飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「はあ!? 休みが欲しい!? 10日間もか!?」
現場責任者の関谷は飛び上がりそうな勢いで乙三に聞き返した。
乙三はその10日の間に各種検査を受けるという取り決めを、武泰と交わしたのだった。
「理由は!? 今回はちゃんとした理由を聞かせてもらうからな!」
「えーと……」
乙三は頭をフル回転させたが、それっぽい理由などとっくに出尽くしている。
「……おかんが死んだような気がして……。死んどったら、通夜やら遺品整理やらあるんで……」
隣に付き添っていた元木が『あちゃー』と頭を抱える。KM専任部隊に検査を申し出たことといい、このところの乙三は元木にはアンコントローラブルだった。
が、乙三がかつて施設にいたことを知る関谷の反応は、元木の想像と違った。
「そうか……。生き別れたお袋さんが死んだ気がするなら仕方ない。虫の知らせってのは、俺も親父のときに経験した。親の最期ぐらい、気が済むようにしてこい」
「関谷さん、おおきに!」
乙三は手を振りながら現場事務所を出た。元木が続く。
「オツさん、お袋さんはだいぶ前に亡くなったって」
「うん。よう考えたら、こないだも使うた手やわ」
「は? 関谷さんも案外いい加減だなあ」
「分かってて許してくれはんねや。おかんが死んだとかおれが言うてまうのは、大抵切羽詰まっとるときやから」
乙三と元木は事務所を振り返って、小さく頭を下げた。
乙三は検査中は警察病院に入院する算段になっていた。
病院のアトリウムで、元木は「本当にいいんすか?」と確認する。「人体実験みたいなもんじゃないすか」
「そこまでえげつない人らやないと思うで。きっとおれらと見えとるもんややり方が違うだけで、ゴールは同じはずや」
「はあ……」
「それより、アークとジッジィのこと、よろしゅう頼む。機嫌が悪いときはクレープを食わせたらええ。今ハマっとるから」
「クレープっすか……」
「1個1500円もする、おれもまだ食ったことのない、具もクリームも盛り盛りのやつや。安いやつやとぶーたれるから、非常金をおれの枕のカバー下に入れてある。あいつらおれの枕は臭いとか言うて触らんからな」
「ああ、確かに臭いそう」
「ん? なんか言うたか?」
「いや、なんにも」
「あと……検査の間にキチゲマンが出たら、マスカーバディのサポートをしたってくれ」
「それは……はい」
元木は笛美の顔を思い浮かべつつ頷いた。
病院の職員が乙三の名前を呼んで探している。
「ほな、行ってくる! ここからは検査に集中……偏心や!」
乙三は最低限の荷物を詰めたバッグを手に、病院の奥に消えていった。
アークパーソンがネットに流さなかった予告をもとに、元木とその連絡を受けた2代目マスカーバディこと笛美は、誰よりも早く現場に駆けつけた。
昼下がりの市民体育館。でっぷりと肥えた半裸の多汗症の男が、バレーボールのレシーブさながらに板張りの床をスライディングして、びしょびしょに濡らしていく。年の頃は30歳前後だろうか。
「俺が日本バレー界いちのレシーバーだ! 異論は認めん!」
練習を中断させられたママさんバレーの面々は、その奇妙な修羅場を呆然と見つめた。
かつての笛美なら『ママさんバレー』なる言葉に反応したかもしれないが、2代目マスカーバディにそれはない。
「キチゲマンは男っすけど……いけますか」
元木が防塵マスクをつけて笛美の隣に並び立つ。
「やる……。いつかはやらなきゃいけないことだもの。初代は私に2代目を名乗ることを許してくれた。それに応えなきゃ」
「キチゲマンはもうだいぶバテてます。俺が止めるんで、あとは笛美さんが決めてください」
元木はキチゲマンのスライディングを先回りし、勢いが減じたところを受け止めると、そのまま羽交い締めの形に組みついた。
元木が叫ぶ。「マスカーバディ!」
