飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「ヒュウマニティ・バイブレイション!」
トビショックに偏心した乙三に手足を固められた男は必死にもがいたが、びくともしなかった。
男は庶民のささやかな喜びを踏みにじる罪を犯した直後だった。溜まりに溜まったストレスと火事場の馬鹿力をジッジィと名乗る人影によって解放させられ、近所数軒のスーパーの惣菜の値引きシールを片っ端から剥がしては自身の身体に貼っていったのだった。
「くっ……離せっ!」
さっきまで警官たちを翻弄していた値引きシール男の怪力も、乙三のフットワークに振り回されて消耗した挙句に柔道を齧った五体で固められては、抵抗しようがなかった。
乙三はぎちぎちに男の四肢を締めつつも、穏やかに語りかける。
「まあ、そないいきり立たんと。何があったか話してみ? 少しぐらい気が楽になるかもしれんで」
「……もう何週間も、値引きの弁当を買いそびれてっ……! 物価がどんどん上がるのに給料は上がらないから、食費を節約するしかないのに、退勤時間は遅くなるばっかりでっ……! なら、みんな値引きなしで買えば公平だって……!」
「あー……それは地味にきっついな……。おれも最近は食費を安うあげる方法ばっかり考えとるわ」
「あんたは安い弁当を買えてるのかっ!? なら勝ち組じゃないか!」
「いや、全然や。せやから自炊に変えた。ちょっとばかし手間はかかるけどな」
乙三は片腕だけを緩めて、塗装ハゲだらけのガラホを取り出し、男の前で画面を開いた。
「このホームページな、メモして帰り。安うて簡単なレシピばっかり載っとるわ。家でチャレンジしたらええ。おれはかなり食費浮かせたで」
男は首を横に振った。
「俺は料理なんてできない……!」
「せやったらなおのこと、このページが向いてるわ。レンチンで済むメニューが多いよってな。料理は意外とストレス発散になるで。今日び百均でもさっと洗えるコーティングのフライパン売っとるし、洗い物が嫌やったら皿にラップかぶせて盛りつけたら減らせる」
「……わ、分かった……。やってみる……!」
「応援しとるで。ええレシピ見つけたら、おれにも教えてや」
乙三は男を解放し、握手して別れた。
警察も男を追及しようとはしなかった。乙三が視線で牽制したからだ。トビショックと事を構えて体術で勝てる自信のある警官は、その場にはいなかった。
なにより、値引きシール男が迷惑甚だしかったのは事実だが、シールを自分に貼り替えただけの詐欺を働いたわけでもない彼を、どれほどの罪に問えようか……。
『以上、現場に偶然居合わせた弊社クルーによる撮影映像でした。撮影クルーはこのトビショックと名乗る怪人を追いましたが、身のこなしが軽く見失ってしまいました。彼は一体何者なのでしょうか』
夜のニュースの女性キャスターが、テレビで夕方の騒動を報じている。
『このところ頻発している、くだらない……失礼しました、法に抵触するか定かでないながらも、確実に迷惑な街のトラブルの数々。それらを解決することで、彼に何のメリットがあるというのでしょうか』
「怪人て何やねん、怪人てぇ! そらこんなブッサイクなハゲデブのおっさんやけどもぉ! 怪人はないやろぉ!」
U首シャツにステテコ姿の乙三は、真っ赤な顔で酒臭い息を吐きながら、テレビに突っかかった。
「オツさん、酒癖悪いんすね……」
元木は乙三の宅飲みの誘いに乗ってしまったことを後悔していた。タダ酒が飲めると思っていたら、乙三のアパートにはたいしたアルコールの買い置きがなかった。
そのくせ、チョコやクッキーなどの甘い菓子の類は大量にストックされている。冷蔵庫にはビールやチューハイの代わりにシュークリームやエクレアが冷やされていて、とても53歳の男の所帯と思えない。
「ああ? おっさんが酒弱かったらあかんか? ええ?」
「そんなこと言ってませんよ!」
元木は迷惑そうに顔を背けて缶チューハイを呷った。
「ほんまはなあ……」乙三は急にしょんぼりとうなだれる。感情のジェットコースターだ。
「この酒も、毎日現場で飲んどるブラックコーヒーかて、カッコつけや。背伸びしとんのや。コーヒーは利尿作用があるさかいに汗かく仕事には不向きやけど、それでもジュースを選ぶわけにはいかんねん……」
