飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「くそっ……。私だって……私だって、結婚したいんだ……!」
昼下がりのマンションの一室で、男は苛立っていた。
30代半ばのこの男は、同世代では金を持っているほうだろう。学歴も外見も悪くはない。
だのに昨今は地方の新聞社勤めというだけで、将来性がないとか、なにか思想がかった胡散臭い仕事のように勘違いする女が多かった。
男は数年前から結婚相談所に在籍していたが、意にそぐわない女性を次々と断っていたら、数年で出会いがなくなった。男が思うほど、地方都市の婚活市場は広い海ではなかったのだ。
かつて男は若くして結婚する同級生たちを、侮蔑的な目で見ていた。結婚は若さや勢いでするものではない、あいつらは道理というものが分かっていない、と――。だがその結果、あぶれてしまったのは自分だ。その事実は、彼にとって耐え難い屈辱だった。
今日は久々に新しい女性会員と顔合わせをする予定だったが、流れてしまった。土壇場になって、もっと若くて高年収の男がいいと、女が相談所に連絡を寄越したらしい。折角の有給休暇が台無しだ。
男は歳を重ねるごとに、周囲の目が冷ややかになっていくように感じていた。昭和生まれの上司の目が、『おまえはまだ結婚しないのか。男は所帯を持って一人前。結婚しなければ昇進もない』と言っている気がしてならなかった。
「随分とお苦しそうでございますな」
突然の声掛けに、男は思わず飛び上がるところだった。
なにか陽炎のような、掴みどころのない雰囲気の老紳士が背後に立っていた。
「あ、あんた誰だ!? どうやってこの部屋に入った!?」
「わたくしは偉大なるアークマン様の執事、ジッジィと申します。本日はあなた様に一働きしていただきたく、参上つかまつりました」
「あ、アークマン……? なんなんです、それは……」
「すぐにお分かりになりましょう」
ジッジィが音もなく滑るように歩み寄り、その影が男を覆う。
「うわああぁぁぁっ!」
男の悲鳴が部屋にこだました。
30分後。
婚活男は大きな橋のたもとに下りて、河原の草むらを漁っていた。そばには高級セダンが停まっている。男の愛車だ。
男はワイシャツとスラックスを泥にまみれさせながら、驚くべき手早さで、湿ったエロ本を大量に回収していた。そこは彼が学生時代に何度も世話になった、エロ本の墓場だった。
婚活男の目は、どこか常軌を逸した、暗い情熱を宿している。
男は愛車のトランクルームをエロ本で満杯にすると、数時間かけてそれらのグラビアページに丹念に霧吹きを掛け、薄紙を挟んでいく。
その様子を離れた鉄塔の上から見つめていたジッジィは、男の車が近隣の中学校へと向かったのを見届けると、幻のように姿を消した。
「男子中学生たるもの、エロ本を読みなさい! 毎日えっちなことが気になって気になって悶々としているんだろう? たくさんあるから、好きなのを持っていきなさい! もちろんタダだ!」
夕暮れの中学校前で、婚活男は下校する男子中学生たちに拾ったエロ本を配り始めた。
霧を吹かれて薄紙を挟まれ、移動中の車内で重しにプレスされたエロ本は、きれいにシワが取れていた。
女子生徒は汚物を見る目を婚活男に向け、男子生徒は興味津々ながらも関わってはいけないと心得ているようだった。ともにエロ本を押し付けようとする婚活男に近づかないよう通り過ぎていく。
やがて教員たちが駆けつけ婚活男を排除しようとするも、「ここは公道だ。私が歩く道なんだ!」と応じず、教員らは警察に通報せざるを得なかった。
細かな埃が舞う闇の中。
若い気配の前に角張った明かりが灯って、気配を人の形に照らしている。
その隣にもうひとつの気配が、闇から染み出すように現れた。