「……ソラス・コクーン……!」
笛美の声は震えていた。キチゲマンの間近に寄りながらも、ブヨブヨとした汗まみれの半裸を抱きしめることができない。
元木は咄嗟に片腕を伸ばす。
「来いっ!」
笛美は反射的に元木の手を握った。牛丼屋事案のように、キチゲマンを笛美と元木で挟む形になる。
その既視感と、キチゲマンの肥満ゆえの外見的性差の減少が、かろうじて笛美を踏みとどまらせた。
「あなた……本当はバレーボールじゃなくて、バスケットボールをしてたんじゃない?」
笛美は多汗症男のハンマートゥや内股気味な歩き方、前腕の太さに目を留めていた。
「……分かるのか? 俺は本当は中学や高校でバスケがしたくて……。でも多汗症じゃダメだって……床もボールも滑るって……。バレーのレシーブがお似合いだってバカにされて……! 本当は……バレーだって、したことないんだ……」
「そう……。学校の部活は、勝つことも目的になってしまうものね……」
元木が助け舟を出す。
「体育館じゃ無理だったかもですが、屋外コートで活動する草チームならいけるはずっす。屋外コートは汗で滑らないし、ボールも滑りにくいのを使ってる」
「……ほ、本当か? 俺、バスケは諦めなきゃって、そんなことも調べなかった……!」
嗚咽する男を笛美はおそるおそる抱きしめ、元木は笛美の手に自分の手をそっと重ねた。
「元木のやつ……キチゲマンひとりにいつまで時間をかけておるのか」
アークパーソンは乙三のアパートでプリプリと頬を膨らませていた。
「なにか約束でもございますので?」とジッジィ。
「少々ハッタリを吹き込んでやったのだ。『トビショックとは、予告が間に合ってキチゲマンの浄化に成功するたびに、プリン1個のボーナスが出る取り決めになっている』とな」
「なんと悪辣な! さすがは悪の首魁にございます!」
「褒めるな。照れる(*´ェ`*)」
「元木はわたくしの分も買い求めてきますでしょうか」
「無論、ひとり1個と言ってある」
「まさに隙のないご采配! ジッジィ、感服いたしました」
「早く帰ってこい、元木……! その手に2個のプリンを携えてな……!」
ふたりの含み笑いが、おやつ時の乙三の部屋に響いた。
「なんもないって……どういうこっちゃ?」
警察病院での10日目。乙三は診察室で、医師と検査技師の言葉に愕然とした。
「あんなに何度もヒュウマニティ・バイブレイションを打ったんやで? なんも出んはずないやろ」
「本当になにも検出されなかったのです」
ライトブルーのスクラブ姿の検査技師は、モニターにいくつものデータを表示させた。
ほとんどのグラフは平坦か背景色一色で、門外漢の乙三にも『なにもない』ことが理解できるものだった。
「各種光線、熱、電気、磁気、物理的振動、放射線など、考えうるあらゆるエネルギーや化学物質の検出を試みましたが、特筆すべきものはなにひとつありませんでした」
「んなアホな……。じゃあ、おれがやっとったことは何やったんや?」
「そこです」
白衣の医師が手元のノートPCで過去のキチゲマンたちの情報を振り返る。
「実際にトビショック……唯野さんやマスカーバディに救われた人々が存在し、かたやKM事案専任部隊が確保した中には、長期に渡って精神科病棟を出られない方がいます。つまりあなたがたの技が人を救ったのは事実で、気のせいなどではない」
「なのに、検査では何も出ない……」と検査技師。
「そこで私が注目したのは、あなたの夢のお告げの話です。実は初代マスカーバディを名乗る人物からも、似たような体験を綴ったメールが届きまして」
「初代から?」
「彼女もあなたに似た夢を見たと証言しています。ソラス・コクーンは、やれそうな夢を見たから、トビショックを真似てやってみた、と。そしてあなたと彼女にはもうひとつ大きな共通点がある。一筋縄ではいかない生い立ちです」
「初代とおれの生い立ち……?」
