飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
「東有葉七丁目いうたらこの辺のはず……。どこや……って、ここかい!」
乙三がトラブルの現場を探し回る必要はなかった。買い物帰りの主婦たちや仕事上がりの男たちが引きつった顔で人垣を作っており、その視線の先にめまいを催す光景が広がっていたからだ。
ある豪邸の2階。その広々としたベランダの屋根に、禍々しい色使いの丸い物体が大量に吊るされてゆらゆらと揺れ、チリチリと寒々しい音を上げていた。
それは蛍光のピンクやイエロー、グリーンに塗られたマネキンの首だった。
みっちり所狭しと配された生首の下には、それぞれに風鈴がさげられている。赤黒い日没の光の中で、極彩色の生首と不協和音が狂宴を催す。
地域の住民たちは不気味さと不安におののき、警官たちは私有地内での違法とは言えない行為をただ見上げるしかできなかった。
乙三は少し離れた路上駐車のバンの陰で偏心し、鳶装束姿で豪邸の前に立った。元木がくれた防塵マスクのおかげで、顔バレの心配はない。
「アークマンの予告……さすがに言いすぎちゃうか?」
乙三の口から正直な感想が漏れた。
「『血も凍る惨劇』て……確かにおっかないし、頭がどうかしとるビジュアルやけど、せいぜい文化祭のお化け屋敷レベルやん」
乙三の呟きに、豪邸のベランダで塗料まみれのエプロン姿の男が叫ぶ。
「……誰ですか!? いま文化祭のお化け屋敷と言ったのは!」
防塵マスク越しで風鈴の音もかなりうるさいというのに、恐るべき地獄耳である。
「これは僕の心象風景を表現したものだ! アートであり、僕の写し鏡なんだ!」
エプロン男はさらにマネキンの首を追加していく。とうとうベランダの柵に登り、屋根の外縁にまでマネキンの首(風鈴つき)を吊るし始める。
乙三は敷地の外から語りかける。
「兄さん、危ないで! ひとまず手ぇ止めて、詳しい話を聞かせてくれへんか! なんでそんなことをしとるんや」
「断る! 僕の気持ちはすべてこのアートに表現されている! これを見て察することのできない鈍感な人間と語り合うことなんて、何もない!」
ビュウと突風が吹くと無数の風鈴が一斉にギャーンと鳴り、野次馬たちは耳を塞ぐ。
驚いたのはエプロン姿の男も同じだった。風圧でバランスを崩し、ベランダの外に落ちそうになる。
男は必死にベランダのへりにしがみついた。2階とはいえ、天井が高い豪邸のことだ。3mあまりはあろう。
「言わんこっちゃない!」
乙三は手近な電柱を伝って忍び返しがついた鉄柵を乗り越え、敷地内に降り立った。地下足袋のつま先を
野次馬の子供が乙三を指差し、「トビショックだ!」と声を上げる。
「戻りなさい! 不法侵入だぞ!」
警官のひとりが叫んだが、乙三に振り返る余裕はない。
「避難や避難! ええと……緊急避難!」と、元木から教わった『とりあえずの急場しのぎの呪文』を叫んでみる。警官たちは顔を見合わせて法律の内容を思い出そうとし、うちひとりはレスキューを要請した。
乙三が使った電柱に動画配信者が取り付き、スマホで生配信を始める。
「いま緊急で動画を回してます! トビショックがキチゲマンの対応に当たってるところに出くわしちゃいました! 見たところ40代ぐらいのヒョロガリなキチゲマンが、ベランダから落ちそうになってます!」
乙三がベランダに飛び込むのと、エプロン男が力尽きて手を離したのは、ほぼ同時だった。
「ああーっ!?」
野次馬たちから悲鳴が上がる。
が、幸運にも男のエプロンの紐がベランダの突起に引っかかった。
乙三はその紐がほどける前に、両手でエプロン男の腕を取る。
「落ちるなぁぁ……っ!」
防塵マスクの中でゼエゼエと息をつきながら、乙三はエプロン男をなんとかベランダに引き込んだ。
一息つくと、そのままヒュウマニティ・バイブレイションに持ち込む。
「なあ……腹割って、話しせえへんか」