「……アークマン様。お言いつけ通り、四丁目のマンションの結婚願望が超強い男のストレスを解放させて参りました」
「よくやった、ジッジィ」
「ははっ……」
ジッジィと呼ばれた年配の気配の視線が、角張った光源に向けられる。
「アークマン様、それは……?」
「うむ。これはiPh◯ne8なる、人間どもの情報機器だ。スマホとかいう……」
「スマホ!? あの魔法の板でございますか!? 一体いかようにして、そのような人間どもの技術を手に入れられたので……?」
「散歩中に拾った」
「お拾いあそばされた……!? このジッジィがついておりながら、そのような物乞いめいた真似をアークマン様にさせてしまうとは……。ジッジィ、一生の不覚!」
「気にするな。さっき鳩に餌をやるために児童公園まで行ったのだが……」
「さすがはアークマン様、鳩に餌付けとはなかなかの悪事。人間どもが鳩のフン害に悩まされるさまが目に浮かぶようでございます」
「そうであろう。その公園のゴミ箱に、これが捨ててあったのだ。見ての通り、古いモデルで画面もバッキバキでな。SIMが入っておらず、データも消されておったから、ゴミで間違いあるまい」
「はっ」
「ゴミの排出方法ひとつ守れぬとは、人間とは愚かな存在よ……。普通ゴミに混ざって発火したり、焼却炉を傷めたりという想像力が働かぬのだ。それを回収して使う我のような悪こそが真のSDGsであり、正義……!」
アークマンは正義なのか悪なのか悩ましい言葉を吐き、くっくっと笑った。その瞬間、iPh◯neのアイコンの一部がふっと消える。
「……あっ、フリーWi-Fiが切れた」
アークマンの気配が闇の中をあちこち移動し、ゆらゆらと姿勢を変える。
「……繋がった。これで人間社会の情報収集は万全である」
「さすがはアークマン様でございます」
ジッジィが感服の声を漏らした。
「見ろ、ジッジィのおかげでネットが祭になっておるわ」
ネットでは中学校前から突撃系配信者による生配信が行われており、コメントが流れていた。
『またキチゲ解放マンが暴れとる』
『男子中学生相手にエロ本配布はさすがに笑う』
『ワイも中坊のときにこの性教育ニキと出会いたかった』
『なお警察では性教育ニキの相手にならん模様』
『また馬鹿力を出してるのか。なんで拳銃を使わないんだ?』
『こんなショボい起訴できるかも怪しい事案で拳銃なんか抜いたら、それこそ警察の敗北だろ』
『キチゲマン、やりたい放題だな』
『キチゲマンてwww』
『パワーワード爆誕www』
アークマンが嘲笑う。
「フフッ、ジッジィがストレスを解放させた者に、『キチゲマン』なる呼び名がついておるわ」
「キチゲと申しますと?」
「キ◯ガイゲージの略であるようだ」
「それは興味深うございますな。どれ、ジッジィにもお見せくださいませ」
隣にジッジィが寄ると、アークマンが呻いた。
「あっ」
「いかがなさいました?」
「……Wi-Fiが切れた」
「そこまでや! もうやめとき!」
トビショックに偏心した乙三が、鳶服のベルトを締めながらドタドタと婚活キチゲマンの前に立ちはだかる。
警官たちは『また来た』と言いたげな顔をしながらも下がった。力業では婚活男を傷つけてしまいそうで持て余していたのだ。警官たちとて、同性としてこの程度のライトなエロ本で大騒ぎしなくても――という意識がないと言えば嘘になる。
乙三は指差呼称の要領で、ビシッと婚活男に指先を向けた。
「エロ本なんぞはなぁ、『そういう気分』のときに楽しむもんや。人に押しつけられて読むもんやない。まして中学生にはまだ早いやろ」
「うるさい! 小学生の頃には拾ったエロ本を読んでた顔をして!」
「ぐっ……」
心当たりがありすぎる乙三は怯んだ。
「今はその話はしてへん! とにかく、まだ純な子供かておるはずや。そういう中坊の夢を大人が壊したらあかん!」
「余計なお世話だ! 現実を教えて子供の夢を壊すためにやってるんだよ!」
