飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「ただいまー……っと」
アークパーソンたちと同居を始めて数日目。仕事を終えてアパートに戻った乙三は、多少の気恥ずかしさを感じながら、ただいまを言ってみた。これまでは誰もいない静かな部屋が待つだけで、言う必要がなかったのだ。
そして部屋に漂う芳香にくんくんと鼻を鳴らす。
「えらいええ匂いしとるやん。コーヒーか」
「うむ。飲んでみたくなってな。ネットで宅配サービスを頼んだのだが……こんなにも苦いとは。このようなものを愛飲する人間どもは、やはり愚かである」
「は? おまえ金持ってないだろ?」
「棚の引き出しの封筒に5千円入っておった」
「勝手に人ん
「ならば、なお良し。悪の首魁らしいことができた。釣りはそこにあるゆえ、取っておくがいい」
「ご満悦って顔すんな! それにおれの金や! ……って、畳が濡れとるやんけ!」
「む、そのようだな。実体化がまだ不安定であるゆえ、うまく飲めてなかったようだ。まあ致し方ない」
「致し方ない( ー`дー´)キリッ じゃねーよ! あーあーあー」
乙三は平然としているアークパーソンをどかせて、雑巾で畳を拭くうちに、ふと気づく。
「……あれ? ジッジィはどこにおるんや? 便所か?」
「我らは概念ゆえ、排便はせぬ。ジッジィはキチゲの解放に出向いておるわ」
「は? 聞いてへんぞ。全部予告しろって言うたやろ!」
「今した。一緒に住んでやっているのだから、DMは要らぬだろう?」
「こっちにかて、心の準備とか仕事とのペース配分とかあるんや! あと、おれが居候させてやってるんやからな!」
「分かった分かった。早く行かぬと騒ぎが大きくなるぞ」
「場所はどこやねん!? メモしてくれ! それぐらいならできるやろ!」
「メールでリンクを送ったゆえ、地図アプリで開くがよい。その程度の使い方もしておらぬとは、トビショックのスマホが泣いておるぞ。宝の持ち腐れだ」
「ちくしょー! 」
帰ったばかりの乙三は、早々に踵を返して部屋を出た。
トビショックに偏心した乙三は、人垣をかき分けて現場に駆けつけた佐津川を、遠目に拝み倒した。これでまたトビショックを取り逃がしたという形で収めることになったら、今度こそ警察官としてなんらかの責任を取らされるかもしれない。
だが乙三にも手を出せない理由があった。今回はキチゲウーマンがふたりで他人を巻き込んで争っているのだ。
繁華街にあるコスメのセレクトショップは、いまや店外まで野次馬で溢れていた。何人かはスマホを構えて撮影し、ネットに状況をアップロードしている。
キチゲウーマンのひとりは20代後半、もうひとりは40歳前後といったところで、どちらもバッチバチにメイクを決めていた。商品棚からテスターを手にしては、それぞれの前に座らせた女性をキャンバスに、奇矯なメイクを施している。
「できたわ!」「できた!」
ふたりはほぼ同時に叫んで、実験台――もとい、モデルの女性を野次馬たちに披露する。
「「さあ、どっちがきれい!?」」
「うーん……」「むぅ……」「どっちもどっちというか……」「……だよねー」
ギャラリーはなんとも反応できなかった。両者ともに歌舞伎か南洋の民芸品の面のようであり、一般的な美的センスを天元突破しているからだ。
「じゃあ次よ!」
「臨むところ!」
中年キチゲウーマンが啖呵を切り、若いキチゲウーマンが応じる。
そこに見かねた男性店長と警備員が割って入った。
「お客様。そちらはあくまでテスターですので、長時間の占有や大量の使用はご遠慮いただきたく……」「他のお客様のご迷惑にもなっておりますので……」
中年女は「私は次はこの人をモデルにする! 男だって美しくしてみせるから!」と店長を指差す。
若い女は「面白いわね! じゃあ、あたしはこの人!」と警備員を指差す。
「いえ、あの、わたくしどもは……」戸惑う店長と警備員は、キチゲウーマンふたりに「「お黙り!」」と一喝されると、「「ひゃいっ!」」とスツールに座った。
乙三はときおり首を傾げながら成り行きを見守った。いつもなら元木に知恵を借りる場面だが、元木は仕事上がりに私用があると言って姿を消している。スマホを鳴らして用事の邪魔をするような真似はしたくない。
やがてマスカーバディがトビショックと合流した。
「厄介なことになってるね。ふたりを同時に抑えないと、片方だけ抑えても、もうひとりがメイク攻撃をしてきそうだ」
「せやねん。ひとりは君にお願いするとして、もうひとりをどうするか……」
トビショックがセクハラで訴えられる覚悟を決めていると、マスカーバディはそれを察したようだった。
「つまらないことを考えちゃダメだよ、トビショック。あなたはキチゲマンを浄化できる数少ない人なんだから、目の前のキチゲマンだけに目を奪われて、明日あさって現れるキチゲマンのことを忘れちゃいけない」
乙三はぐうの音も出ない。
「もうひとりなら、私がやるわ」
ふたりの背中に声を掛けたのは、セーラーヴァルダだった。
マスカーバディは淡々と応じる。
「あなたにキチゲマンは救えないよ。あなたはキチゲマンを浄化するんじゃなく、毒を吹き込んでストレスの矛先を変えるだけだ」
「『キチゲウーマン』よ。とにかく、この場を抑えることが先決じゃないの?」