「……なんでですか」
「現場仕事は男の仕事、男らしさが命やろ。ベテランの鳶がアルコールよわよわの超甘党なんてバレてみぃ、舐められておしまいや。現場の連中に示しがつかん」
「いつの時代の話をしてるんすか。昭和じゃあるまいし。……って、オツさんは昭和生まれか」
「昭和生まれナメんなぁー!」
「はいはい。……今日び、甘党ぐらいでバカにする人はいませんよ。現場じゃ夏場の休憩中に2リットルのコーラをあける連中はゾロゾロいるし、俺だってガ◯ガリ君とか好きだし。今じゃガリ◯リ君は病院食としても注目されてるんすよ」
「へえ……なんでや?」
「流動食が負担になるぐらい弱った人でも食べられるんす。カロリーもあるんで」
乙三は感心した顔で元木の背中をバンバンと叩いた。
「元木はそういうとこ物知りやなあ! おれと違うて学があるわ!」
「やめてください。ただの雑学です」
「いやいや、
「その話は……やめてください」
元木の低い声色に、乙三の酔いはみるみる冷めていった。居住まいを正して、「偏心」と呟く。着替えはしない。
「……なんかあるんやな。話してみ」
「いやですよ。人の心にズケズケと踏み込まないでください」
「こういうときは、酔っ払いの戯れ言に付き合うもんや。おれはアホやから、どうせすぐに忘れる」
元木は視線を落として、唇を結んだ。
乙三は瞑目し、下着姿のまま、元木に向かって両手をかざす。
「ヒュウマニティ・バイブレイション……」
元木は呆れ顔で、「どんだけお節介なんすか……」と天井を仰いだ。
「……俺、本当は警察官になりたかったんすよ」
元木は重い口を開いた。
「キャリアは俺には望めなかったけど……それでも立派な警官になりたくて、学をつけておかなきゃって勉強して……。地元で一番の大学に入って、警察官採用試験の感触だって悪くなかった。けど……落ちたんです。叔父が若い頃、学生運動にかぶれて真っ赤だったらしくて……」
「ああ……。そういうの、警察はアカンって聞くな……」
元木は力なく頷いた。
「俺がどんな人間で、何をしたかに関係なく、俺の運命は決まってしまった……。そう感じたとき、急になにもかも馬鹿らしくなったんす……。そのまま就職浪人して、実家も出て……気付けば土工をやってました」
「そうか……」
「正直、メシを食うためだけにやってる仕事っす。この仕事じゃ学歴なんて意味ないし、俺自身もどうでもいい。オツさんみたいな技術へのこだわりも、それを身につける熱意なんてものもない……」
乙三はポンポンと元木の肩を叩く。
「……なあ。ポリさんになりたかったんは、なんでや? 拳銃ぶっ放してみたかったか? それとも、パトカー転がしたかったとかか?」
「まさか……」
フッと鼻を鳴らした元木を、乙三はハグした。
「せやろ。警官にはなれへんでも、人の役に立つ方法はいくらでもあるやないか。アホのおれですら、この歳になってヒーローもどきを始めたんや。元木やったら、いくらでも道は広がっとる」
元木は大きな溜息をついた。
「……ずるいなぁ。オツさんにそれを言われたら、俺、否定できないじゃないすか……」
元木の目から、涙が溢れる。
不採用通知を受け取り、叔父の過去を知って、夢を絶たれたときに流せなかった挫折の涙。元木は今ようやく、それを流すことができたのだった。
数日後の昼休憩。
いつものようにコンビニで調達した昼食を摂ろうとした乙三を、困り顔の元木がプレハブの陰に連れ込んだ。
「オツさん、面倒臭いことになってますよ」
「どないしたんや、藪から棒に」
「ネットでトビショックの正体の特定が始まってます。しかもウチの会社に凸かました奴もいるとか」
「トツってなんや?」
「突撃っす。現場にはまだ影響ないけど、本社に何人も『トビショックを出せ』って奴らが来たって」
「なんで会社がバレとんねん!?」
元木は呆れ顔で乙三のヘルメットをコツコツと叩いた。
「これを被ってるからに決まってるでしょ!」
ヘルメットにはふたりが所属する『
「こんなもん、テレビ越しじゃまともに見えへんやろ?」
「アナログテレビの時代じゃないんすよ! 動画サイトでもトビショックのネタは再生数が上がってきてるし、切り抜かれて補正された画像なんか、西興の社名が読めるようになってます!」
