飛べ!トビショック 〜ただのおっさん、ちょびっとだけ世界を救う〜 作:小路 参佑
日曜の午前2時半。北有葉のコンビニで乙三と待ち合わせた元木は、我が目を疑いながら自転車を停めた。ざっと30人ほどの人間が、店の前にたむろしている。
「SNSを見た連中か……」
同じ目的のために集まった参集者たちは、アークマンの正体の考察やら、どんなコメントを送ったかなどの話で盛り上がっている。
中年の交番警官が解散するようひとりひとりに声を掛けるも、誰も応じようとしない。
「元木……こっち、こっち」
元木が小声のする方を向くと、乙三が道路工事の予告看板に隠れて手招きしている。こんな状況を予想していなかった乙三は、トビショックの姿でやって来ていた。
「えらいことになっとってビビったわ」
「今日は日曜ですからね……。俺も甘く見てました」
「ここに来る途中、あたりを一周してみたけど、まだキチゲマンはおらんっぽい」
「そうですか」
元木はひどく古めかしい極太フレームの眼鏡を差し出した。
「防塵マスクは駄目でも、これは着けといてください」
「えらいごっついデザインやな。トンボメガネを思い出すわ」
「眼鏡のインパクトで顔の印象が薄れるはずです。気休めですけど、ないよりマシでしょう」
「了解」
「あと、これも持ってってください」
「特小(特定小電力トランシーバー)か」
「イヤホンも。なにかあったらサポートします」
「おう、助かる。おおきにな」
乙三は伊達眼鏡を掛け、無線機をベルトに差して、イヤホンを耳につけた。
やがて、ギィ゙ーゴ、ギィ゙ーゴという耳障りな異音が、深夜の空気を震わせる。
「始まった……!」
乙三と元木は顔を見合わせた。
ギィ゙ーゴ、ギィ゙ーゴ、ギィ゙ーゴ……!
公園の錆びきった2台のブランコが、鼓膜を歪ませるような音を立てている。それを漕ぐふたりの男は、ジャ◯アンも顔負けの怒号のごときボーカルを披露して、騒音を嵩増ししていた。
♪ ぼくらはふたり 生きている 生きているから つらいんだ
右側のブランコの男が歌い、水平まで立ち漕ぎする。
♪ ぼくらはふたり 生きている 生きているから 死にたいんだ
左側のブランコの男が歌い、同じ高さまで漕ぐ。
ふたりは全く同じ顔をして、同じく不健康に弛んだ身体をしていた。年の頃50歳前後の双子だ。
それまで真っ暗だった近隣の住宅の窓に、次々と明かりが灯る。
じきに「やかましい!」という怒号が、どこかの家から轟いた。
双子の狂気を解放し、ジャングルジムの頂上から奇行を見届けたジッジィは、アジトに戻ろうとする。その瞬間、隣にアークマンが現れた。
「おや、アークマン様。なぜこちらに」
「トビショックとやらを直接見てみたくなってな。おるのだろう? この近くに」
「はい、そのような気配を感じます。……来ましたな」
ガニ股の乙三がドタドタと地下足袋を鳴らして公園に駆けつける。
アークマンとジッジィは手近な民家の屋根の上に瞬間移動し、事態の観察を始めた。
乙三は同一人物に見えるふたりに戸惑いながらも、声を掛ける。
「こんな時間になにしとるんや! 近所迷惑やで!」
♪ 手のひらを月光に 透かしてみても
♪ まったく見えない ぼくらの価値
「……? 希望なんてみんなが見とるわけやないで! 生まれたから生きとる、それやったらあかんのか?」
♪ 無職だって 乞食だって 負け組だって
♪ みんなみんな 生きているんだ ぼくより上だ
「……なんやて……」
乙三が絶句していると、ふたりの歌は2ループ目に入った。
野次馬たちが追いつき、その闇深げで不吉な歌詞に戦慄する。「もっと面白いものが見られると思ったの に」「鬱展開うぜぇ」などと呟く者もいる。
野次馬たちはトビショックが目の前にいても騒ぐ気になれず、静まり返った。騒がしいのは、ただただ双子とブランコだけだ。
中年警官も双子に静かにするよう注意するしかできない。どの罪に問えばいいのか、触れれば壊れるのではないかと、迷っている。
