飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
とある深夜。
乙三はアークパーソンとジッジィを牛丼店に連れ出し、食券の買い方などをレクチャーするところだった。Ub◯rばかり頼まれては財布が持たないと、人が少ない時間帯に社会勉強をさせる算段だった。
「見ろ、ジッジィ。券売機にプリンのボタンがある」
「左様でございますな」
「ふふふ……これでいつでもプリンなるものを食せる。以前より気になっておったのだ」
「ポテサラなるものも興味深うございます」
「牛丼屋でプリンにポテサラかよ……。かまへんけど、金のやりくりもちゃんと覚えてや」
「月の小遣いが1500円というのは少なすぎぬか」
「物価高でございますゆえ」
「いきなり大金持ったかて、ええことあらへん! おれの稼ぎも考えてくれ」
乙三は食券を買う直前で、店員の困り果てた雰囲気に気づき、その視線を追った。
カウンターに大量のどんぶりが並べて伏せてあり、それぞれからつゆがビチャビチャと垂れている。
スウェット姿の男と見紛う巨躯の女性が、つゆだくの牛丼を次々とお代わりしては、汁や米粒を綺麗にさらえないままに伏せ丼していた。
女性が纏う餓鬼のようなオーラに気圧されながら、店員がおずおずと尋ねる。
「あの……。どんぶりをお下げしてよろしいでしょうか……」
「ダメに決まってんでしょ! 私が人に唯一誇れる勲章なんだから!」
乙三はアークパーソンたちと顔を見合わせた。
「あれ、キチゲウーマンやんな……。おまえらの仕業じゃ……」
「知らぬな」
「存じませぬ」
「一応確認やけど、あれ、女性やんな……?」
「知らぬな」
「存じませぬ」
「魂の形が見えるんやなかったんかい!」
「魂は女だ。が、今おまえは肉体の話をしておるのだろう?」
「ああもうっ! ジェンダーは分っかんねぇ!」
「いずれにせよ魂が女である以上、おまえが手を出せば、明日からトビショックは『エロエロセクハラ痴漢マン』に改名だ」
「なんやねんそれ!」
乙三がツッコんでいる間にもカウンターはさらに伏せ丼で埋まり、店の外にはいつしかスマホのカメラを向ける者たちが現れていた。
カブに3人乗りしてきた乙三は、トビショックの衣装を持っていない。しかも相手は女性だ(おそらく)。
乙三が途方に暮れていると、女性の影がふたつ同時に店内に駆け込んだ。
店外で「マスカーバディだ」「セーラーヴァルダ、久々じゃね」と野次馬の声が弾ける。
「助かった……」と乙三。
キチゲウーマンは牛丼に夢中で、暴れも抵抗もしない。だが、そのあまりの巨躯は、マスカーバディやセーラーヴァルダのハグをサイズだけで拒絶していた。
「マスカーバディ、やるよ」セーラーヴァルダはマスカーバディを見やった。
「……了解。いくよ、セーラーヴァルダ」
マスカーバディとセーラーヴァルダは、ふたりがかりでキチゲウーマンの巨躯を優しく、だが強く挟みこんだ。
「ソラス・コクーン!」
「ヒーリング・エンブレース!」
キチゲウーマンはふとどんぶりを下ろし、米粒だらけの口元を歪めて泣き始める。
「あ、あたしみたいなデブを、抱きしめてくれるの……? みんな気持ち悪いって言うのに……! 頑張ってダイエットして111キロを切っても、男の人は見向きもしてくれなくてっ……!」
「出会いが悪かったんだね。世の中には、ぽっちゃり体型が好きな男性が大勢いるよ」
「私も体形の維持は苦労してるの。リバウンドしにくい、無理のないダイエットを教えてあげる」
「うっ……うぁぁぁっ……!」
キチゲウーマンはふたりの胸にくずおれた。
牛丼店をあとにしたマスカーバディを、セーラーヴァルダが追いかける。
「待って、マスカーバディ。引退するかもしれないって、本当?」
満は頷いた。「不本意だけどね……」
「そう……。なら、あなたの意志、私に継がせてもらえない?」
「……どういう意味かな?」
訝るマスカーバディに、笛美はベネチアンマスクを外して素顔を晒した。
「マスカーバディ参上!」
次にキチゲウーマンが街を混乱に陥れたとき、トビショックの加勢に現れたマスカーバディは、それまでと細部が異なるボディースーツを身に着けていた。体形も、声も違う。
野次馬たちは「偽物が出た」などとざわついたが、現場を俯瞰していた元木はすぐに正体を見抜いた。
「笛美さん……」
マスカーバディは笛美の声で宣言する。
「私は偽物じゃない。2代目よ! 2代目マスカーバディ!」
牛丼事案の夜、セーラーヴァルダはマスカーバディに意志を継がせて欲しいと乞うた。半ばミサンドリーの象徴となっていたセーラーヴァルダという殻を脱ぎ捨て、性別にとらわれずに迷える人々を救う存在になろうと決意してのことだった。
無論、笛美の身体はまだまだ男性を受け入れられないだろう。だが、笛美の心はそれを乗り越える覚悟を固めていた。
〈マスカーバディたんを推すスレ Part 8ぐらい〉
『唐突の2代目出現! ……てどゆこと?』