「あのふたり、よく見てみなよ。どちらも、あなたが救ったつもりでいた女性だよ」
「……それや!」乙三は合点のいった顔をした。「なんや見覚えある顔と思うたんや。メイクで気づかんかったわ」
「……!」
セーラーヴァルダこと春田笛美は絶句した。確かに、若いキチゲウーマンはショッピングカート連結事案の、そして中年の方はトイレットペーパーバリケード事案の女だった。
「……それでも、やるしかないでしょ。あの男ふたりのメイクが終われば、次の被害者(?)が出る。あなたは若い方をお願い。年が近いほうがやりやすいでしょ」
「……了解。今のメイクが終わった隙に畳みかけるよ」
じきにアバンギャルドなメイクによってファビュラスなゾンビに仕上げられた店長 vs. 警備員にも、当然決着はつかなかった。
マスカーバディとセーラーヴァルダは、辺りを見回して次のモデルを物色するふたりのキチゲウーマンに接触する。
「ねぇ君。ちょっと気分を変えて、次は君がメイクしてみないか?」
「あなたのメイク、素敵ね。こんな裏技、知ってる?」
時を遡ること、十数分。
元木はひとりファストフード店で、ふたりぶんの注文を口にしていた。笛美が用事を思い出したと言い出して、急遽帰ってしまったからだ。
腹が減っていたので問題はなかったが、元木は笛美の慌てた様子が気になっていた。
隣のテーブルの客がスマホで動画サイト見ている。コスメショップに居合わせた者の生配信だった。ちょうど店長と警備員が現れるところだった。
「……やっば!」
元木はゴミとトレイを片付けるのも忘れ、店を飛び出した。
元木がコスメショップに到着したとき、ふたりのキチゲウーマンはマスカーバディとセーラーヴァルダからメイクの手ほどきを受けていた。
ギャラリーが感嘆の溜息を漏らす。「あのふたり、すごい……」
マスカーバディもセーラーヴァルダも、玄人はだしのメイク技術を惜しみなく披露していた。
マスカーバディは若い女に問いかける。「ね、聞かせてよ。どうしてこんな争いを始めちゃったんだい? メイクって楽しいのにさ」
若い女は答える。
「だって……女はメイクがうまくないと、男からも女からも認めてもらえないから……。本当は、あたしのメイクテクって一体どれぐらいなんだろうって、ずっと不安で……」
「大丈夫だよ、心配しないで。メイクはテクじゃないんだ。自分にぴったりのやりかたを見つける、旅のようなものさ。旅は楽しまなきゃ損だよ」
セーラーヴァルダは中年女に語りかける。「メイクは他人を傷つける道具じゃないわ。自分を美しく高めるものよ。わかるでしょう?」
中年女は応じる。
「ねぇ、どうして女だけ化粧しなきゃならないの? 私の人生、男に見せる化粧のために、毎日何時間をムダにしなきゃいけないの? 男だってメイクで時間をムダにすればいいのよ!」
「そうかしら? 私は、メイクって女の特権だと思うの。メイクひとつで、自分をどんなふうにも変えられるのよ。男にはできないコスプレって考えたら、素敵じゃない?」
マスカーバディとセーラーヴァルダの声が重なる。
「「ふたりとも、女であることを愉しみましょ」」
「ソラス・コクーン……」「ヒーリング・エンブレース……」
マスカーバディとセーラーヴァルダは、ふたりの女を背中から抱きしめた。
その一部始終を見届けた乙三は、佐津川に声を掛ける。
「おれ、このあと事情聴取を受けますわ」
佐津川は突然の申し出に面食らった。
「唯野……いやトビショックさん! なにを言ってるんですか!?」
「これ以上、佐津川さんに甘えるわけにも、負担かけるわけにもいかへんから。自分のやってきたことは、後ろめたいことやないと信じてるし」
乙三は変装用眼鏡の奥のあたたかな目を、マスカーバディとセーラーヴァルダに向ける。
「あのふたりがいてくれたら、仮におれが活動を止められたかて、問題あらへんしな」
そこに元木が割り込む。「でも、水虫の呪いがあるじゃないすか!」トビショックと顔見知りであるところを同僚や知人に見られたくはないが、まわりの目など気にしていられない。
乙三は什器の陰に元木を押し込む。
「どないした。用事、終わったんか?」
「オツさんはただでさえ風鈴生首のときに顔バレしてるんすよ! 警察にまで正体を知られたら、超!水虫確実じゃないすか!」
「ええ薬を教えてくれたやん。あれ、かなり効いとるで。神様にも勝てそうや」
セーラーヴァルダがふたりに近づく。
「元木さん……。トビショックとお知り合いなんですか……!?」
「……!? なんでセーラーヴァルダが、俺の名前を……?」
「私です……。笛美です」
セーラーヴァルダはベネチアンマスクを外した。
「笛美さん……!?」
元木の驚愕をよそに、突如、店の外が騒がしくなる。
「キャアアアア! アークパーソン様ぁ!」
「ネットのイラストよりずっとイケメン!」
「ジッジィも素敵ぃっ! 私の執事になってぇ!」
女性たちの黄色い声が次々と弾けた。
コスメショップ前のギャラリーはメイク事案の最中よりも膨れ上がっており、その中心にはアークパーソンとジッジィの姿があった。まるで売れっ子タレントと付き人のようだ。
「笛美さん、こっちへ!」
騒ぎに紛れて元木は笛美を連れ出し、佐津川は群衆のコントロールで乙三の聴取どころではなくなって、マスカーバディはいつの間にか姿を消していた。