乙三の顔が悲痛に歪む。
「……そないに自分が嫌いなんか……」
双子がブランコを漕ぐたびに異臭がする。よく見ると、双子の服はだいぶ汚れていた。髪もボサボサで、皮脂で固まっている。引きこもりのセルフネグレクトだろうというぐらいの想像は、誰にも容易だった。
見かねた乙三がブランコを止めようとすると、無線のイヤホンに元木の声が届く。
『やめてください! 全力のブランコなんか無理やり止めたら、オツさんも乗ってる人も大怪我します!』
元木はどこかで事態を俯瞰しているようだ。
「それより、オツさんの後ろの民家の屋根に、人影みたいなのが見えます」
先ほどからキチゲマン以外にも不穏な『気』の存在を感じていた乙三は、屋根の上の人影を見上げて叫ぶ。
「おまえがアークマンか! おまえがこのふたりの心を追い詰めたんか!?」
「……いかにも。われがアークマンである」
「わたくしはジッジィと申します。よしなに」
「……なんでこんな可哀想な真似をさせるんや! このふたりがあんたになんかしたんか!?」
「なぜ、だと?」
アークマンとジッジィはふわりと浮遊して屋根を降り、スーッと滑るように乙三に近付いた。
乙三はその身のこなしに、アークマンとジッジィが人ならざる者であることを直観した。
アークマンは薄く笑う。
「われが悪の概念であるからに決まっておろうが」
「概念?」
「そうだ。我は人間社会の歪みが生んだ存在。ゆえに愚かなる人間どもを断罪する資格を持つ。伊達にArch-manは名乗っておらぬわ」
「……ごめん、ちょっと意味分からへん」
「えっ?」
「自慢やないけど、おれ、学がないんや。その名前、アーク溶接と関係あると思うとったんやけど、違うんか?」
「えぇ……」
ジッジィが割って入る。「とにかく、アークマン様は人を超越した存在であらせられるのです」
「人を超えとるなら、なおさら人を痛めつけたらあかんやろ!」
乙三の声が怒気をはらむ。
「人間ですらペットは可愛がるもんや。人より優れとるからって人を虐めるんやったら、それは人間未満やないか!」
「ぬぅ……アークマン様に向かって説教ですと? なんたる不敬!」
「とにかく! あのふたりを止めろ!」
『……もう止まってますよ』と元木。
「へ?」
乙三が振り返るとあたりは静寂に満ちており、双子は汗だくでぐったりと地べたに腰を下ろしていた。長年の運動不足が祟ったのだろう。
乙三はふたりに駆け寄り、両腕にひとりずつ抱える。
「ヒュウマニティ・バイブレイション!」
双子の汗にまみれた頬を、大粒の涙が伝う。悪臭を漂わせる自分たちが赤の他人にハグされるなど、想像していなかったのだ。
「お、おれたち……双子の兄弟で……」
「ふたりとも、親父とお袋の望んだ大学に入れなくてっ」
双子はむせび泣いた。
「期待に応えられなかった自分たちが情けなくてっ」
「気付いたら、ふたりで引きこもってた……」
「外を歩けるのは、こんな時間だけ……」
「両親が死んだときも、葬式もなにもかも親戚任せ」
「ふたりもいてなにもできない自分を、変えたくて仕方ないのにっ」
「なのに、動くのが怖くて、しんどくて、なにもできなかった……」
「毎日毎日、悔しくて、悲しくて、腹立たしくてっ」
「家の中で暴れて、泣いて……金も尽きて、もう死ぬしかないって……」
「子供の頃は、うまくいってたのに」
「おれたちいつから……どうしてこんなことに……!」
乙三の腕が力を増す。
「苦しかったなあ。つらかったなあ……。自分で自分が分からんようになって、信じられんくなって、嫌いになってしもたんやな……」
双子は言葉を失った。自己否定の淵にあったふたりは、ネットで理想の自分を演じ、他者を叩いて、自らも叩かれる――そんな日々を送ってきた。理解者は、ひとつの卵子だった自分の兄弟だけ。赤の他人から共感されるはずなどないと、思い込んでいた。
