飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
元々ガツガツした運転をしない乙三だったが――むしろ年季が入ったカブのせいで、ガタガタした走りになる――、トビショックになってからというもの、さらに安全運転になった。しばしばトビショックというだけで撮影や録画をされ、ネットに晒されもするからだ。この移動中も、すれ違った学生がスマホを向けたり、子供が手を振ってきたりした。
安全運転で現場に到着した乙三は、辺りをきょときょとと見回す。元木に見せられた生配信の背景から言って場所は間違いないはずだが、キチゲウーマンの影はどこにもない。
移動したのかとしばし近辺を巡るも、ネコを押す女は見当たらなかった。
自転車で追いついた元木は、乙三に「ここでええんやんな?」と問われて首を傾げる。
「ここのはずです」
元木はスマホで生配信をチェックしようとしたが、『この動画は再生できません』と表示されるだけだった。
「あれ……」
元木はSNSを検索する。それとおぼしきポストが引っ掛かる。
が、元ポストを表示しようとした瞬間、エラーになった。
「そんな……」
「どういうこっちゃ」
不意に、地下足袋が乙三に異物を踏んだ感触を伝える。
乙三が拾い上げたのはビーズだった。よく見れば、車道と歩道の境にいくつも落ちている。
「元木、これ……」
元木が頷く。「キチゲウーマンがここにいたことは間違いないっす」
そこにマスカーバディが駆けつけた。
「……どうやらボクの出番はなかったみたいだね」
「マスカーバディが浄化したんやないんか? おれが来たときには、もうキチゲウーマンはおらんかったんや」
「……なら、セーラーヴァルダかい?」
「それは……多分ないっす」と元木。
「なんでや?」
元木が答えられずにいると、乙三は目に入った商店の主に声を掛ける。
「すんません。さっきまでここにキチゲウーマンがおったと思うんやけど……」
店主はなにか面倒臭そうに顔を背け、そそくさと奥に引っ込んでいく。
「訳わからんな……」
マスカーバディがひとりごちる。「もしかして、あれが動き出したのか……?」
「なんか言うたか?」
「いや……。それよりもトビショック。ボクはじきに、この活動から外れるかもしれない」
元木が「どうして?」と驚いたのに対して、乙三は「そうか……」と返した。
「驚かないんだね」
「そら、あんたにも私生活はあるやろ。このところの活動の仕方を見て、そこはかとなく覚悟はしとった。おれが女性の相手をできへんから、キチゲウーマンのときだけ、都合をつけて助けてくれとったんとちゃうか?」
「……さすがだね。……ほんと、なんで世間の女たちはあなたを放っておくんだろう」
「ん?」
「今のうちに言っておくよ。あなたと一緒に活動できて良かった。トビショック」
「世間の女がなんやて?」
乙三の問いには答えずに、マスカーバディは姿を消した。
数時間後、元木は自室のベッドでスマホとにらめっこしていた。
さっきからずっと、元木の指は電話帳アプリの一覧表示の上を彷徨っている。
やがて意を決した元木は、春田笛美の名前をタップした。
本藤満は、父親と豪奢なディナーの席にいた。母は病没して久しい。
「父さん……。今日、例のあれの仕業とおぼしき現場を見ました。もう動いているのですか」
「ああ。警察というのはメンツにうるさい組織だからな。見切り発進したようだ」
「一輪車を押してた女性は、どこに……?」
「それは彼らしか知らん。本藤家が関知することでもない」
「本当に彼らはトビショックに手出ししないんでしょうね?」
「むしろ、トビショックなどお払い箱になるだろう。おまえももうあの滑稽で破廉恥な衣装を着なくて済むというわけだ」
満は思わず腰を浮かせた。椅子がガタンと鳴る。
「ご存知だったんですか!?」
「マナーがなっとらんぞ。
父親の目線は立ち上がった満よりも低かったが、明らかに満を見下ろしていた。
アークパーソンとジッジィは、新曲制作と歌詞や振り付けのアイデア出しに夢中だ。
ふたりを前に、乙三は唇を尖らせる。
「おまえらも、多少なりものを食ってゴミを出すようになったんやから、ゴミ出しぐらい手伝うてくれや」
