分になれなかった」
「元木さんも……? 元木さんは、どうやって折り合いをつけたんですか」
笛美は尋ねた。もう一生顔を合わせるつもりのない父への不満と嫌悪を、男性全体への攻撃で誤魔化している自分に後ろめたさを感じながら――。
「……折り合いかー……。まだつけられてないっすね。今の仕事だって、生活のためだけに就いたし。けど……会社の先輩のおかげで、なりたい自分や、そうなる方法はひとつじゃないって、最近分かってきた気がします」
「先輩さんのおかげ……? どんな先輩さんなんですか?」
「そうだなあ……。トビショックって知ってますか」
「え……? はい、知ってますけど……」
「あの人によく似てます。見た目はとんでもなくダサくて、やることみんな泥臭くて、でもすんげーお人好しで。自分と敵対するような相手のことも、まるで責めないんすよ」
「どうして……?」
「多分、その人にはそうなる理由が……そういう人生があったって思ってんじゃないすかね。昔のことをあんまり話さない人だけど、結構な苦労人っぽいから。先輩の中には、色んな人の苦しみや悲しみと重なる経験があるのかも」
「……そう……」
やがて、元木は笛美がセーラーヴァルダであることを、そして笛美は元木がトビショックの相棒であることを知らないまま、互いに公園を離れた。