飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「よっしゃ、KM専任部隊とやらが来るギリまでキチゲを解放させたってから、ヒュウマニティ・バイブレイション決めるで!」
『了解』
トビショックが飛ばした無線に、元木の声が返る。
元木は近隣の雑居ビルの屋上に控えていた。専任部隊の接近を乙三にいち早く伝えるためのポジショニングだ。
今回、アークパーソンはネットで予報をしていない。ジッジィがキチゲマンを解放するときには、乙三と元木も現場にいるという、万全の態勢だった。
乙三の前に広がる遊歩道では、大型の手押し台車に年配の男性が胡座を組んでいた。彼は手にした杖で台車を筏のように漕ぐ。
「儂はアーバン・ロビン◯ン・クルーソーだぁ!」
年配者が叫びながら台車を走らせると、散歩やランニングの人々が迷惑そうに避けて通る。
年配者は、横断歩道では「海峡だ! ここは慎重に渡らねば」と天候を気にし、台車の車輪が路面の凹みにはまると「座礁した!」ともがいて騒いだ。歩行者の飼い犬が吠えかかっても、「波が荒れとるな」と、どこ吹く風である。
「潮に流される!」
下り勾配で加速していく台車を乙三が懸命に引き止めると、年配男性は「おお……凪いできた」と、神に感謝するように空を見上げた。
『オツさん、そろそろです。警察の人員輸送者がそっちに向かってます』
元木の無線が入ると、乙三は台車を止めて、「また座礁か?」と首をひねる年配者をハグした。
「ヒュウマニティ・バイブレイション!」
乙三の体温と背中をポンポンと叩くリズムが、年配者を現実に引き戻していく。
「そろそろ落ち着こ……。な? 」
「わ、儂は……。儂は、ひとりきりなんだ……。妻も友も、みんな逝ってしまって……子供もおらん……」
「そうか……。そら、寂しいな……」
「ひとりで家におると、なんだか無人島みたいに思えてきて……っ」
「それで台車の筏で脱出しようとしたんか……。お疲れさん。もうあんたは脱出できたで」
年配男性を落ち着かせた乙三が辺りに視線を這わすと、SATのような制服に身を包んだ警官たちが刺股などを手に、乙三たちを遠巻きに取り囲んでいる。
乙三は声を張った。
「見ての通り、この人は警察のご厄介にならんで済んだで。今までにあんたらが連れてった人たちのところに、おれを案内してくれへんか」
ビルの屋上にいる元木には、乙三が専任部隊と言葉を交わしているのは分かっても、その内容までは聞き取れなかった。嫌な予感に突き動かされて、元木は階段を駆け下りる。
地上では、個別認識ができない格好の警官たちの中から、ひとりが前に進み出た。
「私が隊長の
警察が到着する前から、少し離れた場所には高級セダンが停車していた。車内の人影が、武泰とトビショックのやりとりをうかがっている。
「なんでや」乙三は武泰に問うた。
「彼らは治療中だからだ」
「この人を見たら分かるやろ。キチゲ化した人たちに必要なんは、病院に閉じ込めることやない。あんたらはやりすぎや」
「KM事案は、もう有葉市や県だけの問題ではなくなってきている」武泰は感情を排し、淡々と告げる。「全国的にそれとおぼしき事案が発生し始めているんだ。それを踏まえてなお、あなたは我々がやり過ぎていると?」
「そんなことになっとったんか……」
乙三は呻いた。KM事案専任部隊が敷いた報道規制の陰で、問題は想像以上に広がっていたのだ。
「確かに、完全なアウトをやらかしたキチゲマンはしゃあない。罪は罪というのは分かる。けど、大半のキチゲマンは迷惑行為の範疇やろ。それをすぐさま病院に隔離するんは違うんやないか?」