「我らは概念ゆえ……」
「実体化が進んどるのに、いつまでその言い訳で押し切るつもりやねん。ええから、ちょっとそこのゴミ袋を下に出してきてくれ」
「まだ重いものは持てぬのだがな……。ジッジィ、手伝え」
「ははっ」
アークパーソンとジッジィは、パンパンに膨れた50Lのゴミ袋を、ふたりでゴミ捨て場まで運んでいく。
乙三は今日あったことを反芻した。キチゲウーマンのこと、マスカーバディの発言――。アークパーソンたちが袋を運ぶと、ズーリ、ズーリと異音がするが、それには気づかない。
やがてその音が外廊下でカランカラン、階段でガシャガシャに変わって、ようやく乙三は我に返った。アークパーソンたちはゴミ袋の底を引きずっているのだ。
部屋から飛び出した乙三は、穴のあいたゴミ袋の中身が廊下や階段に点々とぶち撒けられていることに、思わず目を覆った。
「あーあー! なんで引きずるんや!」
「重いものは持てぬと言ったであろう」
そこに第三の声が割って入る。
「唯野さん! なにをやっとるんだね、あんた!」
声の主は年配の男性だった。禿頭に青筋を浮かべて、一階で仁王立ちしている。アパートの大家だ。
アークパーソンとジッジィの姿はどこにもない。瞬間移動で部屋に逃げたのだ。
「はいっ! すんません! すぐ片付けますんで!」
自室に戻った乙三は、「労働のあとの甘味はたまらぬな」とエクレアを頬張るアークパーソンとジッジィを恨みがましい目で見ながら、新しいゴミ袋を用意して外の掃除を始めた。
「セーラーヴァルダの活動をやめたのは、俺のせいっすか」
元木は笛美に尋ねた。
あの公園の、あのベンチ。夜更けである。
こんな時間に女性を外に呼び出すのはどうかと考えた元木だったが、さっき電話が繋がった瞬間、どうしてもすぐに話さずにいられなくなってしまったのだ。
「……違います」笛美は呟くように答えた。「……私自身の問題です」
「なら……活動を再開してくれませんか。助けを待ってる女性たちがいます」
笛美は黙り込んだ。元木の人柄を見てしまったせいで、笛美は過剰なミサンドリーに陥っていた自分を恥じ、自信をなくしていた。そしてセーラーヴァルダとして女性を救うことは、そのミサンドリーを自身に見せつけることだった。
笛美はいまだ男性をハグできるほど、男を受け入れられていない。理屈でミサンドリーを否定することと、肉体が反射的に拒絶することは別である。ゆえにセーラーヴァルダの活動はできない……。
「もし俺と顔を合わせたくないなら、俺は笛美さんの前には出ないんで」
元木の言葉を、笛美は慌てて否定した。
「そうじゃ……そうじゃないんです」
「……マスカーバディが活動をやめるらしいっす」
「えっ……?」
「なにか事情があるっぽいです」
「……そう……」
「トビショックには男しか救えません。こんな言い方、ひどいとは思うんすけど……俺はトビショックの……先輩の相棒として、先輩が救えない女性を、セーラーヴァルダに救って欲しいと思ってます」
そう言われた瞬間、笛美の中で説明をつけられずにきた感情の輪郭が見えた気がした。笛美は元木に――否、元木のように心許せる男性に、優しくされたかったのだ。おそらくは、父親の代わりとして……。
その先には恋や愛への淡い期待もあったかもしれない。が、この瞬間、それは崩れ去った。
元木はあくまでトビショックのために笛美を呼び出したのであって、笛美を異性として見てはいない。せいぜいがキチゲマンないしキチゲウーマン救済の同志どまりだ。
笛美自身、それは当然だと思う。仮に元木が笛美を愛したとして、笛美のほうが年齢差やミサンドリストの過去を気にせずにいられないだろう。元より深まりようのない関係だったのだ。
「もし……もし笛美さんが女性しか救えないことに引け目を感じてるなら、俺はそれはコンプレックスにすべきじゃないと思う。自分が救える人を救う……それでいいじゃないすか。男のことは先輩に任せておけばいい」
「そう……ですか……?」
「先輩だって、誰かに頼ってます。あの人、欠点だらけっすよ。俺もね。みんな自分にできることをして、できないことは誰かに頼る。そうじゃないですか?」
公園の街灯だけが、いつまでもふたりを照らしていた。