「……なあ、家はどこや? 一緒に風呂でさっぱりしてから、これからのこと、落ち着いて考えへんか?」
「これからのこと……?」
「未来なんて、おれたちにはないよ……」
「風呂だって壊れてる……」
「家の中はぐちゃぐちゃだ……」
「そうか」乙三は笑顔で食い下がる。「なら一緒に家の中をかたして(片付けて)、銭湯に行こうや。折角の日曜や、部屋をすっきりさせて、ひとっ風呂浴びたら、気持ちええで!」
『何言ってんすか!?』元木から無線が飛んでくる。『そこまでする必要あります?』
乙三は答えず、眼鏡を外して、双子の兄弟に微笑んだ。「どうや?」
双子はくすっと笑い、異口同音に言う。
「「あんた、変な人だなあ……」」
中年警官が、乙三の背中にそっと声を掛ける。
「あとは、自分が福祉に繋ぐので……」
乙三は静かに首を横に振った。
「それは後のことや。今はこのふたりを、ようこらえてきたなって、ねぎらうときや」
乙三が兄弟を立たせると、アークマンがくぐもった笑いを漏らす。
「ヒュウマニティ・バイブレイション、確かに見た!」
乙三はアークマンをキッと睨めつける。
「……次にこんな風に人の心を弄んでみぃ。あんたがどこの誰やろうと許さん。ボコして泣かす」
「面白い。楽しみにしている。……行くぞ、ジッジィ」
アークマンとジッジィはスウッといずこかへ消え……ようとしたが、できなかった。
「アークマン様、まじイケメン!」と女性の参集者たちが取り囲んだのだ。
「ジッジィさんも渋くて尊い……!」
女性陣が盛り上がるわきで、男の参集者たちは「こんなチー牛っぽいガキが?」「中二病丸出しなのに」「俺にはコボルドかなんかに見えるけど」などと言い合う。そんな彼らも野次馬根性には勝てないらしく、スマホのカメラを向けてアークマンに群がった。
乙三は小さく溜息をつく。「なんや、みんな言うとることバラバラやんけ」
『アークマンは自分を概念と言ってるんで、見る側が持つイメージで違って見えるのかも』と元木。
「まあ、どうでもええわ。今は兄さんらの
乙三が兄弟の先導についていくと、元木が合流する。
嬉しそうに見やる乙三に、「オツさん、片付け下手なんでしょ。いつもアパート散らかってるし」と目をそらす。
その後ろに中年の交番警官も加わった。
「自分も手伝います」
「それはありがたいけど……事情聴取は勘弁してや。ってか、仕事は放っといてええんか?」
「自分は人を不幸から守りたくて、この職に就きました。福祉のための下見でもあります。会社(警察)のほうは、あとで帳尻を合わせます」
アークマンを人気配信者と誤解した彼には、乙三同様に、双子の兄弟の身の振り方が最大の関心事だった。
「よっしゃ! ほんならパパッとかたして、隣町の銭湯に一番風呂浴びに行くで! あそこの大将、おれらみたいな汚れ仕事の人間にも優しいんや。きっと兄さんらのことも歓迎してくれるで」
中年警官がビッと敬礼する。
「自分は有葉警察署 地域課の、
乙三も答礼した。
「おれはトビショック……いや、唯野乙三や。よろしくな。佐津川さん、兄さんがた」
「ええーっ!? それ言っちゃうんすか!?」
元木は目をしばたたかせた。
「人は信じるときは信じんとな」
「ときどきサラッと良さげなことを言うのが腹立つんだよな、この人……。俺は元木智夏人っす。このオッサンの同僚やってます。よろしく」
「オッサン言うな! オツさんな!」
双子の兄弟と、乙三たち三人の男は、少しだけ軽い足取りで公園を離れていった。
アークマンは参集者たちから矢継ぎ早の質問を受け、揉みくちゃにされながら呟く。
「え……いや、あの……。我とジッジィは、どうすれば……?」
「引き際を失いましたな、アークマン様……」とジッジィ。
「おのれトビショック、罠にはめおったか! 卑怯なり……!ヽ(`Д´)ノ」
そう唸りながらも、参集者たちにチヤホヤされて、どこか嬉しそうなアークマンだった。