飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
高級懐石の静かな個室で、満子は保文と差し向かいに座っていた。コースはもう終わっている。
保文が食後のコーヒーを口にして、切り出す。
「満子さんは年上の男性がお好きというお話でしたが……」
「はい」
「先日のあなたを見て、印象が変わりました。私よりも、もっと年上の男性がお好みではないのかと」
トビショックを見る目を読まれたのだろうか――満子はそう考えつつ、肯定も否定もしない。もう結婚は決められていることだからだ。さりとて嘘をつきたくもない。
その様子に保文は確信を得たようだった。満子には深みに欠ける男であっても、社交界で生きていくための能力――他者への観察眼にはぬかりがないのだ。
「私は満子さんを素敵な女性だと感じています。しかし恋愛となれば、あなたが年嵩の男性を好まれるように、私にも私の好みがある」
「……ええ。当然だと思います。わたくしたちの結婚は、家が決めたことですもの」
満子はいたずらっぽく微笑んだ。皮肉ではない。保文の言いたいことが、そこはかとなく覗けたからだ。
「とはいえ、結婚しなければ、お互いの家系が大変な不利益を被る。私も満子さんも、それは望んでいない。ここまでの私の理解は正しいでしょうか?」
「ええ」
「では……私と共犯になっていただけませんか。私にだって、まだ満子さんにお話しできていない秘密のひとつやふたつはあるのです」
「共犯?」
満子は多少の戸惑いを覚えながらも、興味深げに身を乗り出した。鳴河保文――満子が思っていたよりもずっと、面白い男かもしれない。
とあるキチゲマン浄化後の、撤収中の夜道。乙三と元木は、カブと自転車を並んで押していた。
乙三が尋ねる。
「今回もそうやったけど、アークがネットに予報してない事案でも、マスカーバディが現場に駆けつけるのが早よなってる気がせえへんか?」
「それは……」
元木はとうとう笛美との繋がりを打ち明ける日が来たと覚悟する。
「……俺、2代目マスカーバディと知り合いなんで……」
「あー……。予告を彼女に流しとんのか」
「はい……」
「なーんや。さっさと言うてくれたらよかったのに」
「すんません……」
「やっぱキチゲウーマンが相手のときは、2代目が来てくれるまで気を揉むからな」
「はい……」
「……」
乙三は黙ってカブを押し続ける。
「……? それだけですか?」
「ん?」
「2代目は誰かとか、訊かないんすか?」
「正体を知られたくないから、仮面を被っとるわけやろ。元木が誰か知っとって言わへんてことは、相応の理由もあるってことや」
「ええ……まあ……」
「おれは2代目に助けてもらえるだけで充分や。困っとる人を助けたい気持ちは伝わってくるし、正体が誰でも構わへん」
「……オツさんはホント、変わってますね。名前だって個性的だし……。『三』がついてるのに長男で、上にふたりいるとかじゃないんでしょう? 『乙』も若さを意味する漢字で、男にはあまり使われない字だ」
「乙の字はな、『甲乙丙丁戊』の乙なんや。元木の世代やと分からへんか。昔の5段階評価の2番目。他人を蹴落として一番になるより、2番目3番目で幸せでいて欲しいって意味らしい」
「……よく考えられた、いい名前だったんすね」
「まあな。せやから施設に預けられてもやっていけたんかもしれん。親はそう願ってくれとんやなって思えたから」
乙三はふと自嘲した。「実際は、嫁はんと娘に愛想尽かされたりしとるけどな」
「俺には、オツさんが離婚されなきゃいけない人には見えないっすけど」
「そうか? それやったら、昔の失敗も意味があったってことやな。おおきに」
と、そのとき。
「キャアっ!」
あたりに女性の甲高い悲鳴が弾けた。
声がしたほうに乙三と元木が駆けつけると、走り去る女性の後ろをゴリラと見紛うような体躯の人影がフラフラと歩いている。
乙三は人影が放つ気配にキチゲマンだと確信した。キチゲマンはあたりの植栽をむしったり、看板やゴミバケツを蹴飛ばしたりしている。
「偏心!」
会社支給の作業服から鳶服に着替え、伊達眼鏡を掛けてゴリラ男の前に立ちはだかる。間近にみるゴリラ男は、体格の割に背が低かった。
次の瞬間、乙三の顔から血の気が引く。ゴリラ男に見覚えがあったのだ。
「佳奈……!」
乙三は呆然と娘の名を呟いた。ゴリラ男は肉襦袢を着込んだ佳奈の男装だった。
咄嗟に乙三は顔を背けて飛びすさった。佳奈は乙三を嫌っている。いま精神的な負荷を重ねるわけにはいかない。
佳奈は何かに取り憑かれたように夜道をゆらゆらと進み、微妙な破壊行動を続ける。
乙三は元木に縋る勢いで駆け寄った。
「元木! マスカーバディを呼んでくれ! KM部隊が来る前に! あれは別れた嫁はんの子や!」
元木は乙三の言い回しに、一瞬混乱した。乙三の元妻に連れ子がいるなんて話は聞いたことがない。
「それって、オツさんの娘さんってことでしょ!?」
元木は確認しつつ、スマホを笛美に繋ぐべくタップした。
「おれは父親をやるのに失敗した身や……。働いて働いて、家におらんでも金に不自由させんことが家族への愛情やと思うてたアホや。いまさら父親面なんかできへん……」
乙三は佳奈が倒したゴミバケツなどを元に戻しつつ、後を追う。
「……待たせたね」
やがて合流したマスカーバディに、元木は告げる。
「2代目。あのキチゲウーマン……トビショックの生き別れの娘さんなんす」