『初代タソどこ行ったんだ?』
『ワイはぶっちゃけ2代目好みやで』
『わかりみが強い。熟女感マシマシで俺に刺さるんよ』
『初代も良かったが2代目のムチムチボディはたまらん』
『おまえらセーラーヴァルダに◯されるぞ』
「外因性精神的累積型重圧解放症候群罹患者にかかる事案につきましては、その件数の一層の増加が報告されており……」
有葉市議会では、キチゲマン並びにキチゲウーマン関連の事案について、警察署長が市議の質問に答えていた。
議場のどこかからヤジが飛ぶ。
「議長! もうキチゲマンでよくありませんか」
それをきっかけに、市議たちは口々に発言した。
「公文書上の呼称は時間の無駄だ」「公文書はともかく、議場では『キチゲマン』で良いのではないか」「とにかく今のは長すぎる」
「キチゲマンは不適切です!」青筋を立てた女性市議が吠える。「変更するなら『キチゲパーソン』にしてください!」
「不規則発言は控えてください」と議長。
ざわめきが落ち着いたところで、誰かが失笑する。「アークマンとかいうSNSアカウントに噛みついて名前を変えさせたの、あんたなんじゃないの」
女性市議が激昂する。
「なぁんですってぇぇ!? 私は女性の権利拡大のためにやっただけで……」
「なんだ、本当にやってたんだ」
「便宜上の呼称ひとつで変わる女性の権利ってなんですか」別の誰かが追い打ちをかける。「スーパー◯ンもスーパーパーソンにしろとか言いそうだ」
「あれはっ! スー◯ーガールがありますからっ!」
別の女性市議が憤然と立ち上がる。「ガールは駄目です! スーパーウーマン! 女性ですらその程度の認識だから、いつまで経っても男性社会のままなのよ!」
「静粛に!」議長が声を張った。「その件につきましては、別途、議題として提出をお願いします。警察署長、答弁の続きを」
「はい。ともあれ、キチゲ事案の増加に対し、有葉警察では県警および警察庁と協議の上、試験的ではありますが専任の部署を発足させ、既に実働状態に入っております」
「……警察がキチゲって言った……」
議場が再びざわつき、署長は「あっ」と硬直した。
花嫁修業でエプロン姿の満は、スマホの市議会中継の配信を消し、ソファにもたれかかった。
「乙三さんや2代目はうまくやれてるかな……。専任部隊と衝突しなきゃいいけど……」
キッチンから使用人が声を掛ける。「満子さま、ご休憩はほどほどに。お料理の続きを」
満はやれやれと溜息をついて立ち上がった。
「今日もまた先を越されてしもた。アークの予告通りに現場に着いたのに、もぬけの殻やで。2代目マスカーバディも呆然としとったわ」
乙三は宅飲みで佐津川にこぼした。元木が隣で頷く。アークパーソンとジッジィはビールをひと舐めして顔をしかめている。
「あんなに早々に解決しとるってことは、キチゲマンはたいして発散できてへんのと違うか」
「その後もどこに連れてかれてるんだか……」と元木。
「交番勤務の自分にはあまり情報は回ってこないのですが、精神科の病院じゃないかって噂です」
「おれらが間に合わんかったキチゲマンは、みんな病院送りかいな!? そんなことせなあかん相手やないやろ……」
「県警がメンツをかけて仕切ってるようで……。部隊の規模もそれなりだとか」
「そりゃ、俺たちじゃ初動は敵わないっすね」
「佐津川さん。そいつらはアークの予報を見とるんやろか」
「もちろんチェックしてるでしょう」
「なあ、アーク。もうSNSの予報はやめへんか」
「それはできぬ。フォロワーが減る」
「有葉では、ある種のインフラ化してますからね」元木が枝豆をつまむ。「トラブルに巻き込まれたくない人たちが、アークさんの予報に被らないように生活を組み立ててるんす」
「たまにでええから。キチゲを発散すれば普通の生活に戻れる人らが病院に放り込まれるなんて、あんまりやろ」
「ここだけの話……自分たち地域課も、KM事案専任部隊にいい印象はありません。自分らを飛び越して活動して、KMを確保したらおしまい、ですからね。KM事案については、市民から質問されても、地域課員は何も答えられない。情けないことに、活動履歴すら知らされないので……。でも市民にすれば、なにか隠されてると感じるわけです。地域課が地道に築いてきた信頼関係が、あっという間にガタガタですよ」
アークパーソンがニヤッと笑う。
「小遣いを月3千円に増やすなら、たまには予報をサボってやっても良い。どのみち自然発生が増えているのでな」
「いま1500円やぞ。いきなり倍額かいな!?」
「たった1500円の増額でキチゲ予報を独占できるのだ。安いではないか」
「そういうことは自分で稼いでから言え。こっちは元嫁と娘への送金でカツカツなんや」
乙三は嘆きながらも財布を開く。「けど……背に腹は代えられん」
元木は佐津川と顔を見合わせ、「乗ったっす」「乗りましょう」と500円硬貨を差し出した。
「おまえら……」
乙三は相好を崩して財布に札を引っ込め、500円を足してアークパーソンに手渡した。