「彼女の詳細について、私からはお話しできません。ここからはそれらを交えた私の非科学的な妄想ですが……人間の秘めたる集合意識のようなものが、追い詰められた人々の精神をあなたやマスカーバディに救わせるために、夢を見せたとしたら? KMの浄化とは特別な能力ではなく、『傷ついた過去を持つ人間による深い共感と受容』によって成されるのではないか……私はそう仮説を立てています。それならば、セーラーヴァルダが一度は救った人たちが後に再びKM化した事実とも整合します」
「すまん、おれは頭が悪いんや。簡単に言うてくれ」
「つまりヒュウマニティ・バイブレイションやソラス・コクーンはカウンセリングの一形態であって、特殊な能力を必要としないかもしれない、ということです」
「ほんまか!? おれやマスカーバディ以外でもキチゲマンを救えるってことか!?」
「他者の痛みに我がことのように深く共感し、それを受け止められる人間なら、あるいは」
「やったやん! 先生、凄いな! 技師さんも!」
浮かれた乙三は、医師と技師の頬を両手でワシワシと捏ねた。
「不思議な方だ」
医師と検査技師が顔を見合わせる。
「へ? なにが?」
「あなたはヒュウマニティ・バイブレイションを才能だと感じていたのでしょう? それが否定されたのですよ?」
「先生や技師さんは、他の医者にもできる治療やったら、人を助けたくはならへんか? 医者は大勢おるほうがええと思うやろ?」
屈託がない乙三に、医師と技師は言葉を失った。
「……かないませんね……。そうそう、並行して行った健康診断は特に問題はありませんでしたが、水虫だけ気になりましたので、薬を出しておきます」
「えっ」
「? 育毛剤も必要でしたか?」
「……おれの水虫と頭、お医者さんが気になるレベルやったんや……?」
乙三の浮かれた顔が一瞬で凍った。
乙三が退院して初の、宅飲みの夜。
元木はコンビニ袋を手に、「やっぱ見張られてるっすね。そこの通りに車が張り付いてます」と部屋に入った。「車内装備から見て、警察で間違いないっす。検査で身バレしたんすから、想定内っすけど。……佐津川さんは?」
「最初は退院祝いしようって言うてはったけど、急に欠員が出て仕事やて。見張りがおるなら来なくて良かったわ。トビショックと繋がっとったって警察に知れて痛くない腹を探られたら、佐津川さんもしんどいやろ」
「退院祝いって」元木はプッと吹き出した。
「見張りの連中、アークのことはどない思っとるんやろな」
「親戚の子ぐらいじゃないっすか? 悪の概念や首魁には見えないし。そのほうがややこしくなくていい。……ってアークさん、不機嫌そうっすね」
「検査の土産がなかったってむくれとるんや。そんなもんないって行く前に言うといたんやけどな。あと、アイドルプロジェクト2曲目のバラードが盛大にコケたらしい」
「トビショックがボイストレーナーをつけてくれぬからだぞ」
「居候してボイストレーニングをねだる悪の首魁がどこにおんねん」
「ここに 」
「まあ、エクレアでも食べて機嫌を直してください」
元木はコンビニ袋からアルコールとツマミの他に、エクレアを2個取り出した。
「おおっ! 元木は気が利くな。どこかの鳶職とは大違いだ」
アークパーソンは早速エクレアにかぶりつく。
「トビショックよ。こういうささやかな幸せの積み重ねが人生の幸福度を決めるのだぞ。覚えておくがいい」
「こいつ……(-_-#)」
「ジッジィさんもどうぞ」
「わたくしは、今日は……。アークマン様、お召し上がりください」
「分かっておるではないか、ジッジィ! 大好きだぞ!」
「……さっきから気になっとったんやけど、今日はなんやジッジィの影が薄くないか?」
「そんなはずあるまい。我などはこの通りだ!」
アークパーソンが足踏みすると、軽くポフポフと畳が鳴る。
「歌はコケたが、SNSのフォロワーは微増しておるわ」
「トビショック様、どうぞお気遣いなく。わたくしはいつも通りでございます」
ジッジィは笑った。