「……そんなイカツいマスクをつけた輩に、腹を割った話なんかできるわけないでしょう!」
「……それもそうやな……」
生配信者が向けているスマホのレンズが、乙三の目に止まる。
乙三は意を決して、防塵マスクのストラップに手を掛けた。
帰宅中に自転車を停め生配信に見入っていた元木は、思わず息を呑んだ。
スマホの画面一杯に映し出されているトビショックの顔から、防塵マスクが外される。
老眼鏡で目元を誤魔化していない、ありのままの唯野乙三の顔が露わになった。
「これならええか?」
乙三はエプロン男に微笑みかけた。
エプロン男はがっくりとうなだれる。
「……僕は……僕は情けなかったんだ……」
乙三の穏やかな表情に緊張の糸が切れたか、男は嗚咽を始めた。
「この歳までずっとアーティストを気取ってきたけど……作品はちっとも売れない……。親が遺してくれた金で食い繋いできただけ……。才能なんてないのは分かってるんだ……。コンテストではいつだって、『凡庸でつまらない』って言われてばかり……。それでも、誰かに僕の作品を見てもらって、何かを感じて欲しかった……!」
乙三は生配信者のカメラから庇うように、エプロン男を室内にいざなった。その部屋はアトリエになっていて、隅にいくつかの額装や造形物が飾られていた。極彩色の風鈴生首と違い、まっとうでどこかホッとする作品たちだ。
「ええ作品やん。うまいこと言葉にできへんけど……おれは兄さんのアート、好きやで。個人的には、凡庸って強みやと思うなあ」
「……えっ?」
「要はお約束が強いってことやろ? それって、誰でも共感できる作品ってことちゃうか? インパクトのある尖った作品は確かに凄い。けど、そういうのは人を選ぶやんか」
「そうなのかな……」
「おれも仕事で奇抜な物件の建設に関わったことがある。けどな、みんなにほんまに愛される建物っていうんは、えてして凡庸なもんや。人が建物に求めるのは、安心して住めることやからな。おれは兄さんの作品、安心して見てられる。ずっと見てたいわ」
乙三は一枚の絵に目を止めた。白いワンピースにつば広帽姿で両手を後ろに回した少女が、こちらに笑顔を向けている。
「この絵が特に好きやな。これ、売り物なん?」
「それは……6万円……」
「そうかぁ。ウチの娘に似とるから欲しいと思ったけど、さすがに6万は持ち合わせがないわ。堪忍な」
「娘さんがいるんですか」
「嫁はんと離婚してから会えてへんけど……別れた頃はこんな感じやった。今はどないなってんのやろなぁ」
しばしの沈黙のあと、男は額を外して絵を抜き取った。
「……お代は要りません。この絵、持っていってください」
絵を図面ケースに収めて、乙三に手渡す。
「助けてくれたお礼です。さっき、腕や肩から落ちてたら、創作ができなくなってたかもしれない」
「……おおきに。ありがたく頂戴するわ。ええ作品ができたら、また見せてな」
ゴツゴツと硬い乙三の手と、エプロン男の芸術家肌の繊細な手が、強く握手した。
アーティストとトビショックが風鈴生首の撤去を始めると、野次馬は減り、警察も姿を消して、あたりは落ち着きを取り戻していった。
が、ネット掲示板の祭はここからが本番だった。
『さっきの配信見たやついる? トビショックの顔、モロに映ったぞ』
『特定祭りクルー?』
『そんなことより、SNSで今回のキチゲマン出現が予言されてたってマジ?』
『予言つーか予告ポストが上がってたらしい』
『mjd!?』
『予告ってどういうことだよ』
『そいつがストレス溜まってる奴のキチゲを強制解放してキチゲマンにしてるらしい』
『コスプレおやじの正体なんかより、そっちのがヤバくね?』
『嘘乙。そんなことできるわけないだろ。本当なら垢晒せや』
『これな @ARCHMAN&ZIZZIE_beginners』
『ビギナーは草。モロ釣り垢じゃん』
『見てきた。ガチだった。タイムスタンプも矛盾してなかったわ』
『フォローした。アークマン様マジパネェっすってコメしたった』