えっ、と笛美は息を呑んだ。
「なら、トビショックが助けるべきじゃない! なんで何もしてないの!?」
乙三は首を横に振る。
「あの子ももう26歳……大人の女や。10年以上も会うてへん父親なんて、ただの男やろ。抱きしめられたくないはずや……」
「……2代目、そろそろ警察が来ます」と元木。
「……分かった。ソラス・コクーン!」
マスカーバディは佳奈をそっとハグした。
「こんな格好をして、どうしたの……?」
佳奈は厚いパットの入った肩を小刻みに震わせた。
「わ、私……父親がいないから……。それで希望の会社に就職できなかったり、結婚も立ち消えになったりして……!」
佳奈は続ける。
「だから、ここに……私の中に父の血が流れてて、父親はちゃんといるんだって、見せつけたかったの……。でも、私を捨てた人のことが、どうしても許せなくなってっ!」
「それで、この姿でお父様を貶めようとしたのね」
マスカーバディは涙に濡れる佳奈の頬をそっと撫でた。
「仕事にかこつけて、私とママから逃げたバカな父親……。大っ嫌い!」
「その本音、きっとお父様に届いてる。もっと吐き出していいのよ……」
トビショックの姿の乙三は、佳奈の独白にただ呆然と立ち尽くすだけだった。
「おっ……と!」
現場での高所作業中、乙三は手を滑らせて、危うくシノ(工具)を取り落とすところだった。
同世代の鳶仲間で職長の
「どうしたよ、オツさん。ここ何日か、緊張感が足りてねぇぞ。その前は早退しまくりだったしよ」
「すまんな……。迷惑かけへんよう、気いつけるわ」
「そういう話をしてんじゃねぇよ。何かあったのかって訊いてんだ」
「……トモさんとこの娘さん、今いくつやったっけ」
「なんだよ、藪から棒に。じき30だよ。……いや、もう越えたか? それがどうした」
「仲はええんか」
「とっくに結婚して出てったからな。今は年に1、2回 孫を連れて帰ってくるだけで、親子仲がどうとかって感じじゃねぇな」
「孫か……。トモさんはもうお祖父ちゃんやってんだな」
「なんだよ、年寄り扱いすんじゃねぇよ! オツさんだってほとんど歳変わんねぇだろ! とにかく気合い入れてくれよ!」
伴郷は笑いながら作業に戻っていった。
「孫、か……」
離婚が佳奈から子供を持つ機会まで奪っていることを見せつけられた気がして、乙三は深く溜息をついた。
「予告した通り、今からキチゲウーマンを解放しに行ってくる」
乙三がアパートに帰るなり、アークパーソンが告げた。
「そうか……」
「……またマスカーバディに任せるのか」
「キチゲはひとりやろ? おれには女性の相手はできへんし……」
「ずっと足止めはしていたではないか」
乙三は答えない。
「……プリンを用意しておけ。KM部隊が来る前に片付くはずだからな」
アークパーソンは元木にふっかけたプリンボーナスを、乙三との間にも既成事実化させていた。
「分かった……」
覇気のない返答にアークパーソンは失望したような表情を浮かべ、瞬間移動して消えた。
実体化の影響か、掃除機に綿ゴミの固まりが吸い込まれたような、スポンと間抜けな音がした。
乙三の検査中とこの数日間、元木は実質的に2代目マスカーバディの相棒となっていた。その印として、ふたりの腰には同チャンネルに設定された特小無線がさげられている。
アークパーソンの予告に基づき、ふたりはネオン輝く歓楽街の、人目につかない暗い裏通りに待機していた。
笛美が呟く。
「トビショックは本当に大丈夫なの? このところ、まるで顔を見せないけど……」
「大勢の人を助けてきたのに、自分の娘は救えないわけっすから……。信じるしかないです」
元木は笛美の無線機を複雑な思いで見つめた。
やがて雑居ビルの半地下の店から、ひとりのキャバ嬢がまろび出る。
『本日の主役』のタスキをかけ、シャンプーハットを被って両手にシャンパンの瓶を携えたキャバ嬢は、通りすがる男たちに片っ端から説教を始める。
「仕事が終わったんなら、さっさと帰って家族サービスしなさいよ! ああン!?」
「あんた接待中なの!? それってもう仕事じゃん! ちゃんと残業代を会社からむしりなさいよ! この労働者の敵!」
キャバ嬢は「グイ! グイ! グイグイよし来い!」とひとりでコールをかけながら、シャンパンタワーよろしく頭からシャンパンを被る。このためのシャンプーハットだ。
「そこのオッサン! 立ちんぼ相手に説教かましていい気分になってんじゃない! あんたが説教していいのは犬のフンぐらいよ!」
「あぁ? お巡り? 偉そうに命令しなさんな! あんたなんかちーっとも偉くない! 制服が偉いんだってことを忘れんな!」
駆けつけた佐津川まで罵倒され、「偉そうにして見えますか、自分……」とショックを受けている。
「元木さん、行くよ」
マスカーバディと防塵マスクをつけた元木は表通りに飛び出した。
元木と佐津川が野次馬を遠ざけ、マスカーバディがソラス・コクーンを決める。
「あたしだってマジに生きてんのに……! キャバ嬢ってだけで見下してんじゃねーよクソどもぉ!」
キャバ嬢の本音の絶叫が歓楽街に響き渡る。
「こっちだって必死に話題増やして、ニュース勉強して、会話術を磨いてんだよっ! てめーらがクッソつまんねえ話題を気持ちよく話せるのは、あたしらのおかげだってことを忘れんな!」
この一件のあと、彼女が『罵倒してくれるキャバ嬢』としてコアな人気を博すことは、まだ誰も知らない――。