「あなたやマスカーバディがすべてのKMには対処できない以上、社会の秩序を保ち、市民に無用の不安を抱かせないために必要なことだ。ヒュウマニティ・バイブレイションも、ソラス・コクーンも使えん我々には、病院に隔離する以外の方法がない」
「……なら、警察がヒュウマニティ・バイブレイションを使えるようになったら、即病院送りはやめてくれるか?」
武泰はわずかに身を乗り出した。
「我々にあの技が使えるというのか?」
「それは分からん。せやから、おれを調べたらええ。いくらでも協力する。何度でもヒュウマニティ・バイブレイションを打つよってに、研究してくれ。あんたがたに再現できるように」
「……私は一介の現場指揮者に過ぎない。ここでの判断はできない」
地上に降りて乙三の申し出を耳にした元木は、「なに言ってんだ、あの人は!」とひとりごち、防塵マスクで顔を隠して割り込もうとした。
ほぼ同時にセダンの後部座席から凛とした女性が降車し、運転手に男性の口調で声を掛ける。
「すまない、少しだけ待っててくれ」
「承知しました、満さま」
満は女の口調でKM部隊の警官たちに申し出る。
「突然申し訳ありません。わたくしにも隊長さんとお話をさせてください」
武泰が訝しげな視線を向ける。「どちら様で?」
「わたくしは本藤満子と申します。本藤の当主
本藤と鳴河――この地方の名士の姓をふたつ出されて、武泰の表情が微かに緊張する。
「そんな方がなんの御用でしょう」
「本藤家は江戸期以前より、この有葉を地元として参りました。有葉警察との繋がりが深いことは、県警本部の方ならご存知でしょう。本藤としても、それなりの貢献をして関係を育んで参りました」
「それがなにか?」
「その有葉警察を飛び越して、県警本部直属の方々がこの地で我が物顔に活動なさるのは、率直に申し上げてあまり気持ちのいいことではございません。有葉には有葉の気風というものがございます」
「我々は公僕として、広く社会の福祉のため、警察の職務を遂行しております。あなたがどれほどの方であろうと、干渉はご遠慮願いたい」
「差し出がましい話であることは承知しております。ですから……ここは折衷案ということで、先ほどのトビショック様のご提案を受け入れてはいただけませんか」
「ヒュウマニティ・バイブレイションの研究をですか?」
「費用や設備面での協力はさせていただきます。もちろん、県警本部にもきちんとお話は通します」
「それは……」
武泰は眉をひそめながらも、本部と無線の交信を始める。
「あの……」乙三は満子に声を掛ける。
「いま本藤さんて言わはったけど……お兄さんか弟さん、いてませんか。満くんて言うんやけど。名字が同じやし、顔もよう似てはるわ」
「他人の空似でしょう。私はひとりっ子ですので」
「それにしちゃ、おれの肩なんか持ってくれて……」
元木が囁く。「満子さんは正真正銘、本藤家のひとり娘っす。兄弟とかいません」
「そうなんか?」
「ここらで本藤家を意識しないのはオツさ……トビショックぐらいのもんっすよ。県でも指折りの金持ちで名家なんすから」
「それは……すんません。失礼しました」
乙三は詫びながらも釈然としない顔をする。
「それでは、わたくしはこれで失礼します」
満子は踵を返した。
「武泰さんの返事を聞かんでええんですか?」
「お答えは決まってますもの」
満子はフフッと笑ってセダンに乗り込む。
セダンが滑るように走り出すと、運転手は静かに尋ねた。
「満さまとしてお話なさらなくてよろしかったのですか?」
「いいんだよ。そうしたら僕の性自認の話にもなるだろう? 僕は乙三さんが僕のことで思い悩む姿なんて見たくない」
満は座席に深く身体を沈めた。
「こうして乙三さんを遠くから見て、役に立てたら充分なんだ。悪いけど、父さんに叱られるまで付き合ってくれ」
「承知しております。満さま」
セダンは本藤の屋敷へと遠ざかっていった。