「そのほうがよっぽど余計なお世話やんけ!」
図星を指されたキチゲマンは暴れたものの、エロ本の発掘で既に疲弊しており、容易に乙三に組みつかれた。
「ヒュウマニティ・バイブレイション!」
「くそっ、くそ……! なんで……なんで私だけ結婚できないんだ! みんな子供のうちからエロ本に慣らされて、愛なんか忘れてしまえっ!」
「結婚か……。確かにままならんわな。互いに片目をつむって、相手の欠点に合わすことができんと、うまくいかんもんや。失敗したおれが言うんも、おかしな話やけどな」
「片目を……つむる……?」
「せや。人間は男も女も、老いも若きも、誰でも欠点があるやろ。友達、同僚、恋人にかて、完璧なんか求めるもんやない。兄さんかて、他人に完璧を期待されたらしんどいやろ」
「それは……」
「結婚相手ともなると、ええとこに惚れるより、だらしない部分を許しあえるかを見やんとな。……おれはそれが分かってへんかったから、失敗した」
「……欠点を許せる相手、か……」
「兄さんは、子供は欲しいんか?」
「……考えたことがなかった……。とにかく、一生の伴侶が欲しくて……」
「子供が欲しいんやったら年齢も大事やけど、伴侶が欲しいなら慌てんでええ。おれの年代で結婚や再婚する奴もおる。むしろ歳食ってからのほうが、結婚に期待しすぎんようになってええんかもしれんな」
「……」
婚活男からすっと怪力が抜けていく。浄化に成功したようだ。
「お疲れさん……」
乙三は男を立たせて握手した。
「……ひとつ、教えてくれへんか。兄さんがこんなことをしようと思いついたきっかけはなんや?」
「きっかけ……? 『アークマンの執事のジッジィ』と名乗る年配の男性が現れて……」
「アークマンに、ジッジィか……」
道の向こうから警官たちが駆け寄ってくる姿に、乙三は婚活男の腕を引く。
「とりあえず、ずらかるで! あんたも警察のご厄介は嫌やろ!」とカブの後ろに跨がらせ、その場を後にする。野次馬を教員たちが散らしてくれていたのが幸いした。
警官たちが声を上げる。
「こら! 待ちなさい!」
「あなたコンビニのセルフレジと中学校のエロほ……揉め事のときの人だろう! 今回は事情を聞かせてもらうぞ!」
乙三は構わずに加速した。
事情聴取に応じること自体は構わなかったが、水虫の呪いがある以上、身元を特定するだろう警察には極力関わりたくなかったのだ。
アークマンとジッジィは肩を寄せ合い、iPh◯ne8の割れた画面に見入っていた。現場からの生配信が終わる。
「……なるほど、今のがジッジィの言っていたトビショックとやらか」
「はっ。アークマン様の覇道を妨げる不埒な輩にございます」
「ならば、宣戦布告してやるとするか」
「と、申されますと?」
「SNSのアカウントは既に取得済みである。ゆえに、斯様にポストするだけで良いのだ」
アークマンは割れた画面に声明文をモタモタとフリック入力してゆく。
『@ARCH-MAN&ZIZZIE_beginners:初投稿です! 我こそが愚劣な人間どもを混乱と恐怖に陥れる悪の首魁、アークマンである。貴様らが言うところのキチゲ解放マンは、我らが覚醒させておる。恐れよ! わが前に平伏するがよい!』
「……さすがはアークマン様。悪の威厳に満ちた、麗しきお言葉にございます!」
「当然だ。覇道を征かねばならぬのだからな。では投稿ボタンをポチッと……」
アークマンとジッジィの高笑いが闇に響く。
「……」
突如、アークマンの気配が引きつった。
「画面バキバキのせいで、キャンセルボタンを押してしまった……」
「……ファイトでございます、アークマン様!」
数十秒の鬱のあと、アークマンはまた一から声明文を打ち直し、なんとか投稿を果たす。
が、フォロワーがゼロのアカウントのポストには、イイネもコメントもつくことはなかった――。