『おまえらあんまり煽ったりすんなよ。糖質だったら関わらんのが鉄則だぞ』
『同意。おくすりやってる可能性だってあるしな。刺されても俺は知らん』
「……へ?」
暗い空間で、アークマンは間の抜けた声を漏らした。
「いかがなさいました」とジッジィ。
「えーと……」
アークマンはエネルギー体ながらに目をこすった。
「SNSのフォロワーがいきなり100人を超えておるのだが……」
「はい……?」
ジッジィがiPh◯ne8を覗き込む。
「画面が割れているせいでそう見える、というわけではなさそうですな」
「マジか……」
「マジなようでございます」
「……見ろ、ジッジィ! 『アークマン様マジパネェっす』とコメントがついておる!」
「アークマン様の御威光が愚かな人間どもを照らしてございますな!」
アークマンとジッジィは高笑いした。
「よし、となれば次の一手だ、ジッジィ!」
アークマンは片手でiPh◯neを落とさぬよう鷲掴みにし、もう一方の人差し指でポチポチと入力する。
『㊗️フォロワー100人超え! 愚かなる人間どもにも我を崇める見識を持つ者がいることを嬉しく思う。よって、次なるキチゲマン出現をここに予告する。3日後の午前3時、有葉市 北有葉一丁目だ。午前だぞ。午後ではないから、うっかりさんは注意せよ。我を信じる子羊も信じぬ愚者も、ともにわが足元にひれ伏すがよい!』
「おや……なぜに3日後でございますか?」
「予告は広まる時間を設けたほうが効率が良かろう? それに人間どもは祭の前日のほうが盛り上がるものらしい。そこでSNSのトレンドもフォロワーも稼げるというわけだ」
「なるほど、さすがは悪の覇道を往かれるお方。ジッジィは感服してございます」
「よし、投稿! ふはははははは……! ははは……。は……?」
「……またキャンセルボタンを誤爆あそばされたようですな」
「画面が割れてない、ホームボタンのついてない端末が欲しい……(´・ω・`)」
乙三が自宅アパート前にカブを停めると、外階段の下から人影が歩み出た。
「……元木? どないしたんや」
元木の表情は険しかった。
「さっきの顔出し。どういうことっすか」
「成り行きや。顔を隠したまま、他人の本音なんて聞き出せるもんやないやろ」
「それは、そうですが……」
「仮にネットで特定されたかて、会社や知り合いまでその話が届いて、信じられるとは限らへんしな。SNSとかやらんおっさんのほうが多い業界や」
「……楽観的だなぁ」
「今悩んだかてしゃあないってこっちゃ。なんかあったら、そのとき考える。……せっかく来たんや。上がって茶ぐらいしばいてき」
乙三は2階の自室に元木を迎えた。
元木はカバンからドラッグストアのシールが貼られた水虫の薬を取り出す。
「オツさん。そこに座って、靴下脱いでください」
「お? なんやなんや」
「俺もいずれは水虫確定なんでしょ。先にオツさんで薬の実験をさせてもらおうと思って」
「元木……。おまえ……」
元木は綿棒で乙三の足に薬を塗っていく。
「水虫の呪いの発動条件が、本当は日本人の13%に身バレすることなのか、もっと違うパーセンテージなのかは分かりませんけど……こうなったら、神様とやらのオカルトと人間の科学の戦いっす」
薬を塗り終えて清潔な靴下に履き替えた乙三は、缶ビールで元木をもてなした。
元木は尋ねる。
「オツさん、3日後の朝3時って予定ありますか?」
「日曜か? なんもないけど……変な時間やな。なんか用か?」
元木はスマホを見せた。
「アークマンがまた予告してます。フォロワーが一気に増えたんで、調子こいてんすよ。きっと」
「また有葉市か。行くしかないな……。にしても、随分とローカルな悪党やなあ」
「案外アジトが近かったりするのかもしれないっすね。この日は、俺もついて行きますから」
「折角の休みやのに、朝ゆっくりせんでええんか?」
「警官でなくても人助けできるって言ったのはオツさんっすよ。まずはオツさんのサポートから始めます」
元木はフフッと微笑んだ。