元木はスマホで画像を見せた。幸い顔はヘルメットのツバに隠れてろくに見えないが、マークとロゴは見間違いでは通らないレベルでくっきりと写ってしまっている。
「まあ、バレたところで水虫で済むんだから、ノーダメっちゃあそうなんですけど」
「いやいやいや! ノーダメやあらへん! おれに一生両足カユカユで生きろっちゅうんか!」
「そっすね」
「待て待て。なんでそないにあっさり言えるんや。今でもときどき安全靴の上から掻きむしりたくなるねんぞ、薄情モン!」
乙三はハッとした。
「……待てよ……。会社の人間には、トビショックはおれってバレとるんか?」
元木は首を横に振る。
「昔ながらの鳶装束を着る職人なんて、コンプラ遵守のウチにはいませんからね。今のところは、ウチのヘルメットをパクった関連会社の人間じゃないか、って話になってるみたいっす。とにかく、次からトビショックになるときは、ちゃんとした仮面をつけて、腹をへこませたほうがいいっすよ」
「腹は余計や。……ヘルメットも変えたほうがええか?」
「それは悪手でしょう。いまさら隠せば、図星なんだと思われます」
乙三は長い溜息を漏らした。
「仮面かあ……。どないして用意したらええんや。足場以外のもんを作るのは苦手やし……」
「土産物屋のひょっとこあたりで良くないっすか」
「ひょっとこじゃサマにならんやろがい! 一応ヒーローっぽいなにかやから! メタボ中年の希望の星のはずやから!」
「ネットじゃ暑苦しいだけのハグおやじって言われてますよ」
「……さよけ……(´・ω・`)」
「あと、もうひとつ」
「まだなんかあるんか……」
「SNSでこんなアカウントを見つけたんす」
元木のスマホに表示されたのは、SNSの『アークマン @ARCH-MAN&ZIZZIE_beginners』のページだった。
「アークマン……!」
乙三は婚活男から聞き出した名を呟いた。同じ名を名乗る者が、人々のキチゲを解放させる悪の首魁だと投稿していることに息を呑む。
「他になんか書いとるんか、こいつ」
「今のところはこれだけっすね。フォロワーがゼロだし、閲覧数も一桁……だからこそ、本物の可能性が高い気がします。アークマンの名前は、オツさんやごく限られた人間しか知らんのでしょ? それになりすましなら、もっと閲覧数を稼ぐ仕掛けをするはず……」
その頃、アークマンとジッジィも、iPh◯neの画面越しに同じ表示を見ていた。
「……誰も読んでおりませんな」と、ジッジィ。
アークマンは「地味にこたえるからやめろ」と返すのが精一杯だった。
……と、通知が表示される。
『@chikachika_motomotoさんにフォローされました』
「……アークマン様! たった今! フォロワーが1になりましてございます!」
「まことであるな! この者は画面の向こうで我の威光にひれ伏し、怯えておるというわけだ! 万歳!」
アークマンが勢いよく両手を挙げた瞬間、iPh◯neはエネルギー体の手をすり抜けてすっ飛び、壁にぶち当たった。ミ゙ヂッ、と、さらに画面が割れた音がした。
「……マジか……」
「マジでございますな……」
元木はスマホの画面を乙三に見せた。
「フォロー完了っす。これでこのアカウントを追えますよ」
「悪いな。おれのガラホ、古すぎてSNSのアプリが動かへんのや」
SNSの初のフォロワーがトビショックの同僚であるなどと夢にも思わないアークマンは、数時間かけて(本人的には)練りに練った投稿を書き上げ、公開した。
『㊗️初フォロワー! 我を恐れ崇める哀れな子羊のため、わが力を見せつけてやるとしよう。この投稿から1時間後に、
元木がそのポストをチェックしたのは、一日の作業が終了したタイミングだった。
元木はまわりの職人の目を気にしつつ、乙三に耳打ちする。
「オツさん。例のアークマンが犯行予告してます」
スマホを見た乙三は青ざめた。
「おい……。投稿がこの時間で、その1時間後て……もう始まっとるやんけ!」
慌ててスーパーカブに跨る乙三に、元木は「これで顔を隠してください!」と防塵マスクを渡した。土工がハツリなどに使うものだ。
「おおきに! 借りてくで!」
乙三のカブは悲鳴のようなエンジン音と真っ白な排ガスを残し、東有葉方面に消えていった。